02.淑女らしからぬ絶叫
薄暗くカビ臭い部屋に入れられる前に、何が起きたのか思い出そうとして心臓が激しく脈打ち、アデラインは息苦しさに胸元を押さえた。
「うう……」
数か月ぶりに、婚約者の王太子殿下から『離宮の庭園を眺めながら話をしよう』と誘われて浮かれて出掛けたのは今日の昼過ぎ。
離宮の庭園へ向かったアデラインを待っていたのは、王太子ヒューバートだけでなく宰相子息ブライアンと騎士団長子息カルロス、そして何故か義弟エリックと執事のレザードだった。
側近候補達はともかく、何故義弟と執事までいるのかと戸惑うアデラインの前に、王太子が“お付き合いしている”という異世界人の少女と、彼女を守るように寄り添っている辺境伯息子まで現れた時になり、ようやくこの話し合いの場が自分を断罪するものだと気が付いた。
(寒々しい空気の中、話し合いが始まったのよね。ヒロインがお茶を飲んだ途端、お茶を吐き出して苦しみ出した。驚いて椅子から立ち上がったわたくしに対し、『毒を盛ったのだ』と彼等は一方的に決めつけてきて、弁解の余地も無く殿下の命令で駆け付けた騎士達に捕縛された)
アデラインが捕らえられた場面は、画面越しの映像と実際体験した記憶が混じり合い、再び脳内が混乱してくる。
押さえ付けられた手首と後頭部と背中の痛みが無ければ、悪い夢か幻覚を見たのかと思っていただろう。
『アデライン! 貴様がリナに嫉妬して飲み物に毒を混入したのだろう! この下劣な魔女が!』
恋愛感情は抱いてもらえていないと分かっていたとはいえ、緑色の瞳に憎悪の炎を燃やしたヒューバートから罵倒され、恐怖と絶望で震えあがった。
「そうだ。リナだわ。ヒロインのデフォルトネームはリナという名前だった」
駆け付けたブライアンがかけた解毒魔法によって回復したらしいリナは、そのままにブライアンに抱き抱えられて怯えた目でアデラインを見ていた。
怒りに燃えるヒューバードから漏れ出た魔力が周囲の芝生を枯らし、目を吊り上げたカルロスとサミュエルがアデラインへ剣を向ける姿は、魔女からお姫様を守る王子様と騎士だった。
「明日になったら私は、正式に王太子から婚約破棄を言い渡され、お父様から絶縁され公爵家から存在を抹消される。そして、着の身着のまま此処よりも劣悪な牢へ入れられ、毒を飲まされるというわけか。悪役令嬢は消えて、ヒロインは王太子ルートのクライマックスへ入るのね」
目蓋を閉じたアデラインの脳裏に、悪役令嬢は投獄されて舞台から消えて、邪魔者が居なくなって安堵するヒロインと王太子が幸せそうに微笑み、キスをするスチルが浮かぶ。
ヒロインと王太子の頭の中は、幸せの色に一色に染まっているのかと思うと乾いた笑いが出てくる。
(アデラインの記憶によると、リナが倒れた時、わたくしの座っていた椅子の下に落ちていた毒入りの瓶。ゲームをやっている時は何も思わなかったけど、実際体験してみると不自然じゃない? 知らない、見覚えのない瓶だと言っても聞いてもらえないし、婚約者の恋人が毒で倒れて、毒の瓶がわたくしの椅子の下に落ちていた。誰がどう考えても、わたくしがリナの暗殺を企てた。と、なるわね。否定しても状況証拠だけで、わたくしが犯人だと確定されてしまう)
攻略対象の義弟と執事は庇うどころか、メイドを使い毒を用意させたのはアデラインだと証言した。
(証言をしてくれた義弟と、顔だけはいい色ボケ執事も殿下と彼女の味方をしていた。すでにヒロインに攻略されていたということね。でも、ゲームには逆ハーレムエンドは無かったはずよ。あっても、無印、皆とお友達状態のまま、時空の歪みに飛び込んで元の世界へ戻る帰還エンドだけ)
幼い頃から仕えてくれていた執事のレザードの態度が急に刺々しくなり、エリックの側に居ることが多くなったのは気付いていた。とはいえ、アデラインを裏切るとは彼の脳内はお花畑になっているらしい。
(この流れは王太子エンド? それともお友達エンドかしら? あの義弟の憎悪と歓喜に満ちた目は、お友達の枠から出ている気もしたわ)
義弟の顔を思い出してアデラインは首を傾げる。
いくら好きな女の子に嫌がらせをした相手でも、今にも殴りかかってきそうなくらいの形相で、憎々しげに睨むものなのか。
(まぁ、婚約者がいるのに恋人をつくっている王太子を諫めない周囲からして、もう攻略対象者達の攻略は完了している状態ね。わたくしに毒を飲ませて処刑するのか。それとも最果てにある修道院送りにするのか、どちらにしても王都からの追放はすでに決められているようね。お父様と国王夫妻が不在の間に裁判とは名ばかりの茶番を行い、判決を下すというわけか)
溜め息を吐いたアデラインは開いた両手を見詰めた。
多忙を理由に手入れを怠っていた“私”の手とは違う、ささくれ一つ無く爪も綺麗に磨かれた手は労働とは無縁な生活をしていたと分かる。
(学園内外で、リナに嫌がらせをしていたのは他の女子達。わたくしは良くて天真爛漫、悪く言えば図々しいリナの振る舞いを注意しても意地悪はしていなかったわ。ただ、他の女子達を止めなかっただけ。大した罪にはならないはずよ。でも……義弟と色ボケ執事の二人ならわたくしの行動を把握して、“よからぬこと”を捏造できるわ)
