ツイてない初登校日
本作は他者の目に触れる場へ投稿する、初めての作品となります。
拙い部分も多いですが、最後まで書き続けたいと思っておりますので、楽しんでいただければ幸いです。
また、あの夢を見た。
沈む直前の太陽を思わせる灼光、熱、そして――――――横たわる1人の少女。
逆光に黒く染まる彼女は何か言いたげな様子で、こちらを見上げている。
何を口にしようとしたのか、それが気になって気になって仕方がない。だというのに、絶対に聞きたくないとも思っている。
わかってる。きっと、ぼくが望む言葉は出てこない。だけど、聞かずに逃げ出したくはない。
知ってるんだ。ここで逃げたら、一生後悔する。
ああ………………そうだ。後悔しているんだ、ずっと。
犯した過ちが積み重なり、人型を成したモノ。それがぼくだ。
憶えている。これからも、間違え続けるだろう。何も変えられないのだ、今までずっとそうだった様に。とうの昔に、諦めた。
ただ、ひとつだけ。今でも気になっているんだ。何が言いたかったんだろうって。
灼光がその激しさを増す。まるでぼくを、そして彼女を咎める罰みたいに。
暑い。それは彼女の熱か、業火によるものか。
どっちでもいい、同じ事だ。
もしもやり直せるのなら、たとえ魂まで焦がされようとぼくは逃げない。絶対に。
ピピピピ、ピピピピ!!!
「…………うう」
単調な目覚まし音に叩き起こされた。目覚めとしては、最悪の部類だ。
少し意識がぼんやりしていてうまく思い出せないが、夢見もひどかった気がする。
「………………朝か」
控えめに言ってもぼろく、狭い部屋。まだ見慣れない景色だ。
学生証代わりのスマートデバイスが垂れ流す耳障りな音を止め、小さなディスプレイに表示された日付を確認する。
今日は入学式だ。とは言っても、理事長の挨拶を放送するだけでそのまま通常授業が始まるらしい。
校舎までの道のりは既に確認済み。それなりに歩くが、非能力者の待遇なんてこんなものだ。
手早く身支度を済ませ、アパートの一室から外に繰り出す。
通りには俺と同じ学校指定の平凡な制服に、非能力者である事を示す黒いネクタイを締めた人々。向かう先も同じだろう。
この辺りに住んでいる学生向けのちょっとした商店街をしばらく歩いて行くと、ほどなくして物々しい塀に囲まれた大きな建物群が見えてきた。
塀沿いに正門まで回ると、重厚な造りのゲートが見える。この施設が設立された当初の用途からすると、これでも安全なのかは疑わしい。もし並外れた力を持った超常能力者がいたら、この防護壁が役に立つかはわからない。
入口には警備員の詰所があり、その横にカメラとモニターが備え付けられている。ここにスマートデバイスをかざすと自動でデータのやり取りが行われ、出席管理表に記録されるらしい。当然、帰る時も反対側で同じ手順を踏まないと外に出られない。
厳めしい目つきの警備員に睨まれながら、鉄格子の3段構えになっているゲートをくぐり抜ける。
登校しているだけなのに、刑務所に入れられる犯罪者にでもなった気分だ。
すぐ目の前に大きな建物があり、玄関口の横に黒い石が置かれている。石には『超常研究大学中央本棟』と白い文字で彫られていて、無駄に高級な雰囲気を醸し出していた。
これから世話になる我が学び舎だが目的地はこの大学本棟ではなく、広大な構内に併設された『超常研究大学附属高等学校普通科学舎』。残念ながら、もう少し歩かないといけない。
俺が朝に弱いタイプだったら、こんなに歩かされる学校に通おうとは思わなかっただろうな。
更に歩き続けてうんざりしてきた頃、ようやく目的地にたどり着いた。
受験前に送られてきた案内書によると、元々は施設を監督する警察が使っていた宿舎だったらしい。改築して非能力者用の校舎に転用されたとの事だが、まあ由来なんてどうでもいい。
デバイスに届いていた通知に従い、『1-1』の表札がぶら下がる教室へ。
ここまで来ると、人気のある進学先とされているだけあってごみごみしてきた。
「………………ふー」
子供の頃から、人が多い場所は苦手だった。息が詰まるというか、気分が悪くなってしまう。
医者に言わせれば乗り物酔いみたいなものだそうだが、結局原因は特定出来なかった。
教室に入り、指定されていた自分の席へ向かう。
クラスメイトたちはそれぞれ思い思いに過ごしている様だが、基本的には皆楽しそうだ。
この『研究特区』で暮らすための面倒な書類手続きをパスして来ているのだから、学生生活への期待はさぞかし大きいのだろう。
俺みたいに諸々の事情で仕方なく入学を決めたやつは、ほとんどいないと思う。
就職に有利と聞いて来たやつ、単に超常能力に興味を持ってるやつ。それぞれの理由が何であれ、自分の意思でここまで来たのに違いない。
例えば、俺の前の席に陣取るモジャモジャ頭の丸メガネ男――――――。
「…………? やや、吾輩に何か用向きですかな?」
――――ジロジロ見すぎたか。しかし、第一声でわかるレベルの濃さだな。
当然の事ながら、俺は一人称が「ワガハイ」の友達は求めていない。
「いえ、何でもないです」
「はあ、左様ですか。てっきり、吾輩が自作したこの『超常技術競技会マル秘ファイル』が気になったのかと。いえいえ、無理はなさらなくてよろしいのですよ。この完成度、気になって当然ですからね!」
はっきり言って、どうでもいいんだが。
「気になってません」
「フフ、そう遠慮する事はないでしょうに。30代目を数える今年の東西生徒会も、中高等部共に見所たっぷり。特に西棟側の充実ぶりは歴代最強との呼び声も……ああ、失礼。貴殿も当然ご存知でしょう!」
どうも話し好きなタイプみたいだ。この手のやつは、相手をせずに無視するのが正解。放っておけば、勝手に引っ込むだろう。
「………………」
「西高等部生徒会長は言わずと知れた犀雅崎明明理! 世にも稀なる2属性使いのマゴスであり、水属性と風属性の術を同時に扱った際に吹き荒れる冷風、その容赦無き痛みは彼女に流れる北洋の血が宿す北風の如し! 絶世とも称されるその美貌とあわせ、氷のマゴスと称されるのも納得というもの!」
「………………」
「副会長の祇圖司潤もお忘れなく! 自他共に厳しく律するが故にともすれば心まで凍っていると恐れられる犀雅崎会長が、親友と呼ぶ唯一無二の存在。一見すると性格、言動、ついでに外見までもが真反対にも思える両者……しかあーし! 凸が凹にピタリとはまる様に、潤嬢の爛漫たるありようが氷雪を融かす日差しとなり、氷のマゴスの心を温かにするのですッ!」
まずい。こいつ、喋るのを止めるどころか勝手に興奮して早口になっていく。
クラスメイトたちも何事かとこっちを見ている。初日からこんな形で浮くのは勘弁だ。
「もちろん会計責任者の四季織歳、そして次代の将星と名高い字樋院昭吉も絶っっっ対に見逃す事は許されない!! 四季織歳は言うまでもなく学生総会長を務める四季織慶の弟君であり、姉に勝るとも劣らない才能を持つ優秀な土属性のマゴス! さらにさらに、字樋院昭吉に関してはこの国に住んでいる以上最早説明不要、3代続けて超常技術監督大臣を輩出している超名門政治家一族、字樋院家の嫡男!! 異例中の異例である、1年次での生徒会抜擢も納得のカリスマ性を備えし風属性のマゴス!!!」
「へえ、イマイチ何言ってんのかわかんねえけど。あんた、超常能力者に詳しいんだな」
俺の左隣りに座っている、背の高いスポーツ刈り男が話に割って入ってきた。
「勿論ですとも。吾輩は超常技術競技会に興味を持ち、故にこの学校への進学を決めたのですから! 貴殿らもそうなのでしょう?」
「いや、オレはそういうんじゃないんだ。実は全然、超常能力とかわかんなくてさ」
「なんですと?! まさかこの超常研究大学附属に、斯様に珍妙な人物が存在するとは…………!」
モジャモジャ頭とスポーツ刈りの話が弾んでいるので、押しつけて無視を決め込む。
指定席じゃなかったら、今すぐに移動するのに。
久々にそこそこの人数に囲まれ、若干頭が痛くなってきた。おまけにモジャモジャ頭の無駄にでかい声が延々と鼓膜をいらつかせてきて、その内吐き気までしてきそうな勢いだ。
いっそ保健室に駆け込むか。それか、屋上にでも行ってみるか?
とにかく、人気がなければ多少マシになる。
「なあ、なんか具合悪そうだけど。平気か?」
スポーツ刈りがこっちに声をかけてきた。
どうやら、ぱっと見でわかる程度には顔色が悪いらしい。
「いや、ちょっと良くない。保健室で薬を貰ってくるよ。えっと………………」
「ん? ――――あ。オレは田武芝豪。タブシバでもいいし、タケルって呼び捨てにしても構わない。好きにしてくれ」
「じゃあ、田武芝で。俺は衣牧夕星だ。キヌマキでも、ユウセイでも。そっちも好きに呼んでくれ。よろしくな」
「なら、衣牧と呼ばせてもらうよ。よろしく」
呼び方は俺に合わせたようだ。田武芝は気を遣える性質の人間らしい。
「じゃ、ひとつ頼んでも? もしホームルームが始まったら、俺は保健室に行ってるって担任に伝えといてくれないか」
「オーケー。保健室の場所は…………スマデバがありゃわかるか。気ィつけてな」
「ありがとう」
「お気をつけて、同志!」
あのモジャモジャが周りに気を遣えない人間なのもよくわかった。そもそも、同志になった覚えは無い。
廊下に出て、階段へ。しかし、向かう先は保健室がある階下ではなく屋上だ。
薬なんて必要ない。今は、人気のない場所で外の空気を吸いたかった。
屋上の出入口まで来ると、扉には『立入禁止』と赤字で書かれた張り紙が貼られていた。予想はしていたものの、ここまで来たのだし駄目元で扉に手を伸ばす。
扉は、あっさりと開いた。屋上に出ると、まだ少し冷たい風が吹き抜けていく。全体的に薄汚れているが、教室よりもここの方がマシな場所に思えた。
ただ、それは最初の1歩目だけ。すぐに先客の存在が目に入った。
白衣を羽織り青色のネクタイを締めたボサボサ髪の中年男が、タバコの煙をまき散らしながらうっそりと街を眺めている。おそらく、扉の鍵を開けたのはあの男だ。
「フー………………見ない顔だな。新入生か」
俺の存在には気づいていたらしい。男はちらりとこちらを見ると、タバコを消しもせずに声をかけてきた。
「そうです」
「立入禁止って書いてあっただろ。読めなかったか?」
「鍵が開いていたものですから。ちょっと深呼吸したかったんです」
「フー………………そうか」
男はそれだけ言うと、特に俺を咎めるでもなくまた街を眺め始めた。
ゆるく、まとわりつくような風が俺のそばを吹き抜ける。タバコの煙は、真っ直ぐに空へと向かっていた。
男の横顔からは一切の感情が読み取れない。まるでありとあらゆる物事に対して関心を失ってしまったかの様な、さっき見た楽し気なクラスメイトたちとは対極の表情だ。
男の色が無い表情は妙に印象に残ったが、それよりも気になるのはタバコだ。たしか研究特区は全面禁煙だったはず。
「あの」
「なんだ」
「この研究特区は、域内全面禁煙だと案内書に書いてあった気がするのですが」
「よく確認しているじゃないか、その通りだ。だからわざわざこんなとこまで来て、フかしてる。フー………………チャラついたオープン・バルのある東棟や屋上庭園になってる西棟とは違って、ここの汚い屋上には誰も来なかったからな。おまえ以外は」
政府直轄地である研究特区の条例を平然と無視しているあたり、間違いなく癖のある人物だ。
ここは回れ右して、今あった事はすべて忘れるのが賢明だな。
「そうみたいですね。これからは、注意書きをきちんと守る事にします。失礼しました」
また、ゆるい風が体の周りを吹き抜ける。今は、追い風だと思っておこう。
「おい、待て」
「なんですか」
「仕事はしないといかんのでな。フー………………スマートデバイスを持ってるだろう。出せ」
――――――面倒な事になったな。走って逃げるべきか?
「変な事は考えるなよ。もう顔は覚えた。逃げても無駄だ」
くそ、読まれたか。勘のいい男だな。
「デバイスで何を?」
「身元の確認だよ。立入禁止区域への侵入は校則違反だ。そしてその気になれば、軽犯罪相当として扱う事も出来る。今おまえがやってんのは、そういう行為だ。自覚しろ」
携帯灰皿らしき小物でタバコを潰しながら、淡々と言葉を並べる中年男。
顔からはまったくやる気を感じられないが、リスクを冒して逆らう理由は無い。今回は素直に従おう。
大人しくデバイスを取り出して手渡すと、男はスムーズな手つきで操作していく。どうやら、スマートデバイスの取り扱いには慣れているようだ。
「普通科の新入生。所属は1年1組。一般試験合格にて入学。成績は非常に優秀……超常技術基礎は満点か。やるじゃないか。昨年末に届け出て、先月末より中央街北部のアパートに入居。間違いないな?」
「はい」
あっさりと暗号を解除して、デバイスに保存されている個人情報にアクセスしたらしい。もしかしたら、何らかの高級権限を有しているのかもしれない。
「氏名、キヌマキユウ……あ? ユウツ…………ユウヅス……ユウ……クソ、読み辛えな…………ユウヅツ、衣牧夕星。随分難しい読み方だ。ユウセイじゃないのか?」
「ええ、まあ。親以外で読めた人は、今のところ0です。最近はもう面倒なんで、ユウセイと名乗る事にしています」
「そうか。まあなんだ、色々あるよな。所詮、名前なんぞは記号でしかない。使い易い方が良いだろうさ……よし、確認はこんなとこだな。ほらよ」
男はデバイスを俺に手渡し、今度は自分のデバイスを取り出して操作し始めた。しかし、その作業は一瞬で終わったらしい。すぐにデバイスを白衣のポケットに放り込み、話を続ける。
「さて、お待ちかねの処分だが――――運が良かったな。今回は不問にしておいてやる」
「…………どういう事ですか?」
「ここに来てるのは屋上でフかす為だが、ついでに片付けにゃいかん仕事がある。教室に向かうぞ」
「教室?」
「先に自己紹介を済ませておこう。宍蒲幸和、北洋語教師。担当は1年1組。おまえにとっては担任の先生だ、覚えておけ……おっとそうだ。タバコの件は持ち出すな。余計な事を口にしてみろ、学生公安委員会の懲罰房がおまえの家になるぞ」
………………最低な学生生活が幕を開けようとしている。そんな気がしてならない。
目覚めからして最悪だったが、どうやら今日は予想以上にツイてないようだ。
屋上の出入口へ向かうタバコ臭い担任――シシカバユキカズ――を追おうと、1歩足を踏み出す。
その時、風が吹いた。あの、まとわりつくような風だ。
「――――――ゆー」
「………………え?」
誰かの声が聞こえた。だけど、周りを確認しても他に誰も見当たらない。気のせいだったのか?
「おい。何してる。初日からホームルームをフける気か?」
「宍蒲先生、今何か他に言いましたか?」
「あ? 何も言ってないが…………おまえ、変な薬とかやってないだろうな」
「やってるわけないでしょう。そもそも、研究特区内じゃ手に入らないのでは?」
「そうでもないさ。どんな環境であっても、必ず抜け道を掘る奴がいる。人間ってのはそういうもんだ」
「………………そうですか」
もう1度、周りを見てみる。もちろん誰も居はしない。風も、止んだ。
「あー、メンドくせえな。担任制度なんてもう要らねえだろ。デバイスのアプリに任せりゃあいいものを」
聞こえてくるのは中年教師の愚痴ばかり。
幻聴を聞いたわけではないだろう。たぶん、朝から気疲れする事ばかりで気が滅入ってるんだ。
また人で一杯の教室に戻る事を思うと足が鈍るが、サボる訳にはいかない。
教師に続いて、居心地の良い屋上を後にする。頭痛は、いつの間にか消えていた。
「全員揃ってるな。自分の席に戻れ」
教室に入るなり、中年教師は出席確認もせずにそう言い放った。
「あ、先生来ちゃった。また後でね!」
「もうホームルーム始めるんすか。早くね?」
早速級友と親交を深める事に成功した者たちが、あれやこれやと騒ぎながら自席へと戻る。
わざわざこの学校を選んで来たのだから超常能力という共通の話題があるはずで、距離を縮めるのは案外簡単なのかもしれない。あるいは、同じ建物に住んでいるという可能性もある。
普通科に通う非能力者は寮に入る事が出来ない。よって各々が研究特区内のアパートやマンションなんかに引越してきて通学しているわけだが、一般学生向けの住居は中央街北部にまとめられている。初登校の前から顔合わせをする機会もあっていいはずだ。
もしくは、スマートデバイスにプリインストールされているアプリを使っているのかもしれない。
研究特区は特殊な区域であり、域外の通信網は完全に遮断されている。だからこそ域内環境に対応したデバイスが学校から貸与されているのだが、当然アプリによって生じたコミュニティは研究特区内の住人に限定されているはずで、新入生用のグループも作られていた。
俺は交友関係を広げる為に入学した訳じゃないので見てないが、マメなやつならそういう場所で人気者になる事もあるだろう。
まあ、どうでもいい話ではある。俺の目的は問題なく卒業する事、ただそれだけ。とっとと卒業して、就職して、1人で生きていく。それで、連中や超常能力者共とは生涯おさらばだ。
「…………つまり、男女で東棟や西棟に分けられているって事か?」
「違います! 吾輩の話をちゃんと聞いていましたか!?」
残念だが、俺の席周りはまだうるさいままだった。
屋上に行く前と変わらず、モジャモジャ頭が早口でまくし立て、田武芝がその相手をさせられている。
「お、戻ったか。調子はどうだ?」
席に着いた俺に、田武芝が声をかけてきた。
「さっきよりはマシだ。ずっとそいつの相手をしてたのか?」
丸メガネの方を見やりながら、話を続ける。
宍蒲先生はデバイスで何か作業をしているし、もう少し駄弁っていても構わないだろう。
「ああ。この学校の事とか、超常能力の事とか、あんましわからないんだ。だから、詳しいやつに教えてもらえるのはありがたいよ」
「そうなのですよ。この男、驚くほど無知なのです!」
「へえ。超常能力の知識が無いのに、よく入学試験を突破出来たな」
この学校は入試も少し特殊で、超常能力に関する試験が設けられていた。そして、そこで合格ラインを超えないと他がどれだけ高得点であっても落とされるのだ。
「オレさ、試験受けてねえんだ」
「試験を受けてない?」
「そ。スポーツ特待枠で来てんだわ」
スポーツ特待なんて、聞いた事無いぞ。
「そんな枠、この学校にありましたか?」
丸メガネも俺と同じ反応だ。
この学校は名前の通り超常能力に関する勉強をする為の場所であって、普通のカリキュラムを採用してない。普通科には部活動なんて一切存在していないし、保健体育に相当する授業すら無い。それなのに、スポーツ特待とは…………?
