最終話.僕とオトナと正義のココロ
「こんなもんか」
母さんの要望どおり、結構いい感じに晴れた朝。
洗面所の鏡に映る官僚仕込みのネクタイ結びは、なんだか若さが足りないような?
でも案外こんなモンかもしれない。人生でそんなネクタイに注目したことないし。
ま、何回かやってるうち、ネクタイルックで囲まれてるうちに慣れてくるさ。
部屋に戻って、スクールバッグ引っ掛けて。
「行ってきまーす」
「気を付けて行ってくるのよー!」
「もうそんな年じゃないって」
「まっ! 体だけじゃなくて、態度も大きくなっちゃって!」
「ナマイキなのは据え置きのつもりだけど?」
家を一歩出ると、
「何してんの?」
「む!」
ブロック塀の陰に、イチコが食パンくわえて潜伏していた。
「何故そこでぶつかってこない!」
パンを手に取り、むしろ僕がおかしいかのように抗議してくる。男子の臙脂のネクタイと違って、首元を彩る淡いピンクのリボン。黒っぽい緑のブレザー、シルバー地に赤黒のチェックのスカート。
「嫌だよジャムつくと困るし。つーか逆にぶつかってどうする。早くもケガで学校休みたいのか?」
「かーっ! ここから始まるボーイミーツガールがなーっ! ケンちゃんには分からんかなーっ! このロマンと様式美がなーっ!」
「オレらがミーツしたの何年まえだよ。記憶喪失ヒロインか何かか? そもそも朝ぶつかったくらいで運命主張してくるヤツはイヤなんだけど」
「それもそうやね。最近のトレンドはボーイミーツトラックやし」
「さすがにもう違う導入が多くないか?」
「それはそうと」
空を見上げるイチコ。この勝手に話を展開して唐突に終了するやり口は、いつになったら改善されるんだ? いつかされるのか? されないにしても、する気はあるのか?
たしかなことは、僕が折れた方が早いってことか。
「どうした」
「晴れてよかったねぇ」
「降るよりはな」
農家さんがどう思うかは知らない。
「それだけやのうて、門出やし」
「門出なぁ」
「今日からアタシら、高校生やねぇ」
イチコの言い方はしみじみしすぎ。もはや縁側で茶ぁ啜るおばあちゃんだよ。
それに、
「今日から、って。入学式は昨日済んだろ」
「あんなんはまだプレや。今日から青春が開幕する」
「中学時代のオマエが泣いてるよ」
「イチコちゃんは泣いても美少女なのでオッケーです。それより高校生なんやから、初日から遅刻はアカンで。早よ行こ」
「高校生なんだからブロック塀に潜むのはやめような。子どもじゃないんだから」
「むっ」
イチコの言うとおり急いだ方がいい(足止めてるのはイチコのせいだけど)。
僕らは電車通学、時間を逃すと取り返しがつかなくなる。
僕としては自転車通学できる範囲が楽だけど。一応ハバト一族の流れにならい、警察官僚を目指せる(ような大学を目指せる)進学校へ。剣道も都内の公立にしちゃ強いし。
昔は嫌々歩んでいたルートなのに。「やりたいことが見つかったら変わろう」って思ううち、気が付けばここまで来てる。
で、イチコもギリギリ学力を間に合わせて今日に至る。卒業できるか心配だな。
だけど本人はそんな心配どこ吹く風。初日からグロッキーも困るけど。
「まぁたコドモコドモ。治った思てたのに。なんなん? 高校で復活なん?」
「あー、それなぁ」
高校初日でワクワクしてるからか、空が晴れてるからか。
突っ込まれても、あの頃を思い出してもそんなに暗い気持ちにならない。
「自分で言うのもなんだけど、そんなんじゃないよ」
「ほーう。じゃあどんなんなん」
「そうだな」
どうでもよくなった? 若い頃のハシカみたいな悩みだった?
