【ドラマパート】類は友を呼ぶ
もうちょっと時間を刻んだ方がいいのかもしれませんが、この話を書きたくなってしまったので、もう書いてしまいます。
英梨子が幼少期をお国へのご奉公に費やしていたら、月日はあっという間に流れて1881年となった。時間の経過によって華族の間でも学習院の評判が広まり、途中で編入してくる子女も増えてきている。彼もまた、三年次から編入してきた少年の一人だった。
「お初にお目にかかります。私、九条道孝の長女、英梨子と申します」
そんな少年──梨本宮菊麿、後の山階宮菊麿である──に、学習院一の才女にして奇人である九条英梨子が声をかける。
「ああ、貴女が九条の……菊麿です。九条さんのことは、我が国の陸軍に多大な貢献をしていると聞いています」
「多大な貢献なんてそんな……微力ながらお手伝いさせていただいているだけでございますよ」
そう言いつつも、英梨子は年相応にまんざらでもなさそうな様子を見せた。
「そういえば殿下、今日はいい天気でございますね」
「……? そうですね。ただ……少々風が湿っているようですし……西の空に高積雲が多く見えます。この様子ですと、明日くらいには天気が崩れるかもしれませんね」
窓から空を見上げた後、菊麿はあえて詳細な気象観測結果を語った。女でありながら陸軍工廠に出入りし、兵器開発にいそしむ同い年の子供に対して、ささやかな対抗心を燃やしていたのかもしれない。
「おお、菊麿様は気象屋さんなんですね?」
「気象屋……? まあ、まだ趣味程度のものでしかないですけど、気象観測と天気予報について勉強しているんです」
菊麿がそんなことを言うと、英梨子は目を輝かせて彼の手を取った。
「ねえ菊麿様。地上だけでなく、はるか空の彼方から我が国を見下ろすことができれば、より詳細な気象観測ができると思いませんか?」
「まあ、それは確かにそうですし、そこまで広大な観測結果が得られれば、明日の天気どころか、明後日や一週間後の天気も予測できるようになりそうではあります」
「ですよねぇ!」
英梨子が菊麿にずずいっと顔を近づける。学習院ではおとなしい彼女が、ここまで熱心に人に向かってまくしたてることは、とても珍しいことであった。
「菊麿様、ロケットで気象観測をしませんか!?」
「ロケットですか? 気球で気象観測をした例はあったと思いますが、それをロケットで?」
菊麿が英梨子に聞き返す。この当時の技術力では有人でないと気象観測を実施することができないので、気球を使って人間を空高く運ぶ必要があった。与圧区画なんて当然ないので観測は命がけであり、1862年のイギリスでは、気象観測用の気球が高度12000mまで上昇してしまい、気象学者が失神、何とか意識を保っていた操縦手の根性によって、命からがら帰還するする事故が発生している。
「ええ。気球よりはるかに早く、高く飛び、風にも流されにくい素晴らしい観測機材になれると信じております」
「ですが、人間が上がれるのは高度10000mが限界でしょう。それくらいなら気球でも上がれますし、気球であればより長時間観測を行うことができます」
上述の事故が起きたように、当時の技術力では高度10000mが有人気球の限界高度であると思われていた。なお、現代の無人気象観測気球「ラジオゾンデ」は、おおむね高度30000mまで上昇することができ、観測ロケットに至っては高度100000m以上、すなわち宇宙空間まで到達できるものも存在する。
「はい、ですので、無人で運用できる観測機器を打ち上げるんです。そんなもの多分まだこの世には存在していないので、みんなで開発しないといけませんが」
まるで子供のように──実際子供なのだが──目を輝かせて、英梨子が夢を語った。
「うーん……私と九条さんだけで作るわけではないにしても、自動で気温、気圧、風力、風向を記録してくれる装置というのは、とても難易度が高そうです。ですが……」
菊麿はいったんそこで言葉を切った後、深呼吸をしてから改めて話し始める。
「不便なことに、現在、我が国では天気予報が行われていません。天気を予測するためには、地上からの観測だけでなく、高山や高空での気象観測結果が必要です。先ほど申し上げた通り、人間が活動できる高度には限界がありますから、無人で運用できる観測機器を積み、ロケットや気球で打ち上げて上層大気の状況を知る方法を確立することは非常に重要な研究だと思います」
天気予報において特に注目される「雲」は、寒気団と暖気団のぶつかり合っている「前線」で発生する。各地の地上の気温と、その上空の気温の両方を測ることができれば、各気団や前線の位置を推測でき、天気を予報するうえで大きな助けになるのだ。
「おお……! おわかりいただけますか……!」
完璧な回答をよこしてくれた菊麿に対し、英梨子はいたく感激する。今までは同年代の子供はおろか、下手すると大人とも対等な科学的対話ができていなかった彼女は、利発でこちらの言葉に耳を傾けてくれる菊麿に急速に惹かれていった。
「ですけど九条さん。我々はまだ子供です。九条さんはすでに陸軍で働いておられるので、もしかしたら話を聞いてもらえるのかもしれませんが、どうやって気象観測装置や、それを乗せるロケットを開発してもらうのですか?」
「世の中は捨てたものではないので、子供の言うことでも筋が通っていればちゃんと聞いてくれる人がいます。そういう人を探して、その人と一緒に、しかるべき機関へお願いしに行くんですよ」
英梨子が自信満々に語る。
「見つからなかったらどうするんですか」
「その場合でも、宮家や五摂家にお願いされたら断れない人たちがいるので、その人たちにお願いしに行きましょう」
「……いいのかな、それ……」
あんまりな回答に、少々不安を覚える菊麿であった。
というわけで、今作のメインヒロインは菊麿殿下です。果たして彼は日露戦争で活躍できるのか? 日本の打ち上げロケット開発の行方は? 楽しく書いていきたいですね。