「あー、やっぱ知られてねえんだな。オレが聞いた話じゃあさ、もっと一般の生徒を集めたいとかで何年か前にバスケ部を新設したんだと。そんで、来てくれるなら試験は受けなくていいって言われた」
「そんな事もあるんだな。それで、バスケ部って超常能力者の生徒も入ってたりするのか?」
適当に話を続けてしまったが、超常能力者がスポーツをやるなんてのはあり得ない。彼らはスポーツ全般を非能力者のくだらない娯楽だと考えているからだ。
連中は天から与えられた自分の才能――――超常能力を開発、発展させる事に血道を上げていて、超常能力を持たない人間でも出来る事をするのは時間の無駄だと断じている。少なくとも、俺が知っている超常能力者は皆そうだった。
「そりゃあもちろん………………って、言いたいところだけど。真面目に参加してるやつはどれだけいるんだろうな。こっちに来てから一緒に練習したのは、今んとこ部長だけだ」
「部長?」
「ああ。なんか超常能力者の人たちって、部活動にあんまり興味ないみたいでさ。でも、部長は違った。オレが見学に来た日、1人だけ練習してる人がいたんだ。他に誰もいないコートで、真面目にドリブル練習しててさ……正直、上手くはなかったけど。でも、熱心にボールを追いかけてた。それで話しかけてみたら、超常能力者だって自己紹介してくれたんだ。そんで、その人が部長だった」
そんなやつがいるとは、驚きだ。
「超常能力者が、バスケ部の部長を?」
どこか興味無さそうにしていた丸メガネが、超常能力者と聞いて話に割り込んできた。
「そうだ。オレが会った超常能力者のバスケ部員は、今んとこその人だけだな。他にもいるって聞いたけど、見たこと無い。あとはオレと同じ感じで集められてきた部員くらいか」
「して、その部長というのは?」
「なんだ、バスケに興味あるのか? だったら、見学も出来るぜ。歓迎するよ」
「いや、そうではなく――」
「待たせたな。ホームルームを始めるぞ」
宍蒲先生がやる気の無い声を発し、雑談タイムが終わる。
「部長というのは、誰なんです?」
「おい、そこ。ホームルーム始めんぞって言っただろ。私語は慎め」
丸メガネは知りたい情報を得られなかったからか話を続けようとしたが、先生に遮られた。それでもなお食い下がろうかという気配を見せたのだが、田武芝が前を向けというジェスチャーをしたのを見て、諦めて前を向いた。
「うーし、数分黙ってるだけでいい。そんくらいは出来るよな、眼鏡。そんじゃ、まず――」
先生が話を進めようとした矢先、1人の女生徒が手を挙げた。
「――なんだ?」
「あの、前の席が空いてるんですけど…………お休みの人ですか?」
見ればその生徒の前が空席で、更にその前には男子生徒が座っている。明らかに不自然な空席だった。
他の席はすべて埋まっているので、質問した女生徒も気になったんだろう。
「そこの席は気にしなくていい。後から来る、たぶんな」
しかし、返ってきたのは雑な回答。やはりあの中年教師、やる気が無いらしい。
「他には何も無いな? じゃ、自己紹介だ。宍蒲幸和、北洋語教師。おまえらの担任だ、覚えておけ。で、連絡事項だが……デバイスのアプリ『スマート管理ちゃん』に必要な情報が届くように設定されてる。各自、確認しておくように。以上だ。このあと理事長のありがたーい入学祝い放送が入るんで、適当に聞き流しとけ」
「えっと、放送の後は普通に授業が始まるんすよね?」
左端の列に座る男子生徒が、質問を投げかける。
「スマート管理ちゃんを開け。必要な情報は学生生活全般のタブに全部書いてある。早いとこ使い慣れといた方が後々楽だぞ。名前はセンスの欠片もないが、大抵の雑事はそいつで解決する。おまえら全員に言っておくが先生は忙しいんでな、まずは自分で何とかしろ。どうしたらいいかわかんなかったら、中央本棟の学生総会に相談すること。場所はマップアプリで調べりゃわかる。それでも解決しなかったら聞きに来い。暇だったら対応してやらんでもない」
「マジすか………………」
入学したばかりで右も左もわからない新入生の質問に対して、この返答。
全部アプリに丸投げか。こんなんでよく失職しないな。
キィン――――――。
教師とは思えない発言に呆れていると、教室の隅に備え付けられたスピーカーから耳障りな音が響いた。
「そら、入学式の始まりだ」
宍蒲先生が教壇に頬杖をつきながら空いている方の手でスピーカーを指さし、続いて威厳のある渋い声が流れ始めた。
「若人よ、入学おめでとう。政府直轄超常技術研究特区、超常研究大学並びに附属高等学校普通科は諸君を歓迎する。市井の人民よりも近い距離で超常能力者たちの力、超常能力の社会貢献、それらの有する魅力と危険性を肌で感じ、この学校で培った経験を携え、超常技術のより広範な普及と発展に貢献しうる人物へと成長すること。理事長として、諸君にそれを望む」
超常研究大学理事長か。平均寿命が短い事で知られる超常能力者としては珍しく、60代後半でもバリバリ現役のエネルギッシュな人物…………案内書には、そう書いてあった。
「諸君も既に理解していることと思うが、超常能力者は非常にその割合が少なく、社会の構成員としての多数派は君たち非能力者だ。故に、諸君が超常能力者を正しく理解し、互いに手を取り合ってより良い世界を形作っていくこと。我々理事会と教職員一同は、そんな未来を期待している。若人よ――――――知を力とし、絆を誇りとせよ。以上だ」
「ンン、名演説だな。ちなみにコイツは録音放送だ。8年前から内容が変わってない」
他の教室からは拍手の音が聞こえてくるのに、我らが担任は拍手をしないどころか放送を茶化す始末。
ここまで不真面目な態度の人間を解雇しないなんて、この学校は人手不足なのか?
教師がこの有様だからか教室内に微妙な空気が流れ、誰も拍手をしなかった。
「10分後に授業を開始する。トイレに行きたいやつがいたら、今行ってこい」
当の本人は何も気にしていないらしく、自分のデバイスに目を落としたまま指示出しをする。
それでも変な空気は払拭されず、誰も動かないし喋りもしない。理事長のありがたーい入学祝いは、まさに台無しだった。
「時に、田武芝氏。さきほどの続きですが!」
………………そういえば、空気を読まないやつが居たな。
モジャモジャ頭が口火を切った事で、教室内に喧騒が戻ってくる。
当然と言えば当然だが、みんな爺さんの演説を聞くよりクラスメイトと駄弁りたかったんだろう。
周りで響く、声、声、声。活気。動作の気配。感情の起伏。
ああ、やっぱり苦手だ。だけど、慣れないと。選択肢は無いようなものだったが、ここに進学すると決めたのは自分自身だ。人が大勢いる事は理解していたはず。
気分が悪い。だが、じきに慣れる。今は耐えるんだ。また逃げ出すのか?
それだけは嫌だ。もう、あんな思いをするのは………………。
「――――……い。おい。衣牧、大丈夫か?」
「あ………………?」
田武芝が、俺の左肩に手を置いて身体を揺すっていた。
「顔色が悪いぞ。体調、悪いんじゃないのか?」
「ああ、いや、大丈夫だ。問題ない」
「そうは言ってもな。かなり辛そうだし、歩くのキツかったら保健室まで付き添うぜ」
気遣いはありがたい。だが、ここで退いたらもう二度と戻ってこれないんじゃないか………………そんな不安に、襲われる。
「本当に、大丈夫………………?」
「――――――」
ふと、風の流れのようなものを感じる。身にまとわりつくような、ゆるやかな空気の流れを。
誰か、そこにいるのか?
「おい!」
大きな声と同時に背中を強く叩かれ、視界に男が映る。宍蒲先生だ。
「グロッキーなとこ悪いが、ついて来てもらうぞ」
「は?」
「なに、行き先は保健室みたいなもんだ。教室でゲロぶち撒けられたら、堪ったもんじゃねえからな。そら、立てよ。大丈夫なんだろ?」
腕を掴まれ、強引に立たされる。見た目は痩せているのに、驚くほど力が強い。
「それは――――――ピロソポスの発揚現象! 先生は超常能力者なのでありますか!?」
モジャモジャ頭が唐突に叫んだ。興奮しているのか、元々変な言葉遣いが更におかしな事になっている。
しかし、目の前に立つ中年教師の様子はそれ以上におかしかった。
身体の輪郭をなぞる様に、薄く黄色い光が漏れている。そして、特に目立っているのが両目。宍蒲先生の双眸は、それとはっきりわかるくらいに黄色く輝いていた。
「黄色の発光…………ラムダ型の、ピロソポスか。だから青いネクタイを………………」
「さすが、入試で満点をとってるだけあるな。その通りだ。動けないなら、担いでやろうか?」
ラムダ型のピロソポス。様々なタイプが存在している超常能力者の中でも、身体能力強化に特化している者たち。個人の資質にもよるが、人間を1人担いで動き回る程度は朝飯前だとされている。
「結構です………………自分で、歩けます」
「そうか。なら、ついて来い」
先生が白衣を翻し、先に立って歩き始める。超常能力の行使はもう止めたらしく、既に黄色の光は失われていた。
「あの、先生。授業は?」
教室出入口横の列に座る女生徒が、教室を出ようとしている先生に声をかけた。
デバイスを取り出して時間を確認すると、いつの間にか業間の10分は過ぎていた。
「一限は自習にする。クラスメイトとお喋りでもしてろ。どうせ最初はチュートリアルだ。おまえらは入試を合格してるんだし、今更研究特区の成り立ちだの超常能力の類例だのは聞かんでいいだろう」
「やった、ラッキー!」
「あー………………」
嬉しそうな女生徒とは対照的に、田武芝がなんとも形容しがたい表情を浮かべている。
すまん、田武芝。そのあたりの知識は自分でなんとかしてくれ。
「おい、何ボサッと突っ立ってる。さっさとついて来い」
「はい」
どこに行くつもりかはわからないが、行かないという選択肢は無いらしい。
それに、正直しんどいのは間違いない。ここはついて行くことにしよう。
教室を出て行った宍蒲先生を追い、廊下へ。
年度最初の授業が始まった教室群を背に、先生はどこかへと歩いて行く。
他に誰も居ない廊下は、やけに広く感じられた。
「ここだ。入れ」
促されるままにしばらく歩いて、たどり着いたのは保健室どころか大学本棟内の一室だった。
中は完全に物置といった様相で、イスや机、何かの機器が雑然と放り込まれている。
「ふむ。顔色は落ち着いたな」
室内の様子を窺っていると、宍蒲先生が声をかけてきた。
授業中という事もあってかここまで来る間に人はおらず、歩いている内に多少は持ち直してきている。
経験上、周囲に人が大勢いなければ何も問題ないはずだ。はず、なんだが…………。
どうも気分が落ち着かない。何と表現すればいいのか、ずっと近くに居る誰かに監視されているみたいな、そんな不快感だ。まるで、肌にまとわりつくような――――。
「よし、まだ動くな。さてと…………衣牧、来い。ここに座れ」
何かの機材を弄っていた先生が、俺に向かって手招きする。
指示されたイスに座ると、先生が弄っている機材と正対するような位置取りになった。機材は小型洗濯機くらいの大きさで、四角い本体の上にガラスドームみたいなものがくっついている。本体の横からはいくつかコードが伸びていて、コードの先端には聴診器の様な丸いパーツがあった。
「これは………………CN計測器ですか」
「知ってるんだな。過去に検査を受けた経験があるのか?」
「はい。子供の頃、親に連れて行かれた病院で。なぜこんな物を?」
コア・エネルギー計測器。検査対象の超常能力強度を調べられる機材で、各地の指定病院で誰でも検査を受ける事が出来るらしい。ただ、高額な検査料金を取られるのであまり使われていないと聞いた事がある。
「端的に言うが、おまえの様子はおかしい。最初は単なる体調不良かと思ったが、万一おまえが超常能力を秘匿して非能力者のふりをしていたら色々と問題が生じる。わかるだろ」
「もちろんです。理解してます」
超常能力に目覚めた者は強制的に研究特区へ収容されると法律に明記されている。これを嫌って嘘をついたり、自分の子供を匿ったりした違反者は刑事罰の処罰対象になる。法規に曰く、国民全員の安全を守る為に必要な措置であるとの事だ。実際、超常能力の質によっては大惨事を招きかねないので、理屈は通っている。
そう、人の命に関わる事だって起き得るのだ――――――。
『…………ちゃ……!』
『すぐに助ける! がんばれ!』
左の上腕が、じわりと痛む感覚。
一面の光。近づくものすべてを拒絶するかの様な熱。恐怖に竦み、動かない足。今でも、憶えている。
『お…………ちゃ……!』
「――――――ゆー」
風だ。背に、肩に、まとわりついてくる。特に、肩が重い。
「おーい、聞こえてるか。おい、衣牧夕星!」
「……っ、そんなに大きな声を出さなくても聞こえてますよ」
違う。肩が重いのは、先生が掴んでいるからだ。
「まったく。そんなにボーっとしてると、尚更怪しく見える。それと、左腕。どうかしたのか」
「…………あ、いえ」
無意識に、左腕を右手で握りしめていた。
大丈夫。もう、痛くない。5年も前の傷だ。今更痛むはずはないんだ。
先生が目の前に立っているせいでタバコの嫌な臭いが広がり、その臭気で無理矢理現実に引き戻される感じがする。それでも、そのどこか煙っぽい香りは記憶にある最悪の瞬間を思い起こさせ、どうしても好きになれそうになかった。
「――――――」
くそ、嫌な風だ。一体、何だっていうんだ。
「どうも落ち着きがないな。何か問題でもあるのか」
「風が………………」
「風邪だと? 今更何言ってる。体調不良だろうが何だろうが、とにかく検査は受けてもらうぞ」
………………?
何かがおかしい。考えてみれば、ここは密室で見たところ窓も無い。風なんて吹くはずがないのに。
宍蒲先生が動けば空気の流れが生まれるが、そんなものは微風にもならない。精々タバコの臭いが広がるだけだ。なら、あのまとわりつくような風は………………?
「ただの風邪ならいいんだがな。影響は見られなかったし、単なる思い過ごしだろうが」
「影響?」
中年教師は聴診器の様なパーツを取り出し、制服の上から俺の腕に貼り付けた。そして再び機材を弄る作業に戻りつつ、話を続ける。
「入試の試験範囲しか勉強してねえなら知らんだろうが、一般に超常能力者は自分が行使したものではない超常能力に曝された場合、特定の反応を示す事が多い。教室でわざわざ超常能力を行使したのはそのためだ」
「…………俺が隠れ超常能力者だったら、共振や反響であぶりだせると?」
「ハッ。どうやらかなり予習してきてるらしいな。それか、あの騒いでた眼鏡と同じ穴の狢か」
「………………いえ」
好んで自分から学んだ訳じゃない。必要だったから覚えただけ。それも、結局は要らなくなってしまった。
本当なら、俺の人生に超常能力が関わる事は金輪際無いはずだったんだ。少なくとも、超常能力者なんてもう見たくもなかった。
連中が連絡してこなければ、今頃はこんなところではなく普通の高校に通っていただろうに。
「教室での様子からするとシロっぽいが、念の為だ。余計な仕事は増やしたくない。よし、始めるぞ」
先生が機材を操作し、本体のドーム状パーツが淡く発光し始める。
仕組みはまったくわからないが、これで超常能力者としての力量が読み取れるらしい。
「いいと言うまで動くなよ。検査結果に影響が出るかもしれないからな」
「はい」
先生は機材のモニターを眺めているが、俺はただ座っているだけで手持ち無沙汰だ。
特にやる事もないのでドーム状パーツの淡い光をぼんやり眺めていると、なんだか胸の奥がムカムカしてきた。なんと言えばいいか、もうこれ以上食べられないのに無理矢理食べ物を詰め込まれているみたいな、そんな気分の悪さを感じる。この感覚には覚えがあった。子供の頃に受けた検査だ。
不意に、記憶が蘇ってきた。そういえばあの時も気分が悪くなって、しばらく病院に近寄りたくなくなったんだ。人酔いの件もあったし、それであまり医者が信用出来なくなったんだ。
まったく、そんなどうでもいい事を思い出す羽目になるとは………………。
「あん? どうなってんだ、このデータは」
モニターを眺めていた先生が、首をかしげる。
「昔検査した時は、何も出ませんでした。俺は超常能力者じゃないです。そうでしょう?」
「…………データ通りなら、超常能力者ではないな。もっとも、人間でもないが。チッ、たぶんメンテもせずに放っておかれたせいでぶっ壊れてんだ。じゃなきゃ、こんなデータは出ない」
「こんなデータとは?」
先生が画面から目を離し、俺と正対する。
屋上で出会った時からずっと感情の色が窺えない顔つきだったが、今俺を見ている目つきからはどこか困惑しているような、そんな気配が感じられた。
「相対値が完全にゼロ。おまえが人間なら、こいつはあり得ないデータだ」
「ゼロって………………非能力者なら、皆そうなんでしょう?」
「いいや、あり得ない。どれだけ才能が無い非能力者であっても、ゼロなんて事はな。生まれたばかりの赤子ですら多少の相対値は計測されるんだぞ。クソ、だからGRGの機材を買うのは止めろと言ってんのに。どうせ零秋霜あたりの口利きで、スペックも確認せずに買ってんだろうがな。これだから大株主様は…………」
宍蒲先生はブツブツと文句を言いつつ、丁寧な手つきで機材を片付けていく。
それにしても、ずいぶんとこの機材を扱い慣れている様に見える。スマートデバイスも扱い慣れている感じだったし、もしかしたら機械を扱うのが得意なのかもしれない。
「結局、このCN計測器が壊れてるって事でいいんですか?」
「そうなるな。知る限り、相対値ゼロの人間が存在した記録は無い。こいつが壊れているか、あるいはおまえが前例に無い特殊な人間かだ。後者である可能性は、それこそゼロだろうな」
言葉だけを取るとバカにされている感じになるが、普通に考えれば当然の結論だ。俺も自分が特殊な人間だとは思ってないし、異論は無い。
「はー、メンドくせえ。こうなりゃ、ちゃんとした機材で検査するしかねえな。今日の放課後、時間を作る。おまえも来てもらうぞ」
「え、今日ですか」
「そうだ。面倒事はさっさと片付けるに限る。おまえだって、疑惑をかけられっぱなしじゃあ新生活を楽しむ気にはなれねえだろう。幸い、今日なら2時間は空けられる……バカ共が緊急の用件を拵えてなければな」
「俺の予定は?」
「知るか。おまえのせいで面倒事が増えてるんだぞ、自覚しろ」
納得のいかない部分は多々あるものの、逆らっても良い事はない…………そんな気がする。
それに、研究特区の環境で身体検査を受けられるのはチャンスかもしれない。そこらの病院では原因不明扱いされた、俺の人酔いの解決法が判明するかも。
「わかりましたよ。放課後ですね」
「よし。一限の時間もあと20分ちょっとで終わる。教室に戻れ」
「宍蒲先生は?」
「こう見えて多忙でな。この後、行く所がある。放課後は教室で待て。フけようなんて考えるなよ。わかったらさっさと出ていけ」
「はいはい………………」
相手は一応先生だし、あまり雑な言葉遣いにならない様に気をつけてはいたが、さすがにちょっと疲れてしまった。
本当に、なぜあんな態度で教職に就いているのか。そんな疑問を感じつつ、普通科学舎の教室へと戻る。
今度こそ、気合を入れてかからねば。人の多い環境で過ごすのは久しぶりだったから仕方なかったとはいえ、人酔いを耐えられる様にならないと今後の学生生活が覚束ない。ショック療法だと思って、我慢しよう。
しばらく構内を歩いていると、自分の臭いが少し気になってきた。
狭い部屋に2人でいたから、先生のタバコ臭が移ってしまったかもしれない。それでも鼻が徐々に慣れてきているのか、部屋に居た時よりかは気にならなくなっている。
人は、いつか慣れるのだ。気分の悪さも、見知らぬ環境も、悪夢の様な絶望も。だから、きっと大丈夫。
薄気味悪い風が、背中にへばりついているみたいに感じられる。だけど、それもじきに慣れるのだろう。
普通科学舎に戻ってきた。一限の残り時間はあと10分くらいか。
まだ授業中だし、誰も教室の外にはいない………………そう、思っていたのだが。
玄関口横に置かれた長椅子に、なぜかメイドが座っている。
俯いていて少し判断し辛いが、ぱっと見だと同い年か少し年下ぐらいに見える。生徒だろうか?
