女王陛下だって婚約破棄されるムーブメント
「すまぬ。私の聞き間違いだろうか。悪いがもう一度申してみよ、マリガン公爵」
予想していない言葉は脳の上を滑る。
ぼんやりとそう思いながらも、もう一度繰り返すように私は目の前で土下座をしている男に言った。
もっとも信頼している忠臣であるマリガン公爵とオルコット公爵。
私室に戻っていた私はこの二人から、内密の話があるからと連絡を受け、応接室へ顔を出した。
内密だということなのでどこかに潜んでいる護衛の影は別として、すべて部屋の外へ下がってもらった。
土下座をしている右足に義足をはめた白髪の細身の男がマリガン公爵。この国の宰相であり政務のトップだ。
その横に直立不動で立つ、顔に大きな傷を残した浅黒い大柄な男がオルコット公爵。地位、実力ともにマリガン公爵に並ぶ軍務のトップである。
もともと仲の良い二人ではあるが、ここ最近は忙しいため国家行事以外で揃うのは久しぶりだ。
「はっ、陛下。恐れながら我が愚息ジュリアスと、オルコット公爵の三女クレアとの婚姻を認めてください」
「なるほど。我が婚約者であるジュリアス殿と、クレア嬢の婚姻を、この国の女王である私に認めろと?」
「大変、大変恐れながらお願い申し上げます」
たしかに貴族同士の婚姻は王の許可をとるのが決まりではあるが、私も当事者なのだぞ。
しかもこれはあれだ……重婚を認めていない以上、私は婚約を破棄されるということなのだろう。
確かに世は婚約破棄がムーブメント。
私の即位により、女性の地位も向上し、それまで神話劇が中心だった演劇界も、恋や愛だといった柔らかいものが流行するようになった。そして昨年末くらいから大流行しているのが婚約破棄物。
主人公が真実の愛を見つけ、悪役たる婚約者に婚約破棄を突きつけるという内容が多い。
そして悪役が主人公というパターンも含め、いろいろと面白い舞台ができあがっている。
私も文化への理解を示すということで、この半年で数回ほど有名どころを観劇していた。
確かに面白い舞台だ。
だがそれはあくまでも物語の中の話じゃないのか。
「念のために確認するが、オルコット公爵、そなたも揃ってここに来ているというのはクレア嬢の父としてか?」
私の言葉に反応するようにオルコットもゆっくりと膝を突き頭を下げた。
「は、陛下の治世を支えねばならない我らが、かような願いを申し出るなど不徳のいたすところ。かくなる上は我ら揃って爵位と領地を返上し……」
「ま、待て。勝手に話を進めるな。とにかくソファに腰をかけてくれ。これでは落ちついて話もできぬ」
「いえ、我らはこの場で。場合によっては死を賜ってもおかしくないと考えて参っております」
「お詫びしようもないことゆえ、どうかこのままで」
「頼むから座ってくれ。私には我が国を支える双璧を跪かせて興じる趣味はないぞ」
「……はい、わかりました」
ようやく二人は顔を上げ、それでも申し訳なさそうにソファーに腰を下ろした。
しかし困った。
政務を掌握しているマリガン公爵。
軍務を掌握しているオルコット公爵。
この二人に地位を返上させてしまうと、まだ盤石とは言えない王権が不安定になる。
早逝した先王の後を継いだ兄上が、その基板が固まらないうちに従兄に暗殺されるという事態から勃発した内乱を、私と共に収束させた二人だ。
幼いだけではなく、これまで我が国では前例の無かった女王の即位に、それこそ粉骨砕身の働きで助けてくれた。
その過程でマリガンは右足を失い、オルコットは妻と長男を喪っている。
忠臣というだけでは片付けられない絆を私は彼らに感じていたのだ。
「私の治世はそなたらの働きがあってこそだ。ジュリアス殿との婚姻も、政略的な面が強かった。勿論、王配としての活躍を期待もしていたし、私も夫として慈しむつもりではおったのだが」
「陛下には一切の落ち度はございません、これというのも我が愚息が」
「いえ、マリガン公爵が悪いわけではない。わしが末っ子だということで娘を甘やかしていたことが原因だ」
それぞれが自分の子が悪いと言う。
まぁ、確かに約束を破っているので駄目なのだが。
「二人の責任を問うつもりは無い。地位も爵位もそのままでよい」
「それでは示しがつきませぬ」
「ああ、そうだ。やはりわしは地位を返上し……」
「代わりがいないのだ!」
思わず私は声を荒らげてしまった。
「そ、そうでした。内政はともかく外交にはまだ頼りない」
「軍部も後進がまだ育っておらぬ、あと2年はほしい」
「理解してくれて嬉しいよ」
恩義があるにせよ、なぜ婚約破棄される私が必死にその親を慰留しているのだとも思ったが、そんなことは言っていられない。二人という重しがなくなれば、この国は再び荒れる。
私の命くらいで済めばいいが、犠牲になるのはいつでも無辜の民だ。
「それよりも、問題は私の婚姻だ。どう考えている? こうなれば多少年齢差は仕方ないにしても、政権の安定を考えて両家のいずれからか婿を出すことは可能であろうか」
「はぁ……」
二人の公爵はお互い譲り合うかのように視線を送り合う。
なぜ躊躇う?
