モニカ・トレイア
「うん、今日もいい天気だな」
お天道様を見上げながら、ゼノは朝から活気づくフォーゲラングの村を歩いていた。
昨日も感じたことだったが、皆がそれぞれ自分の仕事に誇りを持って働いているように、ゼノの目には映った。
(本当にいい村だな。また、時間ができたら来よう)
そんなことを思いながら、村の出口を目指して歩いていると。
「そこの貴方」
振り返れば、そこには微笑みをたずさえた少女の姿があった。
「こんにちは♪ ちょっとよろしいでしょうか?」
「え……昨日の聖女様?」
「はぁい♪ 皆さんに癒しを与えている心優しき聖女様です♡」
たしかにそう自称するように、彼女の周りには癒しのマイナスイオンが飛んでいた。
「わたし、モニカ・トレイアと申します。貴方のお名前を教えていただけますか?」
「あ、初めまして。俺はゼノ・ウィンザーって言います」
「ゼノ?」
その一瞬、ヒーラーの少女――モニカが驚いたような反応を見せる。
「……珍しい名前ですね♪ あの大賢者様と同じ名前じゃないですか」
「ええ、まぁ」
ゼノはそこまで口にして、本当のことを話すかどうか迷った。
自分の名前は、その大賢者様から付けられた名前なのだ、と。
が。
ゼノが何かを口にする前に、モニカの鋭い質問が飛んでくる。
「それで、ゼノさんはどうしてここにいるんですか? この村の方じゃないですよね?」
「え?」
その瞬間、突然、モニカの態度が変わった。
ほわほわとした微笑みをスッと切り替えて、真剣な眼差しで訊ねてくる。
「あ……いや、たまたま途中で立ち寄りまして」
「そうなんですね。ふーん……」
そう口にすると、モニカはゼノの全身を舐め回すように眺めてくる。
そして、続けて罪状を読み上げるように、ビシッと人差し指を突き立てながら迫った。
「貴方。昨日ご婦人の傷を治療してましたけど、ライセンスはお持ちですよね?」
「ライセンス、ですか?」
「はい。南方教会が設置されていない場所で治療活動を行うには、教皇様が発行されたライセンスが必要なんです」
「そうだったんですか。すみません……。俺、ライセンスは持ってなくて」
「え? ライセンスをお持ちではないんですか? では、なんで治療しちゃったんでしょうか? ヒーラーなら、そんな当たり前の常識、知っていて当然ですよね?」
口調は柔らかいが、モニカの態度は明らかにゼノを敵視していた。
罪を許さないという目をしている。
(やべぇ……。聖女様、めちゃくちゃ怒ってるぞ。どうしよう……)
ここで下手なことを言っても、さらに厳しく追及されそうだったので、ゼノは本当のことを話すことにした。
「あの……ごめんなさい。俺、ヒーラーじゃないんです」
「? ヒーラーじゃないのでしたら、どうやってご婦人の傷を癒したんですか? ムリですよね。その言い訳」
「いや、俺は魔導師なんです」
「はい? 魔導師……?」
予想外の回答が返って来たのだろう。
モニカはそれを聞いて固まってしまう。
「てっきり、村中で話題になっているものだって思ってたんですけど」
「し、知りませんっ……!」
顔を赤くさせて、モニカはぷいと顔を背ける。
彼女にとっては聞いても面白くない噂だったため、耳に届かなかったのかもしれない。
「というか、待ってください。魔導師ってことは……貴方、貴族ですよね? 貴族の方がどうしてこの村に、たまたま立ち寄る必要があったんですか?」
「えっと……今の俺はもう貴族じゃないんです」
「貴族じゃない?」
ゼノがそう口にすると、モニカはあからさまに不審な目を向けてくる。
それも当然だ。
現代において、王族や貴族ではない魔導師というのは本当に稀な存在だからだ。
「……というか、その話は置いておくにしても、魔導師の方が〈回復術〉を使えるとか聞いたことがありませんけど」
「俺が使ったのは〈回復術〉じゃないんです。魔法で治療を行いまして……」
「ま、魔法っ……!?」
(やっぱり、こういう反応になるよなぁ)
ただ、今の彼女に、実は未発見魔法が扱えるのだと言っても、信じてもらえる見込みは薄かった。
