大聖女マリアの予言
その後。
バハムートが目の前にいると、さらに混乱を与えるだけだと思い、ゼノは一度バハムートに消えてもらうことにする。
「……はぁ。驚きましたぁ~~。ならあの子は、もうわたしたちに襲いかかったりしないんですね?」
「ああ、大丈夫だ」
「操られていたのなら、仕方がありませんけど……」
そうモニカは口にしつつ、下唇を薄く噛み締める。
「でも……魔王ですか」
「そうみたいなんだ」
「にわかに信じられません……」
そう言いつつも、モニカはどこか冷静だ。
それが気になって、ゼノは彼女に訊ねた。
「もしかして、あまり驚いてない?」
「え? あ……いえ、違うんです。マリア様の教えにあるんですよ」
「教え?」
「はい。いずれ、この世界に再び魔王が降臨するだろうって……。それが大体400年後だって言われています」
「は……?」
今度は、モニカに代わって、ゼノが驚きの声を上げる番だった。
「ちょ……ちょっと待ってくれっ! 400年後に魔王が降臨するって、そんな予言を聖マリアは残していたのか!?」
「聖職者の間では有名な話なんです。ですが……。今でもそれを信じている者はあまり多くありません」
「っ?」
「それは、その後に続く言葉の〝ただの前置き〟として捉えられているからなんです」
「その後に続く言葉?」
「そうです。マリア様はその後に、こう言葉を残しました。『その時に、再び〈回復術〉が必要となるので、それまでに多くの同志を集めましょう』って。つまり、魔王が降臨する云々は、布教のための理由付けに使われただけだと、多くの聖職者は考えているんですよ」
モニカはそこで言葉を区切ると、負傷した者たちがいる方へ目を向ける。
「……結果的にその教えの効果もあって、聖マリア教は大陸中に布教されていきました。もちろん、中には予言を信じている人もいます。現代はその400年後にちょうど当たりますから。教会を挙げて魔王エレシュキガルの襲来に備え、いつでも〈回復術〉が施せるように体制を整えている所もあります。ただ、実際に魔王が出現したという報告はないので、今は騒がれていないだけなんです」
「……なるほど……」
大賢者ゼノが魔王を倒した英雄だとするならば、大聖女マリアは人魔大戦後の混沌とした世界を立て直した英雄だ。
そんな彼女なら、魔王エレシュキガルが再びこの世界に現れることも予言できたのかもしれない。
だが。
ゼノには、そのように納得することはできなかった。
つい思った言葉が口を突いて出てしまう。
「……だけど、なんで大体400年後って分かっていたんだ?」
「え?」
「ピンポイントでそんな予言をするなんて、普通できないと思わないか?」
しかも、その予言は見事に的中したのだ。
その事実がゼノの中で、大聖女マリアという人物を得体の知れない存在へと変えていく。
正直に言えば、恐怖さえゼノは感じていた。
「うーん、どうしてなんでしょうか。その点については、あまり深くは考えたことはなかったです」
どうやらモニカも、それについてはよく分からないようだ。
「聖マリアは魔法が使えたんじゃないのか? たとえば……未来予知みたいな魔法がさ」
そんな魔法があるのかは分からなかったが、666種類も魔法が存在するのなら、中にはそんな魔法があってもおかしくはない。
「……いえ、マリア様は魔法は使えなかったはずです。そもそもマリア様は、大賢者様と対をなす術使いの革命児としてその名前が知れ渡っていきました。ですから、そんなマリア様がもし魔法が使えたのでしたら、そのような記実が必ず残っているはずなんです。ですが、少なくともわたしは、そのような事実があったと聞いたことがありません」
「そうか」
となると、謎は深まるばかりだ。
(……いや、聖マリアの予言について今さら考えたところで意味ないか。魔王は400年後の現代に、実際に現れたんだから)
そうゼノが気持ちを切り替えようとしたところで、モニカがひと言呟く。
「ですが……。マリア様は、前世の記憶を持っていたと言われています」
「えっ?」
