17.少しだけ気持ちが軽くなった
生徒達が動揺する気配を感じながら、アデラインは隣の席に座ったディオに会釈をした。
「……よろしくお願いします」
(いくら護衛でも、わたくしと距離を置いて座っているのを見れば、クラス全員から敬遠されているって分かるでしょうに。ディオンはどうやって短時間で学園へ編入出来たのかしら?)
隣に座る編入生へ注意を向けつつ、前を向いたアデラインの脳裏に疑問が浮かぶ。
王太子と高位貴族子息子女が通う王立学園の警備体制は、王宮並みに強固なものでいくら金狼でも侵入するのは難しい。
護衛と調査の契約を結んだのは昨日なのに、こんなにも早く編入生という形で護衛が来てくれるとは驚きだ。
他国からの編入生という設定と、学園への編入手続きは王族であってもたった一日では出来ないのに。
それを可能にしてしまう力が金狼にはあるのだったら、彼等の事が恐ろしくも頼もしく思えた。
「やはり、貴方の魔法は凄いですね」
「だろ?」
自分の正体に気付いてもらえて「嬉しい」という感情を面に出して、ディオことディオンは歯を見せて笑う。
片手を当てて口元が見えないようにして、アデラインはディオンが参入した後の学園シナリオの変化への期待で口元をゆるめた。
***
生徒達からの視線と、前時間までの授業内容を問うディオンからの質問攻めによって、授業の内容がほとんど入らない一時間が過ぎてようやく休み時間になった。
「でさ、この学園の学食では何が一番オススメなんだ?」
「オススメと聞かれても、ほとんど学食は利用したことが無いので分かりません。わたくしは食べたことがありませんが、限定ランチセットは人気のようです」
「じゃあ、今日の昼は学食へ行ってみようぜ」
「はい。えぇっ、一緒にですか? 持参していますので学食は利用しません」
軽いお誘いに頷きかけて、ハッと我に返ったアデラインの声が裏返ってしまい、素っ頓狂な声になる。
「当たり前だろ。俺は食堂の場所知らないし、ついでに案内してくれよ」
次の教科書を机の上へ出して、アデラインは溜息を吐いた。
(金狼なんだから、下調べは済んでいるでしょう。それに、堂々とわたくしを誘ってどうするのよ。皆さん興味津々で見ているじゃないの)
話しかけたいのに、遠慮して声をかけられずにいる生徒達からの視線を感じているはずのディオンは、アデラインの側から離れようとせず他愛もない話を続けている。
これでは、編入生とは契約上の関係、護衛をしてくれているだけだということを知らない周囲は、アデラインが王太子の婚約者という立場を忘れて編入生と親しくしている。という、事実を装飾した話が流れるのも、王太子が異世界人と親しくしていることは特に問題視されないのに、アデラインだけが白い目で見られるのも時間の問題だ。
「あの、ディオン、ディオさん。皆さん、貴方と話したそうにしていますわ。休み時間の間くらい、席を立ってあげたらどうですか」
「そうしたらアデラインが一人になっちゃうだろう」
「一人は慣れています。貴方のお気持ちは分かりますが、表向きだけでも親しくし過ぎないでください。わたくしは皆さんに避けられていますから、面白おかしい話を作られてしまいます。そうなると今後、わたくしにとって不利になるかもしれない」
小声で話しているつもりのアデラインは声は、焦りから段々と周囲に聞こえるほど大きくなっていた。
「んー、俺は別に話を作られてもかまわないけどな。アデラインと仲良くなるのが駄目だとか、女の子を露骨に避けようとするなんて、此処の奴らは幼稚なことするんだな」
椅子の背凭れに凭れかかったディオンは、ぐるりと視線を動かして教室内に居る生徒達を見た。
ディオンからの圧力を感じ取れた生徒達は、慌てて視線を彼から逸らす。
目立つ行動は慎んでもらいたいと、アデラインが口を開きかけたタイミングで、授業開始のチャイムが鳴り響いた。
授業開始直後、授業に遅れるらしい教科担任から「配布しておくように」と、指示された教科係は最前列の生徒達に学習プリントを配布する。
受け取った前列の生徒から、後列の生徒へ学習プリントは手渡されていく。
(あら?)
