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七十六話 努力の尊敬

 私とイザークが何も言えずにただ立ち尽くす一方で、エンジェラは恐る恐る口を開く。


「あの、イザーク様……さっきのこと、本当ですか? その、私のことを……」


 イザークははっとして、エンジェラに向き直った。


「……はい。このような風にして、知られるとは思っていませんでしたが。クラインさん。私は、貴女の何事にも一生懸命で、いつも明るくて前向きな所に本当に救われていました。貴女にとって私がただの友達でしかないのは、重々承知しています。ただ、貴女のことが好きだと言うのは、私の噓偽りない気持ちです」

「そうだったんですね……ごめんなさい、気づかなくて。私、好きな人がいるんです。だから、イザーク様の気持ちには答えられません」

「いいんです。分かっていましたから」


 申し訳なさそうに眉を下げるエンジェラに、イザークは優しく微笑んで見せた。


「それで……もしよろしかったら、お聞きしてもいいですか? 先程、クロエ嬢が言っていたことの意味を」


 遠慮がちに、その問いを口にするイザーク。ちらりと、こちらにも視線が向けられた。


「モーガンスさんが、このごろクラインさんとずっと一緒にいることと、関係あるのでしょうか?」


 話してもいい? と言いたげな顔で、エンジェラが私を見た。正直、私に聞かれても。イザークになら話しても許される気もするんだけど、まあ厳しく行くなら普通はダメだ。

 ただ……さっきのイザークの言葉はクロエにとってかなり無神経だったから、そのことは少しだけ気にかかる、けど。

 うーん。


「リラ、お願い。なんかあったら私のせいにして」


 ダメ押しのエンジェラ。こっちを見る水色の瞳はどこかうるうるしていて、ため息が漏れた。もうしーらない。

 返事代わりに、私たちの周りにだけ、防音の結界を張った。周りが見えなくなる──もちろん周りからも見えなくなる──乳白色の結界だ。


「リラ、ありがと。イザーク様。私、実は覚醒したんです。魔力が爆発的に増えて、なんか、始祖アベライト並みの魔力になったって」

「……!!」


 エンジェラが、色を変える魔術を解いて、黒髪に朱色の瞳に変わる。イザークが息をのむ音が、結界の中で妙に響いて聞こえた。


「それで、だからあの、私、サグアス殿下と婚約することになって。あっ、このことは秘密でお願いします! 一週間後に、婚約発表だから、それまで。で、そういうことだから……レイヴン様とサグアス殿下の婚約は、解消になっちゃったんです。そういう意味で、レイヴン様の言った泥棒猫っていうのは、あながち間違いじゃなくって……」


 エンジェラは小さくうつむいた。


「レイヴン様は、サグアス殿下が好きだから、今までずっと頑張って来たんだって聞きました。私も、この思いが叶わなかったら悲しいし悔しいし、ライバルのことは憎んじゃうだろうから、気持ちはわかるんです。……私が謝っても、レイヴン様は嫌な思いするだろうから、何も言えないけど……」


 イザークは目を見開いて絶句していた。


「だから、私が言うのも変だけど、レイヴン様のことは責めないでほしくて……あの、イザーク様?」

「……私が、間違っていたんですね……」


 イザークが呟いた。わずかにうつむいたことでメガネが反射して、表情が良く見えない。


「えっと、何か言いましたか?」

「いえ。クラインさん、教えてくださって、ありがとうございます。クロエ嬢に、謝りに行きたいと思います」

「えっ」

「クロエ嬢を傷付けてしまったからには、謝らないと。この結界、解いてもらえますか?」


 まっすぐエンジェラを見たイザークは、決心に満ちた顔をしている。突然の展開に戸惑いながら、エンジェラの色彩が戻っていることだけ確認して、イザークに言われるがままに結界を消す。すると、イザークはそのままクロエの下りて行った方に走って行った。