「――――――?」
向こうも俺に気づいたみたいで、しっかりと目が合った。
「おはようございます」
立ち上がって、きちんと挨拶してくるメイド。
服はなんだか値が張りそうなしっかりした質感で、足元まで伸びたロングスカートも相まってちょっと暑そうだ。まあ、今くらいの時期には丁度いいのかもしれない。
身長は155cm位だろうか。小ざっぱりしたショートヘアで、装飾品の類も特に無くシンプルにまとめられている。もちろん変な感じではないのだが、どうにもオドオドしていて服に着られている印象を受ける。
首元で結んでいるリボンが黒いのは、非能力者であるという事なのか?
「おはようございます」
無視するのもどうかと思い、一応挨拶を返して昇降口へ向かう。
しかし、メイドは俺の背に向かって更に声をかけてきた。
「あの、まだ授業中ですけど………………今から教室に入るんですか?」
「ちょっと体調を悪くして、一旦抜けていただけなんです。それに、うちのクラスは自習に変更されたものですから」
立ち止まり、振り返ってメイドに言葉を返す。
正直、教室に戻るのは気が進まなかった。ここに居ても何ひとつ解決しないとわかってはいるが、つい足を止めてしまう。
「そうですか。もう体調はよろしいのですか?」
メイドは話を続けているものの、話し好きという感じはしない。むしろ、所在無さげで不安そうに見える。
そもそも、ここで一体何をしているのか。どうせだし、聞いてみるか。
「今のところは。それで、そちらはこんな所で何を?」
「担任の先生が来るのを待っているんです。わたし、こんな格好をしていますけど新入生で。事情があって、一限に間に合わなかったんです。それで先生に連絡したら、ここで待つように言われて………………」
なるほど。それなら、この頼りない様子も納得がいく。
そして普通科の新入生なら、非能力者で間違いない。メイド服の色合いと被る黒いリボンを身に着けているのは、そういう理由で合っていたみたいだな。
「だから玄関口に1人で居たんですね」
「はい」
…………事情か。研究特区は特殊な場所だし、色々なやつがいるんだろうな。
場違いなメイド服を着てるのは、その事情とやらが関係しているのだろうか。とはいえ、そこまで突っ込んで聞く気にはならない。
人の数だけ事情があって、人の数だけ問題がある。
俺だってそうだ。人酔いという避けられない問題から目を逸らしていても、何も解決しない。
もう一限が終わる。まったく気は乗らないが、教室に戻らないといけない。
「そろそろ一限も終わりだ。うまくクラスに馴染めるといいですね。それじゃ」
「あっ………………。ありがとうございます」
メイドは一瞬だけ不安そうな表情を見せたものの、それ以上俺を引き留めてはこなかった。
教室のあるフロアに戻ってくると、一部屋だけやたら騒がしい。案の定、それが自分のクラスだった。
みんな新生活への期待でテンションが上がっていただろうし、自習となればうるさくなるのも仕方ないか。
こうなったのはいきなり自習にした宍蒲先生のせいだが、少しくらいは俺のせいと言えなくもない。まあ、騒音の苦情は宍蒲先生の方にいくだろうし、別にいいか。実際、監督不行き届きなのは間違いないし。
それに、今重要なのは他所よりも自分だ。
心中に騒がしい教室に入る事をためらっている自分と、席に戻らなければならないと叱咤する自分が共存していて、また足が止まってしまった。
この喧騒に包まれているだけでも、既に頭痛がしてきそうだ。
キーンコーン、カーンコーン………………。
頭上で、授業の区切りを告げる音が響く。それでも、俺はまだ二の足を踏んでいる。
くそっ………………。何もかも最悪だ。やっぱり、こんなところに来るんじゃなかった。
「――――――」
ふと、あのまとわりつくような風が吹いた気がして、煙っぽいタバコの臭いが俺の鼻をかすめた。
「………………あー、くそったれ。やるよ。やってやるさ。行けばいいんだろ」
何が何だかわからないが、そのおかげで一歩踏み出す為の気合が入った。
そうさ。反面教師というか、あんな大人にならない様に頑張らないといけない。
「おお、同志。お戻りになりましたか」
自分の席に戻ると、俺の机の上には千切り取られたルーズリーフが散乱していた。
「なあ、この惨状は何だ?」
モジャモジャ頭を無視して、田武芝に話しかける。
「衣牧。もういいのか?」
「今度は、本当に問題ないと思う。それで、この紙の山は?」
「それがさ、葛吹が超常能力について色々教えてくれるって言うから聞いてたんだけど」
「クズブキ? …………ああ」
「おや? そういえば、まだ名乗っておりませんでしたか。吾輩、葛吹孔兵衛と申します。見知りおきを。そちらは衣牧夕星殿で宜しかったですかな?」
丸メガネの方に目をやると、わざとらしく眼鏡の位置を直しながら自己紹介してきた。
「そうだな、合ってるよ」
こいつに認知されるのは微妙な気分だが、前後とはいえ隣席なので仕方ない。
不必要なタイミングで刺激しない様、気をつけないと。
「で、その様子だと………………上手くいってないみたいだな」
再び田武芝に向き直り、話を続ける。
「まあ、な。色々教えてくれるのはありがたいんだ。ただ、ちょっと勢いがすごくて」
「吾輩がまとめた珠玉の資料を開示し、超常能力について教示しようとしたのです。ところが、ですよ!」
机に広がる紙の1枚に目を向けると、よくわからない理論や複雑そうな数式が所狭しと並んでいる。少なくとも、入試で扱われていた段階を大きく逸脱しているのは確かだった。
クズブキコウベエ、か。どうやらただの超常能力マニアというわけではなさそうだ。
「こいつは初心者向けの内容じゃない。基本的な知識が無い状態でこんな理屈っぽい話を聞かされても理解出来ないし、全然面白くないだろ」
「やっぱそうなんだな、良かった。ここのみんなは、こんなに難しい勉強をしてきてるのかと思ったよ」
ちょっとくたびれた様子の田武芝が、ほっと一息ついた。
本当に試験を受けていないんだな。半信半疑ではあったけど、嘘をついている感じじゃない。
「入試はそこそこの難度だったけど、ちゃんと対策すれば難しくなかったよ。わけのわからない応用問題を出題する難関校と比べたら楽勝だ。特に超常技術基礎は暗記科目だから、真面目に勉強すれば余裕で合格点を取れる」
「無論、吾輩は満点でしたとも。宍蒲先生が『満点』と言っておりましたが、衣牧殿もそうなのでは?」
「あー、まあな。とにかく、入試はその程度のレベルだよ。心配するな」
「そっか、サンキュ」
田武芝はすっかり安心したという雰囲気に変わって、人懐っこい笑顔を見せる。
自習中ずっと葛吹の相手をしていたんだろう。さぞかし気疲れしたに違いない。
「まあそんな訳で、吾輩が話した内容は身になっていない様でして。誠に残念です」
葛吹がやれやれと言わんばかりに頭を振る。
だが、残念なのはこいつの思慮の足りなさ加減だ。
葛吹はどうでもいいが、田武芝はこのままだと困る事があるかもしれない。
研究特区は役所を通して面倒な手続きをいくつもこなし、政府の承認を得た上で初めてゲートをくぐる事が出来る。それは特区から出る時も同様で、だからこそ超常研究大学と附属に通う学生はわざわざ内地に引越すのだ。そして、それを強いるだけの特殊性がここにはある。そんな場所に住む以上、知識がないのは致命的な問題を招きかねない。
まあ、田武芝がどうにかなったところで俺には関係無いが………………。
「――――――」
まただ。まとわりつくような風。うっとうしいタバコの臭い。
本当にそんなものが漂っているのかどうかも判然としないのに、妙にイライラする。
なんだよ、俺が悪いってのか。どうでもいいだろうが。もう、とっくに終わってるんだよ。
あの日、あいつは――――――ユウヅツは、死んだんだ。
「衣牧殿?」
「ん。なんだ」
「いえ。何と表現したものか、土人形のような顔をしておりますぞ。やはり、具合が優れぬので?」
葛吹のデバイスに、俺の顔が映り込んでいる。
ひどい顔だった。色を失っていて…………どこか無精髭を生やした、あの中年教師の表情に似ていた。
「………………いいや。いつも通り、何も変わりない」
そうだな。何も変わらない、このままでは。
そして、変えようとしてもきっと無駄だ………………だけど。
どうせ同じ結果になるというのなら、いつもはやらない事をしてみたっていいのかもしれない。
「――――――なあ、田武芝。もしよければ、超常能力や研究特区について教えようか?」
「え……いいのか。いや、教えてくれるならメチャ助かるんだけどさ」
「もちろん。一限が自習になったのも、俺が体調を崩したのと無関係ってわけじゃないし」
「そんな、別に衣牧のせいだとは思ってないぜ。元はといえば、オレが勉強してないのが原因だ。ま、元々勉強は全然ダメなんだけどよ」
田武芝はそう言って、少しきまり悪そうに笑う。
ああ、こいつはきっと良いやつなんだろうな。
ついさっき知り合ったばかりだが、裏表の無さそうな笑顔を見ているとそう思えた。
「衣牧殿、吾輩も共に教えますぞ。この男はもう吾輩の弟子みたいなものですからな。それに、超常能力についてもっと知ってもらわねば」
別に、お前には来てほしくないんだが。
とはいえ、仮にはっきりとそう言ったところでどうせ自分に都合よく解釈し、勝手について来るんだろう。
面倒だし、こいつは基本放置でいいや。
「んじゃ、昼飯の時にでもどうだ。言い出しっぺで悪いんだが、今日の放課後は用があって」
「サンキュ、助かる……って言いたいところだけど、昼は部長と食おうと思ってたんだ。なんか大学本棟に用事があるらしくて、東部街からこっちまで来てるんだってさ」
「おお、例の! むしろ、同席させていただけませぬか!」
急に葛吹の食いつきが良くなった。
そういえば、部長は超常能力者って話だったな。わかり易いやつだ。
「あー、こいつは無視していいぞ。相手が嫌がるだろうし」
「いや、あの人は大丈夫だ。一応聞いてみるけど、たぶんすぐにオーケーしてくれると思う」
部長とやらは、相手が非能力者でも特に差別意識は無いらしい。
スポーツをやってるってのもそうだが、どうも超常能力者らしくない。
キーンコーン、カーンコーン………………。
業間の終わりを告げる鐘の音がスピーカーから流れ、ガラガラっと音を立てて教壇側の扉が開く。
しかし入ってきたのは二限の担当教師ではなく、宍蒲先生だった。
「おし、ここがおまえのクラスだ。他の教職員にも通知してあるから、気にせず好きに出入りしろ。いちいち許可を取る必要は無い」
先生が、その背後に隠れる様な形で控えている人物に声をかける。
その人は、なぜか場違いなメイド服を着ていた。あれは下で出会った新入生だ。同じクラスだったのか。
「………………何あれ。メイド?」
「メイドにしちゃ、なんか地味じゃね?」
「北洋の伝統的なハウススタイル・メイドだよ。地味なのは汚れてもいいように配慮されているからさ。フリルで一杯のミニスカメイドは、汚れちゃ不味いだろ」
目立つ格好だし、当然の様にクラスメイトたちの視線が集中する。
やけに物知りなやつが1人いたが、そいつの言を信用するなら掃除メインのメイドだという事だろうか?
「――――っ、よ、よろしく、お願いします」
声は少々小さかったが、メイドはしっかりと一礼した。
挨拶自体は出来ていたものの、その後は俯きがちでクラスメイトの視線を避けている様に見える。
下で話した時の様子とあわせて察しはついたが、元々気が小さい方らしい。
「そこの空いてる席だ。後は適当に頑張んな」
「はい。ありがとうございます」
メイドはホームルームの時に質問があった空席へと向かい、中年教師はその様子を確認する事もなく足早に去って行った。
「よろしくね、メイドちゃん!」
「よろしくお願いします」
朝担任に質問をしていた女生徒が真っ先に声をかけると、メイドはおずおずと返事をした。
どうにもビクビクした態度ではあるが、一礼の所作は綺麗だ。もしかしたら、メイドとして必要な技能はきちんと身につけているのかもしれない。
声をかけた女生徒だけではなく、ほとんどのクラスメイトが好奇心一杯の目でメイドを見ている。しかし宍蒲先生と入れ替わりで二限の担当教師が教室に入ってきたので、その場はお開きとなった。
「えー、皆さん。授業の準備は済んでいますか。すぐに、授業を始めますよ」
デバイスの時計をちらりと見ると、既に4分ほど講義開始の時間を過ぎている。
どうもあのメイドは特別扱いされているみたいだが、それも含めて事情とやらが関わっているんだろう。
「メイドなんて初めて見るよ。雇い主は学校の関係者なのかな?」
田武芝が意外といい疑問を口にする。
メイドという事は仕える主がいるはずで、たしかにそれが誰なのかはちょっと気になる。メイドが特別扱いされているくらいだし、それなりにいい身分の者かもしくは特殊な立場の人物だろうか。
「それでは、授業を開始します。えー、まずは自己紹介から――――――」
適当極まる我らが担任とは違い、良くも悪くも普通の先生による通常授業が始まった。
教科書をぼんやりと眺めながら、教師の解説に耳を傾ける。
相変わらず嫌な感じはするし、時折頭が重く感じる瞬間もある。それでも、耐えられないほどではない。
昔から勉強は好きだった。何かに集中さえしていれば、症状はずっとマシなものになる。子供の頃も、そうやって人酔いの気持ち悪さをごまかしていたっけ。
そんな風に不調を意識しないようにしながら授業に没頭していると、二限の時間はあっという間に過ぎていった。
キーンコーン、カーンコーン………………。
「今日はここまでですね。宿題を忘れずにやってきてください」
鐘の音を確認し、教師が引き揚げていく。
二限も終わり、業間。クラスメイトたちの関心はメイドに集中していた。
「ねえねえ、なんでメイドの格好してるの?」
「その服高そうだけど、どこで買ったの?」
「一限こなかったけど、もしかして寝坊? 私も朝弱くってさー」
「あ、あの、ええと………………」
喧騒が大きくなるとどうしても頭に響く。慣れるのには、まだまだ時間が必要みたいだ。
「お、どうした。衣牧もメイドが気になる感じか?」
俺が席を立つと、田武芝が声をかけてきた。
「いや、トイレだ。メイドは特に何も」
「なんだ、結構サバサバしてんのな。葛吹は?」
「ハ、非能力者なんぞには微塵も興味ありませんな。面白味の欠片も無い」
「お、おう。そうか」
葛吹は言葉通りクラスメイトの騒ぎには関心が無いらしく、熱心にデバイスで何かを見ている。
言い方はちょっとどうかと思うが、興味が無いのは俺も同じ。今はお喋りに興じるよりも、少し外の空気を吸いたい。
「じゃ、行ってくる」
廊下に出て、屋上へ向かう。ついでだし、扉の鍵が開きっぱなしになっているかも確認しておこう。
屋上の出入口まで歩く間、誰ともすれ違わなかった。
短い業間という事もあるが、中年教師の言っていた通り小汚い屋上に行こうと思う生徒はいないのだろう。
扉に手を伸ばし、ゆっくりと押す。すると、出入口は問題なく開いた。
やっぱりだ。あのずぼらな教師は、いちいち鍵を掛けたりはしないらしい。防犯上不味いんじゃないかとは思うものの、今はありがたく通らせてもらおう。
階下の喧騒から抜け出し、立入禁止の屋上へと踏み出す。足元は少々汚いが空は青く、空気は綺麗だった。
「すー………………。ふー………………」
肺の中が新鮮な外気で満たされ、頭の重さがやわらいでいく。
屋上からぐるりと研究特区を見回してみると、見える範囲に工場や火力発電所といった大気を汚染する施設は無い。その点に関して、この研究特区の環境は悪くなかった。
街の外周と東西方向には大きなゲートがひたすらに並んでいて、さながら城塞都市といった様相だ。
東ゲートの向こう、東部街方面には高層ビルが乱立している。ピロソポスのイメージを反映し、未来都市をテーマに街づくりを進めているのだと案内書には書かれていた。
対して西ゲートの向こう、西部街方面には石造りの街並みが広がっている。こちらはマゴスのイメージを反映した結果、外国の古い街並みをモチーフとして採用したらしい。中央部には大きな城が建っていて、あれが西棟校舎なのだとか。見栄や体裁ばかりを気にする連中には、お似合いの造りだ。
太陽が天中へと近づいている。空気はまだ少し肌に冷たいものの、日差しは温かだ。その内暑くてやってられないくらいになるんだろうが、今はまだ穏やかに身体を包んでくれる。
静かだ。ずっと、ここに居たいくらいに。
「………………そこに居るのか?」
思い立って、声を出してみる。特に返事は期待していない。
冷たい風が吹き抜けていく。それだけだ。
まあ、そうだろうさ。あの気味の悪いまとわりつくような気配は、超常能力かなにかだと思った。だけど、誰かが俺を攻撃する理由が何も無い。まして、非能力者への超常能力による攻撃は犯罪だ。リスクを負ってまでそんな事をする意味があるとは考えられない。しかし、それなら他にどんな理由があるというのだろうか?
