28.反撃に向けて動き出す、五日目
ついに五日目になりました。
途中で視点が変わります。ご注意ください。
いつもなら起床時刻になれば自然と目が覚めていたのに起きられず、ラザリーに起こされたアデラインは重たい目蓋を擦りながら朝食を食べた。
「お嬢様、これでよろしいでしょうか」
「ええ、いいわ。ありがとう」
ドレッサーの椅子に座ったアデラインは鏡に映るラザリーに向かって頷く。
何故か今日は髪を結いたい気分になり、ハーフアップにしていた髪をラザリーに頼んで緩く編み込んでもらい右サイドで結んだ。
(どうして、髪型が気になるの? 昨日まではラザリーに任せていたのに。それに、昨夜はいつ眠ったの? クラウスさんが来たのは夢だった?)
夢にしてはクラウスとの会話の内容も、抱き上げられた時の手の感触もしっかり覚えていた。
(それに……きゃあああー!)
鼻で嗤う印象のあるクラウスが目を細めて微笑む顔もしっかりと覚えていて、思い出す度に熱が集中する頬をアデラインは両手で覆う。
「お嬢様? どうかされましたか?」
「い、いえ何でもないわ」
脳内に浮かんでいるクラウスの微笑みを掻き消すため、アデラインはコホンッと咳払いした。
「そうだわ、執事長も貴女の意のままになっているのかしら?」
「はい。屋敷の使用人はエリック様専属の者以外、躾け終わっています」
「では、執事長に『夕方、報告したいことがあるので時間を作って欲しいと、お父様に連絡を入れてちょうだい』と伝言をお願い。貴女がまとめてくれた報告書の写しも一緒に転送してもらえるかしら」
ブラシやヘアピンを片付けていたラザリーの手が止まる。
「ベルサリオ公爵閣下にあの方々のことを報告されるのですね」
朝食を済ませたアデラインに手渡されたラザリーからの報告書。
屋敷を運営するための資金の内訳は、表向きのものと裏のものがあり裏帳簿を探り当てるのに時間がかかったと、ラザリーから報告を受けた。
裏帳簿を管理していたのが誰なのかは、ラザリーの躾を掻い潜った人物だということで、アデラインは見当がついていた。
椅子から立ち上がったアデラインの口角が僅かに上がる。
「ええ。殿下とリナさんのことが新聞にも載ってしまったし、わたくしとエリックの近況も伝えたいもの」
「かしこまりました。執事長に連絡させます」
頭を下げたラザリーが目配せるすると、壁際に立っていた虚ろな目をしたメイドが部屋の外へ出て行った。
学園へ登校したアデラインは、校舎に入って直ぐに出会った人物を見て目を丸くした。
「ブライアン様? おはようございます」
「お、おはよう」
落ち着かない様子のブライアンの視線はアデラインを通り越し、彼女の背後と校舎外へと向けられていた。
「アデライン嬢、今日は、その、メイドは一緒ではないのか?」
「メイド? 昨日、ラザリーが失礼なことをしましたか?」
詰め寄るアデラインの勢いに、ビクリと体を揺らしたブライアンは慌てて首を横に振る。
「いや、昨日、見かけたので気になっただけだ。ラザリーという名前なのか」
目元を赤くしたブライアンはアデラインから視線を逸らす。
「ブライアン様は風紀委員長でしたね。生徒以外のモノが校舎に入るには、許可を得なければならないとメイドには伝え注意しておきました。もしも気になることがありましたら、メイドは放課後にわたくしを迎えに来ますのでその時に謝罪に行かせます」
「いや、謝罪は必要ない。そうか、放課後……何をしたのか、いや分かった。では失礼する」
「え?」
何かを呟いて一人納得して頷いたブライアンは、キョトンとするアデラインに背を向けて階段の方へ行ってしまった。
***
教室へ戻ったブライアンは、カルロスがまだ登校していないことに気付き、窓側の席に座って他の男子生徒と会話をしていたヒューバードの側に向かった。
「おはようございます。カルロスは今日も、編入生と朝の鍛錬を行っているのですか」
会話を止めて振り向いたヒューバードは、カルロスの名を耳にすると眉間に皺を寄せた。
