病弱美少女に「海行かない?」と誘われた俺が甘々な告白をされるだなんて聞いてない
「海、行きませんか」
「海?」
いうと、式守さんはうなずき、ペンを止めた。
「海というのは、地球の表面のうち、一面に海水をたたえた……」
「式守さん、僕でも海の定義くらいわかるよ」
「ごめんね、翔太郎君を舐めすぎてたよ」
「海なんていって大丈夫なのかい?」
僕は、ややボリュームをおさえた声でいった。
というのも、ここが図書室だからだ。
この高校の図書室は、さほど人気がなく、勉強する生徒も僕たちくらいだが、大声を出すのはためらわれた。
僕――渡翔太郎は、式守さんこと式守亜衣と勉強をしていた。期末試験が数週間後に迫っているためだ。
「式守さん、いまは何月か?」
「二月だね」
「海、寒くないか」
「寒いと感じるなら着込めばいい」
「そういう問題じゃなくてだな……式守さんの体が心配なんだよ」
式守さんはあまり体が丈夫ではない。体育に参加したことはないし、帰りはいつもタクシーだ。
いうまでもないが、運動部には所属していない。僕と同じく帰宅部だ。早退することも、学校を休むことも多い。
「十五分くらいにするからいいじゃない。タクシーでいけば、体に負担をかけなくていいし。ねえ、いこうよ」
「……そこまでしていきたいのか?」
「うーん。じゃあ、今度のテストで私が翔太郎君に勝ったらでいいかな」
「僕がテストで勝った回数、覚えてる?」
「二、三回くらい?」
「ゼロだ。高校二年生もあとすこしだけど、白星はない」
「嘘?」
「忘れたかい、僕が君と勉強し始めたときのことを」
式守さんと勉強する習慣ができたのは、一年生の二月のことだ。
当時、勉強がからきしだめだった僕にとって、同じクラスの式守さんは、一種のあこがれだった。
式守さんは、テストの点数でつねに学年のトップ争いを繰り広げる優等生だった。
成績が振るわないことに危機感を抱きはじめていた僕は、ある日の放課後、気まぐれで図書室に足を運んだ。
入った瞬間、ひとりの女子生徒が目に入った。ほぼ人がいない図書室で、式守さんはひとり勉強していた。
――あれが、学年トップの式守さんか。
勉強を教えてもらおう。そう考えていたときには、すでに体が動いていた。
「式守さん、ですよね」
「はい……なにか?」
「……勉強を、教えてもらませんか」
答えはすぐに返ってこなかった。警戒するように、僕をじっと見つめ、すみずみまで観察してきた。
「渡翔太郎君、かまわないけど、図書室だから声はおさえて」
「ありがとうございます!」
「ほら、声」
式守さんの答えは、驚きをもってむかえられた。唐突な申し出なのに、すんなりと受け入れられたからだ。
式守さんは自分の勉強を中断し、僕の指導を始めた。苦手教科と範囲を伝えると、図書室の蔵書を何冊か漁り、それを元に解説してくれた。
学年トップレベルの成績の式守さんだから、解説はとてもわかりやいものだった。最終下校時刻までに、その分野の苦手はほとんど解消された。
「突然勉強を教えてほしいだなんていって、すみません」
「あなたは謝らなくていい。それよりも、ちゃんと理解できた?」
「はい! とっても!」
「ふふふ。威勢のいい返事。ならよかった」
式守さんは上品に微笑んだ。すらっと伸びた肢体と、繊細な唇に鼻筋、やや細いが美しい双眸。黒いロングヘアー。
それらが絶妙に噛み合ったためか、僕はついドキッとしてしまった。
「わからないところがあったら、またきいてね?」
その日、僕らは校門で別れた。彼女はタクシーに乗って、夕方の街に消えていった。
「……そうだった。翔太郎君からいきなり押しかけてきたんだ」
「もっとましないいかたってありません?」
「事実だから仕方ない」
答えになっているのかいないのか微妙である。
「じゃあ、さっきの誘い方は忘れてもらって。あのときの借りを返すと思って、一緒に海にいってくれない?」
「……わかった、いつにする」
「きょう」
「りょーかい」
あれから、僕たちは最終下校時刻ギリギリまで勉強した。早めに勉強を切り上げたほうがいいと提案したが、受け入れられなかった。
「ほら、いこ?」
「わかりましたよ」
校門を抜けるとタクシーが停まっていた。
僕らはいつも裏門から帰っている。正門に比べて人がすくなく、式守さんがタクシーを停めやすいからだ。
タクシーに近づくと、自動でドアが開く。僕が先に乗った。
「どこまで?」
「海まで」
式守さんが答える。
「お嬢ちゃん、〝あそこ〟でいいのかな?」
「はい」
それだけで、どこにいくのか、運転手のおじさんは理解したらしい。まあ、海といえば、近隣の住民にとって、思い浮かぶのは一箇所しかないだろうから、不思議なことではないが。
にしても、運転手さんは、なかなかダンディなボイスをお持ちだ。つい聞き入ってしまった。
扉が閉まり、タクシーが動き出す。
「ずっと思ってたけどさ、式守さんはいつもタクシーで大丈夫なの?」
「お金がかかるってこと?」
「うん」
「私の治療費に比べれば安上がり。下手に歩いて倒れたら、お母さんたちが悲しむ」
「車は出してもらえないの?」
「働いてるし、お母さんは運転できないから」
「そうだったんだ」
