終話.二人のアデライン
終話となります。
放課後、生徒会室で行われた生徒会役員の話し合いは終了時間よりも長引き、下校時間となったところで次回に持ち越しとなった。
「皆さん、さようなら」
「アデライン様、さようなら」
役員を先に返したアデラインは、副会長と一緒に生徒会室の窓と扉の施錠をして廊下へ出た。
鍵の返却を副会長に頼み、職員室へ向かう副会長の背中を見送る。
周囲を見渡して人気が無いことを確認してから、左手人差し指の指輪に向かって話しかけた。
「クラウスさん、話し合いが終わりました。今から伺うのは遅くなってしまうので、えっ?」
「明日にして欲しい」と言いかけたアデラインの足元が光り輝き、光は廊下の床に転移魔法陣を描いていく。
瞬く間に描かれた、幾何学模様と古代文字が組み合わさった転移魔法陣から伸びた光の帯は、アデラインの全身に絡み付く。
悲鳴を上げる猶予すら与えられず、強制的に転移させられたアデラインは突然の浮遊感と落下を対処出来ず、目蓋を閉じた。
「きゃああっ!」
転移の衝撃で傾いでいく体は、腰に回された腕によって抱き留められて床に倒れることはなかった。
「遅い」
抱き留めた腕の主の不機嫌な声が頭の上から聞こえ、アデラインは緩慢な動きで顔を上げた。
「遅いと言われても、今日は生徒会の集まりがあると言っておいたでしょう」
「終了予定時刻よりも遅かったぞ」
不機嫌さを隠そうとしないクラウスは、足に力が入らないでいるアデラインを横抱きにしてソファーへ向かう。
「それは話し合いですから、長引くことくらいあります。クラウスさん、自分で歩きますから下ろしてください」
「嫌だ」
拗ねたような口調で言われてしまうと、それ以上は何も言えずアデラインは口を閉じる。
ほんのり頬を赤く染めたアデラインを抱えたまま、クラウスはソファーに座った。
膝の上に乗せたアデラインの首筋に顔を埋め、クラウスは彼女の首筋を甘噛みした。
「んっ」
皮膚を軽く食んで吸い上げられる感触がむず痒くて、アデラインはクラウスの背中を軽く叩いた。
「クラウスさん、擽ったいし痕が付いちゃうから吸わないで、ひゃんっ」
皮膚に透けて見える血管に沿って、首筋を舐められたアデラインは熱い舌の感触に驚いて、甘ったるい声が出る。
「フッ、心配しなくても隠せるところに付けている」
「そういうことじゃないって!」
顔を赤くしたアデラインが肩を力いっぱい押し、クラウスは埋めていた首筋から顔を上げて、二人の間に僅かな隙間が出来た。
「アデライン、生意気な辺境伯の息子と勘違い女を潰さなくてもいいのか? 近いうちに面倒なことを起こすぞ。今のうちに潰しておこうか?」
甘さを含んだ声と眼差しをアデラインに向けて、クラウスは物騒なことを言い出す。
「潰すって、物騒なことを言わないでください」
「次期国王と、アデラインの邪魔になりそうな者を潰しても、お前もベルサリオ公爵も俺を咎めないだろう」
「次期国王ではありません。お父様は療養中の陛下の代理ですから。あの二人はそのうち自滅するでしょう。サミュエル様は相当病んでいるみたいですし、それにもしかしたら彼は、きゃあっ」
スカートを捲り上げた大きな手が、太腿に触れて這うように動き出す。
焦ったアデラインは、これ以上動かないようにクラウスの手の上に自分の手を重ねて、押さえる。
「俺という婚約者がいるのに、他の男のことを考えるな」
「こ、婚約者って。まだ正式決定ではないわ。周りにも知らせていないし、それに学生のうちは学生らしく清いお付き合いをするって、お父様とも約束したでしょう?」
「学生でもこれくらいのことはしている。卒業したら……フッ、覚悟しておけ」
耳元へ近付いたクラウスの唇から、吐息と共に恐い言葉を流し込まれてアデラインの背筋が粟立つ。
『あの世界のわたくしが得られなかった、愛されるという幸せを貴女なら得られるわ。大分重い相手みたいだけど、頑張ってね』
ふと、夢の中で会った元のアデラインの声を思い出す。
破滅回避のために、とんでもない男と交渉して契約を結んだ当初は恐怖しかなかったのに、今はクラウスの独占欲丸出しの言動は恐いものではなくなった。
「クラウスさんこそ、覚悟しておいてくださいね」
片手をクラウスの首に絡ませて、首を伸ばして彼の頬に口付け、ちゅっとリップ音を立てて唇を離す。
(わたくしをこの世界に、アデライン・ベルサリオとして縛り付けた責任。この世界で生きていくことを決意させた責任を、一生かけてとってもらうつもりですから)