「カルロスのことはもういい。あの編入生と親しくするアイツは、次期生徒会メンバーから外すつもりだ」
生徒会メンバーから外すということは、王太子の側近候補からも外される。
今、ヒューバードの周りにいる男子生徒達は、カルロスの代わりに側近候補になれる好機だと考えているのが見え見えで、ブライアンは内心溜息を吐いた。
「それはそうと今日の放課後は、来週行われる定例会議用資料を作成しなければなりませんよ」
「ああ、そうだったな。だが、放課後はリナと出掛ける約束をしていてやれない。風紀委員会の資料作成ついでに、俺の分も用意しておいてくれ」
「……はい」
次期生徒会長は自分だと言い張っているヒューバードの無責任な言葉を聞き、以前は何も思わなかったのに胃から込み上がってくる不快感によって、苦しくなってきたブライアンは胸を押さえる。
力が入らない足を動かして自分の席に戻ったブライアンは、新しい取り巻き候補に囲まれているヒューバードをなるべく視界に入れないよう、廊下側の窓を見た。
朝から続く胃の不快感から、昼食休憩時間はヒューバードとの昼食を辞退して保健室で休養していたブライアンは、午後の授業も集中力を欠いてクラスメイト達から心配されていた。
胃の不快感と頭痛に苛まれつつブライアンは午後の授業をどうにか乗り切り、リナと買い物へ行くと言って教室を出て行くヒューバードの背中を引きつった笑顔を作り見送る。
「少し遅れると伝えてくれ」
生徒会役員の生徒に声をかけたブライアンが向かったのは、校舎の外、仕えている生徒を迎えに来た使用人達の待機場所だった。
「あ、あの」
待機場所の外の壁に寄りかかっていたメイドを見付けた瞬間、胃の不快感は霧散していきブライアンは上擦った声でメイドに声をかける。
「あら、ブライアン様」
姿勢を正したメイド、ラザリーは顔を上げて頭を下げた。
「今は放課後ですし、校舎外で主を待つことは学園からは許可されていますよ」
「今日は、何も咎めるつもりはない。ただ、貴女に会いたいと思って来ただけだ」
自分でも理解していなかった思いが言葉として出ていき、ハッとしてブライアンは口に手を当てた。
僅かに目を開いたラザリーは、顔を赤くするブライアンの頬へ手を伸ばす。
「魔力回路を乱した苦情を言いに来たのですか? それとも……私に口付けされたくて、わざわざ来たのですか?」
クスリと笑い、ラザリーはブライアンの頬を撫でた指先で口元を覆っている彼の手のひらの甲をつつく。
大して力が入っていないのに、ブライアンの口元を覆っていた手が外れる。
「ち、違うっ。ただ、昨日のことを、貴女のことを思い出す度に胸が苦しくなってくる。魔力回路が乱れたせいかと思ったが違うんだ」
「ふふっ、それは失礼しました。気になって集中できないのでしたら、お詫びしなければなりませんね」
目を細めたラザリーの雰囲気が変わり妖艶に微笑んだ彼女は、人差し指の先で全身を赤く染めるブライアンの下唇をなぞる。
「でも、今日は駄目」
下唇を撫でていた人差し指がゆっくりと離れていく。
「私は愚かな男は嫌いです。強く、気高い男でなければ触れたくはありません。ブライアン様は迷っているのではないですか? 今までは盲目的に仕えていた方の、恋していたと思い込んでいた方の粗が見え始めたのでしょう?」
全身を赤く染めていた熱が引いていき、今にも泣き出しそうな顔になったブライアンの肩が震え出す。
震えるブライアンの手にラザリーの指が触れる。
「貴方が正しいと思う選択をすればいい。決断をして責務を全うすることができたら、魔力回路の乱れを整える手伝いをいたしましょう」
「私が正しいと思う選択……」
「ブライアン様が強い意志を持てば、もう糸に絡めとられないでしょう。そうしたらご褒美をあげますわ」
「ご褒美……」
目を見開いたブライアンは、ゴクリと唾を飲み込む。
「頑張ってくださいね」
震えが止まったブライアンの手を握り引き寄せたラザリーは、上目遣いで見上げると指先に触れるだけの口付けを落とした。
またもや、ラザリーによって健全な青年の心が歪んでしまったかもれない。