他の女子達がやったリナへの嫌がらせは全て、アデラインが指示したことにされていた。
執事として側に居たレザードが「お嬢様の指示で行った」という詳細な記録を王太子へ提出してくれたのだ。
(立派な証拠を捏造してくれた義弟と色ボケ執事は、処刑を望むほどわたくしのことが嫌いだったのね……)
幼い頃から仕えてくれたレザードは、多少の我儘を言ったとしても苦笑いして叶えてくれた。
時には、苦言を呈してアデラインの暴走を止めてくれたのに。
嫌がらせの証拠を捏造して陥れようとするほど、実はレザードから嫌われていたのと知ったアデラインは、茫然自失状態になって動けなかった。
「はぁー、これは異世界転生? 憑依? よりによって追放される前日に“私”の記憶が戻るなんて。もっと早くに“私”の記憶が戻っていたら、対処できたのに……お茶会でもレザードに裏切られたと知って、泣きはしなかったのに。あんな奴らに泣き顔を見られたなんて……今頃笑っているでしょうね。本当に最悪だわ」
顔を上げたアデラインはゆっくりと室内を見渡した。
魔力を抑制する結界が張られている室内を照らしているのは、弱々しい光が灯るランプと天井近くにある小さな窓からの月明かりのみ。
どうやら、魔力抑制の結界が張り巡らされたこの部屋から脱出するため、窓を目指して壁をよじ登ろうとして落ちたのだ。
四方を石材で作られた円形の部屋は、古びた絨毯が敷かれた上にベッドとソファー、壁際にはチェストとドレッサーが置かれていた。
王太子の一存ではアデラインを牢へ入れられず、様々な理由で表舞台に出せなくなった王族を軟禁する部屋へ閉じ込めたのか。
「あれ?」
ランプを手に取り室内を歩いて、既視感を抱いて首を傾げた。
(この部屋、見覚えがあるような……何故だろう?)
既視感を抱いたのは、初めてこの部屋へ入ったアデラインの意思ではなく、流れ込んできた“私”の記憶だ。
眉間に皺を寄せて王太子ルートのハッピーエンド以外の展開、トゥルーエンドへの流れを思い返す。
「そうだわ」
(トゥルーエンドとバッドエンドへの分岐! 王太子ルートで、ヒロインがこの部屋に閉じ込められる展開があったじゃない。反逆を企てる貴族が依頼した闇ギルドの者に王太子が襲われて、ヒロインも捕えられてしまいこの部屋に閉じ込められるのよね。反逆者は……思い出せないけど、ヒロインがこの部屋に隠されているアイテムを使って、外へ出られるかどうかでその後の展開が決まる!)
埃がかかったベッドまで歩き、両膝を床について屈んだアデラインは片手でベッドフレームの端を掴む。
床に肘をついてベッドの下をランプで照らして覗き込んだ。
(このベッドの裏に、此処から脱出するためのアイテムがあったはず!)
光が届かないフレームの裏に手を入れて、手探りでアイテムを探った。
手入れされていないフレームは劣化し、木目表面が荒くなった部分に触れた指先が擦れる。だが、今さら痛みなど気にしていられない。
指先に木とは違う金属の感触がコツンと触れて、絨毯に頬をつけたアデラインは肩までベッドの下へ入れてソレを握った。
「こんな奥に隠されているなんて。痛たた……」
ベッドの下から腕を出すと、フレームと床で擦った指先と肘には無数の擦り傷が出来ていた。
埃塗れになったドレスを軽く叩き、握っていた手を開く。
「そう、これだわ」
手の平に収まる大きさの隠しアイテムは、金属の細かい細工と魔石がはまった懐中時計だった。
懐中時計の蓋を開くと、指先から滲んだ血が硝子を赤く汚す。
(この時計は、使用者の時間を戻してくれる。巻き戻る時間はランダム。ゲームヒロインは運良く王太子が襲われる前に戻れていたわ。わたくしが使っても上手くいくか不明だけれど、ヒロインがハッピーエンドを迎えた後、アデラインから“私”に戻れるかも分からないなら、使うしかないわ)
生き残れたとしても修道院送り。最悪、毒を飲まされ苦しんで死を迎える。どっちに転んでも破滅だ。冗談じゃない。
蓋を閉じた懐中時計を胸元に当てて、目蓋を閉じたアデラインはありったけの魔力を両手に込めた。
「どうか、捕らえられる前に、昨日の朝より前に戻って! お願いっ!」
パアアアー!
願いを込めた魔力に反応し、部屋の壁と床に幾何学模様が浮かび上がり、アデラインの魔力が抑え込まれてしまう。
「くっ! 邪魔しないでよ! いきなり異世界転移!? 転生とか有り得ないでしょう! いくらゲーム補正がきいていても、ヒロイン至上主義でもこれは受け入れられない! あんな色ボケ達の思う通りに破滅させられるもんですか!! 私はまだシークレットイベントをやっていないのよぉー!!」
怒りと叫びは力になり、爆発した怒りの感情と動力源となる魔力に呼応して、止まっていた懐中時計の秒針が時を刻み出す。
カチカチカチ……!
懐中時計の針が逆回転を始め、アデラインを中心として室内が渦を巻いて歪んでいった。
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アデラインの奮闘?が始まります。