――――――まさか、オカルト的なモノじゃないだろうな。
何年か前、国際的な研究学会でユウレイだの死後の世界だのは否定された。世界中で話題になったから、俺も軽く聞きかじった程度の事は知っている。
研究に参加していたグループには超常能力研究の世界的権威とされる研究機関や、先進的な論文で著名な博士なんかが大勢参加していたらしい。だから、信用には十分足りるはず。
元々、俺は神も仏も信じちゃいない。理論で否定されたのなら、ユウレイなんて存在するものか。
「――――――」
ただの体調不良だ。超常能力ではないのなら、どう説明をつける。俺の頭がおかしいとでも?
それこそ、信じたくない。俺はまともだ。
………………教室に戻ろう。今日は何を考えても悪い方向にいく気がする。
大人しく一日をやり過ごして、さっさと寝る。それで何の問題もない。明日からは、またどうでもいい日常が続いていくはずだ。昨日までと同じ様に。
そうさ。今日は、ちょっとばかりツイてないだけだ。
屋上を後にして、教室へと戻る。
廊下はうんざりする騒がしさだったが、そんな事よりも今感じている気分の悪さが勝っていた。
教室に入ると、メイドの周りにはまだ人集りが出来ている。たぶん、今日1日は囲まれ続けるのだろう。
対して、俺の席周りは静かなものだ。葛吹はデバイスで何かを見ていて、田武芝は机に突っ伏している。近場の席には、他に誰も残っていない。
「……ん、戻ったのか」
俺に気づいた田武芝が顔を上げた。
「ああ。それにしても、大人気だな」
人集りに目をやりながら、適当に返事をする。
「そりゃあ、メイドなんてそうそう見ないしな」
「田武芝は興味ありそうに見えたけど、もう話したのか?」
「ん? いいや」
田武芝はそう言ってちらりとメイドの方を見ると、話を続けた。
「あの子さ、困ってるよな。きっと、しゃべるのは得意じゃないんだ。衣牧もそう思わないか?」
「だろうな。無理して相手してる様に見える」
「やっぱそう思うよな」
「なら、助け舟を出しに行ってやったらどうだ。会話のきっかけくらいにはなるんじゃないか」
田武芝の爽やかな雰囲気なら、割って入っても変な事にはならないだろう。
「いや、オレは………………オレは、そういうんじゃない」
一瞬、田武芝の表情が暗くなる。
特に何も考えずに発した軽口だったのだが、返ってきたのは思いもよらない反応だ。
ただ、それは本当に一瞬。ほんの僅かに目を伏せ、そしてもう一度俺を見るまでの間だけだった。
そのまま、元の雰囲気に戻った田武芝が話を続ける。
「善意とか、正しい行いとか、そういうのってさ。自分が『正しい』と思い込んでるだけって事もあるよな。自分だけが正解だと思っていて、誰もそんなのは求めてないんだ。なのに、やってる本人は全然気づかない。オレは正しい事をしてる……なんでわかってくれないんだ……そう思ってる」
「………………似た様な人を知ってるよ。まあ、そいつはもっとタチが悪かったけど」
よく知っている。正しいとずっと思い込み続けて、しまいにはもう正しいかどうかなんて気にしなくなってしまった連中を。
キーンコーン、カーンコーン………………。
田武芝はまだ何か続けようとしたが、業間が終わった事に気づくと口を閉じ、教壇の方に向き直った。
俺も田武芝にあわせて、前に向き直る。
人の数だけ事情がある。田武芝みたいな、一見すると影の無さそうなやつにも当然それは当てはまる。
視界に、前の席に座る葛吹のモジャモジャ頭が映った。
あいつにだって、きっと影はあるのだ。影を伴わない人生なんて、あり得るだろうか。
そんな事を考えていると、三限も静かに過ぎ去っていった。
思考に気を取られていたおかげか、人酔いの症状は特に意識する事もなかった。
キーンコーン、カーンコーン………………。
三限が終わり、その後の四限も恙無く終了。午前中の授業は全て終わり、昼休憩の時間となった。
「さて、田武芝氏。昼食の約束はどうなっておりますかな?」
授業終了と同時に、葛吹が田武芝へ話を振る。
一瞬何の事かと思ったが、そういえば田武芝とバスケ部部長の昼食に参加したいと言っていたな。
「ああ、オーケーだってさ。大学本棟に集合だ」
「そうと決まれば、愚図愚図してはおれませんぞ。さあさあさあ、早く行きましょう!」
興奮気味の葛吹が先に立ち、教室を出て行こうとする。
「……ん? どうした、衣牧。行こうぜ」
葛吹に続いて歩き出した田武芝が、動かない俺に気づいて声をかけてきた。
「なあ、本当にいいのか。アレ、たぶん…………いや、間違いなく迷惑かけるぞ」
超常能力者と同じ食卓を囲みたくないのだが、葛吹と昼食を共にするのも気が進まない。
俺は静かに食事をしたいんだ。あんなやかましいのと同じテーブルはご免だ。
「大丈夫だって。部長はいい人だよ、会えばわかる。ほら、行こうぜ」
田武芝はずいぶん部長とやらに入れ込んでいるらしく、引く様子は見せない。
これだけ誘われて断るというのも、ちょっとやり辛いな。
「まあ、そう言うなら」
しぶしぶ席を立ち、田武芝に続く。
教室を出て大学本棟に向かう道の途上、他の生徒の姿はまばらだった。
そもそも、普通科学舎の隣にも小さい食堂がある。それに、商店街で何か買ったっていい。北部住宅街から登校する以上必ず商店街を通るので、朝ついでに買っていく余裕はある。
それでもわざわざ大学本棟に行くというのなら、それなりに理由が必要だ。今俺たちの近くを歩いているのは、行く必要があるやつか純粋に散策好きなやつかのどちらかだと思う。
案内書によると大学に通っているのはほとんどが非能力者みたいだし、葛吹の様な超常能力マニアにとっても本棟まで行く妙味は薄いはずだ。
「――――つまりですね、超常能力者にとってスポーツは取り組む価値が薄いのです。だからこそ、部長殿にお会いしてみたいのですよ。スポーツを嗜む超常能力者、それは一体如何様な人物であるのか。いやあ、興味が尽きませんな!」
「あー……うん、部長に会いたいのはよくわかったよ」
その葛吹は、田武芝に向かって早口で講釈を並べている。
田武芝はそういう性分なのか面倒見が良過ぎるのか、よせばいいのに毎回相槌を打っていた。
葛吹に絡まれると面倒なので、横並びで歩く2人の後ろをついて行く。
そうやって少し歩いていると、後ろからパタパタと忙しない足音が近づいて来た。急ぎの用事がある誰かが、俺たちと同方向に行こうとしているのだろう。
やたらと声のでかい葛吹が矢継ぎ早に喋り続けているせいで、前を歩く2人は足音に気づいていない。歩道の道幅はお世辞にも広いとは言えないし、田武芝は大柄だ。あれは邪魔になる。
「なあ、通行の邪魔になってるぞ」
「ん。ああ、悪いな」
俺の声に気づいた田武芝が、葛吹の前に出て道を空けた。
「ありがとうございます」
そのやり取りを見てか、背後から来た急ぎの人がお礼を口にする。
返答をしようと後ろを振り返って見たら、立っていたのはクラスメイトのメイドだった。
「――――――あ、朝の」
向こうも俺に気づいたようで、丁寧に一礼する。
こちらも合わせて軽く頭を下げると、メイドは少し動きにくそうな感じで大学本棟の方へと走っていった。
どうやら、彼女は俺がクラスメイトだと気づいてないらしい。俺は業間の度に外に出ていたし、向こうはずっとクラスメイトに囲まれていたからだろう。
「大学本棟に用事があるのかな?」
メイドを見送った後で、田武芝が疑問を口にする。
「あっちに行ったって事は、そうなんじゃないか。もしかしたら、バイトかもな」
「そっか、バイトって可能性もあるんだな」
普通科の生徒は、許可を得れば働く事が出来る。むしろ、案内書を読む限り学校側はアルバイトを奨励している様だ。事前に軽く調べておいたのだが、簡単な施設清掃作業や商店街でのレジ打ち等、仕事の種類は豊富に用意されていた。
研究特区という場所はその特性上、超常研究大学と関連施設により維持されていると言っても過言ではない。よって、内部で生活する者は学生がかなりの割合を占めている。全ての入出構者に対していちいち面倒な手続きを求めてくる事を考えれば、学生自身にある程度の労働を担当させる方針は理に適っていたのだろう。
学生としてもそれなりに高い学費や生活費が圧し掛かってくるので、全部親任せというのは少々厳しい。普通科には部活が無いという事情もあってか、案内書によると最低でも土日はバイトしている生徒が多数派であるとの事だった。
おそらくあのメイドも、何かの労働契約に基づいてあんな目立つ格好をしているのだと思う。それにしては、特別扱いされ過ぎている気もしなくはないが。
「よし、大学本棟に着いたな。待ち合わせは学食だ。中に入ろう」
どうでもいい事を考えながら歩いていると、目的地に到着していた。
田武芝の先導で、玄関口から大学本棟の中へと入る。
大学には制服が無いらしく、行き来する人たちは皆私服だ。その中にあって制服姿の俺たちは、少しばかり浮いていた。
「大学はすっげえ金かかってるって聞いてたけど、普通科の校舎と違ってキレイだよな」
前を歩く田武芝が、周りを見回しながらそんな事を言う。
実際、大学本棟の通路は手入れが行き届いている様に見えた。元々の施設用途からするとこちらの方が普通科学舎よりも古いはずだが、あちらは増改築で校舎に仕立て上げてからほとんど手を加えていないのだろう。
「まあ、附属はオマケなんじゃないか。本来、研究特区自体が超常能力者のための場所なんだし」
「そうなのか?」
「衣牧殿に同意します。この大学本棟の来歴は古く、研究特区が現在の東部街、中央街、西部街の3区画体制に移行する以前は、収容された全ての超常能力者を指導する為の施設だったのです。ところが、様々な要因によって資金面での折り合いがつかなくなってしまった。そこで非能力者を学生として内部に招き学費を財源に充て、更には労働力として恃む事となっていった。それが現在我々の通う普通科学舎の原点であります」
葛吹が立ち止まり、訳知り顔で説明を始める。
だが、その内容は案内書に記載されていた由来とは異なるものだった。
「案内書の来歴には、主として超常能力者と非能力者の相互理解を深める為だとか何とか書かれていたぞ」
「それは建前というものですよ。実際、超常技術競技会が学園祭相当のイベントとして外部に解放されているのも観光客による増収を狙ってのものでしょう。3区画体制への移行と第一回超常技術競技会の開催が同年だった事は偶然ではあり得ません。吾輩としては、間近で超常能力を観察させて貰えればどうでもよい事ですがね」
「あー………………つまり、実は超常研究大学って貧乏なのか?」
俺と葛吹の会話を聞いていた田武芝が、簡潔に話をまとめる。それを受けて、葛吹が話を続けた。
「字樋院帥吉殿――――西高等部生徒会書記長である、字樋院昭吉殿の曽お爺様ですが。初代超常技術庁長官、並びに初代超常技術開発担当大臣を務められた方ですね。彼が著した自伝『改進録』を読み解き、当時の財政記録と照らし合わせて考えると、余裕があったとは到底考えられません。財政は逼迫、環境の特殊性から労働力も常に不足。これを一挙に解決し得る手段として、一般学生の受け入れを提案されたのでしょう。田武芝氏も身に覚えがある話なのでは?」
「え、オレ?」
「言ってたでしょうに。『もっと一般の生徒を集めたいとかで』と」
「なるほどな。外じゃ就職に有利って話も流れてたが、集金が目的か。真面目に取り組んでるバスケ部員がほとんど居ないのはそれが理由だな。おかしいと思ったよ。非能力者を見下しているような連中が、スポーツをやるはずないのに」
ハナから、活動の実態は求められていなかったという事だ。あれこれと理由を付けて、人を集められさえすればそれでいい。葛吹が言うように増収が目的であるのなら、ほどよく入学金や学費を回収出来ればそれで目的は達成されているのだから。
宍蒲先生があの態度で解雇されないのも、そういう理由なら納得がいく。結局のところ、非能力者の一般学生なんていてもいなくても同じという訳だ。いかにも超常能力者の連中が考えそうな事じゃないか。
「なんだよ、それ………………」
田武芝はショックを受けた様子で、顔を伏せて握り拳を作っている。
この人の良さそうな男は詐欺師に騙されたんだ。気の毒ではあるが、運が悪かったとしか言えないな。
それにしても、葛吹の知識量は相当なものがあるようだ。
「葛吹、そんな事まで調べてるのはなぜだ?」
「もののついでというやつです。超常技術競技会について資料を掻き集めていたら、改進録に行き着いた。そして内容の裏付けを求めてデータを精査していたら、1つの結論が出た。それだけの事です。吾輩は政府や研究特区の財政事情には興味がありませんので、どうでもいい事ではありますがね」
あくまでも興味があるのは超常技術競技会って事か。
まあ、それだけ熱意を持って何かが出来るのはすごい事だと思う。よっぽど超常能力が好きなんだろう。
「ふーん、そうか。けど、そうなると部長が練習してるってのがよくわからないな。もし本気でバスケットボールがやりたくてやってるなら、かなり変わってる」
「正にそこですよ、同志。超常能力者とはその力が故に、常に体力を消費し続けている様なものです。だからこそ、余計な消耗を抑えるために彼らはスポーツを好まない。是非、部長殿のお考えを聞いてみたいものですね」
そういう考え方もあるだろう。だが、どうせ非能力者を見下している事には変わりない。
「………………部長は、本気で練習してた。絶対そうだ。オレの自主練にだって、手を抜かずに付き合ってくれた」
田武芝が、顔を上げる。
まだ少しショックが残っているみたいだが、部長に対する信頼は揺るがないらしい。
「きっとそうなんだろうな。ほら、行こう。いい加減、腹が減った」
再び田武芝を先頭にして、学食へと向かう。
歩いているだけで、じわじわと昼休憩の時間が削れていく。やっぱり、誘いを断るべきだったか。
抑え難くなってきた面倒くささをあやしながら、喋り続ける葛吹を適当にあしらう。
本当に、今日はツイてない日だ。
「よし、この先が食堂だ。部長はもう着いてるらしい…………ん? なんか変だな」
先頭に立つ田武芝が、訝し気に学食の内部を覗き込む。
入口からは人集りが見えるもののなぜか皆突っ立っていて、しかも昼休憩中とは思えない静かさだ。明らかに様子がおかしい。
「すんません。何かあったんですか?」
田武芝が出入口の近くに立つ2人組に話しかける。
「なんか超常能力者がケンカしてるみたいでさ。巻き込まれたら危ないじゃん」
「西棟のマゴスがいるんだけどかなり態度悪くて、メイド服の女の子に色々言ってんの。それで東棟のピロソポスが止めたら、ケンカになったんだ。つか、アレって高等部生徒会の連中だよな?」
「あー、確かに。あのマゴスって、有名な奴だろ。ほら、政治家の…………なんつったっけ?」
「知らね。早くどっか行ってくんねーかな。こっちは腹減ってんだよ」
2人組は心底迷惑そうだ。
周りを見ると、他の大学生と思しき人たちも似た様な顔をしている。聞いた通りの状況みたいだな。
しかし、人が多い。少し気分が悪くなってきた。
「もしかして部長が? すんません、通してください!」
「政治家…………もしや、かの字樋院昭吉では!?」
田武芝が人をかき分けて食堂の中へと入っていき、その後ろに続いて興奮気味の葛吹も突入する。
ここまで来てしまったものの、面倒事に付き合うのはご免だ。まして超常能力者同士の争いなら、非能力者の出る幕ではない。
軽く頭痛もしてきたし、この場を後にしたって構わないだろう。言い訳は後で適当に考えればいい。
回れ右して、元来た道を引き返そうとした――――――その時。
「――――――」
また、あの薄気味悪い風を感じた。
それも、今回は背後ではなく前から。まるで「逃げるな」とでも言われている気分だ。
………………どうでもいい、構うもんか。
まとわりついてくるような感覚はあるが、実際に押し返されるわけでもない。無視して進んでも、何の影響もないのだ。
「――――――、――――――」
まとわりつく感覚のうっとうしさが増し、頭痛が少しずつ酷くなる。
立っている事すらしんどくなり、壁にもたれかかって右手でこめかみを揉む。
俺には関係無い。そもそも、行ってどうなる。何も出来はしない。時間の無駄だ。
「あの………………大丈夫?」
「うるさい――――」
黙れ、と続けようとしたところで違和感に気付く。
今のは、女性の声だった。謎の気配とは別だ。
こめかみを揉むのを止め、手を下ろして顔を上げる。
目の前には、ワイシャツ姿の女性が立っていた。
「ええと、気分が良くないのかな。保険医の先生を呼んであげましょうか?」
「………………結構です。軽い貧血みたいなものですから、何も問題ありません」
どうやら、口をついて出た言葉は聞かれなかったらしい。つぶやきみたいな声だっただろうから、聞こえなかったのも当然か。
女性は緩く編み込んで1房にまとめた髪を左肩から前に流していて、大人っぽい雰囲気だ。下がパンツスーツなのもあってピシッとした格好なのだが、垂れ目がちの優しそうな顔立ちで厳格な雰囲気はまったくない。
たぶん、気に掛けてくれただけなんだとは思う。だが、問題は顔や格好以外の部分にあった。
シャツに合わせているネクタイは赤色。頭髪の中央辺りから向かって右半分側が、少しオレンジがかった黄色に染まっている。編み込みも黄色と黒が複雑に絡んでいて、人目を引く色合いだ。
赤いネクタイと、行使する属性の影響による体毛の変色。間違いなく超常能力者――――――マゴスだ。
「本当に? 無理してませんか?」
マゴスがゆっくりと声をかけてくる。
「何も、問題ありません」
だが、そんな事はどうでもいい。
頭の鈍痛をなんとか無視し、壁から離れて歩き始める。
超常能力者………………特にマゴスは、関わりたくない。
怒り、憎悪、悲しみ。様々な感情がない交ぜとなって、苛立ちへと変わる。
ただ1つはっきりしているのは、許せないという想いだけだ。
そうだ。許せない。許さない。許してなるものか。
「――――――」
うるさい。邪魔をするな。
「――――――ゆー」
「黙れ!!!」
「きゃっ!?」
女の声で、はっとして後ろを見る。
自分で思っていたのとは違って、俺の足は全然進んでいなかった。