式守さんにもいろいろ事情があったらしい。
赤信号にぶつかり、車が止まる。
「毎日タクシーだとさ、同じ運転手さんになったりする?」
「そんな感じ」
いうと、運転手さんが振り返った。
「亜衣ちゃんとはかなり一緒になるね? もうかれこれ十年弱……」
「……如月さん、かなりは余計です」
ダンディボイスの運転手は如月さんというらしい。
「へえ、やっぱりそうなんだ」
「私と亜衣ちゃんはよく喋るよ。学生らしい青い話が聞けて楽しいものだy……」
「ホズミさん、黙っていただけませんか?」
「……ごめん、つい口が滑ってしまったよ」
「信号、青だから」
「はいはい」
このふたり、かなり親しげなようだ。
それから色々と話した。話題がつき、沈黙が流れた後、如月さんがふといった。
「海、見えてきたよ」
景色が開けてくる。
――海だ。
「夕日が沈んだ海はきれいだって、ホズミさんが。だから、この時間にしたんだ」
「……綺麗だね、海」
「う、うん」
なぜか動揺する式守さん。めちゃかわいい。
「十五分くらいだっけ」
「あくまで目安だから。体がきつくなる前には戻るっていう」
「タクシーには待ってもらう、そういうことかな?」
「私は別に一時間でも待つから、安心して時間を過ごしなさい」
「なんだか申し訳ないです」
「いいんだよ、少年。ほら、もうすぐだ」
タクシーが停車する。
降りて、数分歩くと海岸に出た。
太陽は、地平線のむこうに降りかけている。夕方と夜のどちらともいえない時間。
ざぁ、ざぁ……。
波が寄せては返す。
砂浜に腰を下ろし、海のむこうをぼんやりと眺める。
「これで、よかったのか?」
「これがよかったの」
「そっか」
式守さんに視線をやる。夕陽に照らされた式守さんは、儚げに見えた。下手をすれば消えてしまいそうな脆さがあった。
「私、あまり外に出ちゃいけないからさ、こういう景色、生で見たことないの」
「ひとりで見よう、そう考えたことはなかったの?」
「うん。知らない世界をひとりで見るのが怖かったから。変わらない病院と家と学校の景色に飽き飽きしているくせに、新しいものを知るのは怖かった」
いっけんすると矛盾したように思える感情を、式守さんは抱えていたようだった。
「……一年前。翔太郎君は、私の世界に土足で踏み入ってきたね」
「嫌だった、のか?」
「いいや、うれしかった。形はどうであれ、体のこともあってあまり友達もいなかった私に語りかけてきてくれたから」
「ちょっとは本意じゃないか」
「びっくりしちゃっただけ」
「そっか」
また海を眺める。波が寄せては返す。それだけの光景。波の勢いに違いはあっても、ほとんど変化がない。
「僕でよかったの、海にいく相手は」
「翔太郎君だからよかったの。私に新しい世界を見せてくれた。君が成長していく様子を見るのは楽しかった」
一年間をかけて、俺は学年の最下位争いをしていたところから、トップ五に入るレベルまでになった。
前回のテストは二位。式守さんと五点差だった。
「私の日常は変わらない。変わっていく翔太郎君を見るのは楽しかった」
「それはどうも」
「私、これからもずーっと、翔太郎君が変わっていく様子、見てみたいな」
「……え?」
言葉の裏に隠された意味を理解するには、長い時間を要した。
それって、もしかして……。
「返事、いますぐにじゃなくていいからね」
一年前のときと同じ微笑みを、式守さんはむけてきた。
「ご、ごめんなさーーい!!!!!」
もちろんオーケーだ。なのに、思いとは真逆の言葉を発していた。
たぶん、僕の顔は真っ赤になっている。こんなみっともない顔、式守さんには見せられない。
砂浜を駆ける。タクシーの停まっている場所を目指して。
「えーー!?」
タクシーの扉は開いていた。逃げ込むように乗り込む。
そんな僕を見て、如月さんはいった。
「――渡翔太郎君、返事はきちんとしたかい?」
「なぜ僕の名前を?」
「そりゃあ、私が亜衣の生みの親だからね。離婚してしまったけど」
「ん?」
「青い話――恋愛相談はよく受けていたよ。告白するときいていたから、事情はわかってるよ」
事情が飲み込めない。
「答えはどうしたんだい?」
「その、なんといいますか。もちろんイエスなんですけど、信じられずに逃げてきちゃって……」
「ひどいね」
「すみません」
「……まあいいよ。しっかり弁解すれば」
「はいっ!」
ダンディボイスでやさしくなだめられる。
「そうだ。『困ったことがあったらまた電話してね』と亜衣に伝えておいてくれ。頼んだよ」
「となると、僕の恋愛事情は今後如月さんに筒抜けだと」
会心の笑みでサムズアップされても困る。
「翔太郎君、応援してるよ!」
「小っ恥ずかしっ!」
この後、しっかり返事をしてから、別々で帰った。式守さんと、その生みの親ことドライバーの如月さんたちと一緒に帰るメンタルはなかった。
夜をむかえた海をバックに、タクシーが過ぎ去る。
車の上部にとりつけられたランプを、僕は見えなくなるまでじっと眺めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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