33.溜息混じりのぎこちない会話②
ガチャンッ!
アデラインの手からフォークが滑り落ちかけて皿に当たった。
「す、すみません。驚いてしまって……」
今はどうであれ、正義感が強かったエリックが一人で買収など考えるはずはない。
賄賂資金を与えたのはレザードでも低下する成績を誤魔化すために、教師を買収するように仕向けさせた者がいるはずだ。
専属を外すまで、アデラインと行動を共にすることが多かったレザードが、エリックを唆したとも考えられない。そこまで愚かだと思ってもいなかった。
「買収されていた教師はすでに解雇された。学園長と共に学園内で行われている不正行為は全て調査する。事実と異なる噂話も全て調査するつもりだ」
「お父様、わたくしのせいです。エリックの堕落は周囲の影響が大きいとしても、わたくしはエリックを諫められませんでした」
「アデライン、エリックのことは気にするな。アリーシャによく似た面立ちをしたエリックを哀れに思い、つい甘やかしていた私の責任だ」
目蓋を閉じた父親の眉間に皺が寄る。
(幼い頃はエリックが羨ましかったけれど、今ならお父様の気持ちも少しは理解できるわ)
幼くして両親を亡くしたエリックを哀れんでも、懐かない娘よりも最愛の妻に似た甥を甘やかしてしまったのは仕方ないことだと、今のアデラインは理解していた。
(今のお父様なら、わたくしのお願いを聞き入れてくれるかしら?)
数回息を吐いて、呼吸を整えてから口を開いた。
「すでにご存じだと思いますが、婚約者として王太子殿下と信頼関係を築くことも、苦言を呈して行動を改めていただくこともできませんでした。わたくしのことは煩わしい相手だと、嫌われてしまったようです。このまま婚約を続け、王太子殿下と婚姻してもいがみ合うだけです。お父様から国王陛下に、婚約の解消をお願いできないでしょうか?」
アデラインから出た婚約解消という言葉を聞き、父親は顔から表情を消した。
「婚約解消をしたいのは、王太子が異世界人を寵愛しているからか?」
「いいえ。王太子として、生徒会長としての仕事を全うしないという、無責任さ。王太子としての責務を放棄し、享楽に耽っている殿下との婚姻など考えたくもありません。殿下のことが生理的に受け付けなくなった、というのが一番の理由です」
「くっ、はははは!」
一瞬目を丸くした後、噴き出した父親は肩を震わせて笑い出す。
「生理的に受け付けないか。それは大問題だな」
「どうやら殿下はわたくしを悪女に仕立てて、話し合いによる婚約解消ではなく恋人の前で婚約破棄を宣言したいようです」
「はっ、王太子の一存で婚約の破棄などできない。まして、ベルサリオ公爵家の、私の娘であるアデラインを軽んじて辱めるなど、許されない行為だ」
目を細めた父親の声は、笑いではなく怒りによって震えていた。
「明日、殿下主催の茶会に招待されていまして、茶会途中に婚約破棄を突き付けられるのでは、と予想しています」
「愚かな……そのようなことをしたら、王太子の地位が揺らぐとは思っていないのだな。学園と市井での行動、アデラインとの婚約破棄など宣言したら、自ら愚王になると宣言しているようなものだ。潰すか」
「え?」
父親の口から発せられた言葉の最後が物騒だった気がして、アデラインは動きを止めた。
「婚約については私に任せておきなさい」
数秒前まで眉間に皺を寄せて怒りを滲ませていた父親は、別人になったかのようにやわらかく微笑んだ。
「多忙を言い訳にして、アデラインに向き合ってやれなかった……今まで、すまなかった」
「お父様……わたくしのために駆け付けてくれただけで十分です。ありがとうございます」
頭を下げたアデラインの視界が涙で潤んでいく。
「すまなかった」という言葉だけで、アデラインの体は軽くなり胸の奥に温かなものが広がっていったのを感じた。
***
週休日前日はどことなく生徒達は浮足立ち、授業に集中しきれていない生徒も少なくはない。
授業開始時刻直前、緊急の会議が開かれるという校内放送が校舎内に流れ、慌てて教師達は教室を飛び出して行った。
教室を出て行った担任教師は戻って来ず、会議が長引いていると、午前中のほぼ全ての授業は自習対応となった。
(緊急会議って十中八九、お父様が動いたのでしょうね)
教室の窓から見える特別教室棟にある会議室の窓は、カーテンによって室内の様子は分からない。だが、カーテンに映る影によって多くの教員が室内に居るようだ。
憂鬱だった学年合同の体育の授業も無くなり、ヒューバード達と顔を合わせることはなく昼前までは何事も無く、アデラインは穏やかに過ごせていた。