ほとんど真後ろに立っていたマゴスが、驚きに目を見開いている。
今回は大声が出てしまったみたいだ。幸い、他に人はいなかった。
「あの、どう見ても具合が悪そうですよ。保険医の先生を呼びますから、ここでちょっと休みましょう?」
くそ、うっとうしいな。
………………そうだ、食堂の方に行かせればいい。見たところ大学の関係者なのは間違いないし、高等部生徒会の連中が騒ぎを起こしているとなれば、そっちに向かうはず。
「あー……もしかすると、超常能力のせいかもしれません。さっき食堂でマゴスとピロソポスがケンカしてて、そのへんから何か調子がおかしいんです」
調子を崩したのは食堂に近寄ったからだ。嘘は言っていない。
「それは本当ですか?」
マゴスの表情が真面目くさったものに変わり、若干怒りの色が浮かぶ。
「はい、それはもう」
「なら、止めないといけませんね。歩けるなら、一緒に来てもらえますか。被害が出ている事を理解してもらわないと…………!」
「はい? あ、ちょっと」
上手く誘導出来たと思ったのも束の間、マゴスに素早く腕を掴まれ、こちらの返答も待たずに連行される。
振り払いたいのだが、まとわりつく気配に背を押されるような感じがして逃げ出せない。
食堂からさほど離れてもいなかったので、あっさりと引っ張られて来てしまった。
「すみません、通してください!」
穏やかそうな印象からは少々意外に思えるほど力強い声を発して、ワイシャツ姿のマゴスが人混みに割って入っていく。当然、マゴスにずるずると引きずられる様な格好で俺も中へと入っていく羽目になった。
人集りの中央まで行くと、周囲の学生たちが遠巻きに見ている先で2人の男が対峙している。
1人は、メイド服の女生徒を侍らせてイスでふんぞり返っている男。メイド服の女生徒はさっき俺たちを追い越していったクラスメイトのメイドだ。田武芝が言っていた雇い主は、どうやらあの偉そうにしているマゴスらしい。
創作物に出てくる魔女や魔法使いを思い起こさせる紫紺の制服に、赤いネクタイを身に着けている。メイドはとんがり帽子を持っているが、たしかあれも西棟制服の一部だったと思う。マゴスで間違いないだろう。
髪型は七三分けで、三の方は黒髪だが七の方は緑色に変色している。高級そうな四角いフレームの眼鏡をかけているが、横柄な態度のせいか同じメガネ族の葛吹とは違って冷たい印象を受ける。その葛吹がなぜかメイド服の女生徒とは逆側のそばに立っているので、印象の差は一目瞭然だった。
そしてもう1人は、テーブルを挟んで緑髪のマゴスとは反対側に立っている男。
マジシャンが仕事の時に着る派手めのタキシードに似た青藍の制服に、青いネクタイを身に着けている。足元にカバンとシルクハットみたいな帽子が置かれているが、あれは東棟制服の一部だったか。こっちはピロソポスとみて間違いない。
髪型はオールバックで、黒髪。かなり背が高く体つきもしっかりしているが顔立ちは優し気で、有り体に言えばハンサムだ。こちらのそばには田武芝が立っていて、2人揃って背が高いので存在感十分だ。
田武芝がそばにいるという事は、あれが例の部長なのだろう。
「2人とも、何をしているんですか!」
ワイシャツのマゴスが彼らを視認するや否や即大声を発し、緑髪のマゴスとオールバックのピロソポスがこっちを見た。
「おや、総会長。民主的な話し合いの最中ですよ。見ればわかるようにね」
緑髪のマゴスが、イスに座ったまま口を開く。
態度自体尊大だが、喋り方もキザったらしくて鼻につく。
――――――連中を思い出させる、ムカつく野郎だ。コイツの事は好きになれないだろう。絶対に。
「あなたたちの行動で、こちらの一般生徒の方が被害を受けた可能性があります。あなたたちは東西生徒の模範となるべき立場でしょう。なのに、一般生徒が多く利用する場所でケンカだなんて。自分自身の行動に責任を持たなければならない立場であると、ちゃんと理解していますか?」
ワイシャツのマゴスは話しながら、俺の方を手で示す。
まさかこうなるとは。本当に、今日はツイてない。
「そのティポタが? ハッ、冗談でしょう。我々に恐れをなして、勝手に漏らしたんじゃないですか」
緑髪のマゴスは注意を受けた事などどこ吹く風といった様子で、俺を見ながら薄笑いを浮かべている。
ティポタ――――――超常能力者が、非能力者を貶める為に使う言葉だ。差別意識の強い、超常能力至上主義者が好んで使う表現でもある。
まだ小さかった頃、耳にタコが出来るくらい馴染みのある言葉だった。わざわざあの言葉を使うようなやつは、ロクなのがいない。
「さっきから一般生徒をバカにする言葉ばかり……それが生徒会役員のとるべき態度か!!」
緑髪のマゴスとは反対に、オールバックのピロソポスは怒りを顕にしている。場に合わせたポーズやパフォーマンスという感じでもなく、本当に怒っているみたいだ。
何と言うか、これはこれで違和感のある態度だ。超常能力者らしくない。
「鳩栄君、落ち着いて。それで、何があったんですか」
「何もありはしませんよ。この使えないノロマを指導していただけです」
ワイシャツのマゴスが声を張り、状況を確認しようとする。それに対して、緑髪のマゴスがメイド服の女生徒を右手の親指で指し示した。
「字樋院!!!」
「落ち着きなさい!」
オールバックのピロソポスが声を荒げたが、ワイシャツのマゴスがすかさず大男を嗜め、話を続ける。
「字樋院君、一般生徒に対する言動には気を遣ってください。あなたなら、自分の言動が周囲にどんな影響を与え得るかはよくわかっているでしょう」
「ええ、ええ、勿論。よく理解していますよ。だからこそ、西棟のマゴスたちを代表して黒タイを締めたウスノロに指導を与えてやっているのです」
「………………改善の意思は無いようですね」
いけ好かないニヤニヤ笑いを浮かべる緑髪のマゴスに対し、ワイシャツのマゴスが硬い声で返答した。
「鳩栄君、超常能力者同士がケンカをしているという報告を受けました。内容は、今やり取りがあった事に関する口論で間違いありませんか」
続けて、ワイシャツのマゴスがピロソポスの方に言葉をかける。
「それは、間違いないです。字樋院がそちらの一般生徒さんを罵倒していて、それがあまりにも聞くに堪えない内容だったんです。最初は注意するだけのつもりだったんですが、熱くなり過ぎました。すみません」
大男は少し冷静になったのか、特に反論するでもなく謝罪した。
「謝罪するなら、食堂を利用しようとしていた周りの皆さんにしてください。それと、こちらの生徒さんにも。あなたたちの争いを見て、気分が悪くなったと仰っています。1つ確認しておきますが、超常能力は行使していないでしょうね?」
「まさか! さすがにそこまでバカな真似はしてませんよ!」
ピロソポスは慌てた様子で、能力行使を否定する。
「その点に関しましては、絶対に否ですな。もしも字樋院殿の超常能力が行使されたのなら、辺りの生徒たちはゴミクズが如く吹き飛ばされていた事でしょう」
「との事ですよ、総会長。江墨、オマエも見ていただろう?」
「…………はい。昭吉様は、超常能力を行使されてはいません」
どういう訳か、緑髪のマゴスの方はそばに立っていた葛吹が真っ先に否定した。それに続いて緑髪のマゴス自身が口を開き、最後にメイド服の女生徒も葛吹と同じく能力行使を否定する。
「部長も超常能力は使ってないと思います!」
更に続けて、マゴス側に負けじと田武芝もピロソポスの能力行使を否定した。
面倒極まる状況になってきたが、ここで余計な動きを見せる必要は無い。黙って成り行きに任せよう。
「そうですか、それなら良かったです」
ワイシャツのマゴスは場に居た全員が否定した事で納得したのか、騒ぎの渦中にいた者たちをそれ以上追及する事はしなかった。そして1つ頷いて彼らの顔を見回すと、俺の方を見て話を続ける。
「あなたの症状は、超常能力とは関係無いものだったみたいです。その点は安心してくださいね。でも、本当に調子が悪そうに見えました。必ず、保険医の先生の所に行って診てもらってください」
「………………はい、そうします」
どうやら、俺の適当な発言は気にしていないらしい。特に問題とされなかったのは喜ばしい事だ。
「お優しいのですね、総会長。ティポタの一匹や二匹、慈悲をかける価値は無いと思いますが。しかし、中央街の食事は不味いな。豚にやる餌の方が上等なんじゃないかと勘ぐってしまいましたよ。まともな物で口直しをしたいので、失礼します」
緑髪のマゴスが席を立ち、場を後にしようとした。ところがすぐに何かを思い出した様に立ち止まり、ピロソポスの方に向き直った。
「そうそう、鳩栄副会長。コレはこの字樋院昭吉が所有している小間使いでしてね。何に噛みつこうとそちらの勝手ですが、他人の道具の使い方にケチをつけるのはいかがなものかと思いますよ。副会長を務めるならば、立場を弁えるという発想くらいは持っておいた方がいいんじゃないですか。 …………おっと、失礼。東棟の人間には高度過ぎて、理解出来なかったかもしれませんが」
「字樋院………………!」
「部長、抑えて……!」
今にも飛びかかりそうな気配のピロソポスを、田武芝がなんとか抑える。
「フン。おい、帰るぞ。グズグズするな」
「はい。すみません、失礼します」
ピロソポスの様子を見て鼻で笑うと、緑髪のマゴスはメイド服の女生徒を従えて食堂を出て行った。
「皆さん、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。問題は解決しましたので、どうぞ安心して食堂をお使いください!」
緑髪のマゴスが出て行ったのを見届けて、ワイシャツのマゴスが学生たちに頭を下げた。
「迷惑かけて、すみませんでした!」
続けて、オールバックのピロソポスも頭を下げる。
周りの学生たちはそれを見て、ようやく囲みを解いた。
「総会長、迷惑かけました。すみません!」
頭を上げたピロソポスが、続けてワイシャツのマゴスにも頭を下げる。
「はい。きちんと反省しているようですし、まったく理由も無く相手を攻撃しようとした訳ではなかったので、今回の件は不問とします。今後は気をつけてくださいね」
「はい、気をつけます」
大男が頭を上げ、2人の会話が途切れる。
「ちょっとよろしいですかな?」
しかし、今度は葛吹がワイシャツのマゴスに話しかけた。
「失礼、学生総会長の四季織慶殿とお見受けしますが。間違いありませんかな?」
「ええ、私は四季織慶ですが………………?」
「おお、やはり! かの『ゴールデン・マム』を実際に目にする事が出来るとは!」
またしても、超常能力マニアが興奮し始めた。
あのムカつく緑髪のそばに立っていたのも、何かしらの興奮ポイントがあったからに違いない。
「ゴールデンマム?」
研究特区に詳しくない田武芝が、見るからに何もわかってなさそうな感じで言葉を繰り返す。
だが、それは悪手だ。あのお喋り好きは、思う存分語り始めるに違いない。
「ええ。2年前の超常技術競技会にて、西高等部生徒会長として出場した四季織慶殿に付けられた異名です。土属性の術、中でも物の形を模して作り出す形而術を最も得意とするマゴスであり、術から生み出された黄金の土人形軍団を縦横無尽に操るその戦いぶりは、正しく指揮官のそれ。当時東高等部生徒会長を務めていた我妻舞善将殿はラムダ型のピロソポスとして史上最強とまで謳われた実力者でしたが、何を隠そうこの四季織慶殿こそが最強を打ち破った張本人なのです!」
「お、おう」
予想通り葛吹が興奮気味に捲し立て始めたが、田武芝はついて行けてない様だ。
そもそも超常技術競技会や属性に型、マゴスやピロソポスといった用語を理解出来ているかも怪しいので、本当に何もわかっていないのかもしれない。
とはいえ、葛吹の空気の読めなさも単純な汚点とは言い切れないか。あの丸メガネが熱っぽく語り始めてから、さっきまでこの場を覆っていた雰囲気の悪さはどこかにいってしまった。
「よくご存じですね。誰が言い始めたのかわからないですけど、あれ、呼ばれる側としてはちょっと恥ずかしいんです。それに、我妻舞君に勝てたのは対戦ルールのおかげですよ。他の年だったら、きっと勝てなかったもの」
ワイシャツのマゴス――シキオリケイというらしい――は、言葉通り恥ずかしそうにしている。が、葛吹はお構いなしだ。
「いえいえ、そんな事はないでしょう! 吾輩が考えるところ、過去29回に及ぶ超常技術競技会の開催ルールにおいて、19回は四季織慶殿が有利と睨んでおります。確かにあの年は四季織慶殿率いる西高等部生徒会にとって非常に有利だったのは否めませんが、我妻舞善将殿はそれだけで勝てる程甘い相手ではありませんでしたが故、相応の実力があっての勝利だったのは疑い様もありませぬ。実際、四季織慶殿の『トゥール・レギオン』も実に5段が我妻舞善将殿ただ1人に突破されたと聞き及んでおります。あの話は、事実なのでしょうか!?」
「あら、ええと………………」
緑髪と大男を相手にしていた時とは打って変わって、四季織慶は葛吹の異常な熱量に押され気味な様だ。
「そういや、どうして衣牧と一緒に? もしかして、呼んできてくれたのか?」
空気の読める田武芝が、流れを切るために別の話を始めた。
「ああ、まあ。それで、そっちの人が部長か?」
俺も葛吹に付き合う気は無いので、これ幸いと田武芝の話題転換に乗っかる。
超常技術競技会にも、学生総会長とやらにも興味は無い。さっさと当初の目的を終わらせよう。
「おう。バスケ部部長、そして生徒会で副会長もやってる鳩栄先輩だ。部長、この2人がさっき電話で話したクラスメイトっす。こっちは衣牧夕星。それで、あっちの眼鏡かけてる方が――」
「お初にお目にかかります、吾輩は葛吹孔兵衛と申す者。以後お見知りおきを」
「改めて、鳩栄心晴だ。正確に言うと、東高等部生徒会で副会長を務めてる。ちょっと情けないところを見せてしまったが、よろしくな」
ピロソポスの大男――ハトバキヨハルと名乗った――は笑顔を見せ、俺と葛吹に挨拶した。
「それで、衣牧君だったね。総会長を呼んできてくれたんだろう? 助かったよ、ありがとう」
「ああ、いや、たまたま通りかかっただけで。俺は何も」
そもそも食堂を離れるつもりでいたので、何も感謝される謂れは無い。総会長にしたって声をかけてきたのは向こうからで、俺はただ引っ張られてきただけだ。
あの正体不明の気配さえなければ、今頃は教室でサンドイッチでも摘まんでいたはずなのに。
そう、あのつきまとってくる風みたいな………………。
「そういえば、私も自己紹介がまだでした。大学の超常技術開発学科2年、四季織慶です。学生総会長を務めておりますので、もし学生生活を送る上で何か困った事があったら、私達学生総会に相談してくださいね」
あの薄気味悪い気配について考えていたら、それぞれに自己紹介を終えていたらしい。
俺の事は田武芝が紹介してくれたし、今後関わる事も無いであろう相手に自己紹介をする意味なんて無い。このまま黙って聞き流しておけばいいだろう。
「学生総会は東西の中・高等部生徒会、大学と高等部普通科、つまりこの研究特区に在籍する学生たち全員の代表だ。何かあった時はとても頼りになるから、覚えておくといいぞ……って、もう知っていたかな。豪、総会長の顔を覚えておけよ。オレたちの部活動に関しても、お世話になる人だ」
「うす! よろしくお願いします!」
「はい、よろしくお願いします」
ガタイの良い男がスーツスタイルの女性を囲むという、若干シュールな光景が展開されている。
しかし、田武芝は教室に居る時と雰囲気が違うな。ずいぶんと鳩栄部長の事を慕っているらしい。
「さてさて、少々よろしいですかな? 折角の機会ですし、東高等部生徒会副会長であるところの鳩栄殿に、今年の超常技術競技会について伺いたい事が何点かあるのですが!」
そして、葛吹はブレない。どれだけ超常技術競技会に熱を上げているんだ、こいつは。
「ごめんな、超常技術競技会についての質問には答えられないんだ。情報が漏れて西棟が有利になるとマズいからさ。君は超常技術競技会が好きみたいだから知っていると思うけど、ここ3年オレたち東棟は負けっぱなしだ。生徒会長の上津城は『今年こそ何としてでも勝つんだ』ってすげえ気合入ってる。オレも副会長って立場だし、やるからには勝ちたい。そういう訳で、どんなに些細な質問であっても答える事は出来ない」
「成程、事情は承知しました。その上で1点、どうしても伺いたい。今期の西高等部生徒会は会長の犀雅崎明明理殿をはじめとして、歴代最強と呼ばれるほど強力なマゴスが揃っております。失礼を承知の上で言いますが、どのような対戦ルールになっても正攻法で勝つのはまず不可能かと。勝算のほどはおありですか?」
鳩栄部長は葛吹の言葉を聞いて、少しの間何かを考えるように目を閉じた。そして、目を開くと同時に答えを告げる。
「勝負ってのは、やってみないとわからない。相手がどれだけ強かったとしてもだ。そして、オレたち東高等部生徒会に諦める気は無い。今言えるのは、それだけだ」
「部長………………」
決然とした調子で言い切った鳩栄部長を、田武芝が見つめる。
てっきりヒロイックな発言に感激しているのかと思ったが、田武芝の表情は何とも言いがたいものだった。
「………………そうですね。一度ステージに立ったならば、自ら降りる事は許されない。あれは、そういう場です」
かつて超常技術競技会で勝者となったはずの総会長も、どういう訳か微妙な表情。
「成程、成程、諦めはしないと。ありがとうございます。どうやら今年も楽しめそうですな!」
ただ1人、葛吹だけが満足気な笑顔を浮かべていた。
「あら――――高等部の皆さん、そろそろお昼の時間が終わってしまいますよ。昼食は食べましたか?」
総会長の一声で時計を確認すると、確かに昼休憩の時間はもう残り少なかった。
「あ……やべ。すっかり忘れてた」
「争いに時間を使っておりましたからな。吾輩は面白いものを見る事が出来たので満足ですが」
「すまん。オレが騒ぎに巻き込んじまったからだな」
田武芝と葛吹は食事をとっている時間など無かったので、俺と同じく食いっぱぐれた格好だ。
鳩栄部長は申し訳なさそうにしているが、謝られたところで腹は膨れない。
