03.巻き戻った時間は……それだけ?
懐中時計から放たれた白い光によって視界全てが真っ白に染まっていく。
次にやって来た浮遊感に恐怖したアデラインは目蓋を閉じ、自分の両肩に手を回して抱き締めた。
「……お嬢様?」
「はいぃっ」
若い女性の声が聞こえ、アデラインは反射的に上擦った声で答えた。
真っ白の光で埋め尽くされていた世界が色を取り戻していき、少しずつ視界が鮮明なものになってくる。
今まで居た石煉瓦に囲まれた薄暗い部屋ではなく、大きな窓から射し込む陽光が明るく照らす室内の一角で、白色の部屋着を着たアデラインは大きなドレッサーの前に座っていた。
明るい室内はカビと埃の匂いは一切せず、嗅ぎなれたルームフレグランスの香りと花瓶に生けられている花の香りで、安堵の息を吐く。
顔を上げたアデラインは、自分の後ろに立ちドレッサーの鏡に映る若い女性を見上げた。
「貴女は、パメラ?」
癖のある茶色の髪を束ねてエプロンドレスを着た女性は、半年前にアデラインの側仕えになったパメラだった。
「わたくしは、今何をしていたの?」
「お嬢様、どうかされましたか? 今は、離宮へ行かれる支度中でございます」
ヘアブラシを持つ手を止め、パメラは困惑して答える。
「離宮?」
「王太子殿下からのお誘いで、離宮の庭園を見に行かれるのでしょう?」
「そう、だったわね」
急速に口腔内が乾いていき、アデラインは首を動かして着ている部屋着を確認する。
鏡越しに見えた室内は、記憶にある王都にあるベリサリオ公爵邸のアデラインの部屋と同じだった。
着ている部屋着も寝癖のついた髪も、室内の様子も今朝と全く変わりない。
(わたくしは“私”? アデライン? どっちなの? “私”とアデラインの意識が混じり合った、新しいアデラインってことでいいかしら?)
顔を動かしたアデラインは棚の上にある時時計を見て時刻を確認する。
(今は朝、八時半か。なんだ、お茶会の支度をしていた時に戻っただけじゃない。ゲームでは三日前に戻れたのに、わたくしがゲームヒロインじゃないから、半日だけしか戻れなかったの? 半日前に戻って何ができると言うのよ。気分が悪くなってきた。あら? これは……)
ふと目についたのは、ドレッサーの天板の上に置かれていた化粧品と香水瓶の中に紛れていた、一本の硝子瓶。
赤紫色の液体が入った硝子瓶は、たとえ中身が素敵な香りがする香水でもアデラインでは選ばない。
何故、こんなものが此処にあるのかと内心首を捻り、思い出した。
(そうか、そういうことね)
半日しか巻き戻ってくれなかった時間に落胆していた思考は落ち着き、冷静になっていく。
「お嬢様、すぐに整えます」
ワゴンに置いてある、寝癖直し用の霧吹きを取ろうとパメラが後ろを向いた隙に、アデラインは人差し指で硝子瓶に触れて鑑定魔法をかける。
(やっぱり)
魔法に反応した赤紫色の液体は緑色に輝き、アデラインは人差し指を振って魔法を解除した。
気難しい性格のアデラインの専属メイドが少ないとはいえ、王太子から招待されたお茶会の準備をするのにパメラ一人しか居ないのは変だと、何故今まで気が付かなかったのか。
「急に気分が悪くなってきたわ。残念だけど、この体調では行けそうにないわね」
言葉は嘘ではなく、こめかみの痛みは治まるどころか、悪化していく。
着飾っても婚約者には見向きもされず、冤罪で捕えられると分かっていて離宮へ行く馬鹿なことはしない。
「残念だけど、今日の茶会は欠席するわ」
寝癖のついた髪を手に取り、霧吹きで水をかけていたパメラは目と目を大きく開いた。
「ええ? あれほど喜んでいたのに、急に行かれないなんて……困るわ」
驚きのあまり、つい出てしまった言葉だろう。
頭の中の霧がすっきり晴れて、感覚が研ぎ澄まされていたアデラインの耳はパメラの漏らした小さな呟きを拾っていた。
「困る? 誰が困るというの?」
振り返ったアデラインに睨まれて、パメラは更に一歩後退った。
「い、いえ」
「なるほどね」
僅かに震えた声と動揺を隠しきれない態度から、パメラへの疑念が確信に変わった。
「困るのはパメラ、貴女が? それとも殿下が困ってしまうのかしら? いいえ、わたくしが来ないと困る者が他にもいるわね」
撒き戻る前の経験、離宮の庭園でアデラインが捕えられた場面に居た者達の顔を思い浮かべて、苦笑いした。