昼頃になり戻って来た担任教師は疲れ切っており、午後の授業は録画された映像視聴になった。
授業終了後、視聴覚室のある特別教室棟から渡り廊下を通り教室棟へ向かったアデラインは、ぎょっと目を開いて足を止める。
渡り廊下を歩き、真っすぐにアデラインの方へやって来るのは、茶金色の髪をした男子生徒と黒髪の女子生徒。深緑色のネクタイから、二人は一年生だと分かった。
二人が近付いて来るにつれて、アデラインの顔から表情が消えていく。
アデラインの両隣を歩いていたオリビアとリリアンも、近付いて来る一年生が誰なのか分かると警戒感を露わにする。
「アデライン嬢、少しお時間をいただいてもいいでしょうか」
「用件は何でしょうか?」
「アデライン様は日直ですから、遅れるわけにはいきません」
オリビアとリリアンの後ろで、男子生徒を見ていたアデラインは首を傾げた。
「貴方は確か……」
学園で何度も見た覚えはあるのに、男子生徒の名前が全く思い出せない。
「弟君、エリック君と同じクラスのサミュエル・モルガンと申します」
「ああ、モルガン辺境伯のご子息ですね。わたくしに用があるのは貴方ですか? それとも、リナさんでしょうか?」
アデラインと目が合ったリナは、視線を逸らすとサミュエルの背中に隠れた。
「アデライン嬢に用があるのは私です」
背中に隠れたリナの腰に軽く手を回し、サミュエルは愛想笑いと分かる作った笑みを浮かべた。
「エリック君が欠席したことが気になって、何かあったのかと心配になりまして声をかけさせていただきました」
「そうでしたか。最近、わたくしとエリックの周囲が穏やかではないと、心配した父が領地から王都へ来られました。学園生活の乱れと成績低下について、父は大変驚かれエリックを叱責しましたの。叱責されたエリックは大分落ち込んでいましたから、それが原因で体調不良になったのだと思います」
「お父さんはエリックを叱責したの?」
サミュエルの背中から顔を覗かせたリナは、不安そうに眉尻を下げて腰に回った彼の手を握る。
「エリック君の成績が悪いなど、そんな事実はありません。先日行われた試験も合格していました」
「我が父は王位継承権を持つベルサリオ公爵です。学園からの成績通知書だけで判断せず、独自にエリックの素行を調べることは容易いでしょうね。わたくしの素行も全て調べられていると思います。もちろん、他の方々の素行も調べているでしょう」
サミュエルとリナの顔を交互に見た後、にっこりとアデラインは笑った。
「モルガン辺境伯家も、国境の防衛のために立派な騎士団をお持ちでしょう? 独自の騎士団、捜査機関を持っているのはベルサリオ公爵家も一緒です」
「……エリック君には、皆が心配していると伝えてください」
口元は笑みの形になっていても、サミュエルの目は全く笑っていなかった。
「ええ。気にしてくださったことをエリックに伝えますね。お気遣いいただきありがとうございます」
「待ってください!」
言葉を遮って声を上げたリナは、繋いでいたサミュエルの手を解きアデラインの前まで進み出る。
「昨日、エリックは『レザードが大変なことになった』と言って慌てて帰って行ったわ。アデラインさんがレザードさんに何かしたから、エリックも欠席したのでしょう!?」
「何かした、とは? レザードはリナさんと個人的に親しくしていても、まだ我が家の使用人です。ベルサリオ公爵家に関することは、ご友人でもお教えできません。エリックは父に叱責されて体調を崩したと、たった今お伝えしたばかりです」
「でもっ!」
「うるさい女だな」
なおも食い下がろうとするリナは、呆れ混じりに投げかけられた言葉でようやく動きを止めた。
「納得できなくても、アデラインの家のことに口を出さない方がいいんじゃないのか? それと、一年生が二年生に向かってそんな口の利き方してもいいのかよ。いくら異世界人でも王太子に気に入られていても失礼だろう」
「はっ? 失礼ってなによ!」
勢いよく振り返ったリナは、アデラインの後ろにいるディオンを憎々し気に睨み付ける。
「お前もこの女を止めろよ。これ以上騒いだら面倒なことになると、分からないのはいくら異世界人でもヤバイぞ。教えてやれよ」
鼻で嗤ったディオンの態度を受けて、サミュエルは貼り付けていた柔和な表情を崩した。
「……失礼しました。リナ、エリックの欠席理由は分かっただろう。戻ろう」
「でもっ!」
眉を吊り上げたままのリナの肩に手を置き、サミュエルは溜息を吐く。
「授業に遅れる。教室に戻るよ」
渋々といった体で頷いたリナは、アデラインとディオンを睨んでから教室棟へ戻って行った。
サミュエルは攻略対象キャラの一人です。