「部長は、もう食べたんすか?」
「ああ、オレは字樋院の奴が来る前にもう食べてたんだ。今日は朝から、総会でこっちに来てたからさ」
「総会?」
田武芝と鳩栄部長が言葉を交わすが、田武芝の知らない用語が出てきて話が止まる。
「ああ、春の学生総会ですな! それで今日はこちらに来ていたという訳ですか。それなら――」
「なあ、もういい時間だ。普通科学舎まで戻らないといけないし、その辺で止めとけよ」
葛吹が話を広げようとしたが、どうでもいいウンチクはもう十分だ。
今は問題ないが、いつまた調子が崩れるかもわからない。ここよりは教室の方がマシだ。
「そうですね、3人はもう戻った方がいいですよ。普通科学舎の隣にも食堂がありますから、すぐに戻れば軽食をとる時間くらいはあると思います」
「ほら、総会長さんもこう言ってる。早く戻ろう」
総会長の発言を利用し、田武芝と葛吹を急かす。
「ん、そうだな。すんません部長。慌ただしくなっちゃって」
「こちらこそ悪かった。そっちの2人も。詫びと言っては何だけど、今度ご馳走させてくれ」
「いえ、そんなものは必要ございません。それより、吾輩の話はまだ終わっておりませんぞ!」
「葛吹、部長を困らせんなって。ほら、行くぞ」
「ぬお!? 放しなさい!」
田武芝が葛吹を引きずって、食堂の出口へ向かう。
「それじゃ、俺も失礼します」
「ああ、君。総会長を呼んでくれて、本当にありがとうな」
「ちゃんと保険医の先生に診てもらうんですよ」
「どうも」
言いながら2人の後を追おうとすると、総会長と鳩栄部長が最後に声をかけてきた。
無視するのもなんなので、一言だけ返して食堂を後にする。
あの2人、俺がよく知る超常能力者とは少しばかり勝手が違ったな。少なくとも、連中なら非能力者の学生を「一般生徒」などと呼んだりはしない。特異な立場を慮って、人前では気をつけているだけだろうか。
………………いや、芯から染まっているやつは周りなんて気にしないものだ。それこそ、あの緑髪のマゴス――ジトウインアキヨシといったか――の様に。
字樋院。あいつこそ、俺がよく知る超常能力者の典型例みたいなやつだ。
非能力者の事をティポタ……無能力者と呼び、何の価値もない存在だと見なす。自分たちが世界で1番優れていて、自分たちの価値観が絶対的に正しいと何の根拠も無しに信じ切っている。そして、そんなふざけた考えを超常能力という力でもって他者に押しつけるのだ。まったく、反吐が出る。
だというのに…………結局俺はこんなところに来て、また超常能力者なんかと関わりを持とうとしている。そんなのはご免だ。
授業を受け、バイトで生活費を稼ぎ、余計な事には首を突っ込まない。それだけに集中するんだ。そうすれば、きっとあいつらには関わらなくて済む。卒業さえしてしまえば、今度こそ俺の人生から超常能力なんてものは消えてなくなる。
前を行く非能力者のクラスメイトを追いながら、ずっとそんな考えばかりが頭の中を廻っていた。
キーンコーン、カーンコーン………………。
2コマしかない午後の授業が、何の差し障りもなく終わった。
幸い、人酔いの症状は落ち着いている。教室よりも人口密度が高かった食堂でもみくちゃにされ、少し慣れたのかもしれない。
あのメイド服を着たクラスメイトは戻ってこなかった。特別扱いされているみたいだし、字樋院は「自分の小間使い」と言っていた。たぶん、自分の授業よりも字樋院の面倒を見る事の方が優先されるのだろう。
まあ、そんな事はどうでもいい。今考えないといけないのは、この研究特区で暮らしていくにあたって生活費をどう工面していくのか、だ。
入学前に連中と交わした取り決めでは、月初に最低限の資金が振り込まれる約束となっている。しかし、連中は信用出来ない。自分の面倒は自分でみれるようにしておくべきだろう。
バイト先の候補はある程度絞ったものの、どの仕事も今ひとつ決め手に欠ける。早めに決めてしまいたいところだが………………いや、1つに絞る必要はないか。いっそ、詰め込めるだけ詰め込むという手もあるな。
「同志衣牧、放課後ですぞ。吾輩と共に、西棟ウォッチングと洒落こもうではありませんか!」
うっとうしいのが来たな。行くわけないだろ、西棟なんて。
「断る」
「またそのような連れない態度を。ですが、吾輩は理解しておりますぞ。ゴールデン・マムを伴って来た時の様に、本当は超常能力に興味津々なのでしょう? それでこそ、吾輩が同志と見込んだ男!」
どうやら、生まれた時に思考回路を一部ショートさせてしまったらしいな。自分にとって都合のいい方向にしかものを考えないあたりは、こいつの好きな超常能力者とよく似ている。
「衣牧は放課後用事があるって言ってたじゃないか。大人しく諦めろ」
「そういうことだ。田武芝はどうするんだ?」
いいタイミングでフォローに入ってくれた田武芝に、放課後の予定を確認する。
葛吹は要らないが、田武芝はいてくれると心強そうに思える。もし都合が良ければ、一緒にバイトを探すのも有りだ。
「オレか? オレは部活さ。1日でも体を動かさないと鈍っちまうからな」
「そうか、頑張れよ」
そうだった。実態がどうであれ、スポーツ特待生なんだ。当然、放課後は練習に充てるだろう。
少し残念だが、バイトは1人で探すか。
「西棟ウォッチングって、何するんだ?」
「それはもちろん、西棟校舎のよき所にカメラを設置するのですよ。どんな些細なデータであれ、仔細漏らさず手に入れる必要がありますゆえ」
「へえ、よく許可が取れたな」
「許可? そんなものは必要ありませんよ」
「……うん?」
田武芝と葛吹が、連れ立って教室を出て行く。
何か恐ろしい犯罪予告が聞こえたが、聞かなかったことにしよう。そんな事より、バイトだ。
候補先の場所を確認する為に、デバイスを起動。すると、見慣れない連絡先からメッセージが来ていた。
『放課後は教室で待機するように。逃げたら警備員の詰所で臭いメシを食わせてやる。すっぽかすなよ』
あー………………。
完全に忘れていたが、そういえば中年教師に検査をすると言われていたんだった。
仕方ないな。バイトの入りが一日二日遅れるくらいなら悪影響は無いだろう。
それに、どうにもあのまとわりつくような気配が気にかかる。もし検査で異常が見つかれば、治療する事は可能なはず。
総会長の前で晒した醜態を思い出すと、別の意味で頭が痛くなる。超常能力者相手にどんな態度を取ったところで気にはならないが、さすがにこっちが異常者扱いされかねないのは問題だ。校内でならまだいいにしても、バイト先であんな行動をとった日には周囲一帯出禁になる可能性がある。
まったく、なんだって登校初日からこんな目に遭わなきゃならないんだ。
あれこれと考えていると、気分が沈んでくる。数が減ってきたとはいえ、周囲にまだ人が多いのもありがたくない。宍蒲先生がいつ来るのかもわからないし、屋上にでも行こう。
『屋上に行ってます』
返信を済ませると、レスポンスを待たずにデバイスをしまって教室を出た。
廊下を少しばかり歩き、階段を上がって屋上の出入口へ。手を伸ばして扉を押すと、ガタンと1つ大きな音を立ててあっさりと開く。
一歩踏み出すと、視界に空が広がった。午前中に訪れた時とは別の方角に、太陽が浮かんでいる。あと1、2時間もすれば陽が地平線に没し、研究特区は夜の闇に包まれるだろう。
「――――――あ」
そんな沈みかけの夕陽が、落下防止柵のそばに立つメイド服姿の女生徒を照らし出していた。
「屋上は、立入禁止ですよ」
相手の視線が完全にこちらを捉えていたので、無視せずに声をかける。
とはいえ、特に話題があるわけでもない。深く考えずに俺が放った言葉は、お前が言うな感満載の内容となってしまった。
まあ、別に構いやしない。キャッチボールをしようという意図で投げたボールではないのだ。
「………………その、そちらには許可が?」
「いいえ。鍵が開いていたもので」
どうでもいいやり取りをしながら、メイドが立っている場所をスルーして一番奥の柵まで歩く。
こっちは南方向だな。少し遠くに、湾と人工の出島が見える。
あの島の建築群が、超常技術研究所と関連施設か。その中には、超常能力に目覚めた子供を収容する為の管理施設も存在しているそうだ。目覚めた子供は、ある程度能力を制御出来る様になるまでそこで保護される。
研究特区の外には、『実態としては監獄島じゃないか』と批判する人権活動家もいた。
――――――バカげた主張だ。そういう寝言を言うやつは、目覚めたばかりの超常能力者がどれほど危険なのか知らないんだ。
地平線を染める太陽の様に燿く少女。熱。悲鳴。橙色に染まる視界。
足が動かない。焼けるように熱い。それでも、手を伸ばす。
鋭い痛みが左腕にはしる。ノドがひりつき、呼吸が浅くなる。それでも………………。
「あの、大丈夫ですか」
はっと、意識が現実に引き戻された。
いつの間にか近くに来ていたメイドが、俺の事を見ている。
「どうかしましたか?」
とっさに絞りだした言葉は、どこか取り繕うような響きをのせて夕空に溶けていった。
「その、震えている様に見えたのですが。冷えてきましたし、中に戻った方が…………」
言われて、左腕を右手で強く握りしめている事に気づいた。
くそ。あのオレンジ色の輝きを見ていると、どうしても嫌な事を思い出す。
「いえ、大丈夫です。もうちょっと夕焼けを眺めていたいので」
あんな記憶がなんだっていうんだ。思い出したところで、何も変わらない。
「――――――」
また、あのまとわりつくような気配。
そういえば、コレがつきまとってくるようになったのは朝ここに来てからだ。この場所に何かあるのか?
ちらりと、横目でメイドの様子を窺う。
「あの、何か?」
案外目敏いらしく、俺の視線に気づいたようだ。しかし、反応はそれだけ。
彼女はこちらの視線を気にしただけで、他におかしな気配を気にする素振りはない。
「いえ。今日はよく会うなと思っただけです」
黙っているのも不自然なので、適当なコメントでお茶を濁す。
「あ……そうですね。朝は玄関口で会いましたし、お昼にも外ですれ違いました。その後、大学本棟の食堂にもいらしてましたよね」
「ええ、まあ。用事があった訳ではないんですが、友人の付き添いで」
「もしかして、外で一緒に歩いていた2人ですか?」
「ですね。背が高いスポーツ刈りのやつと、天然パーマに丸眼鏡をかけてるやつ」
「食堂で、ご主人様と東棟の方の口論を止めに入ってくださった2人ですね。それに、先輩も」
「先輩?」
予想外の単語が飛び出してきて、思わず聞き返してしまった。
「あれ? えっと、皆さんは先輩………………で、合ってますよね?」
冗談ではなく、本気で言ってるみたいだ。
俺に気づかなかったのはまあわかるが、田武芝と葛吹にも気がつかなかったのか?
「いえ、違いますよ。気づいてないみたいですけど、全員クラスメイトです。1年1組のね」
「え、本当ですか?」
伏目がちなせいで暗く見える瞳を大きく開いて、驚きを顕にするメイド。
だが、こっちからすれば俺たち全員に気づかなかった事の方が驚きだ。
「嘘をつく理由もないでしょう。俺たちは教室中央窓側の列に固まってて、今日知り合ったばかりです」
「すみません、仕事の事で頭が一杯で………………全然、気がつきませんでした」
仕事――――――あのいけ好かないマゴスの世話だろうか。
午後の授業には戻ってこなかったし、もしかしたら重労働を押しつけられているのかもしれない。それでなくても、あんなに差別意識の強いやつと一緒にいたら頭が一杯になってしまうのは十分想像出来る。
たぶん、囲んできたクラスメイトの対応も事務的に処理していたんだな。それなら、近寄ってきたクラスメイト以外に意識が向かなかったのも納得だ。
「いえ。とにかく、俺はクラスメイトですよ。先輩ではありません」
「すごく落ち着いた雰囲気だったから、先輩なのかと思ってました。ごめんなさい」
メイド服のクラスメイトが、丁寧に頭を下げる。
謝られるような事は何も無いのだが。何かあると、とりあえず謝るクセがついているのかもしれない。
「気にしないでくだ――いや、気にしないでくれ。謝るような事じゃない」
そのまま応対しようとしたが、話し方を砕けたものに変える。
今まで通りの喋り方だと、あの慇懃無礼な態度の字樋院を思い出させてしまうかもしれない。
そう思い至った途端、むかっ腹が立ってきた。俺はあんなやつとは違う、絶対に。
「そういえば自己紹介もしてないか。俺は衣牧夕星だ」
腹立たしい気分を払拭しようと、柔らかい笑顔を意識して言葉をかける。
雰囲気や表情を作るのには慣れている。子供の頃から、そういうのは得意だった。
場の空気を読んだり、他人の考えを察したり………………物心が付く頃には、自然とこなせる様になっていた気がする。そしてそれが出来るなら、相手に与える自分の印象を意図的に操る事は難しくない。
「えっと、衣牧さんですね。私は江墨彩芭です。よろしくお願いします」
「エスミイロハ、だな。江墨でいいか?」
「はい、大丈夫です」
「わかった。これから、よろしくな」
俺の意図通り、向こうも緊張を解いてくれた様だ。笑顔とまではいかないが、怯えたり警戒している気配は薄れ、僅かに気を許してくれている感じがする。
特に親しくする理由は無いが、かといってわざわざ嫌われる必要も無い。距離感はこんなものでいいか。
しかし、思いの外長話をしてしまったな。
俺は宍蒲先生が来るまで移動するわけにはいかないが、江墨は雇い主の所に戻らなくていいのだろうか?
「江墨がメイドの格好をしているのは仕事をしてるからだよな。授業が終わってから結構時間が経つけど、ここに居てもいいのか?」
「あ、それは大丈夫です。ご主人様は、放課後はいつもご学友の方と共に街を視察されているとの事で。試験で恥ずかしい成績を取らないよう、勉強をするようにと言い渡されています」
「勉強を? けど、午後の授業中ずっと教室に居なかったのは仕事してたからだよな?」
言ってから少し踏み込んだ質問をしてしまったかと思ったが、案の定江墨の表情が曇る。
「それは、そうですが………………。でも、仕方ないです。言われた通りにしないと、私…………」
これは、やらかしたぞ。個人的な事柄に関わるほど、近い距離まで詰める気は無い。名前だけで情報としては必要十分なくらいだったのに、余計な事を言った。
しかし、それとは別に沸々と怒りがこみ上げてくるのを感じる。
あの七三分けの気取り屋め。自分の都合で授業時間中に呼びつけておきながら、勉強しろなどとのたまうとは。実にいい御身分じゃないか。
大体、学校も学校だ。そんなふざけた特別扱いを許しているだなんて、おかしいと思わないのか。
どうせ、名門政治家一族である字樋院家に大小さまざまな便宜を図ってもらっているのだろう。どこにでも転がっている話ではあるが、だからといって許されるというものでもない。
超常能力者というものはいつだってそうだ。口では耳触りの良い言葉を並べておきながら、その中身は歪み、薄汚れている。そして、自分たちが捻じ曲がっている事には決して気づかないのだ。あの連中の様に。
「――――――痛っ」
感情が昂り過ぎたのか、一瞬頭痛に襲われた。だが、その痛みのおかげで少し冷静さが戻ってくる。
そうだ。いくら怒っても、意味は無い。怒りや憎しみで何かを変えられるのなら、俺の人生はもっとマシなものになっているはずだ。
頭を切り替え、江墨にフォローを入れようと彼女の方を向いた。
ところが丁度声を出そうとしたタイミングでガタンと大きな音が響き、屋上の扉が開く。
「衣牧、居るかー。自己都合で担任を呼びつけるなんて、いい度胸をしてるじゃないか」
現れたのは、白衣を羽織った中年教師だ。
この適当男は帰りのホームルームに姿を見せず、デバイスのアプリに「解散」とだけ送りつけてきた。
クラスメイトたちが一斉にデバイスに目を落とし、次の瞬間互いに顔を見合わせたあの異様な雰囲気ときたら、とてもホームルームと呼べるものではなかった。
「お、居たな。屋上は立入禁止だと言っただろうが。人の警告を無視しやがって…………で、江墨はなんでここに居る。衣牧、おまえが誑かしたのか?」
「ち、違います。私が、勝手に来て………………衣牧さんは、私に注意してくださいました。勝手に入って、ごめんなさい!」
江墨が慌てて中年教師に謝罪する。だが、謝るのは早い。
「宍蒲先生、そもそも屋上扉の鍵を開けっ放しにしている事が問題なんじゃないですか。立入禁止だと言うのなら、しっかり施錠して誰も侵入出来ないようにしておくべきでしょう」
「口答えする気か? どうやら、懲罰房に送る事を本気で検討した方がよさそうだな。あとな、施錠なんてしねえよ。こんな汚ねえとこに来るバカなんていないし、盗み目的でここを狙うバカもいないからな。いちいち開閉する手間が増えるだけだ、メンドくせえ」
朝と変わらずロクに感情の窺えない表情と声音ではあったが、本気で面倒くさいと思っている事だけはわかった。この教師がこんなザマなのは超常能力云々とは関係無く、単純に性分なのだろう。
「ちっとばかし遅くなっちまったが、おまえを検査する。研究所に行くぞ」
解散のメッセージが通知された時間からは既に小一時間が経過しようとしているが、この男にとって人を数十分待たせるのは些細な事らしい。
まあ、宍蒲先生の人となりはおおよそ理解出来た。この手合いに何を言ったところで響きはしないだろう。だから、待たされた事はもういい。
しかし、だ。研究所とは、まさかあの出島まで行くという事か?
「研究所って、超常技術研究所の事ですか?」
「そうだ。あんなポンコツの機材じゃなく、ちゃんとした設備が揃ってるからな。なに、そこまで時間はかからん。本棟の地下から直通の職員用線路が伸びてる。トラムを使えばすぐに着く」
トラム――――――路面電車の事か。線路があるというのは初耳だが。
「研究特区の地下に、線路があるんですか?」
「ああ。乗ってもいいのは東西の在校生と、許可を受けてる一部の職員だけだがな。だから、一般に対して情報は公開してない。おまえが知らないのは当然だ」
中年教師は事も無げに言っているが、つまりこの男は許可を得ているという事だ。
まさかとは思うが、この男も特別扱いを受けているのか?
