31.胸が痛む理由はなに?
夕食を食べて入浴を済ませた後、「一人になりたい」と言ってラザリーを退室させ自室にはアデライン一人きりとなった。
ソファーに座り膝を抱えたアデラインは、父親が出て行った扉をぼんやりと見詰める。
(どうしてお父様は転移魔法を使ってまで駆け付けてくれたの? 可愛がっているエリックが横領に関わっていたから?)
転移魔法は高位魔法の使い手でも使用できる者は少なく、王宮仕えの高位魔術師でも使える者は師団長と副師団長のみ。
王家の血が流れるベルサリオ公爵家は、他家に比べて強い魔力を持っているが転移魔法は父親しか使えない。
『閣下が奥様によく似たエリック様を大事にされるのは仕方ないことです。アデラインお嬢様には私がついております』
『貴女を守るのは、一番理解しているのは私ですよ。アデラインお嬢様』
目蓋を閉じて抱えた膝に顔を埋めるアデラインの脳裏に、幼い頃に繰り返し聞かされていたレザードの声が響く。
『私がやったことは全てアデラインお嬢様を思ってやったことです! リナ嬢と親しくしたのは、エリック様の計画に手を貸したのは、全て貴女を守るために必要なことでした!』
警備兵によって押さえられたレザードは、本心ではないかと思ってしまうくらいの必死な顔で、アデラインに手を伸ばしてきた。
「……嘘ばっかり」
幼い頃から刷り込まれたレザードの言葉を、彼の言動全てを以前のアデラインは信じきっていた。
しかし、今のアデラインはレザードの言葉の裏にあった企みを理解している。
(わたくしのためだって、嘘ばっかり。レザードは幼いわたくしに『父親から愛されていない』と言い、洗脳していたのね。信頼していたのに……大丈夫だと思っていてもレザードのことを考えると悲しくなるのが嫌だ)
膝を覆う部屋着の布地に目元を擦り付けて、溢れ出て来る涙を拭う。
(自分が後継者だと、勘違いしていたエリックがお父様から謹慎処分を言い渡されて、裏切り者のレザードが逮捕されてざまぁみろなのに、こんなにも苦しくなるとはね。腹が立つこと言われたのに、どうして昔のことばかり思い出すの? 幼い頃はこうやって泣いているといつもレザードが見付けてくれた……)
母親が亡くなってから笑わなくなった父親と接するのが怖くて、よくアデラインは部屋を抜け出していた。
『かくれんぼですか?』
庭園の植え込みの影に隠れていたアデラインを見付け、少年の面影を残したレザードはやわらかく微笑むと地面に膝をついた。
『どうしてわたくしの居場所が分かるの?』
『アデラインお嬢様のことをいつも見ていますから。何処に隠れるのかくらい予想できます』
差し出された手を握り、立ち上がったアデラインのワンピースについた砂を軽く叩き、レザードは屋敷に戻るまで小さな手を繋いで歩いてくれた。
過ぎた出来事だと、横領と殺害未遂を行った罪人だと自分に言い聞かせても、胸の奥が痛い。
何らかの思惑があったとしても、アデラインを裏切ったのはゲームヒロインの強制力のせいだと、レザードの言動全てが偽りではないと信じたかった。
(エリックもそうよ。思春期男子特有の素っ気無さはあっても、学園に入学するまでは良い関係を築けていたと思っていたのに。あれ? わたくしはいつからエリックが使用人達から優遇されていると思っていたの?)
『王太子殿下が羨ましいです。義姉様と結婚できるなんて……』
物心つく前にベルサリオ公爵家に養子として迎え入れられたエリックは、ヒューバードとの婚約が決まった時に頬を膨らませて泣き出しそうになったくらい、アデラインを慕ってくれていた。
『今日から義姉様と一緒に学園へ通えるのが嬉しいです』
学園の入学式へ向かう途中、一緒に乗った馬車の中でエリックは少しはにかんで笑った。
家庭教師に秀才だと評され、自分こそがベルサリオ公爵家の後継者だと勘違いしていたとしても、好き勝手してもいいと思い込むような愚かで短慮な性格はしていなかったはずだ。
(もしかしたら、エリックもゲームの強制力で変になってた? それとも、レザードが用意した薬物と魔石がエリックにも影響を与えていた? 使用人達の冷たい態度もレザードが原因? どうしてレザードはこんなことをしたの?)
カタンッ。
物音が聞こえ、顔を上げたアデラインは棚の上にある置時計で時刻を確認する。
長い時間ソファーで膝を抱えて考え込んでいたようだ。
(もうこんな時間……そろそろ寝る支度をしなければ。でも、もしかしたら……)
ソファーから立ち上がり物音が聞こえた窓の側まで行き、片手で窓を開けて月明かりに照らされたベランダへ出た。
日中はまだ暖かいとはいえ、夜のベランダは肌寒い風が吹き抜けていて、アデラインは肩から掛けているショールの合わせを掻き抱く。
ベランダから庭園を見渡しても人の姿は無く、近くには人の気配は感じられなかった。
(物音がしたから外に居るのかと思ったけど……今日は来ないのかな?)
