七十八話 結界の内側
「決闘大会の時問題を引き起こしたのはヒューロン・ファインツだったよなぁ。魔道具開発研究会繋がりか〜?」
マークス先生が呟いた。
確定すると、色々と納得の要素が思い返される。
上位貴族ばかりが集まる紫クラスでの立ち回りの上手さ。最初の実技授業、クロエに魔力干渉をしてしまった際、クロエが先に攻撃してきたと見抜いていたこと。ヒューロンとの関わり。核石を作ったことがあるというその経験。読唇術という変わった特技、私に気取られないその技量。エンジェラに関する噂への耳聡さ。少し前の、マークス先生に対する妙な質問。
単体で怪しいかと言われたら、そうじゃない。でも、納得はしてしまう程の要素があると思った。
「先生。中庭って言いましたよね?」
確認の質問を投げながら立ち上がる。ここは屋上。学院全部が見渡せる。
「ああ」
「先生は医務室に行ってください。精神操作の後遺症とかが──」
言いながら、中庭の方を見下ろしたその時。
異様なものが目に入って、言葉が途切れた。
「あぁ、そういえばお前精神操作をどうやって解いたんだ──って、モーガンス?」
マークス先生に答える余裕は無かった。
眼下、中庭を覆うようにして、大きなドーム状の結界が作られていた。濃いオレンジの光が、脈打つように蠢いている。まるで生きているかのようなその光が、異様で気味が悪い。
中庭の地面から生えてきたように上に向かって、閉じていく。未完成だ──今は、まだ。人一人分が抜けられる程の穴だけ残っている。けれどその穴もまさに今、閉じられようとしていた。
「先生、私行かないと。医務室、あとグレゴールさんに連絡!」
マークス先生に叫ぶ。左手首を右手で触る。そこにしっかりとはまった腕時計型の魔道具を確かめて、私は屋上から飛び降りた。
普通の結界なら、無理やり壊せばいい──けど、この結界は大きいし、なにか変だ。普通の結界じゃない。
今、穴が空いているうちに、通らないと。本能的にそう思った。
「グレゴールさんって、理事長か!? あっおいモーガンス!?」
マークス先生の声が追いかけてくる。説明の暇がなくて申し訳ないけど、何とか上手くやって欲しいと思いながら、魔力で力をかけて、体の落下を加速させる。
そのまま、通れるか通れないかギリギリの大きさまで縮まった穴に、体を滑り込ませた。
するりと通り抜けたら、体を魔力で支えて加速を抑える。怪我しない程度に速度を緩め、すたっと地面に降り立った。
結界で覆われた中庭の、端の方。
人が二人いる──一人は横たわっている、エンジェラ。そしてその傍でしゃがみこむ人影。
深緑の髪がふわりと揺れて、彼女はこちらを見た。
「あーあ、やっぱり来ちゃったのね」
「ヴィクトリア。……あんた、ムスタウアだったんだ」
立ち上がりながら、問う。
ヴィクトリアは私から目線を外し、ちらりと上を見上げる。つられてそちらを見ると、先ほど私が通った穴はもう完全に塞がれていた。
ヴィクトリアはこちらに目線を向け、ふっと笑った。
「そうよ。気づかなかった?」
「まあね、残念ながら。エンジェラに、何したの」
エンジェラは仰向けに横たわっていて、目を閉じている。少し距離はあるけど、吸魂具特有の異様な魔力の気配は一切しないから、まだ、吸魂されていないと信じたいのだけれど。
「別にまだ何もしてないわ。よかったわね、軽く眠らせてるだけよ。でも、それ以上近づかないことをお勧めするわ」
ヴィクトリアの言う通り、遠目にもエンジェラの胸が呼吸のたびに動いているのが見えた。
エンジェラの様子を見ているのかと思ったけど、ヴィクトリアがしゃがみこんでいるのはエンジェラに向かってではなく、その隣にある金属の大きな箱の形をした魔道具。はたから見たら、ただの鉄の塊だ。よくある魔道具らしいデザイン性は欠片もなく、だからこそ不気味に見えた。
見たことのないそれは、一体何なのか。とてつもなく嫌な予感だけがした。
ヴィクトリアは立ち上がって、体ごとこちらに向き直った。
「にしても、メランヒトン先生も使えないわね。リラが相当信頼してるみたいだったから、使えると思ったのに。あなたを引き留めることもできないなんてね」
皮肉気に口の端を吊り上げるヴィクトリア。
あのときの、変な問答は、やはり今日のためだったのか。