「それって、俺が乗っても大丈夫なんですか。あと、研究所は原則一切の立入を禁止していると案内書に記載されてましたが。俺、お偉いさんに目を付けられるのは嫌ですよ」
「気にすんな。こちとら顔パスだ」
発言内容は頼もしいが、どうにも信用出来ない。本当に大丈夫なのか?
「ダべるのはもういい。さっさと行くぞ。それと、江墨。屋上は立入禁止だ。わざわざこんな所に来るやつはいないと思うが、問題になる可能性はある。それはおまえも望まんだろう。ほどほどにしておけよ」
「はい………………すみませんでした」
先生が江墨をやんわりと注意し、江墨は申し訳なさそうに深々と頭を下げて謝罪した。
注意されてるのは同じなのだが、俺の時と内容が違いすぎないか?
「ほどほどにって、入っても問題無いと言ってる様なものでは…………?」
「そうだな、あいつはいい。おまえは駄目だ。上様と下々の差だな。もちろんおまえは下々だ、自覚しろ」
普通の学校なら大問題になりそうな発言だが、当の本人は平然としている。
ある程度察してはいたが、字樋院の関係者は漏れなく特別扱いらしい。まったく、腐りきっている。
「おら、いちいち時間を取らせるな。行くぞ。江墨、おまえも帰れ。ここらの夜は、黒タイには優しくねえぞ」
「はい。宍蒲先生、衣牧さん。失礼いたします」
ぺこりと一礼し、江墨が階下へと消えていく。その背を追う様に、俺たちも屋上を後にした。
「ここらの夜って言ってましたけど、中央街の治安ってそんなに良くないんですか?」
トラム駅への道すがら、中年教師にさっきの発言で気になった部分について聞いてみる。
案内書にも「原則として在校生の夜19時30分以降の外出は禁止」と記載されていた。許可を得て働いている生徒でも夜21時30分までには家に居るようにとも書かれており、目にした時は風紀の問題だと思っていた。しかし、どうにもそういう雰囲気ではない。
「ああ。良いか悪いかで言えば、かなり悪いな」
学校の関係者としてはありがたくない情報だろうに、宍蒲先生はあっさりと首肯する。
ただ適当なだけだとは思うが、嘘をついたり都合の悪い事を隠そうとしたりしないのは、この人物の美点かもしれない。もっとも、それを台無しにするくらい悪い点ばかりが目につくのだが…………。
「そんなにですか」
「まあな。それでも数年前までよりかはマシだが、問題の根本が解決されてない。学生公安委員会と中央自警団については、もう知ってるか?」
「学生公安委員会は知ってます。中央自警団というのは、初めて聞きました」
学生公安委員会については、案内書に記載されていた。
説明によると、学生公安委員会は超常研究大学の警察科に所属する生徒によって構成され、学校を卒業すると各地の警察に配属されるらしい。そして現場研修の一環として、研究特区内で発生した事件や事故に対応しているのだと紹介されていた。
しかし、中央自警団というのは全く聞き覚えが無い。
「中央自警団ってのは、名前の通りこの中央街を本拠とする自警団だ。知っての通りこの研究特区は特殊な環境なんで、警察を配備する事が出来ない。その代わりに生まれた組織って訳だが、実態としてはほぼ警察と変わらん。ま、メンバーは薄給の警備員や教職員と兼務の疲れたオッサンだがな。超常能力者のヤンチャはガクコーが相手して、一般生徒や非能力者の在留人は中央自警団が取り締まるって区分けだ。一応な」
「ガクコー?」
「おっと、そうか。学生公安委員会の事だよ。無駄に長えから略してんだ。で、非能力者は基本的に東西の街の立入制限を受けてるから、中央自警団は自然とここが本拠地になるって寸法だな。とにかく、自警団があるって事はそういう事だ」
「ああ、なるほど」
治安が良いなら、ガクコーだけで十分なはず。しかし実際はそうなっていないのだから、察しろという事だろう。
それはそれとして、先生の言い方からすると種々の仕事をしている人や教職員であろうと、東部街と西部街の立入は制限されているらしい。普通科の生徒は言わずもがなで、東西の街に入ろうとしても各所のゲートで追い返されるのだそうだ。
まあ、食堂で出会った字樋院の態度を考えれば当然そうなるだろう。結局、超常能力者のやつらは誰にとっても危険だという事だ。
「そうそう、一応言っておくが東西棟の制服を手に入れたり、色の違うタイを締めてゲートに行っても無駄だぞ。この研究特区内のありとあらゆる情報はデバイスで管理されてる。おまえら黒タイは無許可で中央から出る事は出来ないし、出る事をお勧めも出来ん。東西生徒の一部には、過激な思想を持ってる奴もいる」
「例えば、字樋院みたいなやつでしょう」
「知ってるのか」
中年教師がちらりと俺を見る。
だが、俺を捉えたその目は相変わらず無感情だった。本当に俺を見ているのかすら怪しい。
「ガキどもの事なんぞ知ったこっちゃないが。衣牧、江墨には優しくしてやれよ。中央街に居る時ぐらい『字樋院のメイド』を辞めたっていいだろうさ」
「青いネクタイを締めてる宍蒲先生が、それを言うんですか」
――――――つい、口が滑った。
だけど、どうしても感じてしまうのだ。アンタだって超常能力者のくせに、と。
「ハッ。違えねえな」
先生の表情は変わらない。今朝初めて目にした時と同じ、 ありとあらゆる物事に対する関心を失ってしまったかの様な、色の無いものだ。
田武芝みたいに愛想のいい微笑でもない。江墨みたいに怯えを含んだ伏し目でもない。鳩栄部長みたいに怒りの形相でもない。字樋院みたいに他人を見下した嘲笑でもない。何もなかった。何も。
もしかしたら超常能力者とか非能力者とか、この人にとってそんなのはどうでもいい事なのかもしれない。
………………不意に、自分の発言がひどく子供っぽい様に思えてきた。
「まあ、前向きに検討します」
黙っているのに耐えかねて、どこか言い訳じみた言葉を付け加えてしまう。
「好きにすればいい。子供ってのはそれでいいんだ。後悔なんぞは、嫌でも山ほど乗っかってくる」
無精ひげを生やした中年男は、もうこっちを見てはいなかった。
タイル張りの床を歩く2人分の足音が、コツコツと響く。
会話に意識がいっていたからか、気づいたら大学本棟まで来ていた。大学側の講義も終わったのか、校内を歩く私服姿の学生は見かけなかった。
「ここだ」
唐突に立ち止まった宍蒲先生の前には扉があり、「職員専用」と書かれたプレートが付いている。
「ちょっと待てよ…………よし、入れ」
宍蒲先生が扉にデバイスをかざすと、ガチャリと音がして扉が開く。
扉の向こうは薄暗く、下り階段になっている。その階段を下りて行くと、地下鉄のホームと似ている場所に着いた。中央のあたりには電車一両サイズの車両が鎮座しており、案内板がそのそばに立っている。
規模はかなり小さいが、施設を利用出来る人数を考えるとこれで十分なのかもしれない。
「座ってろ。席は好きに選べ」
先生に言われた通り、トラムの座席に座る。
言った本人の方は運転席と思しきスペースに乗り込み、デバイスをかざしながらタッチパネルで何かを操作していた。
「操作を承認しました。行き先は超常技術研究所、所用時間は10分前後です」
静かな空間に車内アナウンスが流れ、ガコンと音を立ててトラムが発進した。
「あとは待ってりゃ、勝手に着く。便利なものだな。ガキの頃は、いちいち歩かされたもんだ」
こっちに向かって話しかけつつ、白衣の教師が運転席側から移動してくる。
あまり明るくない車内灯が教師を照らしたが、地下という事もあってか光源としては物足りず、その輪郭は妙に頼りなく映った。
「子供の頃、ですか」
「ああ。気づけば結構経ったな。もう30年も前か」
向かいの席に腰掛けた中年教師は、少し見慣れてきた無表情のままこっちを見る。
30年。言われて思い至ったが、超常能力者である先生もかつて研究特区に収容され、高等部を卒業するまでこの区内で過ごしていたはずだ。
「やっぱり、今とは全然違ったんですかね。この研究特区も」
他にやる事もないので、適当に話を継ぐ。
「ひでえもんだったな。当時は収容所って言葉がお似合いの、クソみたいな施設ばっかりだった。嵩吉――おまえが知ってる昭吉の親父だが、あいつが字樋院の大爺様と一緒に内外から改革を進めて、少しずつ変わっていったんだとよ」
葛吹が聞いたら喜びそうな話題だが、俺は特に興味が無いので適当に流そうとした。
しかし、先生の言い方が引っかかる。どうも他人事というか、まるで人から聞いた話みたいだ。研究特区内に居たんじゃないのか?
「宍蒲先生はその変化を見ていないんですか?」
「そうだな。南北大陸の大学に留学して、そのまま10年ばかし帰らなかった。戻ってきたら様変わりしてて、さすがにちっとは驚いたっけか」
意外な事に、海外留学の経験があったらしい。
飄々としているせいか何でもない事を言っている様に聞こえるが、国内外問わず超常能力者が他国に出て行く事はほとんど無いと聞く。本当に捉え所が無いというか、よくわからない人だ。
「超常技術競技会は知ってるよな。アレの第1回を開催したのも、改革の一環だった。研究特区を東西に分割して、ピロソポスとマゴスを分断したのもな。あいつからすれば必要な事だったんだろうが、急に言われたこっちはいい迷惑だったよ………………チッ、一族揃って面倒事を増やすのが得意みたいだな」
攻撃的な発言をしている割に表情は変わらず、何を考えているのかはいまいちわからない。ただ、昔から面倒だと感じる事はまったくやりたがらない性分だったらしい。
車両出入口の上部を見上げると、内蔵された電光板に大まかな現在地が映されている。
目的地まではあと半分ぐらいか。今少しばかり、お喋りに付き合ってもいいだろう。
「最初の超常技術競技会って、今と同じで東西に分かれてやったんですか?」
「いや、当時はピロソポスもマゴスも同じ校舎…………大学本棟を使ってた。そもそも、大学なんて無かったんだよ。あの頃ここは『超常能力者保護観察施設』っつー、そのまんまな名前だった。だから、最初の超常技術競技会はピロソポスとマゴスで紅白戦をやりますって体で始まったのさ。嵩吉の本当の狙いなんて、誰も気づいてなかっただろうな」
「本当の狙いって?」
向こうが話すのに任せて聞き役に徹し、適当な質問を返したつもりだった。しかし中年教師は唐突に話すのを止め、俺の顔を見た。
今までは俺を見ていてもどこか焦点が合ってない気配があったのに、今回ははっきりと自分が見られているのを感じる。とはいえ、それはどこか居心地の悪さを覚えるような視線で、まるで品定めでもされているみたいな気分になった。
「………………さあな。何にせよ代表として参加資格を得られたのはピロソポスとマゴスそれぞれから選ばれた4名だけで、他の超常能力者にとって意味のあるイベントだったかどうか。結果として、特区は東西に分断されたがな」
居心地の悪い視線は一瞬で消え去り、宍蒲先生が話を続ける。
先生はまだこっちを見ているものの、その視界に俺が映っているのかはもうわからなかった。
「間もなく、超常技術研究所に到着いたします。停車時に多少の揺れがありますので、ご注意ください」
車内アナウンスが入り、一拍の後ゴトンと音を立てて車体が揺れる。
「到着だな。こっちだ、ついて来い」
中年教師が車両を降り、先に立って歩き始める。
そこからは特に言葉を交わす事も無く、ホームから階段を上るとすぐに研究所の出入口へたどり着いた。
研究所の出入口は大学本棟前のゲートよりも更に厳重な造りになっていて、特に研究所がある内側の警戒が物々しい。見るからに、中にあるものを外に逃がさないという体制だ。
きっと、今この時も研究所のどこかに移送されてきたばかりの「保護対象」がいて、万が一にも彼らを逃がさない為に努力しているのだろう。
目覚め、暴走、悲鳴………………。
嫌な記憶が脳裏を過ぎり、陽が落ちて寒くなってきたにもかかわらず汗が吹き出る。
くそ、ビビるな。これだけ厳重に閉じ込められているんだ、何も問題は無いはずだ。そう、恐れる事なんて何も………………。
「おい、どうした。何を立ち止まってる」
白衣の中年教師が振り返り、一向に歩き出そうとしない俺に声をかけてくる。
わかってるさ、大丈夫だ。もう、あんな事にはならない。あんな、ことには………………。
「――――――ゆー」
声が聞こえる。でも、誰の?
記憶の中の少女か。そうだろうか。そうだっただろうか?
『お……ちゃ……ん……!』
ちがう、ちがう、ちがう…………俺は………………おまえ、は。
誰だ?
「おまえは誰だ!」
「――――――おどろいた。ボクが、見えるの?」
子供だ。子供が宙に浮かび、驚きに目を見開いている。だが、外見通りの中身とは限らない。
正体不明の存在を睨みつける。今日1日ずっとつきまとっていたあの気配。間違いない。こいつだ。
「本当に、こんな日が来るなんて。けどね、予感はあったよ。キミはきっと、ボクを見つけてくれるって。あきらめずにイタズラし続けたのは正解だった!」
喋りながら、鼻歌交じりのご機嫌な表情に変わる子供。
こいつは何だ。何者かの超常能力による攻撃か?
だが、だとしたら何故俺を狙う。俺はただの非能力者だ。登校初日で、人の恨みを買った覚えも無い。
それとも、あまり考えたくないが………………気が狂って、幻覚を見てるのか?
「今日はすばらしい日だね! こんな日は、そう――――ツイてるって言うんだ!」
俺はとことんツイてない日だ。ふざけやがって。
浮かぶ子供は何が楽しいのか、笑みを浮かべている。
駄目だ、向こうのペースに乗るな。落ち着くんだ。これが攻撃だとしたら、動揺するのが1番良くない。
深い呼吸を意識しながら、周囲を見回す。
これが超常能力による攻撃なら、近くに発揚現象を観測出来るはずだ。
目や身体の輪郭が光っているピロソポスはいないか。属性色のオーラをまとったマゴスはいないか。
「どうしたの? そんなにキョロキョロしていると、あやしい人みたいに見えるよ?」
子供が楽し気に声をかけてくるが、周囲に他の人影は無い。宍蒲先生が居るものの、あの人はラムダ型のピロソポスだ。精神攻撃は出来ないはずだし、発揚現象も発生していない。
他には何も………………いや、そうか。
俺と先生は研究所からの光を受けて影が伸びているにもかかわらず、子供の近くには一切影が無かった。
俺の妄想か、超常能力か。いずれにしても、物質ではなさそうだ。
「………………薬物による幻覚、幻聴、あるいは一種の心的外傷後ストレス障害か?」
俺の方を見ながら、白衣の中年教師がブツブツと呟いている。
内容からすると俺を異常者だと思っているようだが、それはつまりこの子供が見えていないという事だ。
「薬はやってません。もし可能性があるとしたら、後者だと思います」
「フン、まあいいさ。検査すりゃあわかる。こっちだ」
宍蒲先生が再び歩き始め、研究所の中へと入っていく。
「さあ行こう、ゆー。厳重に守られた研究所、白衣の男………………ナゾ解きの時間だ!」
宍蒲先生に続いて、フワフワと浮かぶ子供も上機嫌な様子で中へと入っていく。
あれが一体何なのかはわからないが、今のところ直接危害を加えてくる様子はない。それに、俺が出来そうな事も特に思い当たらないというのが正直なところだ。釈然としないものを感じるが、今は放っておくしかないらしい。
一旦謎は謎のままで留め置く事に決め、白衣の中年教師と空飛ぶ子供の後を追って研究所の中へ。
施設内部に入ると、玄関口であろう広い空間が出迎えてくれた。受付窓口の周辺には複数の警備員が配置されており、外と変わらず物々しい雰囲気だ。奥には病棟を思わせる白塗りの廊下が続いているがやけに薄暗く、陰気で寒々しい雰囲気を漂わせている。
「うむむ。想像以上のあやしさだな、助手くん。いったいぜんたい、この研究所にはどんな秘密がかくされているのだろうか」
宍蒲先生が受付で何かやり取りしている後ろで、子供が意味不明な事を言っている。
助手というのは俺の事か。もしかして、探偵の真似事でもしているつもりなのか?