「クラウスさん……」
血塗れでやって来られて困っていたのに、今夜は話をしたいと思うのは感傷的な気分になっているからだ。
名前を口にすると痛み以外の感情が胸いっぱいに広がる。
フワッ。
ベランダの柵に肘を置いているアデラインの周囲を暖かい空気が包み込み、何事かと俯いていた顔を上げた。
「何故、外に出ている?」
背後からかけられた声に、ハッとしたアデラインは振り返り大きく目を開く。
「……どうして?」
誰もいなかったベランダに居たのは、いつもの黒装束姿ではなく肩にジャケットをかけて、シャツの第二釦まで外した軽装のクラウスだった。
月明かりに照らされた彼は、普段は前髪を後ろに流している髪を崩しているからか、やわらかい雰囲気を感じさせた。
「風邪をひくぞ」
驚くアデラインに腕を伸ばしたクラウスは、肩に掛けていたジャケットを彼女に羽織らせる。
「俺の名を呼んだだろう。俺の名を呼べる者はそういない」
「いない?」
目を瞬かせたアデラインの顔を覗き込んだクラウスの指先が目元に触れ、目尻に溜まっていた涙をそっと拭う。
「外に出て泣いていたのは、執事が原因か? それとも生意気な義弟か?」
「それは……分かりません」
泣いていたと言われて、初めて自分が泣いていることに気が付いた。
この胸の痛みは、信じたかった相手に裏切られたことが原因なのか、犯罪者として捕縛させたことへの心の揺れが原因なのかはアデラインも分からない。
泣き顔を見せたくなくて、俯いたアデラインの肩にクラウスの腕が回される。
「部屋に戻るぞ」
「えっ、きゃあ」
引き寄せられ、クラウスと密着したアデラインの心臓がドキリと跳ねる。
そのまま抱き抱えられるようにして、アデラインは自室へと戻った。
クラウスに肩を抱かれ向かった先はベッドで、アデラインは彼の顔とベッドを交互に見て何度も目を瞬かせる。
流れるような動作で、クラウスはアデラインをベッドの上に座らせると、抱いていた肩から手を離した。
「もう遅い。余計なことを考えていないで眠れ」
「眠れと言われても、すぐには眠れそうにないです。わっ」
トンッと、クラウスの人差し指で肩を軽く押されて、アデラインの体は仰向けにベッドへ倒れる。
体を包み込んだ魔力によって倒れた際の衝撃は無く、呆然とアデラインはベッドの天蓋の内側を見上げた。
「なん、なにを……」
肩にかかっていたジャケットとショールが外れてベッドの上に落ちる。
ワンピース型の寝間着の開いた胸元を隠そうと、アデラインは胸の前で腕をクロスさせた。
動揺と羞恥で頬を赤く染めるアデラインの上に掛布が掛けられ、熱い頬にクラウスの手のひらが触れる。
「強制的に眠らされる方がいいか?」
「ね、寝ます」
両手で掴んだ掛布を顔の半分を覆うまで引き上げて、アデラインは眉尻を下げた。
掛布の下で深呼吸をして呼吸を整えてから口を開く。
「あの、クラウスさん。レザードの逮捕には金狼の方々が関わっているのですか?」
「無関係ではないな」
「そうですか」
目を伏せたアデラインの口から沈んだ声が出る。
治まっていた胸の痛みが再発して、針で刺すようなチクチクとした痛みで息が苦しくなった。
掛布を少し引き上げて、出ていた目元も覆う。
「……落ち込まないと思っていたのに、あんなヤツは逮捕されるのは当然だと思っていたのに、あんなに必死なレザードの顔を見たのは初めてだったから、少し吃驚しました」
「そうか」
ギシリッ。
ベッドの軋み音と揺れ、敷布が引っ張られる感覚でクラウスが腰を下ろしたことが分かり、アデラインは掛布から顔を出した。
(え、うそっ……)
ベッドの端に腰を下ろして手を伸ばしてきたクラウスと目が合う。
冷酷非情の闇ギルドマスターとは別人じゃないかと思うくらい、彼は優しい目をしている気がしてアデラインの心臓が大きく跳ねた。
「落ち着くまで側にいる」
クラウスの手がアデラインの頭を一撫でしてから目元を覆う。
「だから、もう喋るな。目を閉じていろ」
低く落ち着いた声と、少し低い体温の手のひらの感触が心地よくて、いつの間にか胸の痛みと動悸は和らいでいった。
「うん。ありがとうございます」
目蓋を閉じたアデラインは、眠りの淵に落ちていくのを感じながら感謝の言葉を呟いていた。