「リラ、大丈夫かな……あの二人、相性悪いと思わない?」

「こっそりついて行ってみる?」

「え?」

「だってそもそも、イザークに課題教えてもらうんでしょ? 帰って来るまでなんもできないし、待ってるの暇だし」

「リラってそういう所、悪いよね」


 そうは言いつつも、エンジェラはいたずらっぽくにやりと笑った。


 *


「あ、いた」


 急いで走って行ったイザークの足音は追いやすく、教室棟の入口ですぐに見つけた。そしてそのイザークも、クロエに丁度追いついたところのようだった。

 数メートル手前で壁に張り付き、エンジェラと私自身に背景と同化して見える『姿隠し』魔術を使った。ただ残念ながら、この体勢じゃ二人の姿は見えない。


「話は聞きました。先ほどは何も知らないのに無神経なことを言ってしまい、申し訳ございません」

「なにかしら、同情でもしに来たの? わたくし、貴方の顔を見るとそれだけでイライラするのよ、帰って下さらない?」

「昔から、貴女は私に対して態度が悪かったですね。私も、貴女のことが嫌いでした」


 いきなり何言いだすんだ。謝るんじゃなかったのか。

 案の定、空気は険悪だ。


「なによ、わざわざ文句を言いにいらしたの? 私を怒らせたいの?」

「いえ、事実を言ってるんです。貴女は私が何か失敗をしたとき、特別苛立っていましたね。不思議だと思っていたんです、嫌いな人の失敗ならふつう喜ばしいのでは、と」

「私、そんなに性格が悪いと思われていたの? 本当、失礼ですこと」

「はは、そう言われると、確かにそうですね。貴女は、私が考えていたような浅ましい人とは欠片も被っていませんでした──ただ、目標に向かって努力ができる、高潔な人でした」


 クロエの返答は聞こえない。けれど、イザークの言葉に驚いているのだろうと思った。


「貴女は、ただ自分にも他人にも厳しい人なのだと。だから、出来の悪い私のことが許せないのだろうと気づいたら、貴女の見え方がガラリと変わりました」


 落ち着いた口調で、イザークは話し続ける。


「レイヴン嬢。私は心から、貴女を尊敬しています。貴女は幾年も努力を重ね、一度だって殿下の名を汚すことはありませんでした。それどころか、いつだって理想の淑女として名を挙げられていた。私に向ける態度から、貴女がもとより完璧な人間じゃないのは知っていましたから、絶えず凄まじい努力を続けているのだと」

「……なにそれ、褒めてると見せかけて本当は貶してるのかしら」

「いえ、褒めています。サグアス殿下にとって、最高の王子妃になるであろう人でした。だからこそ、言いたいことがあります。殿下のことは残念でしたが……貴女のこれまでの努力は消えることはありません、むしろあなたの価値として輝き続けます。それを腐って放り投げてしまう方が、よほど愚かです」

「なによ……なによ、なんなのよ……っ!」


 動揺しきった、情けないような声が聞こえる。その語尾に、わずかに嗚咽が混じった気がした。


「クロエ嬢……泣いているのですか?」

「うるさいわ! あなた、ほんっとうに腹立つのよ! 出来損ないのドランケンスのくせして、どうして私の一番欲しい言葉なんか言ってくるの!? 一番認めてほしい人には、一度だってそんなこと言ってもらえなかったのに……」

「……口に出していなかっただけで、思っていたと思います」

「それを、よりによって()聞かされるのが、余計に腹立つわ! イザーク様、先ほども思ったけどデリカシーというものに欠けているんじゃなくて? そんなだから好きな女の子にフラれるのよ!」

「それは……痛いところを突かれましたね……」


 続く二人の言い合い。でもそこに険悪さはなくて、ただの仲良い喧嘩にしか聞こえない。

 くいっと袖を引かれて振り返ると、エンジェラがも・ど・ろ・う、と口パクで言った。頷いて、別棟の方に戻る。


「なんか、思ってたのと違ったねぇ」

「なんか、ね? まあでも、二人的には良かったんじゃない?」


 クロエも、思い切り感情をぶちまけられていたみたいだし。あの二人、意外と相性いいんじゃないか。


「そう、だといいね。私はレイヴン様のことあんまり知らないけど」


 三階の生徒会室前まで来てそのまま待っていると、少ししてから、イザークが現れた。


「すみません。お待たせしました」

「全然。レイヴン様には謝れましたか?」

「えぇと、まあ、はい、一応」


 少し居心地悪そうに眼鏡の蔓を触るイザークの顔は、複雑だ。そうだよな、最初の一言しか謝ってなかったもん。


「そんなことより、クラインさん。言うのが遅くなってしまいましたが、おめでとうございます」


 イザークが優しく微笑む。それを見たエンジェラはぱっと顔を明るくして「ありがとうございます!」と嬉しそうに答えた。



 ***



 一週間後。


「クラインさんなら、メランヒトン先生に連れられて、先程教室を出ていきましたよ」


 それは、丁度婚約発表、及び婚約の儀を翌日に控えた日だった。

 いつも通り、授業後にエンジェラを迎えに行った先で、イザークにそう伝えられ、息を飲む。

 マークス先生なら、大丈夫か。そう思う反面、今日が護衛最終日であることが、頭の中で警鐘を鳴らしていた。


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