「エリックとレナードも茶会に参加するのでしょう。もちろん、殿下の恋人リナ嬢も参加するわよね。わたくしを陥れる舞台を皆で用意したのに全て台無しになる、とでも言いたいの?」
「そ、それは」
立ち上がったアデラインから立ち上る魔力に圧倒され、さらに後退ったパメラは絨毯に靴の踵が引っ掛かりよろける。
「やっぱりパメラは知っていたのね。ここ数日の貴女の様子は変だったし、レナードと話していることが多いと思っていたけど……私を裏切った色ボケ執事と手を組んでいたとはね。それで、コレは何かしら?」
「なっ、それは!」
ドレッサーの天板へ伸ばしたアデラインの右手が、赤紫色の液体入りの小瓶を手にしたのを見て、パメラの顔色が悪くなる。
「最近、わたくしの私物が新しい物に変わっていることが多いと思ってね。コレも見覚えの無いモノだったから、鑑定魔法をかけてみたの。こんな毒々しい色の香水を、わたくしに使おうとしていたのかしら」
「そ、それは私が間違えて置いたものです。鑑定魔法を失敗されたのではありませんか? お嬢様は魔法が苦手でしたでしょう」
「そうね。わたくしは魔法が苦手だった」
ブチンッ!
首からかけていたネックレスのチェーンを左手で引き千切り、細かな金属の鎖と青色の魔石がパラパラと絨毯の上に落ちた。
「見ての通り、もう苦手では無いわ。この魔力抑制効果のあるネックレスで邪魔をされていたせいで、苦手だと思い込まされていたのね。殿下からの贈り物を常に身につけていたせいで、魔法が上手く使えなくなっていただけよ」
ネックレスが外れると、体の中央から魔力が流れていく。
氷と水属性を示す淡く水色に発光する魔力が、指先まで行き渡っていくのがはっきりと分かった。
(魔法が苦手だと思ったのはいつから? 魔法が得意だという理由でエリックが養子になって、一緒に高め合って魔力コントロールは得意だったのに苦手? そうだわ。あの異世界人のゲームヒロインが入学してから。全てがうまく行かなくなったのよ)
今年度、二年生になってからアデラインのやることが空回りするようになり、周囲から誤解されるようになった。
(王太子殿下が彼女と知り合った頃から、急に魔力が安定しなくなった。突如、魔力回路が乱れだしたわたくしに失望して、お父様はあからさまにエリックを贔屓するようになった。可哀そうなアデライン。殿下からの贈り物だからって、こんなものを大事に身に着けていたとは!)
開いていた手を握ったアデラインは、部屋の外へ逃げようとしていたパメラへ向けて魔法を発動させた。
「きゃあっ」
アデラインの指先から伸びた氷の蔦は、パメラの上半身に絡まり彼女の動きを封じていく。
(王太子に贈られたネックレスなら、アデラインが肌身離さず身に着けると思ったのね。細工をするように指示したのは誰だろうか)
氷の蔦が体温を奪っていき、震えるパメラの顔色が青くなっていく。
蒼褪めるパメラへ近付いたアデラインは、彼女の頬を人差し指で突き、持っていた硝子の瓶を見せる。
「この香水は間違えて置いたモノで、毒ではないなら貴女に振りかけてもいいわよね? だってこれは毒ではないのでしょう?」
「ひぃっ! お、お許しください。私はただ、お坊ちゃまの、エリック様の言いつけ通りにしていただけですぅ!」
人差し指と親指で小瓶の蓋を開こうとすると、恐怖で顔を引きつらせたパメラは悲鳴を上げた。
「エリックの言いつけ? レナードでなくて? はぁー、仲良くしていたつもりだったのに、エリックはそこまでしてわたくしを排除したかったのね」
薄々勘付いていたといえ、アデライン専属メイドのパメラから「硝子瓶を用意したのはエリックかレナードだ」と白状されると、気持ちが沈んでいく。
落胆しても、この屋敷に居る使用人のほとんどが、養子でも次期当主だと見なされているエリックの味方だ。
(才能あるエリックと才能無く愛想も悪い上に気難しいアデラインなら、どちらの命令をきくかは理解できるわ。パメラがエリックの命令で動くのは、仕方ないことだわ)
公爵令嬢として、落胆も悲しみも面に出さないように育ってきたアデラインは無理やり自分を納得させて我慢しただろう。
だが“私”の意識は、そんな理不尽な理由を納得するなどできなかった。
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