そう言われると、そうでもない。
ただ、
「別にまだ子どもでもいいって言うか。や、そんなムリにオトナオトナって、ならなくてもいいやってさ」
「エラい心境の変化やな」
「自分でもそう思うよ」
「ふーん、言葉の割にオトナぶってますけど。逆にどうしてそないオトナになりたかったんやろうね?」
「そうだなぁ」
あの頃の僕の悩み。あの頃の僕の焦り。あの頃の僕が欲しかったもの。
「オトナになれば正しくなれると、『正義』の意味が分かると思ってたんだ」
空を見てるからイチコのリアクションは見えない。でも聞いといてあまり興味がない感じ。
「ほな落ち着いた今は分かってるいうこと?」
「まさか。ただ」
脳裏によぎる、懐かしい顔。懐かしい声。
「あの、いつかの隕石が降ってきた日」
「あぁ、アレ」
「あの日おねえさんが言ってたヤツ」
『私は仲空子として。健斗くんや一子ちゃんを。守りたいな、って思ったの』
『それだけ。それだけなんだよ』
「理屈とか抜きでさ。『やらなきゃ!』って思ったら。それにまっすぐ突き進めたら。正義感とか分からなくていいっていうか、それが正義とでもいうか」
「なるほどなぁ」
本当に感心してるのかテキトーな相槌か分からない声。たぶん別のことを考えてる。
「おねえさん、どうしてはるんやろうね?」
流星群を降らせて僕らを救ったあの日。
あれから何年経ったんだ? 小五の秋からから高一で。ま、いいか。
その何年かのあいだにも、いろんなことがあったもんだ。
じいちゃんが亡くなったり。
叔父さんが再婚したり。
中学生になったり。
父さんが少し出世したり。
叔父さんが離婚したり。
本当にいろんなことがあって、それだけの時間が流れた。
それでもアレ以来、おねえさんとは一度も会っていない。メロとも、博士とも。
自分から飛んでいくと誓った手前仕方ないけど、本当に長いお別れになるとは。悪い意味で有言実行の人だよ、まったく。
そもそも飛んでいこうにも、どこにいるかすら音信不通なんだよな。予想できなくはないけど。
「そもそも生きてはんのかな?」
「不謹慎だなぁ」
「だって、あんだけ派手に爆発して、その直後から行方不明やで? みんなケンちゃんのこと大好きやのに、メロちゃんすら会いに来ぉへん」
「んなこと言うけど、イチコだって生きてないとは思わないだろ? あの“おねえさん”が」
声に態度に何もかもに、深刻さとか心配そうな気配が微塵もないもんな。僕だってそうだとも。
「当然生きてるに決まってるよ。そんで」
いい青空だ。雲一つない。僕の彼女に対する信頼のように。
「どこかで“おねえさん”してるよ。少年少女相手に」
同じ青空の続く、この星の下で。
仲空子はそういう人だから。
「ケンちゃん急がんと電車」
「あぁ、うん」
ある晴れた日曜日の昼下がり。辺りは人でごった返している。
当然である。
ここはフランスはパリ、シャンゼリゼ通りなのだから。
この世にパリっ子のいるかぎり、日曜日にここが空くなどあり得ないのだ。
だが、そんな日曜日の世界で一番美しい通りに、徳深き極楽浄土エリュシオンに。
似合わない様子で彷徨う少女の姿がある。
たった一人不安そうな顔で、ジェラート片手に右往左往。しかし行きたい場所がありそうなわけでもなく。いわゆる迷子というものだろうか。
しばらくウロウロしていた少女だが、やがて段差に力なく座り込んでしまう。
そのまま今にも泣きそうな顔を伏せたその時だった。
「Bonjour, p’tit machin」
〈こんにちは、女の子〉
後頭部に若い女性の声が降ってきた。
少女が顔を上げると、やはりそこには若い東洋系の女性。腰を折って彼女の顔を覗き込んでいる。
「Oh」
シャイなのか慌てて目を逸らす少女。その先にスタンド看板を見つけて立ち上がる。
そこに書かれているのは“Café de Lola『ロラの店』”。店の前で邪魔だと店員に怒られると思ったのだろう。
しかし、どうやらそういうわけではないらしい。
「Ce qui s'est passé?」
〈どうしたのかな?〉
女性の声はとても優しい。そもそも、無地のTシャツにモッズコートを肩落とし。ジーパンを履いてエプロンはナシと、どうにもカフェの店員には見えない。
怒られない。それが幾分か少女に安心を与えたのだろう。彼女はポツリと呟く。
「Je me perds」
『Ah bon』
〈パパとママとはぐれちゃって〉
《なるほどな》
テラス席のマグカップを片付けている最中の、小柄な銀髪店員がボソッと呟く。
そちらを見もせずに、少女を安心させるよう大きく頷く女性。彼女は上体を起こすと
「Laisse-moi faire!」
〈私に任せて!〉
大きな胸をグッと張り、力強く打つ。
「Sérieux?」
『Oh. Kidnapping, kidnapping?』
〈本当に?〉
《おっ。誘拐か誘拐か?》
少女の期待と不安が入り混じった声。店員の煽り。
対する女性は、腰に手を当て仁王立ち。
「C'est bon, C'est bon. Parce que je suis……」
〈だぁいじょうぶだいじょうぶ。なんたって私は……〉
泣きぼくろのうえの目が、力強くウインクをする。
「Une “Mademoiselle”!!」
〈“おねえさん”だから!!〉
──完──
本作はこれにて終了です。
お付き合いくださり、誠にありがとうございました。