政権の維持のためには両家の支えは本当に必要なんだぞ。
「ご存じのとおり、マリガン家とオルコット公爵家は婚姻をもって合併をする予定でした」
マリガンの言うとおりだ。
次期当主を喪い、代わりとなる息子がいなかったオルコット家は一門としての存続を諦め、マリガン家と合併することにしていた。
これは遠い将来、両家が派閥として相対するのを防ぐ政略的な意味も持っており、両家当主の仲が良い今で無ければできないことだったのである。
また、マリガン家長男が王家の婚姻をもって結ばれることにより、最終的に三家の血筋が王族としてこの国の支配を確立する。私の子供の代からは、実質マリガン王朝とも言える形にはなるが、国家の安定した存続のためには最善の筋書きになると考え、私が持ちかけた話だったのだ。
「マリガン家にはジュリアスの下に二人の弟がおりますが……ジュリアスが陛下との婚約を破棄する意向だと、私より先に伝えていたようで……二人とも駆け落ちをしてしまいました」
「なんだと」
「その駆け落ちの相手は、婚約者でもあった我がオルコット家の長女と次女なのです」
ちょっと待て。
婚約者同士で駆け落ちというのかはさておき、二組とも駆け落ち……ジュリアスとクレア嬢もくっつくとなる、実質3兄弟と3姉妹が結婚するのか。
「そしてオルコット家には婿に出せる息子どころか跡取りすらおらぬ」
ごめん、オルコット。
それを言われると、私、何も言えないわ。
「はは、もう私はいらんなぁ」
「申し訳ありません。二組の婚約者は年の差はありましたが、お互いが将来の良き伴侶として愛を育んでおりました」
「仲睦ましいのは良いことだな」
「そして、ジュリアス殿とクレア嬢はその二組とともに行動することが増え、恋愛感情が生まれたと言っているのだ」
「そうか」
「本当に申し訳ございません。やはりかくなる上はこの命をもって」
「それはいらぬ!」
私はどうやら、婚約者に振られるだけでなく、婚約者の弟達にも先んじて振られてしまったようだ。
「そうなると、私の伴侶となるべき人材に欠く両家との間に縁を結ぶことは難しそうだな」
「詫びのしようもない。かくなる上は爵位領地を……」
「だから、それも認めぬ!」
そもそも、まだ幼かった私が王としてやってこれたのは、この二人の支えがあったからだ。
婚約破棄をされたくらいで、その恩を仇なすことなどできようか。
「マリガン公爵、一応聞くが、ジュリアス殿に翻意いただくことはできぬか?」
「勿論、説得を試みましたが、すでに……」
そう言ってマリガン公爵が言い淀む。
「よい、事態は私の感情が問題になるような状況ではない。遠慮無く申してみよ」
「すでにクレア嬢のお腹には子供が」
「なんだと! 女王の婚約者という立場にありながら、やったのか!」
「「どうかお許しを」」
二人の公爵が深く頭を下げる。
「す、すまぬ。あまりのことに言葉を選べなかった。忘れてくれ」
そうか……
やったのか。
ひどい裏切りだな。
はは、いっそ叛乱でもしてくれた方が気が楽だったかもしれない。
「して、何か妙案は無いか?」
「「……」」
頼るべき重臣の二人。
その頼るべき二人が頭を抱えてしまった。
この二人がこれほど困惑の表情を浮かべたのは、私の記憶に無い。
「なにかあるだろう、外国の王子を婿に迎える……のは、我が国の現状では干渉されるから駄目か。ならば国内の有力な貴族……も、目ぼしい家格をもった貴族はおらぬ」
「「そうなのです」」
やっと解ってくれたかともいうような表情でこちらを見る二人。
ああ、そうだ。解ってしまったよ。
私の伴侶となる候補がいないことを。
そりゃ、両家とも爵位領地を返納したくもなるだろう。
せっかく支えようと思ったこの国も私の代で終わりか。
あ、良いことを思いついた!
「ならば政略的な要素を抜けばいいのではないか」
「勿論、それはそうですが……」
「陛下は恋愛結婚をされると言うのでしょうか?」
「そうだ。私も女として物語のような恋愛に対して憧れが無いわけでもない」
「なるほど」
「だから多少家格が低くとも、貴族子弟の中から伴侶を見つけるというのはどうであろうか」
「ですが、どうやって探します?」
「ん?」
「陛下が自ら恋愛をして結婚を目指すとしても、その相手をどうやって探すというのでしょうか?」
「そ、それは夜会などで」
「陛下がご出席される際は、主賓としてです。まさか他の貴族子女のようにホールでに降りて相手を探すわけにも参りますまい」
「確かに」
「陛下の顔を直接拝謁していない低い身分の者たちと恋愛をするにしても、いざ、身分を明かしたらどうなると思いますか?」
「……逃げるだろうな」
「逃げるでしょうね」
「そ、それでは私はどうやって伴侶を見つければいいのだ?」
「「……」」
無理か?