そして、誰もその言葉に反応している気配は無い。やはりと言うべきか中年教師だけではなく、誰にもあれは感知出来ないらしい。
そうなると、あれの発言に反応するのは得策ではない。今の状況で変な一人芝居を始めようものなら、俺は明日から入院患者の仲間入りをする事になるだろう。
幸い人口密度が大した事ないからか、頭痛などの人酔い症状は出ていない。あれに取り合ったりしなければ、問題なく事は済むはずだ。
「うーし、検査室までご案内だ。急に喚き出すなよ、別の検査をしないといけなくなるからな」
手続きはすぐに終わったらしく、先生が薄暗い廊下に向かって歩き出す。
背後には宙に漂う子供がついていて、見てくれだけなら質の悪いホラームービーそのものだ。だがしかし、それが見えるのは自分だけかもしれないとなると、とても笑えたものじゃない。
廊下を進む毎に、不安が増していく。
もし検査の結果俺がおかしいとわかったら、治療してもらえるのだろうか。費用はどうすればいいのか。外で噂されていたみたいに、何か恐ろしい実験に検体として使われたりしないだろうか。
「どうした、助手くん。何をおそれる事がある。暗闇の深さにしりごみしていては、真実は見つけられないぞ!」
探偵もどきが何か言っているが、こっちはそれどころじゃない。むしろあれが騒げば騒ぐほど、まるで本当に存在しているかの様に思えてきて、余計に不安をあおってくる。
「うむむ、助手くんは無口だな。キミ、そんなんじゃ情熱を疑われるぞ」
黙れと叫びたくなる衝動をどうにか堪え、さっきから黙ったまま歩く白衣の教師についていく。
コツコツと廊下に響く足音をしばらく聞いていると、やがて通路の突き当りに行き着いた。
「認証、認証、また認証……っと。必要なのはわかるが、面倒な事には変わりねえな。ほら、入れよ」
中年教師がデバイスをかざして何か操作すると、ガゴゴ……と音を立てて突き当りの扉が開く。
重々しい開閉音に違わず、その扉は鉄板を何枚か重ねて作ったんじゃないかと思ってしまうくらい分厚い。
扉上部の壁面にはプレートがついていて、検査室と書かれていた。
「さあ、きんきのトビラが開いたぞ。オニが出るかジャが出るか、のぞいてみようじゃないか!」
何がそんなに楽しいものか、子供はウキウキ気分で真っ先に室内へと飛び込んでいく。続いて俺も中に入ると、最後に入ってきた先生がデバイスで何か操作し、再び扉が閉まった。
視線を前に戻すと、室内には中年教師と同じ様に白衣を羽織った人物が居て、書類を片手に大型の機材をいじっていた。
「芥子舘先生、準備は済んでますか」
宍蒲先生が白衣の人物に声をかける。
「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」
声に気づいて振り返った白衣の人物は、女性だった。
年齢は30歳くらいだろうか。髪型はボブカットで、右前髪を飾りっ気の無いヘアピンで止めている。
全体としては黒髪だが、右側頭部中程から前髪のヘアピンで止めている辺りまでが青色に染まっていた。
白衣の下には、赤色のネクタイが覗いている。体毛の青色変色、赤タイ。オシャレで染めているのではなく、超常能力者の発揚現象だろう。青色という事は、水属性のマゴスだ。
超常技術研究所なのだから、超常能力者の研究員が居たっておかしくはないが………………どうやら今日は、とことん超常能力者と縁がある1日らしい。
「巨大な機械に、水属性のマゴス。わかったぞ、助手くん。これは水と油を用いたトリックだ!」
気分がささくれ立ちそうになったタイミングで、子供がトンチキな事をぬかす。
内容はバカバカしいが、その能天気さのおかげで若干気が抜けたというか、少しだけ苛立ちが収まった。
「どうも。すいませんね、余計な仕事を追加してしまって」
「気にしなくていいよ、今日は総会で仕事無かったから時間空いてたし。それで、そっちの一般生徒さんを検査すればいいのかな?」
白衣の人物と宍蒲先生は既知の間柄らしく、それほど事務的なやり取りには見えなかった。
「ええ。代わりますよ」
「いいって。宍蒲先生、この後ガクコーの報告書まとめないといけないんでしょ?」
白衣の人物は話をしながら、大型機材のタッチパネルで何かを操作している。
宍蒲先生は相手に代わる気が無いと見てか、機材の近くに置かれていたイスに腰掛けた。
「先にパトロールですね。ご存じの通り、4月は新入生を狙ったタイ無しの犯罪が増えるので」
「ええ!? ちょっと働きすぎじゃない? 保険医としては、どうかと思うな」
「代わりが居ないもんでしてね。ご心配いただく事はありませんよ。今までも問題ありませんでしたから」
「そうは言うけど、もういい年でしょ。健康には気を遣って…………はぁ。言っても聞く耳持たないのよね。ほんと、ここの人たちはみんなそうなんだから。さてと!」
青い髪のマゴスが操作とお喋りを止め、俺の方を見た。
「初めまして、私は芥子舘長閑。超常技術研究所に在籍している研究員で、西棟の保険医も兼任してます。一般生徒さんとはあまり関わりがないけど、よろしくね!」
「初めまして、ボクはユウ!」
なぜか子供が先に挨拶を返すが、相手に聞こえている様子は無い。やはり俺以外には認識出来ないのか?
それはそれとして、この不自然な存在はユウと名乗った。
本当に名前があるものなのかはわからないが、少なくとも自分ではそれが名前だと思っているのだろう。
「………………よろしくお願いします」
間が不自然にならない内に、ケシダテノドカと名乗ったマゴスに挨拶を返す。
向こうが言った通り、ここで変な結果が出なければ2度と関わる事の無い相手だろう。いちいち名前を覚える価値も無い。
「それじゃ、この寝台の上に仰向けで寝てくれるかな。心配しなくても大丈夫、普通の病院でやるMRI検査みたいなものだから」
「はい」
指示された通り、寝台の上に寝そべる。
「うわあ、助手くん。これはきっとマゴスとピロソポスのわなだよ。しかし、こけつに入らずんばとも言うし………………真実を見極めるため、自らぎせいになろうと言うのかい!?」
寝台の横で子供が騒ぐ。相変わらず探偵ごっこの最中らしい。
だが、その発言の中でひとつ気になる事があった。
さっき研究員の青い髪が見えた時、ユウは「水属性のマゴス」と言っていた。そして、今度は「マゴスとピロソポス」だ。
超常能力者に関する知識があるのか。そうなると、増々こいつの事がよくわからない。
一定の知識や名前に加え自意識をも有する超常能力なんて、聞いた事が無い。それに落ち着いて考えてみると、他者の精神を直接攻撃する超常能力自体、極めて希少だったはず。
知っている限りでは、その手の能力を扱う土属性のマゴスがかつて「邪術士」と呼ばれ、超常能力者や非能力者のコミュニティを問わず忌み嫌われていた逸話があるくらいだ。
「目を閉じて、リラックスして。数分で終わるからね」
研究員が声をかけてくると同時に、ほとんど音も無く寝台が動いて大型機材の中に格納される。
中で寝そべっていると、照明を消したカプセルホテルみたいな感じだった。まあ、何かで見た事があるだけで実際に泊まった経験は無いのだが。
「ゆー、ゆー! 無事かい?!」
ユウの慌てた様な大声が聞こえてくるが、姿は見えない。
あの感じ、たぶん「ゆー」ってのは俺の事だな。どこで聞きつけたのかはわからないが、俺がユウセイと名乗ったのを聞いていたんだろう。
しかし、ユウとユウセイか。もしや、俺の名前を勝手に使ってたりはしないだろうな。他人様につきまとった挙句名前まで借りようとしているのなら、とんでもない話だ。
「うむむ、ゆーが無口なせいで状況がわからないぞ。どーなってるんだ!」
黙ってつきまとってくるだけでも嫌な感じだったが、声が聞こえたら聞こえたでとにかくうるさい。まったくはた迷惑な存在だ。
だが………………ちょっと待て。
影が無かったから物質ではないと思ったが、それならこの空間にも侵入してきてよさそうなものだ。ところが、さっきから聞こえている声は明らかに機材の外。物体を透過する事が出来ないのだろうか?
俺の妄想なら目の前に出てきてもいいはずだが、そんな気配も無い。
本当に、あれは一体何なんだ。考えれば考えるほどわからなくなる。
「そろそろ検査が終わるよ。もうちょっとだけ、じっとしててね」
研究員が機材の外から声をかけてきた。
別件で頭を悩まされているせいか、検査の事をすっかり忘れそうになっていた。しかし、今ここでこうしているのは訳のわからない存在について思案する為ではない。
ランプが赤く光り、続いて真っ暗になった。おそらく、これで検査が全て終了したのだろう。
「寝台を動かすよ!」
研究員の声がかかり、ほぼ同時に軽い振動を感じる。
機材の外に出されると、部屋の電灯で目が眩みそうになった。数分とはいえ、暗い所に居たからだろう。
「ゆー、平気かい! 改造されて、頭がおかしくなってたりしないだろうね!?」
ユウが目の前に寄ってきて、失礼な事を言う。
検査ではなくこいつのせいで頭がどうにかなりそうなんだが、そんなのはお構いなしだ。
「おーい、聞こえてるか!」
ペシペシと俺の顔を叩く様な動きをするが、もちろん何かが当たっている感触は無い。
検査機の中で少し冷静さを取り戻せた。改めて、浮かぶ子供をしっかりと観察してみる。
今更思い至ったが、この子供はヒトと同じ姿だ。たしかサロペットと呼ぶのだったか、ズボン一体型エプロンみたいな服を着ていて、頭には北洋の人がよく身に着けている形状に似た帽子をかぶっている。記憶が正しければ、あの帽子はハンチング帽という名称だったはずだ。白いソックスを身に着けていて、茶色の革靴も履いている。少なくとも、四足歩行する獣や魚類ではない事は確かだ。
混じりっ気のない黒髪のショートヘアで、クセッ毛が少し跳ねている。好奇心旺盛かつ活発そうな丸く大きい目も愛嬌を感じさせ、可愛らしい子供と表現してもいい。
「どうした、衣牧。じっと天井を見つめたりなんかして」
「ああ、いえ。ちょっと電灯が眩しく感じたものですから。もう大丈夫です」
「わわっ」
中年教師の声で我に返り、上体を起こす。
ぶつかっても問題なさそうに思うのだが、子供は慌てて俺の上から退いた。
「宍蒲先生、このデータは………………」
「念の為、最後のメンテが何時だったか責任者に確認しておきます。一先ず、計器が正常であるという前提で考えてみましょう」
白衣の2人組は、モニターを手で弄くりまわしながらあれやこれやと数値について議論している。
地下のトラムもそうだったが、ほとんどの物にタッチパネルが採用されているらしい。俺がここに来る前に住んでいた所ではあまり普及していなかっただけに、この研究特区に対してふんだんに資金が投入されているという事実を実感させられた。
「ゆー。ボクの事、見えてるんだよね………………?」
ずっと無視していたからか、ユウが不安そうな声を上げる。
いちいち相手をする理由は無いし、無視すればいい。そう、わかってはいるのだが………………。
くそ、やりにくいな。これが超常能力による精神攻撃なら、大した策略家もいたものだ。
俺は別に、血も涙もない冷血漢になりたいわけじゃない。人として最低限の良心は持っているつもりだし、面倒だと思う事はあっても、本気で他人を切り捨てるのは簡単な事じゃない。
ましてや、こいつは正体不明とはいえ子供の姿だ。雑に扱っていい気分とはいかない。
――――――そうだ。こいつの正体が何であれ、人の姿をしていて言語を解するのは最早疑い様がないじゃないか。
「やっぱり、見えてなかったの………………?」
不意に、昼に見た江墨と字樋院の姿が頭をよぎる。
今、俺がこいつにしている仕打ちは、あの気取った超常能力者と何が違うのだろうか?
『ティポタ。生きている価値の無い、クズめ』
俺は、あんなやつらとは違う。絶対に、違う。
『ユウヅツ、お前はあんなクズどもとは違う。お前は、私たちの宝物だ。お前は――――――』
違う!!!
くそったれめが。
「ゆー………………」
「わかった、俺の負けだ。そんなに不安がらなくていい。ちゃんと聞こえてるし、見えてるよ」
見る間に、宙に浮かんでいる子供の表情が変わっていく。
それもそうか。こっちからまともに話しかけたのは、今回が初めてだ。
「あ? 衣牧、どうした。またトリップしてんのか?」
俺の声はしっかり聞こえていたみたいで、中年教師が反応する。
「ええ。独り言を口走るのが趣味でしてね。薬物の検査も追加しますか?」
「おいおい、フざけんなよ。冗談はよせ」
「えっと、薬物って…………君、何かよくない薬を?」
白衣連中がこっちを見る。宍蒲先生は相変わらずの無表情だが、青髪の研究員は怪訝そうな表情だ。
だが、構うものか。超常能力者からの評価なんて、それこそどうでもいいじゃないか。
コア・エネルギーの優劣だけで相手の価値を判断し、超常能力を扱えない者は人間として認めない。
超常能力者とは、そういう生き物だ。
昨日までは天からの贈り物みたいに扱っていたくせに、明日にはクズ呼ばわりする。
人間とは、そういう生き物だ。
まともじゃないと思いたいなら、勝手に思ってろ。お前らからの評価なんて、必要ない。
「えっと、ゆー………………?」
「気にするな。大した事じゃない」
連中の反応を気にしたのか、また少し不安気に瞳を揺らすユウを言葉で制する。
今度はしっかり、ユウの目を見て言葉をかけた。それが功を奏して、ユウは安心したらしい。
その様子を眺めていたら、俺が廊下で感じていた不安は綺麗さっぱり消えていた。
「はぁ、メンドくせえ。まだ仕事を増やす気かよ。しゃあねえ、血液検査も追加だ。こうなったら、とことん付き合ってやろうじゃねえか」
「宍蒲先生、それは」
「まあいいじゃないですか。データを補強し得る要素は、多い方がいい」
中年教師と研究員が何事か相談しているが、もうそれはどうでもよかった。
ただ、ここの設備で血液検査を受けられるのは朗報だ。何か人酔いに関する情報が得られるかもしれない。
「あ、どうも。宍蒲です。血液検査を1件ねじ込みたいんですがね……ええ、大至急。能力種別? ンなもんはどうでもいいでしょう」
宍蒲先生がデバイスで誰かに連絡する。
それを尻目に、研究員が寝台に座ったままの俺に近寄ってきた。
「君、ちょっといいかな。血液検査をする前に、既往歴を確認させてほしいんだけど」
「入院経験はありますが、外傷に因るものです。他に通院が必要になったのは、過敏症ですかね」
これに関して嘘をつくメリットは無いので、向こうが欲しがる情報を素直に与える。
「外傷と、過敏症?」
研究員がデバイスを取り出し、画面をタップする。俺や葛吹が使っている物とは、形状が違うみたいだ。
俺たち普通学舎の生徒が使っているものは学校側から貸与された物だが、研究員が使う物はもっとハイグレードなのだろう。
「はい。過敏症の方は、医者に人酔いだろうと言われてました。人が多く集まる場所に居ると、気分が悪くなったり頭痛がしてくるというのが主な症状です」
「なるほど、それで『人酔い』ね。外傷の方は?」
「話したくありません。大した怪我では無かったです」
あの件については、触れたくなかった。
外傷だし、入院期間も2週間に満たない程度。話さなくても、問題にはならないだろう。
「そう。他にはもうない?」
「そうですね。少なくとも、違法薬物で幸福感を味わった経験はありません」
「ゆー、いほーやくぶつってのは何?」
適当に口にした言葉に、思わぬところから横やりが入った。
「違法薬物ってのは、使うと楽しい気分になる薬だ。ただし、代わりに体がどこかしらダメになる。それと、この国では使うと警察に逮捕される事になってるから、手に入ったとしても使うのはお勧め出来ない」
「へー、そうなんだ」
「え、ええ。それは知ってますよ……?」
もちろんユウに向けての説明だが、研究員は突然保健の授業が始まった事に困惑した様だ。
「まあとにかく、他には無いですね」
「わかりました。ありがとう」
「衣牧、移動するぞ。採血はここじゃ出来ない。芥子舘先生、協力ありがとうございました。今日はもう血を取って終わりなんで、後は大丈夫です。さっきのデータと、既往歴の件だけ送っといてくれると助かります」
電話を終えた中年教師が、俺たちの話が終わると同時に割って入ってくる。
「それはもちろん。でも、時間は大丈夫?」
「問題ありませんよ。無いなら、作ればいい。別口に応援を要請してあります。ああ、それと」
喋りながら部屋を出ようとした宍蒲先生が、足を止めて研究員の方に向き直る。
「芥子舘先生は西高のオカ研……じゃねえや、茶道部顧問も兼任でしたっけ」
「え? ええ、そうだけど」
「部長って、祇圖司潤で合ってますよね」
「そうね、祇圖司ちゃん。それが何か?」
「来週のどっか、予定を空けさせといてください。こいつを連れて行きます」
「ええ!?」
研究員はひどく驚いた様子だが、それは「こいつ」と指さされた俺も同じだ。
「ちょっと待ってください。ニシコーって、西高等部の事ですか」
「そうだ。西部街の中央にバカでかい城みたいな校舎があって、トラムで乗りつけるルートがある。細けえ事は気にすんな。顔パスだ」
「いや、そういう事ではなく………………」
西部街と言えば、超常能力者――――マゴスの巣窟だ。当然、行きたくはない。
というか、西部街も顔パスなのか。この中年教師はどれだけ顔が広いんだ?
「なんだ、超常能力者が怖いのか?」
俺の沈黙を別の意味に受け取ったらしく、宍蒲先生は見当違いな事を言う。
怖いんじゃない。気にくわないんだ。
なにしろ、西高等部という事はあの字樋院が在籍しているはず。あんなやつが生徒会役員を担っている時点で、域内で生活してる連中の思想はお察しだった。
「あのお城に行くの? ボクも行きたい!」
ユウは能天気なもので、魔女たちの奇巌城を観光名所かなにかと勘違いしているらしい。
「あそこはそんな楽しい場所じゃない」
「おいおい、そんなにビビるなよ。確かにちょいと厄介なのも居るが、基本的には話が通じる奴ばかりだ」
ユウを嗜める意図で発した言葉は、中年教師によって全く違う意味に解釈されてしまう。
ユウの方は、旅行の計画でも練ってるみたいにご機嫌だ。
「いつも屋上から見てたんだ。ねえねえ、いつ行くの?」
探偵ごっこの変な口調も鳴りを潜め、全力でワクワクを表現している。それこそ、ブンブンと勢いよく振られる尻尾でも見えてきそうな勢いだ。
こういう態度で来られると、本当にやりにくい。
だが、行きたくないものは行きたくない。なんだって西部街なんぞに行かなくちゃならないんだ。
「なんで西部街なんかに行くんですか」
「端的に言えば、おまえがおかしいからだ。ダべるのはもういい。行くのは決定事項とする。安心しろ、嫌だと泣き叫んでも無理矢理連れてってやる。芥子舘先生、すみませんが調整よろしくお願いします」
開き直ってそのまま口にしてみると、またしてもとんでもない回答が返ってきた。
「あ、ちょっと…………もう!」
先生は言いながら扉に向かい、デカい音を立てて開ける。研究員が抗議の声を上げようが、お構いなしだ。
「おまえのせいで時間が押してるんだ、ボサッとするな。他人様に迷惑をかけてるんだぞ、自覚しろ」
最後に俺に向かってひとつ吐き捨てると、中年教師が薄暗い廊下へと消えていく。
「ええと、それじゃあ。またね…………?」
青髪の研究員………………芥子舘先生は、困り顔で俺に向かって手を振る。
名前を覚える価値も無いと思ったのに、結局また会う羽目になるとは。
「ええ、また。失礼します」
廊下に消えた宍蒲先生を追って、部屋を後にする。
出てすぐに廊下の先を確認すると、少し遠くに白衣が翻っていた。
「やったあ! 来週はお城探検で決まりだね。それじゃ、今日はこの研究所をてっていてきにそーさくだ!」
ユウが俺の肩に手を置いて、背に乗っかってくる。
もちろん重さは感じないが………………もしかして、今日はずっとこんな感じでついて来てたのだろうか。道理で体の周囲に違和感があった訳だ。
「衣牧、こっちだ。さっさと来い」
重さを感じないユウをおぶり、曲がり角で俺を急かす中年教師の方へ小走りで向かう。
「こら、助手くん。ろうかを走ってはいけないんだぞ!」
ユウはすっかり調子を取り戻したらしく、探偵気分が帰ってきたようだ。
………………登校初日だというのに、俺は一体何をやってるんだろう。
まあ、別にいいさ。物事ってのは、なるようにしかならないものだ。
薄暗い廊下を進みながら、明日からの生活が今日よりはマシなものになる事を願う。
つまらない不安が消えたのは良かったが、代わりに面倒くささばかりが増していくのだった。