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44.ハッピーエンドの裏側にいる者たち②

視点が変わります。

 階段から硬い床の上に落下した私は全身の痛みと衝撃で意識を失い、周囲の人達に助けられて救急搬送された病院の病室で目を覚ました。


『あっ、気が付きましたか?』

『うぁ、痛い』


 目覚めた直後は、魔法薬を飲んで倒れたのになぜ全く知らない場所で腕に管を入れられて寝ていたのか、理解出来ずに混乱状態に陥り泣き喚いた。


『ここはどこ? 何故、わたくしはここで眠っていたの? 罰せられるの?』

『落ち着いてください』


 駆け付けた看護師から、自分の素性と怪我をした状況を教えられてまだ信じられず、手渡された鏡に映る姿を目にしてやっと自分の外見がアデラインではないと理解した。

 鏡に映ったのは、アデラインとは全く違う黒髪と黒目の外見をした女性。

 アデラインではない、と理解した瞬間、女性の記憶が一気に頭の中に流れ込んでくる。


(なんなのこれは、誰の記憶なの!?)


 別人の記憶が流れ込んで来た衝撃で、高熱を出した私はその日一日ベッドから起き上がれなかった。



『検査の結果では、外傷は全身の打撲のみですが記憶の混乱がありますから、一週間は自宅で休養してください。会社に提出する診断書は書いてあります』

『ありがとうございました』


 退院時、医師から生活についての注意を受けて、荷物を持った母親が頭を下げる。病室の窓から外を見ていた私も、慌てて頭を下げた。


 母親と共に私が暮らしていたマンションの部屋に帰り、アデラインの部屋よりも狭く雑然と物が置かれた室内を見渡す。

 置いてある物は、確かに買ったことも使用していたことも私の記憶として残っている。

 しかし、アデラインだった時の記憶が残っているため、違和感は拭えない。


(今までの記憶と知識は残っていても、この世界はわたくしが暮らしていた世界とは違うわ。どうしてこうなったのかしら? わたくしがアデラインとは違う生き方をしたいと願ったから? それにしてもこれは違い過ぎるわ)


 まさか、生きる世界まで変えられてしまうとは、異世界転移など想定すらしていない。

 テーブルの上に置いてあるタブレット端末を起動して、勤務先から来ていたメールを見て私は額に手を当てた。


『体が痛むの? 片付けはお母さんがやっておくから、寝ていていいわよ』

『ううん、大丈夫よ』


 心配そうな母親に首を横に振って答える。


 自宅療養中に接したこの世界の知識と、母親が作ってくれる食事とアデラインが得られなかった母親の愛情によって、違う世界で他人の体の中に入ってしまったという混乱は徐々に落ち着き、婚約者と親しい者達に裏切られ傷付いた心も癒されていった。


(あの世界のことは全て、階段から落ちて意識を失っていた私が見ていた夢だった?)


 アデラインだったことは夢だったのではないかと思いたくとも、兵達に取り押さえられた時の痛みと恐怖、魔法薬を口にした時の口腔内と喉が焼ける痛みは鮮明に覚えていた。



 一週間の自宅療養後、緊張の面持ちで出社した私を待っていたのは、同期入社した男性社員だった。


『休んでいた時の仕事は俺が回しといた。体が大変になったら、無理しないで言えよ』


 以前の私の記憶には、事あるごと突っかかってくるこの同僚に対して苦手意識を持っていた。

 だが、今は彼の素っ気無い態度の端々から自分に対する気遣いと優しさを感じ取り、私は微笑んだ。


『ありがとう助かるわ。このお礼をしなきゃならないわね』

『あぁ、いや、お前の仕事が溜まると俺も困るし』


 私が頭を下げると、何故か焦り出した男性社員は視線を逸らす。


『お礼は……そうだな、珈琲とラーメン。今日の昼飯におごってもらおうかな』

『珈琲とラーメン? それでいいの? 組み合わせ変じゃない?』

『変じゃないって』


 目を逸らしたまま言う彼を見上げ、目を瞬かせた私はぷっと噴き出した。



 ***



 見覚えのある社内と同僚達、そして席に座って仕事をする“私”の姿を硝子に似た壁に阻まれ、近付くことも出来ずに立ちつくしているアデラインは呆然と見ていた。


「これは、まさか……」


 魔法薬を飲んで倒れたアデラインは、地下鉄の階段から落下した“私”として生活を送っていた。


 階段から落下した“私”が、目覚めた時にアデラインとなっていたのと同じく、彼女も他人の体の中で意識が蘇り生活していたのだ。

 牢の中でアデラインが倒れていたのは、壁を登ろうとして落下したのではなく密かに接触した男子生徒、声から推察すると、サミュエルが差し入れた魔法薬の効果だった。


「階段から落ちた時、私とアデラインの魂が入れ替わってしまった?」

「そうみたいね」


 背後から声をかけられて、アデラインが振り向くと……会社で仕事をしていた私が立っていた。


「貴女は私、ううん、本当のアデライン?」


 間にあった硝子の壁は消え失せ、二人がいるのは何もない真っ白の空間へと変わっていた。


「こうなった原因は、殿下と信頼していたレザードに裏切られて絶望し、違う生き方を望んだわたくしと貴女の願いが重なった結果なのか、サミュエル様から渡されて飲んだ魔法薬の影響なのかは分からないけど、魂が入れ替わってしまったのは確かよ」


