41.ハッピーエンドに必要な断罪イベント②
怒号を聞いたメイド達は離れて行き、衛兵達は距離を保ちながら警戒態勢に入るが、怒りで顔を赤くしたヒューバードは気付かない。
「王太子たる俺を愚弄した上に無視するなど、婚約を破棄するだけでは足りない! アデライン・ベルサリオ! 貴様は学園から、いや王都から追放だ! 衛兵! アデライン・ベルサリオを捕らえろ!」
ビシッ! という効果音が聞こえてきそうな勢いで、ヒューバードはアデラインを指差した。
だが、周囲にいる衛兵たちは警戒態勢のまま、誰一人ヒューバードの命令に従おうとしない。
「どうした! 何故、アデラインを捕らえない!」
苛立つヒューバードの手が腰から外れると、怯えた表情をしたリナは彼から一歩後ろへ下がった。
「殿下に衛兵を動かす権限はありません。ふふっ、わたくしを学園と王都から追放する? ベルサリオ公爵家をここまで軽んじているとは驚きですわ。ここにいる兵達は、陛下のご命令で殿下達を監視していたのですよ」
「何だと!? でたらめを言うな!」
肩を震わせて怒るヒューバードの姿が面白くて、我慢出来ずにアデラインはプッと吹き出した。
「わたくしを捕らえるおつもりでしたら、わたくしがリナさんに行ったというくだらない嫌がらせの確固たる証拠を用意して、陛下を味方につけてください」
「くっ、証拠だと? 証拠などリナの汚された私物と、リナの証言だけで十分だ!」
「成るほど。ではリナさん、私物を汚したのがわたくしだと証言した方はいるのですか?」
「えっ、それは」
冷めた目を向けるアデラインと、振り向いたヒューバードから凝視されて、困惑したリナは視線を彷徨わせた。
「リナを脅す気か!」
大きく体を揺らしたヒューバードの周りに、陽光を反射して煌めく何かが見えてアデラインは目を開いた。
(あら? 何かしら?)
煌めく何かは、アデラインが目を瞬かせている間に消える。
「……嫌がらせなどした記憶も無いのに、わたくしが犯人だと一方的に決めつけられているのですから、確認するのは当然でしょう。まさか殿下はリナさんの証言だけで、わたくしを追い詰められると思い込んでいるのですか?」
「くっ、いつも俺を見下して、偉そうなことばかり言ってくれる。お前より、王太子の俺の言うことが正しいんだよ!」
隣に立つクラウスの雰囲気が変わるのを感じ、アデラインはドレスで隠してヒューバードから見えないようにして、彼の指先にそっと触れて軽く握る。
「まだ抑えてください」
小声でそう言えば、クラウスが放ちかけていた殺気は霧散していき、アデラインは胸を撫で下ろした。
「本当にくだらない、小さい男ね」
口元に手を当て、小馬鹿にするように目を細めたアデラインはクスリと笑い、ヒューバードを挑発する。
「くだらない、だと?」
一瞬だけ、ぽかんと口を開いたヒューバードの口元は怒りで引き攣り、こめかみには青筋が浮かんだ。
「殿下との婚約は政略上必要な婚約で、仕方のないことだと思っていました。リナさんと親しくなって、婚約を解消したいとお考えになったのでしたら一言、相談して下さればよかったのに。ベルサリオ公爵家とわたくしを軽んじる発言の数々、学園での殿下の言動全ては証拠を付けて父に伝えてあります。今朝、父から説得された陛下から婚約解消を許可するという連絡をいただきました」
今朝、王宮から帰宅しないで夜通し国王と話し合っていた父親から支度中のアデラインへ届いた手紙。
手紙には、『婚約の解消、王太子の処遇は私に一任することを陛下に了承してもらった。やり過ぎなければアデラインのやりたいようにやっていい』と書かれていた。
息子に甘い国王も、今回ばかりはことが大きくなり過ぎて庇いきれない、と判断したらしい。
