【ドラマパート】主人公にだってできないことぐらいある
ドラマパートです。ハワイ王室との婚約が成立した日本は連日祝賀ムードに包まれています。ですが、英梨子は元気がないようで……
1882年3月。皇族の山階宮定麿とハワイ王族カイウラニの婚約が発表され、日本中が祝賀ムードに包まれていた。
「……」
一方、国全体が浮かれた気分であるのに、九条英梨子は浮かない顔をして窓を眺めていることが多くなっている。
「最近、元気がないですね」
そんな彼女の横に、梨本宮菊麿が座って声をかけた。
「ああ殿下……。すこし、いろいろ想定がひっくり返ってしまうことがありまして……」
「あら、貴女でも途方に暮れることがあるんですね」
「私にだってわからないことはありますから」
少々不貞腐れたような調子で英梨子が言う。
「……私でよければ、お話聞きますよ?」
「ありがとうございます……そうですね。いい機会ですし、つまらない未来予測でもよろしければ、お話してさしあげましょう」
「未来予測、ですか」
菊麿が不思議そうな顔をする。
「今の東アジアでは、我が国と清、そしてそれらに食い込もうとする欧州勢力がしのぎを削っています。この争いは遠からず実力行使へと発展し、多くの血が流されることでしょう」
「……まあ、現に清とは琉球を巡ってこの前も小競り合いがありましたし、欧州諸国も、我が国や清と不平等条約を結んだりしていますからね」
「でしょう? それでまず、我が国と清がぶつかり、我が国が勝ちます。それで終わればいいのですが、清が衰えてできた力の空白に対して、ロシアが進出してくるので、また我が国とぶつかるのです」
そこまで語ると、英梨子はため息をついた。
「今の腐敗した清ならば我が国でも勝てそうですが、ロシア相手ではそうもいかなそうですね。それを憂慮していると?」
「国の腐敗っぷりならロシアもいい勝負ですから、私が兵器開発を頑張れば、意外と優勢に戦えると思います。ですが、優勢であっても相手に負けを認めさせなければ、戦いは終わりません。あの広大な国土を持つロシア人が、少々押し込まれて土地を失ったところで、見下しているアジア人相手に負けを認めると思いますか?」
英梨子の脳裏には史実の日露戦争がちらついていたが、この時代の人間でもナポレオンのロシア遠征で、ロシアという国の異常な強靭さを理解することは簡単にできる。それはそれとして小学校3年生相当の菊麿はそこまでのことをまだ知らなかったが、英梨子が何を言いたいかは持ち前の聡明さで理解できた。
「たしかに……そうなると、いつまでも血が流れ続けることになりますね」
「だから、両国の状況を客観的に見て、『もう勝負ついてるから』と言ってくれる国が、特にわが国には必要なのです。ですが、その国との友好は、もう期待できなくなってしまいました」
「もしかして、英梨子さんが途方に暮れていたのは……」
「そうです。菊麿殿下には申し上げにくいことですが、皇室とハワイ王族の結びつきが深まったことで、ロシアと戦争になったときに仲介してくれそうなアメリカとの友好関係が維持できなくなりそうなことを憂いていました」
血のつながりはないが、定麿は菊麿の兄にあたる。結婚を祝福したい気持ちと、まだ小さいのに政争の具に使われるのを憐れむ気持ち、そして自分の歴史改変計画が崩れ去ったのを怒る気持ちがごちゃ混ぜになって、結局英梨子には物憂げにため息をつくことしかできないのだった。
「? ハワイとアメリカにどんな関係が……?」
「あの島は現在、アメリカ系の入植者が現地民の生活を圧迫し、ゆくゆくはアメリカに併合させることをもくろんでいます。だからこそ、カラカウア王はわが国をはじめとする世界中に外遊したんです」
「つまり、ハワイ王室との関係を深めるということは、アメリカ人移民とハワイ原住民の争いに、原住民側で加担するということを意味するんですね……」
そういわれてみると、菊麿は祝いの席で義兄が思ったよりもうれしそうにしていなかったのを思い出す。菊麿の感じていた違和感が、英梨子の愚痴によって明確な懸念へと変わった。
「アメリカが分別のある国ならば、移民の側に非があるのを理解しますので、そこまで我が国との関係は悪化しないかもしれません。ですが、この帝国主義が蔓延る時代において、そんなことは期待できませんから」
「そう、ですか……」
真綿で首を絞められるような危機感を、王子と公爵令嬢が共有する。それは、彼らに何かしらの決断をさせるには十分なものであった。
「殿下……」
同い年ながら、あれだけ頼もしく見えた英梨子が、今日はすがるような目で菊麿を見てくる。そのギャップに、菊麿はどきりとした。
「……英梨子さんは、どうして砲兵工廠で働こうと思ったのですか?」
「……うれしかったから。私の知識と知恵と技術が、お国のためになって、みんなが喜んでくれるから」
「であれば、その喜びを守ることが、英梨子さんのやるべきことではないですか?」
場違いに自覚した英梨子への好意を、今のところは心の隅に押し込めて、親が子供を諭すように、先生が生徒を導くように、菊麿は優しく語り掛ける。
「……! そう、ですね」
「役に立てるかわからないけど、私も力になりますから」
「ありがとうございます。おかげで踏ん切りがつきました」
そういうと英梨子は菊麿の方に向き直り、少し悲しそうに微笑んだ。
「私と一緒に、地獄に行きましょう。殿下」
当時の菊麿には、彼女が「地獄」と表現した世界がどんなものなのか、想像はついていなかったが、そんなところに英梨子を一人で行かせるわけにはいかないと決心する。一方英梨子の中では、一度言ってみたかったセリフを言えた高揚と、こんな状況で、大切な人に言いたくはなかったという後悔が、ぐるぐると渦巻いていたのだった。
少しでも面白いと思っていただけたり、本作を応援したいと思っていただけましたら、評価(★★★★★)とブックマークをよろしくお願いします。