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六十七話 通話

 ふぅ、と大きく深呼吸をするように息を吐き、化粧室の鏡に映った自分の顔を見た。頬の赤みは引いた。

 リュメルのいる個室から逃げて、化粧室に駆け込んだけれど、流石にこのまま帰る訳にはいかないし、いい加減戻らないと。

 戻って、何ともないような顔でリュメルと向かい合えるだろうか。鏡の中の自分に笑いかけてみる。いつも私が作ってる笑顔だ。けれど、いつも以上にわざとらしく見える気がしてやめた。


 拒絶しないで、と言ったリュメルの声が耳に残っている。

 一度冷静になった今なら、作り笑いをベッタリ貼り付けて、踏み込むなと、そう完全に拒絶することも出来る気がする。

 けれど、そうすることはなんとなく憚られて。

 結局どんな顔をすればいいか分からないまま、神妙な顔をして個室の戸を叩いた時点で、私はもう完全に彼を拒絶することは出来なくなったのだろうと思う。


「戻ってきてくれてよかった。もうすぐで探しに行くところだったよ」


 そう言いながら出迎えてくれたリュメルは、どこか安心した顔をしている気がした。


「いきなり飛び出して、すみません……その」

「いいよ、僕の話だっていきなりだったしね。追い詰めるつもりは無いからさ。さぁ、もう一回座ってよ。せっかくの機会だし、まだ食べるものは沢山あるんだから」


 自然に手を取られ、席へと導かれる。

 考えてみれば、いつの間にかリュメルにこうして手を引かれることも、よくある普通のことになっていた。

 椅子に座ろうとした所で、あ、と動きを止める。

 魔信具が魔力を発し、着信を告げていた。 ドレスに合わせて渡されたバッグの中から魔信具を取り出す。かけてきているのは──ウィスティだ。

 何の用だろう。……ルゥーと結ばれたっていう報告とか? 今なら、平気な顔をして、笑って祝福できる気がした。それでもなんとなく、応答するのを躊躇ってしまう。

 手の中の魔信具をみつめていると、リュメルが声をかけてきた。


「いいよ、出ても。……誰?」


 聞いてきたのは、私が微妙な顔をしていたからだろう。


「えっと……ヴィヴェカです」

「あぁ、シュルツさんね……。出たくないの?」

「……いえ、そういう訳じゃないです」


 迷っても仕方ない。多分大丈夫、そう思って魔信具に魔力を流そうとした瞬間、するりと手の中から魔信具を奪われた。


「ちょっ、キースリング様!?」

「やぁ、シュルツさん」


 そのまま私の魔信具に魔力を流し応答したリュメルにぎょっとする。リュメルは私を見下ろし、ゆるく笑んだ。


『……キースリング先輩?』


 余裕で私も聞こえるくらいの音量で、ウィスティの声が響く。


「そうだよ。リラが──」


 ごく自然な感じで名を呼ばれ、私はびくりとした。


「菓子で口がいっぱいで、話せなさそうだったから、代わりに出てあげようかと思って」


 お菓子なんか食べてない。方便だ。私のための。

 私は慌てて口を開いた。


「ウィスティ、どうしたの?」


 同時に、魔信具を返してくださいと、手を伸ばす。リュメルは首を振って、つうわきれるよ、と口パクで言いながら魔信具を指してみせた。

 返してくれるつもりは無いらしい。どうやら、ウィスティとの会話をリュメルに聞かれてしまうのは決定事項のようだった。


『……いいの?』


 ウィスティも、リュメルの魔力で通話に応答したのは気づいている。これはリュメルに聞かれている状態で話していいのか、という確認だった。


「ダメな話?」

『ライラが、いいなら』


 ルゥーとの関係についての話では無さそうだ。じゃあ、なんだろう。今更リュメルに聞かれて困る話なんて思いつかなくて、「うん、いいよ」と答えた。


『……面会申請書類を。一人で出しに行ったって、ルゥーから聞いて』


 あぁ、と声が漏れた。ルゥーの想定外の取り違えを思い出して、苦い気持ちが込み上げてくる。


『一緒に行こうって、言ったのに。……わたしが、飛び出しちゃったせい、だけど……それでもその気の遣い方は間違ってる。それを真に受けた、ルゥーも最悪』


 ウィスティが言う。怒った口調だった。……怒っている?