「よくこの世界ではないどこか別の世界のお話をされていたと聞きます。ひょっとすると、それが何か関係があったのかもしれません。あくまで推測に過ぎないですけど」
「……どこか、別の世界……?」
結局、その話は謎をさらに深める形で終わりとなった。
◆
それからゼノは、モニカから現状を確認した。
モニカは、まずアーシャとベルの治療を終えた後、衛生兵と一緒に師団員たちの治療に回っていたようだ。
あれだけの攻撃を受けたにもかかわらず、幸運にも戦死者が出ることはなかったらしい。
「よかった……。誰も死なずに済んだんだな」
『お主らには、多大な迷惑をかけてしまった。大変申し訳なく思っておる……。そして、モニカ嬢。犠牲者が出なかったのは、お主の働きによるおかげだろう。恩に着る』
「いえ、わたしは自分ができることをやっただけです。皆さんがご無事で本当によかったです♪」
『ふむ、モニカ嬢は心まで麗人なのだな。感心したぞ』
「うふふ♪ もっと褒めてくださってもいいんですよぉ~?」
すっかり、モニカとバハムートは和解を果たしていた。
(やっぱりすごいな……モニカは)
こんな風に謙遜しているが、彼女がいなかったら間違いなく戦死者が出ていたに違いない。
ゼノもバハムートと同じく彼女に感謝した。
すると、ちょうどそんなタイミングで。
「ゼノっ! んなところにいたのかよー」
「モニカ姉、もうみんなの治療が終わったみたい」
ゼノたちのもとへアーシャとベルがやって来る。
彼女たちは依然として、魔王降臨の件について驚いているようだったが、バハムートが『現状はそこまでの脅威はないぞ』と告げると、徐々に落ち着きを取り戻していった。
『あの者は、一度我たち魔族を操ると、次の手を打てるまでにある程度の時間を要する必要があるからのぅ』
「そうなのか?」
『うむ。以前もそのようであったから、おそらく今回も間違いないであろう。我が正気を取り戻しても、何も行動を仕掛けてこないのがその証拠だ』
「ある程度の時間を要する……。それは、どうしてなんでしょうか?」
『……分からぬ。だが、魔王エレシュキガルが我たち魔族を操るのは、己の力がまだ不完全な状態にあるからと、我は推測しておる。それは、400年前もまったく同じであった。あの者は、徐々に力を蓄え、やがて完全体となる。よって、猶予はまだあると言えよう』
「んだよ。なら、そんなに気構える必要はねーのか」
「……ちょっと安心できた……」
「ですね。それまでに、こちらの出方を考えることもできますし」
そのように安堵する彼女たちとは対照的に、ゼノはそこまで楽観的に考えることができずにいた。
(……たしかに、まだ時間はあるのかもしれないけど)
だが、誰かが魔王エレシュキガルを倒さなければならない。
それは、ひょっとすると、大賢者ゼノの名を受け継ぐ自分の務めなのかもしない、とゼノは薄々感じていた。
しかし、今のゼノにはそれと同じくらい大事な責務がある。
エメラルドを死神の大迷宮から救出することだ。
それと平行しつつ、魔王を倒すなんて偉業を成し遂げられるのかまでは、正直自信がなかった。
『さて……ゼノの仲間にも挨拶ができたわけだから。そろそろ、我はこの場から身を引くことにしよう』
「そうか。分かった」
『何かあれば、またいつでも呼び出してくれ』
シュポン!
そう言ってバハムートはその場から消えてしまう。
「お、おい……っ!? 消えちまったぞ!?」
「なんでも、ああやって小さな姿を保つのは、けっこうな体力を使うみたいなんです。ですから、いざっていう時のために姿を消しておくみたいですよ」
「ちょっと触ってみたかった……」
モニカの言葉にベルはどこか残念そうだ。
そんな彼女たちに、ゼノは改めて声をかける。
「ちょっといいか、みんな」
「はい? なんですか、ゼノ様?」
「えっと……。バハムートと従属契約した件は、ほかの人たちには黙っておいてほしいんだ」
「どうして?」
ベルが不思議そうに訊ねてくる。
ゼノは、平原の周りに人がいないことを確認するとこう続けた。