「アデラインッ」
不意打ちの口付けに目を開き、ほんのり目元を赤く染めたクラウスは、お返しとばかりにアデラインの唇に食むように口付けた。
***
職場復帰して以来、週末の仕事終わりは同僚男性と一緒にラーメン屋巡りをするのが、“私”の週末の恒例になっていた。
今月最後の週末、餃子の美味しい店へ寄った私は地下鉄の駅に向かって歩いていた。
「物騒だから」という理由で、毎回駅まで送ってくれる同僚男性は少し前を歩く。
ブーブーブー
肩から斜め掛けにしていたショルダーバッグが振動して、私はバッグのポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。
「え、うそっ」
スマートフォンの画面を確認して、驚きの声が漏れた。
前を歩いていた同僚男性は私の声を聞き、足を止めて振り返る。
「どうした?」
「前に好きだったゲームが配信終了するって通知がきたの。急だから驚いただけ」
アプリゲームの配信終了通知と一緒に送られて来たイラストを再度見て、寂しさと共に安堵の感情が湧き起こるのを感じた私は苦笑いする。
目蓋を伏せた私は表示していた画面を消し、スマートフォンをバッグのポケットにしまった。
「前に? 今はやってないんだ?」
「うん。今は休みの日は食べ歩きしているし、ゲームへの情熱が無くなったのよね」
この世界に魂だけ転移して暫く経った頃、充電切れをしていたスマートフォンを充電して起動して……我が目を疑った。
起動した直後に表示されたのは、自分が生まれ育った世界とよく似たアプリゲームだったのだ。
見知った登場人物紹介ページを見て、悲鳴を上げかけた。
内容を確認するために序盤だけゲームをやってみて、自分の記憶にある出来事と似すぎた内容と登場人物達の言動、そしてアデライン・ベルサリオの悪女っぷりに、理解の許容範囲を超えてしまい止めた。以来、アプリゲームは起動していない。
「そうか」
上の空で聞いていた彼は、一歩近付くと私の真正面に立つ。
「どうかしたの?」
休養中、仕事をフォローしてもらったお礼にラーメンを食べに行って以来、同僚男性とは一緒にランチを食べたり、毎週末仕事帰りにラーメン屋へ寄っているが、今日は何時もよりも彼の口数が少なくて体調が悪いのかと心配していた。
今日は、仕事中のミスの修正を彼に手伝ってもらった。自分の仕事もあったのに、迷惑をかけてしまったから嫌われたのかもしれないと、私の胸は締め付けられるように苦しくなる。
「あのさ……」
数秒口ごもった彼は、意を決したという体で口を開いた。
「ずっと好きだったんだ。俺と付き合ってください」
言い終わった途端、彼の全身が薄暗い中でも分かるくらい真っ赤に染まっていく。
「えっ」
思いもよらない告白に、私は目を見開いて彼を見上げた。
「ラーメン屋に誘ってばかりで、そういう風に見てもらえていないって分かっているし、道端じゃなくてもっと雰囲気のいい場所で告白すればよかったって後悔しているけど、これからはお洒落な店も探すから、だから」
「嬉しい」
焦る彼の言葉が終わるのを待てず、溢れ出てきた私の感情が声に出てしまった。
あの世界で、婚約者から心無い言葉と冷たい視線を投げかけられることがあっても、執事から褒められることがあっても、異性に「好き」と告白されるのは初めての経験で、湧き上がってくる愛おしさ嬉しさで私の瞳は涙で潤む。
「私も、貴方が好きです。彼女に、してくれますか?」
「当たり前だろっ!」
震える声で私が告白し返すと、顔を真っ赤に染めた彼は勢いよく答えた。
緊張した表情の彼は、ぎこちない仕草で手を差し出す。
差し出された手の上に自分の手を重ねれば、互いの指を絡ませてそっと握られた。
握り返した手から緊張が伝わってきて、彼への愛おしさから私は微笑んだ。
(ねぇ、アデライン。私もこの世界で幸せになれそうよ。貴女もきっと、あの世界で幸せになっているわよね? だって、シークレットシナリオの紹介文とイラストには、貴女が彼の隣で幸せそうに笑う姿が描かれていたもの)
もう重なり合うことはないだろう、自分と入れ代わった“アデライン・ベルサリオ”とあの世界へ、思いを馳せながら私は満月が輝く夜空を見上げた。
これにて完結になります。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
活動報告に、あとがきと裏話を載せました。お時間がある時にのぞいてみてください。