教科係の“確認ミス”で、前の席の生徒分で学習プリントが無くなりアデラインには回ってこなかった。
(とても分かりやすい、くだらないことをしてくれるわね)
一枚足りないと、教科係に伝えようとアデラインが手を挙げた時、立ち上がったディオンが通路を挟んで横の席に座る男子生徒へ話しかけた。
「なぁ、そっちの余っているんだろ。一枚もらうよ」
「あ、ああ」
嫌と言わせない圧がこもったディオンの笑顔に圧され、頷いた男子生徒は教科書の上に乗っている学習プリントの余りを手渡す。
「ありがとな」
受け取った学習プリントをアデラインの机の上へ置いて、ディオンは自分の席へ戻った。
「ありがとう、ございます」
「いいって。足りないと分かっても、このクラスのヤツは誰も言わないみたいだから、余っているところから貰っただけだし」
静まり返る教室内でディオンの声は大きく聞こえ、アデラインの前の席に座る女子生徒の肩がビクリと揺れた。
(周りを牽制してくれたのね。護衛の契約だから、ディオンは守ってくれようとしている。それでも、味方がいると思うと心強いな)
契約上の護衛だから、手を差し伸べてくれているだけだと分かっていても、少しだけ目の奥が熱くなってアデラインは目蓋を閉じた。
周囲の生徒達からの興味津々という視線を気付かない振りをして、時折話しかけてくるディオンの相手をしていたアデラインは、午前中の授業の終わりを告げるチャイムの音に安堵の息を吐く。
「アデライン、昼飯はどうするんだ? 持って来た弁当は食堂に行って食べる? 俺、噂のランチセットを食べてみたかったんだ」
「残念ですが、ランチセットはもう売り切れだと思いますよ」
「ええっ!?」
本当にランチセットを楽しみにしていたらしく、ディオの顔色が一気に悪くなった。
王宮料理人も勤めていた料理長が指揮をとる食堂の料理は、上流階級御用達のレストランにも引けをとらないほど美味しいと評判で、人気のランチセットは昼食休憩開始前に食券を購入しておかないと食べられないらしい。
「他のものなら残っているでしょうし、購買でパンも売っていますよ」
「アデラインは食堂に行かないのか?」
「行きません」
きっぱりと言い、アデラインは首を横に振った。
特別教室棟一階にある食堂は人が集まる分、小さなイベントから好感度が上がるイベントが何度か発生する。
以前のアデラインの記憶を探ると、食堂はほとんど利用しておらずランチセットを食べたことは無い。
せっかくならランチセットは食べてみたいが、終盤近くに起こるゲームイベントの内容を思い出すと、ヒロイン達に遭遇する可能性の高い危険な場所だと判断した。
「先ほどお伝えしましたけど、昼食は持参しています。天気もいいですし、中庭で食べるつもりです」
机の横に掛けてあるトートバッグから、ランチバッグを取り出して机の上に置いた。
「ふーん、じゃあ俺も一緒に中庭で食べようかなー」
「ええっ!?」
用意されたお弁当箱はアデライン一人分にしては大きいとはいえ、人目のある中庭でディオンと二人で食べるのは色々と面倒なことになる。
驚くアデラインとの距離を瞬く間に縮め、ディオンは彼女の耳元に顔を近付けた。
「ラザリーが用意した弁当だろ? 俺には『自分で用意しろ』って用意してくれなくってさ」
「ちょっと、近いわよ。離れてっ」
「一緒に食べるなら離れる」
身を引いて距離を取ろうとするアデラインの肩を抱き、動きを抑えたディオンはフゥーっと耳に息を吹きかけた。
息を吹きかけられたアデラインの口から、「ひゃっ」という声がでてしまい慌てて口を押さえる。
「わ、分かった。分かったから離れて」
「了解」
降参したアデラインの肩を抱いていた手が外れ、ディオンとの隙間が少しだけ大きくなる。
教室内には他の生徒は残っておらず、廊下に居る女子生徒達もアデラインとディオンのやり取りに気が付いていないようで、安堵の息を吐いた。
「ちゃんと確認しているから大丈夫。じゃ、行こうか」
ランチバッグの持ち手を握ったディオンは、廊下側の窓を見るアデラインへ笑いかけて歩き出した。
 




