40.ハッピーエンドに必要な断罪イベント
婚約破棄、反撃の始まりです。
窓から射し込む陽光を受けて輝く銀髪を編み込みにしてサイドに下ろし、派手に着飾ることが好きではなくても今日は勝負服となるドレスを着て、アデラインは姿見の前に立っていた。
(今日のドレスをこの色にしたのは、ゲームで着ていたドレスの色とは逆にしたかっただけ。深い意味はないわ)
昨夜、就寝直前になってアデラインが選び直したドレスは、鮮やかな紺碧色のドレス。
もともと、選んでいたのはゲームの断罪イベントとは真逆の深紅色の派手な装飾が縫い込まれたドレスだった。
ゲームのアデラインが着ていたドレスとは違う色のドレスを着て、王太子に反撃してやろうと思っていたのだが、レザードとの一件で気が変わったのだ。
(深紅も華やかだけど、わたくしは落ち着いた色が好きなのよ。彼の目の色が綺麗だったからじゃないわ!)
ドレスの色を水色ではなく、紺碧色にしたのはその色に気を引かれたから。
熱を帯びたクラウスの眼差しが、脳裏から離れてくれないからではないと、自分を納得させる。
「お嬢様、お綺麗です」
「ありがとう」
うっとりと頬を赤く染めるラザリーに褒められて、アデラインは照れ笑いをする。
反撃の準備万端だとはいえ、拭えない不安で昨夜はなかなか寝付けなかった。
出来てしまった目の下の隈はコンシーラーで隠して、目元に塗った青紫色のアイシャドウで憂いを帯びた表情が映えるようにした。
唇は鮮やか過ぎず色味を抑えた口紅を塗り、落ち着いた色のドレスを着たアデラインは、普段よりも清楚な印象を見る者に与えていた。
「そろそろ王宮へ行きましょうか」
髪型の確認を済ませてラザリーの方を振り返った時、ガチャリと音を立てて部屋の扉が開く。
開いた扉から室内へ入って来た人物の姿に、アデラインは息を呑んだ。
「今日は俺が護衛につく」
彼が発した声はそこまで大きな声ではなかったのに、しっかりアデラインの耳まで届いた。
「ええっと、貴方は」
扉から真っすぐ歩いて来る、執事風の黒色スーツを着た黒髪赤目の長身の彼とは初対面なのに、アデラインは外見も発した声もよく似ている男性を知っていた。
外見と声はよく似ていても、纏う雰囲気が違うため彼だという確信が持てない。
間違っていたらどうしようか迷った末、アデラインは口を開いた。
「クラウスさん? どうして黒髪になっているの?」
黒髪の男性、クラウスはアデラインが気付いたことに満足して、嬉しそうに目を細めた。
「王宮へ行くのに、この色の方が目立たないだろう」
「色を変えても目立つと思います」
目立たないようにしたかったら、色を変えるだけでなく気配を薄くする認識阻害魔法を使用するか、顔が見えないようにする。
(黒髪だと印象が変わって、これはこれで堪らないわ! 中身は恐くても、顔が良いって本当に罪だわ! というか、王宮へ行くって言ったわよね?)
「護衛って、クラウスさんも一緒に行くのですか?」
「ああ。昨日のこともある。アデラインの護衛は俺が適任だろう」
側に居たラザリーが下がり、近付いて来るクラウスとの距離が縮まるにつれて高まる胸の鼓動を覚られないよう、アデラインは胸元に手を当てた。
***
花々が咲き誇る庭園で行われている王太子主催の茶会。
昼下がりのやわらかな陽光が降り注ぐ庭園の一角、ティーセットと焼き菓子が並べられたガーデンテーブル周辺だけ、分厚い雲の影によって陽光が遮られてしまっていた。
「アデライン・ベリサリオ! この場をもって、俺は君との婚約を破棄させてもらう!」
庭園中に王太子ヒューバードの大声が響き渡り、お茶の準備をしていた使用人達の動きが止まった。
案内された椅子に座る前に婚約破棄を宣言されてしまい、展開の早さにアデラインも僅かに眉を顰めた。
「婚約破棄、ですか」
「不服があると言うのなら、理由を教えてやろうか?」
勝ち誇った表情のヒューバードへ向けて溜息を吐きたくなるが、表情筋に力を入れてどうにか唇を動かしたアデラインは笑みを作った。
「いえ、不服などありません。殿下がお決めになったのならば、わたくしは受け入れましょう。ですが、理由だけは教えていただけますか?」
「いいだろう。リナ」
「はいっ」
サミュエルと手を繋いで立ち上がったリナは、フリルと真珠で装飾されたピンク色のドレスの裾を揺らして、ヒューバードの横へやって来る。
「渡り人のリナは、我が国に平和をもたらしてくれる聖女。リナのことが気に入らないと、他の者達を操って嫌がらせを繰り返したと聞いている。持ち物を隠し、泥水を掛けて服を汚し、集団で取り囲み罵倒したらしいな。何て酷い女だ! 俺はリナと出逢い、真実の愛とは何か知ったのだ。高慢で立場を利用し好き勝手をしている君とは違う、純粋無垢で聖女になりうる才能を持つリナこそ俺の婚約者に相応しい!」