それに、むやみやたらと人に話すことでもなかった。
だから、ゼノは昨日の婦人に言った言葉をそのまま繰り返す。
「昔は、魔導師も傷の治療ができたみたいなんです」
「昔はって……。今は魔法は13種類しか発見されてないですよねっ? その中に治療が行える魔法なんて無いと思うんですが」
「いや、それは……」
「とにかくです。どういうインチキで傷を治したかは知りませんが、貴方が勝手にご婦人の傷を治療したことで、わたしの評価はだだ下がりなんです。これって、営業妨害ですよね?」
「ごめんなさい。本当に申し訳ないです。ただ、あの人を見ていたら放っておけなくて」
「そういうのをいらぬお節介って言うんですよぉ!」
モニカは不機嫌そうに頬を膨らませる。
そこには、昨日見かけた凛とした聖女の姿はなかった。
今の彼女には、どこか駄々っ子のような幼さがあった。
そして、何かに気付いたようにウィンプルをぱたぱたと振り払うと、姿勢を正してゼノに向き直る。
「あのぉー、何か誤解されてるようですけど、昨日はたまたま調子が悪かったんです。本来のわたしの力をもってすれば、あのご婦人の傷は治せたんですよ? 聖女の〈回復術〉は偉大ですから♪」
「ええ、そうだと思います」
「わたしは王都にある総本山教会から派遣されてこの村までやって来たんです。ですから、こういうのは困るんですよね。ヒーラーは2人もいりません。ほら、献金も上手く集められないと思いませんか?」
「そうですね」
ゼノはそう口にしつつ、少しだけモニカの態度が気になった。
(……なんだろう。やけに絡んでくるな。たしかに、仕事の邪魔をして悪かったとは思うけど……)
「というわけですので。悪いんですけど、この村から早急に出て行ってもらえますか? 貴方がいると、今後の仕事に差し支えますので♪」
にっこりと微笑みを浮かべて、モニカはそう言い放った。
有無を言わさないという態度だ。
「実は、もうこの村を出て近くの町まで行こうと思っていたんです。これから仕事を探さないといけないので。邪魔をして本当にすみませんでした」
「そうですか。そうしていただけると助かります♪ 大丈夫です、安心してください。ゼノさんに代わって、この村の方々のフォローはわたしがしっかりと務めておきますから」
「はい。よろしくお願いします」
ゼノは一度頭を下げて、その場を後にしようとする。
(そうだよな。俺みたいなヤツがいたら、仕事がやり辛いよな。即刻立ち去ろう)
そう思って、モニカに背を向けるゼノだったが……。
「魔導師様っ!」
突如、血相を変えて走って来た1人の男にゼノは声をかけられる。
彼は息も切れ切れのまま、ゼノに向かってこう訴えた。
「うちの娘を見てやってくれませんか!?」
その表情を見て只事ではないと悟ったゼノは、すぐに男に訊ねた。
「何があったんですか?」
「え、えぇっ……。実は昨日、娘は友達と一緒に近くの山へ遊びに行っていたのですが、そこで見知らぬ木の実を食べてしまったみたいで……」
「木の実?」
ひょっとすると騙しの実かもしれない、とゼノは思った。
その昔、ドミナリアの町で暮らす子供が家族で山に出かけた際に、美味しそうな木の実を食べて命を落としたという事故があった。
山や森には、そういった子供を騙す食べ物が時々落ちていたりすることがある。
「容態を確認したいので、案内してくれますか?」
「ありがとうございます、魔導師様! こちらです!」
走り始める父親の後にゼノがついて行こうとすると、モニカが後ろから声をかけてきた。
「待ってください。わたしも行きます」
「……え? いいんですか?」
「いいも何も今言ったじゃないですかっ! ゼノさんに代わってこの村の方々のフォローはわたしがしっかりと務めておきますって。というか、貴方がいると邪魔なんですけどぉ!」
「でも、俺も放っておけないんです」
「……むぅっ。これは聖女の務めです! ゼノさんはわたしの後ろで黙って見ていてください!」
結局、モニカも一緒について来る形で、2人は父親の背中を追いかけるのだった。




