08.契約成立しても消えない不安
契約の続きです。
全ての光が手のひらへ吸い込まれていき、クラウスの手首に巻いているブレスレットの玉が白色から赤色に染まった。
「これで、金狼と公女様の契約は成立した。契約を完遂するまで我らが公女様を守ろう。今から王太子達の素行調査に動く」
「良かった……よろしくお願いします」
椅子から立ち上がったアデラインは、緊張をゆるめた安堵の表情になりクラウス達へ深々と頭を下げた。
「え、公女様って意外と……」
顔を上げたアデラインと視線が合い、目を開いたディオンの頬がほんのりと赤く染まる。
アデラインが気付く前に、彼は片手で顔を覆うと急いで横を向いた。
「此処まで一人で来たと言っていたな。とりあえず、屋敷までの護衛は今すぐに動ける者をつけろ。ラディックは動けるか?」
「なっ、マスター、それはちょっと」
焦るルベルトはクラウスに睨まれてしまい、言葉を途中で口を噤んだ。
「屋敷内と学園での護衛は、就く者が決まったら連絡をする。公女様は屋敷へ戻り休んでいればいい。他に気になることがあるのなら、俺が答えられる範囲で答えよう」
「気になること、ですか?」
目蓋を半分伏せたアデラインは少し考えて、「あっ」と小さく声を漏らした。
「この近くに貴金属の換金所があれば、場所を教えてください」
「換金所?」
「公園に美味しそうな屋台があったのに、残念ながら持ち合わせが何も無くて。せっかくだから色々見て回りたいと思いましたの。この鎖は切れていても金と宝石は本物ですし、高く売れないかしらと思って」
鞄から取り出して、アデラインの手のひらに乗せられたネックレスを見たクラウスは、眉間に皺を寄せて無言になる。
「お前、そんなものを換金したら……面倒だ」
首を動かして振り返ったクラウスはディオンを見る。
「……ディオン、一緒に行ってやれ」
「ええー? 何で俺が行くんですか? マスターが行ってやればいいでしょう」
「阿呆。俺が一緒に行って、公女様と並んでクレープ屋台の前に立っていたら目立つだろう」
唇を尖らせるディオンへ、腕組みしたクラウスは呆れ混じりに返した。
(確かに、すっごく目立つわ。マスターは存在感があり過ぎるもの。まだ他の人が来てくれた方がいいわ)
幼い子どもを連れた母親や恋人達が寛ぐ昼間の広場に、長身で美形で堅気ではない雰囲気を纏ったクラウスが居たら目立つ。
良家のお嬢さん風の格好をしたアデラインが一緒にいたら、世間知らずなお嬢さんが人攫いにかどわかされているのではないかと、周囲に勘違いされそうだ。
「マスターがクレープをっ……ぷっ」
想像してしまったのか、噴き出すのは口を手で覆い堪えるディオンの顔は歪み、両肩が震え出す。
後ろを向いたルベルトの肩も微かに震えていた。
「ディオン」
至近距離で聞こえたクラウスの声にギョッとして、アデラインは思わず後退った。
顔には出さなくとも、一段と低くなった声でディオンを呼んだクラウスの周囲から冷気が流れ出す。
「あーはいはい! 分かりましたよ。公女様、一緒にクレープを食べに行こう!」
「本当ですか? ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
手招きするディオンは逃げるように扉へ向かい、憮然としたクラウスに会釈をしてからアデラインも後に続いた。
バタンッ!
開いた扉から真っ暗な回廊へ出れば、勢いよく扉は閉まりアデラインの視界は暗闇に染まる。
「この通路さ、もう気が付いていると思うけど、感覚を狂わすように出来ているんだ。作ったのはマスターなんだよ。凄いでしょー」
話しながら歩くディオンに相槌を打ちながら歩いて、アデラインは気が付いた。
来た時と比べて、ディオンとの間が空いていないのだ。
(もしかして、わたくしの歩く速度に合わせてくれているの? 契約を結んだから?)