「私をここから引き離すためだったんだ? それは残念。精神操作は解除したし、先生は精神操作をかけてきたのがあんただって覚えてたよ、ヴィクトリア」
「解除?」
ヴィクトリアは一瞬、眉をひそめる。けれどすぐに、わざとらしい笑みを貼り付けた。
「まぁ、別にいいわ。リラを引き離したのは、この結界を完成させるため。未完成の内はまだ不安定でねぇ。リラならもしかすると、内側から壊せたかもしれないけど、完成しちゃったらもう関係ないわ。なんせ、この結界に使っている魔力は、あたしの三週間分貯めた魔力よ。あなただって、そう壊せるものじゃない」
「ふうん、三週間、ね」
エンジェラの覚醒から、即座にこの計画を立てていた、ということだろう。
この結界の強度がヴィクトリアの言う通りならば。私の直感は正しくて、とにかく何も考えずにここに飛び込んできたのはやはり正解だった。
そう思った私の考えを見透かしたのか、ヴィクトリアは肩をすくめて、冷たく笑った。
「言ったでしょ? 参ったって言うに違いないって。まあ、あの時にはもうこの結界を作るための魔道具は完成してたけどね」
ヴィクトリアはこちらを向いている。けれど、動く様子なく、ただ話しているのは何故なのか。
エンジェラの吸魂が目的だと思っていたけど、果たして本当にそうなのか──もしくは、そのための準備が終わっていないのか。
ならば、邪魔をする可能性がある私を制圧すればいいのでは? ──私と戦うのを、避けているのだろうか。
「彼女を、奪い返せば何とかなると思ってる? この結界は、私が消さない限り消えない。そして私がこれを消すのは、覚醒した彼女の吸魂が終わったときよ」
呆れたように、ヴィクトリアは肩をすくめた。
冷静に考えろ。
やはり、ヴィクトリアの目的はエンジェラの吸魂。なら、吸魂が終わっていない今、エンジェラを傷つけようとは、しないはず。
そして、私の相手をする余裕が無いのだろうと思う。それは──エンジェラの傍に鎮座する、あの不気味な魔道具に関係することだろうか。あれがもし、吸魂具なのだとすれば。大きさからして、かなり強力な物なのではないかと思う。
魔術決闘大会のときに、ヒューロンは吸魂の対象範囲を広く改良した吸魂具を使用していた。ヴィクトリア──そのほかのムスタウアの人間かもしれないが──が、より改良して、吸魂の速度を上げる新しいそれを発明している可能性だってある。
ここのところ、魔道具研究会で忙しそうにしていたヴィクトリア。この三週間、拍子抜けするほど平穏だったのは、今日というタイムリミットぎりぎりまで準備していたと思えば、しっくりくる。
つまり、吸魂具の準備は終わっていない。ヴィクトリアはそちらに意識を割いている。
──隙アリだ。
「残念だわ。あなたのことも、吸魂するんだから。避けようがないのよ、こればっかりは。いくらあなたが──アイオライトの魔術師で、ライラックだったとしてもね──っ!」
ヴィクトリアがのけぞった。その体のすれすれを、私が実体化したダガーが通っていく。
残念。避けられた。
ダガーは結界の壁にカン、と当たり、地面に落ちて消える。
「聞いてなかったの!? 今あたしを捕まえたところで、ここから出られないのよっ」
苛立ったように、ヴィクトリアが叫んだ。
間髪を入れず、距離をつめる。
「関係ないよ。どうせそのうち──」
脇腹を狙って、蹴りを打ち込む。
「外から、加勢来るっ、し!」
当たったかと思った。けれど、足に伝わる衝撃はない。
一瞬、ヴィクトリアの輪郭がゆらいで見えた。──いや、違う。位置が、ズレた?
当たらなかった足を引かず勢いのまま回転し、後ろ手に肘を叩き込む。
「いくら三週間の魔力って言ったって、一人でしょ?」
肘が彼女に当たった感触がしたのは、一瞬。ヴィクトリアは即座に後ろに飛び退いた。
着地と同時に足に力を込めて、攻撃の勢いを強引に殺す。片膝を地面につけたヴィクトリアを見下ろした。
「国治隊──必要なら魔術騎士団だって集まって、この結界を壊すことになる」
ふっと吐かれた、笑いにも聞こえる小さな息が、空気を揺らす。
ヴィクトリアは私を見上げ、好戦的に笑った。
「……さすが、ライラックね。本当に物騒。噂のとおりだわっ!」




