【ドラマパート】九死に一生
結局週末更新になってしまいました。ドラマパートです。
1878年5月15日。九条道孝は危うく暗殺されそうになった大久保利通を見舞っていた。本当は当日に行きたかったのだが、伊藤博文らが政務を放り出して押しかけたため、やむなく日付をずらしたのである。
「この度は災難でした。お命があって本当によかったです」
「ご心配おかけしました。政府高官に護衛を付けるよう進言したのは九条殿でしたな」
平静を装うものの動揺が隠せない道孝に対し、大久保は何ともなさそうに謝罪した。
「ええ。幕末のころは、幕府の役人や高官が攘夷派志士に暗殺されることが良くありました。維新の功労者の皆様は、旧幕臣の恨みを相当買っておられると思いましたので、同じことにならないか心配だったのです」
「そういう意味では、私は思いあがってたの知れませんなあ……不平士族の反乱を平定して、もう私にたてつく者はいないと……」
そういうと大久保はため息をつく。子飼いの部下である大警視の川路利良も完全に油断していたというから、政府全体に治安をおろそかにする空気があったのかもしれなかった。
「確かに、今の政府を倒せる者はもう日本には居ないでしょう。しかし、その政府を構成する個人と刺し違えることぐらいなら、今でも可能であることは忘れないでください。今の政府は、維新の功労者である皆様の人徳でもっているところがございます。どなたが欠けても、相当な打撃になるでしょう」
「うーむ……」
「維新を成し遂げ、国のかじ取りを担っている以上、もうあなただけの命ではないのです。日本国民全員の命なのです。もう少し身の回りに気を付けていただきたい」
これまでの苦労を思い返しながら道孝が念押しする。最初のころは
「そこまでして我々の命を狙うものがいるものか」
「不必要に国民を威圧するものではない」
などと、のんきな意見が相次いでいた。それこそ、先述の川路などは
「我々警察が皆様の安全を確保するから問題はない」
などと大見得を切っていたぐらいである。明治天皇にもくりかえし警備の必要性を伝え、懸念点を娘と協力して丁寧につぶしていったおかげで、ようやく政府高官に近衛歩兵連隊から護衛を出すことを制度化できたのだ。
「そうですな……昨日伊藤君たちとも話してよくわかりましたとも。西洋の君主国家に倣って、我が国も中央集権化を進めていますが、そのせいで我々政府の人間1人が担う権力がとても大きくなっているのです。まだまだ後進や官僚が育っているとはいいがたいですから、私が死んだときの代わりは、今の日本では用意できないようですなあ……そんなことはないと思っていたのだが……」
大久保が悔しそうに心境を吐露する。まずは欧米列強に負けないよう、近代化を推し進めることが第一になっており、統治機構の整備については二の次になっていた。その結果が、各大臣への権力の集中であり、官僚の能力不足であり、有司専制への批判につながっている。
「大久保殿もそうですが、伊藤殿も、岩倉殿も、ほかの皆様も、今の日本では欠かすことのできないお方です。今回のような暗殺もそうですが、ほかにも働きすぎて体調を崩されるなどしたら目も当てられません。ご自愛なさいますようお願い申し上げます」
「うむ。今後はもう少し慎重に行動するようにしよう……しかし九条殿、最近は政務に積極的にかかわっておられますな。やはり娘さんが賢いので?」
この時期、華族の立場は明確に定まっておらず、各々の役割や仕事も曖昧な状態であった。皇室の藩屏として「天皇家を盛り立てる」という目的のみを与えられていた状態であり、貴族院開設後のように具体的な方法や権限が与えられているわけではなかったのである。そんな中で、ここ数年の道孝の動きは、妙にきちんとした方向性があるものであった。
「あ、ご存じでしたか……」
「脚気の予防法を明らかにし、石黒さんを論破したことは聞き及んでおりますぞ。最近の護衛の一件も、娘殿が言い始めたことですかな」
大久保が指摘すると、道孝は恥ずかしそうにわけを話す。
「お恥ずかしながらその通りでして……ただ、私も同意するところがあるからこそ、こうして動いているわけでございます。決して、娘可愛さに彼女の言うことを鵜吞みにしているわけではないといわせていただきたく」
「まあそうでしょうな。でなければ、石黒さんも娘さんの意見を受け入れんでしょう。ぜひ、彼女の長所を伸ばして、立派な淑女に育てていただきたい」
「はあ、ありがとうございます……長所を伸ばす、かあ……」
そういいつつ、道孝は娘の行動を思い返した。
「賢い母親が家を栄えさせる逸話は古今東西に存在する。今後は男だけでなく、女もきちんと教育し、良妻賢母として家庭を支えられるようにしなければいけないと思うのです」
「そういう意味ですと、娘の将来は少し心配なところがあります。間違いなく賢いのですが、使い方が少々変というか……」
「それはどんな感じかね?」
不思議に思った大久保が道孝に問う。
「あの子は軍人……というか軍事に興味があるようなのです。脚気の予防法を発見したのも、軍で脚気が蔓延していると聞いたからのようですし、ほかにも新しい火薬の調合法を編み出して、龍勢のように撃ち上げたりもしていました。さすがに危ないのでやめさせましたが……」
「なるほど……確かに良妻賢母像からは外れてますが、いやしかし、我が国にはああいった武器や兵器を開発できる人材が少ないですからなあ……」
女子は家庭に入るべきという考えが非常に強い時代ではあるが、一方で理系分野の技術者そのものが圧倒的に不足しており、猫の手も借りたい時代でもあった。例えば、下瀬火薬を開発した下瀬雅允は、もともとは紙幣の印刷技術を研究していた人物である。
「やめさせないほうがよかったんでしょうか」
「完全に禁止するのはわが国のためにならんかもしれませんなあ。勉強ぐらいは許してやってもいいでしょう」
「わかりました。今は陸軍に入った弟やその同期達と何やらやっているようですが、止めずに見守りたいと思います」
そういって道孝は頭を下げた。
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