表舞台に出ることの少ない闇ギルド金狼は、契約を結んだ相手へは彼等なりに誠意を持って接してくれているのかもしれない。
「マスターからは、強い魔力と魔力とは違う不思議な力を感じたわ。この十年で貴方達の力が増したのは、マスターのお力もあるのね」
強い魔力以上に気になったのは、カリスマ性というのか彼と視線を合わせた途端、全身に鳥肌が立ち惹き付けられるような感覚を覚えたことだった。
大人の色気や外見が美麗だ、とかいうレベルじゃない強制的な力を感じて本能が「危険だ」と警鐘を鳴らした。
「前のマスターの時は、汚いことも平気でやるしメンバーの質も酷かったらしいよ。屑達を粛清して今の形にしたのは、今のマスターだってさ。公女様は運が良かったな。マスターが依頼主をここまで特別扱いするのって、初めてのことかもしれないしね」
「そうなのですか? あの方の求めている物を手に入れるために、わたくしが有益だと判断したからではないでしょうか」
「うーん、それもあると思うけど」
言葉を切って足を止めたディオンは、じっとアデラインの顔を見詰める。
「公女様のことを気に入ったんだと思う。俺に送っていけって命令するくらいだし。とにかく、これからは金狼がアンタを全力で守るから安心していてよ」
にっこり、という効果音が聞こえてきそうないい顔で歯を見せてディオンは笑った。
「はー……これがギャップ萌えってやつかしら」
「うん? なんか言ったか?」
「あっいえ、何でもないです」
穏やかな彼の雰囲気につられて、心の声が漏れてしまったと気付いたアデラインは笑って誤魔化す。
(ゲームのディオンは敵対していたからか、ヒロインの命を狙って来るし戦闘だと状態異常魔法を使う嫌な奴だったのに、味方になってくれたらこんなにも心強く感じるのね。二面性があると知っていても、彼が親しみやすいキャラクターだからかしら?)
ゲーム内のディオンは金狼のメンバーとしてヒロインと敵対し、王太子抹殺の任務のためにクラスメイトを操ってヒロインを襲わせたり、笑いながら破壊行為をするような卑怯で嫌な敵という印象があった。
「ふふっ、これでは悪役令嬢じゃなくて崖っぷち令嬢ね」
破滅フラグを折るためとはいえ、王太子側と敵対する闇ギルドを味方につけるのは“悪役令嬢”な行動でも、今のアデラインは破滅へ向かう“崖っぷち”にたっているのだ。
ヒロイン視点では考えもしなかった悪役視点は、こういうものかと自嘲の笑みが込み上げて来た。
***
扉が閉まり、ディオンとアデラインの気配が遠ざかって行ったのを確認して、クラウスは放出していた冷気を解除した。
ソファーに腰かけたクラウスは、契約書を挟んだバインダーとジャケットのポケットに入れていたアデラインから譲り受けた小瓶を机へ置き、右手を小瓶にかざす。
「……精神を侵す毒か。こいつを分析したら、楽しめそうだな」
「誰が分析するんですか。人手不足なのに、余計な仕事を増やさないでください」
眉間に皺を寄せたルベルトは、わざとらしく溜息を吐いた。
「まさか、引き受けるとは思っていませんでした。あのベルサリオ公爵の娘でしょう。いいのですか?」
「本物の公女か確認して話だけ聞いたら、此処での記憶を消して外へ放り出すつもりだった。公女の言い分を信じてアレを手に入れるためなら、意識を侵食して操った方が楽だからな。だが、あの目が気になった」
「目?」
光によっては青にも紫にも色合いを変える瞳は確かに珍しいとはいえ、レストレンジ王家の血筋に時折現れる色合いでルベルトには特段気になるものでは無かった。
「全て見透かし達観したような目……ああ、魅了眼の効きも悪かったな。それと、酒場へ入る前から俺が監視していることに気が付いていたようだし、あの娘はただの世間知らずな公女ではないかもしれない」
「偶然ではありませんか?」
「偶然かどうか、調べるために依頼を受けた。それと、公女に触れた時……」
両手のひらを見た後、クラウスは首を軽く横に振った。
「まあいい。王太子達の素行調査と公女の護衛、誰をつけるのか決めるぞ。異世界人とやらも気になるしな」
「今、動ける者を探します」
渋い顔になったルベルトは、手帳を開き数ページ捲ってから閉じた。
「マスター、やはり今すぐに動ける者はいません。ディオンも今夜は別の依頼で動いてもらう予定ですから。しばらくの間、公女には召喚獣を付けて監視しましょう。新しく捕獲した召喚獣を試すいい機会ですし、愛玩用として子犬にでも擬態させれば疑われないでしょう」
「……ディオンに割り振った依頼の契約書を寄越せ。それから、メイドとして潜入出来そうな最低限の教養と礼節を学んでいる者を一覧にしろ」
「え?」
開いている手帳の紙面に、召喚獣の一覧が載っているページを出現させていたルベルトは、顔を上げて目を瞬かせた。言われた内容を直ぐには理解出来ず、数秒考えてから顔を引き攣らせた。
「マスター、まさか……」
「護衛とメイド候補分の依頼は全て、俺が片付けてしまえば早いだろう。公女の依頼と例の依頼を同時に進め、どちらが俺とギルドにとって有益かは追々見極めればいい」
「分かりました」
クラウスが何を考えているのか分かったルベルトは、後始末のことを考えてキリキリと痛み出した胃の上を押さえた。
護衛と調査の契約は成立しました。
クラウスの補佐役、ルベルトは苦労人です。