無理なのか?
まだ17歳なんだぞ。
10歳から必死にこの国の立て直しに頑張った私へのご褒美は?
「陛下の身分を知り、陛下と恋愛ができ、そして王配ともなれるような希有な逸材となると…」
オルコットが若干棒読みのように私の伴侶の条件を並べる。
いや、いないよ。
解っているのだ。
この私とともに国を支える覚悟も無い者を伴侶に据えることなどできない。
「ああ、そうだ」
そこでマリガンが手を打って立ち上がった。
「何か良い案でも?」
「はい、妙案が思い浮かびました。たった一人だけ、陛下にふさわしい男性がおりました」
「おお、それは誰だ?」
そんな奇特な奴がいるのか?
「ああ、わかったぞ。わしも一人心当たりがおったわ」
「素晴らしい、是非申してみよ」
「「アルドリッジ子爵です」」
「誰?」
その時、天井でゴトリという音が聞こえた気がした。
音を立てるなど影らしからぬ失態だな。あとで叱らなければなるまい。
「アルドリッジ子爵だぞ、陛下は知らぬのか?」
「知らぬ家名だ。子爵家もだいたいは顔を合わせてはいたはずだが」
「ルイス・アルドリッジ子爵です、陛下」
「ルイス・アルドリッジ? ……ルイス?」
顔面に血が集まるのが分かる。
「そそそそ、そういえば子爵位と姓を授けていたな。すっかり忘れておった。だけど、なななななな、ないぞ。ルイスとの結婚はさすがに」
「なぜですか? 幼き頃からともに生きてきた二人ではないですか?」
「そうだ。あの者の実力とこれまでの貢献があれば、家格は足りていなくとも国内の反対はわしら二人で充分抑えられる」
「だだだだだ、だってルイスだよ、ルイス。それにルイスの気持ちだって……」
いかん、言葉遣いが崩れてしまう。
だけど、ルイスは……ルイスとの結婚は……。
「失礼します。陛下、私も同席させていただいてもよろしいでしょうか」
天井の一部が外れ、黒装束に身を包んだ銀髪の若い男性がひょっこりと顔を出した。
「ル、ルイス! 聞いて……はいただろうな。良い、こうなっては同席するしかあるまい。両公爵、異存はあるまいな?」
「問題ございません」
その言葉を聞いてルイスは天井からひょいっと飛び降りてきた。
無駄の無い動き。相変わらず格好良い。
「陛下、両公爵の話についてどう思われますか?」
「どうって言われても、女王としての立場もあるし……それにルイスは幼なじみというか姉弟みたいなものというか……え、だって、いいの? 私だよ?」
ルイスの視線がまっすぐ私の目に向かってくる。そこにブレは無い。
いや、照れるから見ないでくれ。
せっかく……せっかく長い時間をかけて閉めた蓋が開いてしまう。
「エミリア、僕はずっと君しか見ていないよ」
「うん、知っている。でも、だってそれは護衛として……」
「エミリア、仕事というだけじゃ全てを捧げて護衛なんてできないんだよ」
それって、どういう。
え?
本当に言葉通りにとらえていいのかな。
「陛下、陛下も報われていいんですよ」
「わしらは知っていたんだ。陛下が国と民のために、ずっと自分の気持ちを抑えているのを」
ちょっと待って。
それじゃ、今回の婚約破棄って。
もしかして二人は私のために三文芝居を?
「いや、ジュリアスとクレア嬢がいつのまにかくっついていたのは本当の話なのです。この点は陛下には全く関係のないことなので……」
「本当に申し訳ない」
目をそらしながら二人が改めて謝ってきた。
あはは。振られたのは変わらないのか。
「エミリア陛下。どうか僕と共に生きてくれないか」
ルイスが跪き、その手を差し出してきた。
まぁ、仕方ないか。
両公爵も支えてくれるだろうし、政務、軍務に合わせて、暗部もひとまとめにできる人材としてはルイスが王配に就くというのは悪くない。それに……。
「もちろん、気持ちが伴わないのであれば、気にせず断ってくれてもいい。僕はエミリアの気持ちがどうであろうと、君のそばで君に全てを捧げて生きる。そう決めているから」
「馬鹿ね。私も好きよ。ずっと昔から」
婚約破棄のムーブメント、エンディングのお決まりはハッピーエンドだしね。
読んでいただきありがとうございます。
こちらの作品もお楽しみいただけたら幸いです。
『わたくしの理解が足りないのかしら』
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『人類は滅びますが、電子の世界で生きていきます』
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