「ヒューバード様」
頬を赤く染めたリナは、うっとりとした表情で腰を抱くヒューバードを見上げた。
(ヒロインの立場なら嬉しくても、どうでもいい男に自分の正義感に酔った台詞を長々言われると、本当に面倒な男だとしか感じないわ)
二人の世界に入りかけているヒューバードとリナの二人のやり取りを、アデラインは冷めた目で見ていた。
(取り巻きを使って嫌がらせ? 持ち物を隠して泥水をかけたですって? 実際、嫌がらせの内容を聞くとやることが小さいわね。小さいことでもやられた本人はつらいことかもしれない。でも、わたくしがやるなら徹底的に叩き潰してやるわ)
以前のアデラインは、ヒューバードを支えなければならないという義務感から我慢していたが、今のアデラインにはそんな気持ちは皆無だった。
学業を疎かにする上に堂々と浮気をして矜持を傷付けられたと父親に伝え、ベルサリオ公爵家の力を使って全力でヒューバードとリナを潰していただろう。
「わたくし達の婚約は殿下が王太子に選ばれるため、政略上必要だと陛下が判断して決められたものです。恋慕などありません。リナさんには婚約者の義務として『言動に気を付けていただきたい』と思い注意しただけです。ですが、殿下は国益とご自身の評価を下げてでも、真実の愛を選ばれるのですね。真実の愛で結ばれたお二人ならば、どんな苦難も乗り越えられますね。愛する方と結ばれて、本当におめでとうございます」
棘だらけの祝福の言葉を伝え、アデラインは唇を動かして笑みを作った。
「……何だと?」
「殿下が婚約破棄を望まれるのでしたら従いましょう。というか、破棄して下さってありがとうございます。わたくしも視野が狭く自己中心的で、実力以上に自尊心だけは高い貴方の手伝いはもうやりたくなかったので、婚約者ではなくなるのは心の底から嬉しいです。国王陛下には、殿下の学園でのご様子を伝えてあります。予定を切り上げて帰国されるそうです。成績不振と浪費について、陛下への言い訳を頑張って考えてくださいね」
婚約者でもない相手に気を遣う気など無いと、辛辣な本音を言い放ったアデラインに対して、ヒューバードは勝ち誇った表情から口を開けて唖然とした表情となる。
「視野が狭く、自己中心的で……婚約破棄が嬉しいだと!?」
「きゃっ」
耳元で叫ばれたリナは、顔を怒りで赤く染めたヒューバードの変貌に驚き肩を揺らす。
(本当に単純ね。もっと言ってやりたいところだけど、これ以上ヒューバード様を挑発して逆上されたら、クラウスさんが彼を潰しにかかるわね)
背後に立つクラウスから、不穏な雰囲気が漏れ出ているのを感じて額に手を当てた。
「アデライン」
背後から聞こえた低音の声に苛立ちが混じっているのを感じ取り、アデラインの背中を冷たいものが走り抜けて行き肌が粟立っていく。
「そろそろお終いにしろ。阿呆共と話すのは時間の無駄だ」
隣へ移動した黒髪の青年の指が、扇を持つアデラインの手を掠めていく。それだけで、緊張で強張っていた体がほぐれていく気がした。
「そうね。真実の愛を貫いていただくためにも、こんな茶番は早く終わらせましょう」
作り笑顔でない笑みを浮かべ、アデラインはゆっくりと周囲を見渡した。
「殿下のお気持ち分かりました。モルガン辺境伯ご子息は、全面的に殿下を支持していらっしゃるのですか?」
「……それはどういう意味でしょうか?」
自分に話が振られると思っていなかったのか、サミュエルは少し間を開けて答える。
「国境沿いの防衛を担っていらっしゃるモルガン辺境伯ご子息が、殿下の行動を容認されているのは我が国にとって由々しき事態だと思っただけです。ブライアン様がこの場にいらっしゃらないということは、ご自分とお父上の立場、我が国の未来を考えて賢明な判断をされたのでしょう」
「何だと! どういう意味だ! うっ」
声を荒げたヒューバードは、アデラインの隣に立つクラウスと視線が合った瞬間、顔色を悪くして黙り込んだ。
「モルガン辺境伯ご子息は、学生として勉学に励むという義務と王太子の義務よりも、享楽を優先していた殿下を支持し助長させていたと、判断してもよろしいですか?」
「それは……」
アデラインからの指摘にサミュエルは口ごもり、苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「サミュエル」
ヒューバードに腰を抱かれているリナは、胸元に手を当てて不安げに眉尻を下げてサミュエルを見る。
華やかな庭園に漂う不穏な雰囲気と、アデラインとサミュエルの間に流れる緊張感で空気が張り詰めていく。
異変を感じ取ったメイドと衛兵達は動きを止めた。
「黙れ!」
不穏な雰囲気を崩したのはヒューバードの怒号だった。
アデラインの反撃は続きます。