否、父親と陰で暗躍していた金狼によって、そうするしか選択肢が遺されていなかったのだ。
(わたくしを断罪しようと張り切っていたようだけど、一週間前とは違い殿下の取り巻きはいない。今までのお礼をさせてもらうわ)
微笑んだアデラインは胸の前で両手を合わせる。
「おめでとうございます。これで堂々とリナさんと仲良く出来ますね」
婚約解消という結果になったのに、笑顔のアデラインとは真逆でヒューバードの表情は強張っていく。
「学園でのことは、ベルサリオ公爵と父上に伝える必要はないだろう」
(そういえば、殿下はお父様のことを恐れていたわね。甘い陛下に比べてお父様は厳しいから? 婚約破棄宣言なんてしたら、お父様に知られてしまうのに。本当に小さい男ね)
ヒューバードの顔色が悪い原因を推測していたアデラインは、リナの表情も冴えなくなっていることに気付き内心首を傾げた。
「そうそう、放課後に殿下がよく利用されているカフェ。その経営者は隣国バルタン出身だとご存じでしょうか。カフェの裏メニューには、とても美味しいお酒があるそうですね。とても美味しく気持ち良く酔えるので、うっかり秘密なことまで口を滑らせてしまうほどだと、出入りしていた方々に教えていただきました」
「なん、何だと……」
飲酒の事実まで調査されているとは思っていなかったのか。
それとも、行きつけの店の店主が停戦協定を結んでいるとはいえ、良好とはいえない隣国出身だと知ったからか。
ヒューバードの顔色がどんどん青くなっていった。
飲酒後、饒舌になったヒューバードが“うっかり”機密情報を漏らした事実は金狼が調査済みで、父親と国王へ昨夜のうちに報告済みだった。
「すでにカフェの経営者と従業員は、ベルサリオ公爵家の騎士達とわたくしの協力者が身柄を確保して、取り調べをしています」
「なん、何故だ? 何故、ベルサリオ公爵が出て来る?」
「あら、お分かりになりませんか? 陛下が動いたら大事になるからですよ。殿下が我が国の機密情報を漏らしていたら、国際問題に発展するかもしれませんから」
はぁー、アデラインの口から計算ではない本心からのため息を吐いた。
まだ学生のヒュバードが知り得る情報は少なく、隣国へ流れた情報は少ないとはいえあまりにも王太子としての意識が低い。
国王が直属の部下を動かしたら、何処からか貴族内に情報が漏れて大事になるということも、自分の行動が国際問題に発展するかもしれないことも、推測出来ないとは。
「我が子の素行調査のためにベルサリオ公爵が独自に動いた。ということでしたら、国家間の問題までには発展せず王家の損失は少なくて済みます。バルタンとの輸出入額が赤字になるとか、殿下の評価が下がり王太子の資格を剥奪される、くらいでしょうか?」
「貴様!」
蒼褪めていた顔色が瞬時に赤くなり、ヒューバードはアデラインに飛び掛かろうと足を踏み出した。
「うるさい」
静観していたクラウスが冷たく言い放つと、拳を握ったヒュバードの足元に出現した漆黒の蔦が彼の腕と両足に絡み付き、四肢を拘束する。
「きゃあぁ」
蔦に驚いて悲鳴を上げたリナは、サミュエルの所まで走って行った。
「うわぁ!? な、何だこれは!?」
「黙れ」
殺気を込めたクラウスの一言で、四肢に絡み付く蔦から逃れようと藻掻いていたヒュバードは口を噤んだ。
「アデライン、従業員と経営者を尋問した結果が届いた」
パチン、指を鳴らしたクラウスの目前に紫紺色の渦が出現する。渦の中央に手を入れ、クラウスは調書の束を取り出した。
調書にざっと目を通したクラウスの口角が上がる。