 向かい合わせに立つ私の姿は、見慣れているのはずなのに魂が違うからか雰囲気が変わり、外見も別人とまでいかないものの随分と変わったように感じた。


「わたくしが生活していたあの世界は、この世界のアプリゲームと同じ設定で、わたくしがヒロインの邪魔をする悪役令嬢だったと知った時は本当に驚いたわ」

「それはそうよね。わたくしもアデラインになっていると分かった時は驚いたもの」


 溜息を吐いた私に同意して、アデラインは頷く。

 ゲームに似た設定の世界観はまだ受け入れられるとしても、悪役令嬢の役目で断罪される運命だったと知ったら驚くに決まっている。


「ねぇ、元に戻りたい?」

「元に?」


 私から問われたアデラインは目を瞬かせる。


(アデラインから“私”に戻って、この世界で暮らす? 最初は断罪される流れに恐怖して、元の世界に戻りたいと願っていたのに、今は……)


 黙ってしまったアデラインを見詰めていた私は眉間に皺を寄せた。


「あら? 戻りたくても無理みたいね」

「え?」

「だってほら、見て」


 目を丸くするアデラインの首元と手元を指差し、私は苦笑いして首を横に振った。


「貴女の魂は、逃げられないよう雁字搦めにされているみたいよ」


 首を動かして、指摘された首元と手首を交互に見たアデラインは、目を大きく開いた。


「ええっ、なにこれ?」


 アデラインの首と両手首には、金色の細い鎖が何重にも巻き付いていたのだ。

 巻き付いた鎖は、左手人差し指の指輪から伸びていた。

 鎖の重みは全く感じられず、これは魔力による拘束だということはすぐに分かった。


(こんなことが出来るのは……まさか、嘘でしょ?)


 驚きつつも納得するアデラインの脳裏に、同意なく拘束してくれた彼の熱を帯びた深紅の瞳が浮かぶ。


「もしかしたら、鎖で貴女を縛った相手が貴女を探し欲したから、別の人生を送りたいと願った私と体が入れ替わったのかもしれないわ」


 元の世界に戻れない上、いつの間にか囚われていたと分かったアデラインの背中に、冷たいものが走り抜けていく。

 破滅回避をしても今度はラスボスという、勝ち目のない相手と戦わなければならないのだ。


「あの世界のわたくしが得られなかった、“愛される”という幸せ。きっと貴女なら得られるわ。物凄く重い相手みたいだけど頑張ってね。私はこの世界で貴女として生きていく。だから」


 言葉を切った私は微笑んだ。


「さようなら。アデライン・ベルサリオ」


 晴れやかな笑顔を見せて手を振る私の姿が徐々に薄れていき、アデラインはかつて自分だった女性に手を伸ばした。




 伸ばした手の指先に誰かの指が絡まり、ぎゅっと握られた。

 ぎしりと何かが軋む音が聞こえて、眠りの淵に沈んでいたアデラインの意識が浮上していく。


 目蓋を開けば、不鮮明な視界でもはっきり分かる深紅色の瞳と目が合う。


「クラウス、さん?」

「駄目だ」


 ベッドに片手と膝をつき、仰向けで寝ていたアデラインの上にクラウスが覆いかぶさる。


「俺から逃げるなど、許さない」


 クラウスの指先に力が入り、握られている手の痛みで顔を歪めたアデラインは、ハッと息を呑んだ。

 ベッドに横になっている自分の上に、クラウスが覆いかぶさっているのだとようやく状況を理解して、一気にアデラインの全身が真っ赤に染まった。


「きゃあああー!?」


「何をしているの」とクラウスに問うよりも先に、アデラインの口から悲鳴が上がった。


 バンッ!


 勢いよく扉が開く。


「お嬢様!」


 悲鳴を聞きつけて室内へ足を踏み入れたラザリーは、ベッドの上で涙目になって助けを求めるアデラインと彼女を押し倒しているクラウスの姿を目にして、固まってしまうのだった。


これで完全に、“私”はアデラインとして、アデラインは私として生きていくことになりました。

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