「従業員と経営者はバルタンの諜報員だった。阿呆王子から機密情報を引き出すため、王立学園の生徒達を狙った。バルタンの山奥で栽培されている、気分を高揚させる成分を含んだ花を使用した酒を飲ませて、阿呆王子から貿易と国防に関する情報を引き出していたらしい。酒には常習性があり、常連だった生徒は酒から得られる快楽を求めて通っていたのだろう」
「分かっていたけど、どうしようもないわね」
長年、婚約者だったヒューバードへの僅かに残っていた情は、無くなるどころかマイナスになった。
投げかけてやろうかと準備していた辛辣な言葉も、呆れ果てた今は出て来ない。
「常習性だと!? 俺はまだ三回しか行っていない!」
「三回も行っているだろう」
「ふっ」
呆れた様子のクラウスの呟きを聞き、アデラインは噴き出しそうになったのを堪える。
「サミュエル! 黙っていないで助けろ! 俺が授業を抜け出すのを手伝っていただろう! お前も同罪だ!」
蔦に拘束された体の中で動かせる首を動かし、必死の形相でヒューバードはサミュエルへ向けて指先を伸ばした。
「同罪ですか? リナを守るため、リナ以外へ目を向けてもらうために、学園を抜け出すお手伝いをしただけですよ」
心底不快そうに言ったサミュエルは、リナを背中に隠すように彼女の前へ出る。
「どういうことだ? お前は俺の側近になりたくて、側にいたのではないのか?」
「側近? 違いますよ。モルガン家は、我が国の防衛に尽力していることに誇りを抱いております。国の平和を王族たる王太子が脅かすのでしたら、父上が動く前に私は殿下を止めなければなりません。そのためにお側にいただけです」
国境を防衛しているモルガン辺境伯家が誇る騎馬軍団。
血の気の多いと評されているモルガン辺境伯が、「王太子は無能」だと判断し王都へやって来たら、国王はヒューバードを切り捨てるはずだ。
(昨日、思い出したゲームのバッドエンドでは、サミュエルは従っていると見せかけて、実は王太子の監視役として暗躍していた。その結果、殿下の存在は不用だと判断したモルガン辺境伯が反乱を起こしていた。殿下の態度をみると、モルガン辺境伯の恐ろしさを理解していない。本当に阿呆だわ)
昨夜、モルガン辺境伯が反乱を起こすバッドエンドを思い出したアデラインは、モルガン辺境伯が反乱を起こす可能性があることを父親に伝えることと、モルガン辺境伯を抑えることをクラウスに依頼した。
「安心してください。アデライン嬢が動いていると知り、父上にはまだ殿下の失態は伝えていません。ですが、今後の動き次第では伝えなければなりません」
「ご配慮をありがとうございます」
アデラインの不安を察知しているサミュエルに、口元だけの微笑みを作り会釈する。
「くそっ! これを解け! 俺はこの国の王太子なんだぞ!」
またしても、空気を読まないヒューバードに対して、アデラインの中で我慢の糸がブチッと切れる音が響いた。
「はぁ? 無礼者? 王太子? この阿呆王子! わたくしの話を何も理解していなかったのですね!」
「黙れぇ! が!?」
大きく開いた口の中へ、勢いよく伸びた漆黒の蔦が入っていきヒューバードは白目を剥いて意識を失った。
脱力した体に絡み付いていた蔦が外れ、ヒューバードは地面にうつ伏せで倒れる。
倒れたヒューバードの背中に切れた銀糸が見えたが、アデラインが目を瞬かせている間に消えた。
「ちょっと」
「駄目だったか?」
涼しい顔のクラウスが魔法を解除すると、蠢いていた蔦は空気に溶けるように消えていった。
「錯乱する殿下が怪我をしないよう、眠ってもらっただけですから。殿下を潰そうとしていないのなら、いいわ」
地面に倒れたヒューバードは、白目を剥いて口から泡を噴いていても胸が上下しており意識を失っただけで、命までは奪っていない。
クラウスが約束を守ってくれたことに、安堵したアデラインは疲労感から目蓋を閉じた。
断罪返し、終了です。