『わたし、怒ってるから』


 疑問に思った私に気づいたかのように、咎めるように言われた。


『ライラが、わたしたちを大事にして自分のことそっちのけにするの、全然嬉しくない。むしろ、わたしたちの気持ち、バカにしてる……違う、わたしをバカにしてる。ルゥーはバカになってる』


 ウィスティは、怒っている。──私のために、怒ってくれていた。

 ……私は、ウィスティのことなんて欠片も考えていなかったのに? 今更ながら、自分のあまりの自分勝手さに突然気がついて、息を飲んだ。

 気を遣ったつもりなんてない。けど、同時に私はルゥーの反応ばかりに期待して落胆して、ウィスティがどう思うかなんて欠片も考えていなかった。

 ルゥーにしてほしかった心配を、対抗意識さえ覚えていた相手であるウィスティがしてくれている。そんな皮肉な状況に、自分の愚かさをまざまざと思い知らされて、酷い罪悪感を覚えた。


「ごめん……ごめん、ウィスティ」


 呟くように謝る。

 少しの間、通話の向こうでウィスティは黙っていた。


『……ホントに反省してる?』


 訝しむような声色。うん、と返した声は意図せずして掠れていた。

 また少し黙った後に、小さくため息が聞こえる。


『そう簡単に許さないから』

「うん」


 いいよ、許さなくて。こんな身勝手で我儘なやつのこと、許す必要なんてない。そんなことを言えばきっと、ウィスティはまた怒るのだろうけど。


『……まぁ、いいよ。それはおいといて……この後行くなら、時間あわせる。どっかで、落ち合お』

「あっ、うん。ちょっと待って……キースリング様、ここって何時くらいまでいますか?」


 そこで、ずっと私の魔信具を持って魔力を流し続けてくれていたリュメルの顔を見上げた。


「部屋の時間とかはないし、特に決めていないけど……その用事ってのは、仕事関連? 結構時間かかるの?」

「いや、仕事ではないです。ちょっと役所の方に書類を提出に行くだけなので、そんなに時間がかかる訳でもないはずと思います」

「それは、シュルツさんと行かなきゃいけないことなの?」

「え? いや、そういう訳でもないですけど……」


 なぜそんなことを聞くのだろう、と不思議に思ったところで、ウィスティが割って入ってきた。


『リラにとって大事なことだから、一緒に行きたいだけです』

「んー……じゃあ、ダメ元で聞くんだけど。それって、僕が代わりに付き添って行くとか……ダメかな?」

「え……いや、え、でも……」


 思いもよらぬ提案に、困ってしまう。

 確かに付き添いがリュメルでも何の問題もないけれど、リュメルにわざわざ付き添ってもらう意味とは?

 でもそんなことを言い出したら、わざわざ付き添ってもらう必要があるのかすら疑問になってくる。だって、ただ書類を出しに行くだけ。実際にダチュラとの面会の機会がいきなりやってくる訳でもないのだから。


「シュルツさん、僕もう少し、リラのそばに居たいんだ。ダメかな」


 私が言い淀んだら、リュメルは矛先をウィスティに変えてきた。


『……問題は、ないですけど……リラが、良ければ」

「そう。リラ、どう? 良い?」


 じっと伺うように見つめられる。

 断ればいいと思った。だって、先程だってあんなに取り乱したところを見せてしまったばかりだ。あまり奥深くまで踏み込ませるべきじゃない。

 そう、思うのに。どうしてか、言葉が出なかった。


「うんって言ってよ。リラ」


 それは、きっと通話越しのウィスティには聞こえないくらい小さな言葉だった。強制力も圧も無い、けどどこか甘さを含んだ言葉。

 私はきっと、おかしくなっている。

 釣られるようにして、こくんと頷いてしまった。


「いいって。じゃあシュルツさん、そういう事で」

『……分かりました。キースリング先輩、リラをお願いします』

「任された」


 話が終わって、つかの間の沈黙が流れる。じゃあウィスティ、またあとでね。そう言って締めるのは多分私の役割のはずだったけど。


「……そういえば。ルゥーとは、仲直り出来た?」


 通話を切りあげる代わりに、思い切って尋ねた。

 聞きたくないと思っていたはずなのに、本当は気になって仕方なかったのだ。今なら、聞いても平気な顔をしていられる気がした。

 ウィスティは、一瞬の間のあと、少しはにかんだ声で、うん、と答えた。


『嫌な気持ちにさせて悪かったって……』

「うん」

『ルゥーは……わたしのことが、その……好きだって、言ってくれて。付き合うことになった』

「……うん、そっか。よかったね。おめでとう」

『ライラが、背中押してくれたって、ルゥー言ってた。それ聞いて、わたしも素直になれた……ライラ、ありがとう』

「うん。なんもしてないけどね」


 ウィスティは一瞬、押し黙った。


『……ライラ、実は知ってた?』

「知ってた? 何を」

『その……わたしたちが、両思いって……』


 ルゥーの想いに言及する度に、ウィスティは少し恥ずかしげにする。知ってたよ、と私は返した。

 そこに、ほんの少しだけ、本音を付け加えてみる。


「絶対に二人には言ってやるもんかって、思ってたけど」

『……どうして』

「二人がくっついちゃったら、お互いに夢中になって私のことなんて忘れちゃうんじゃないかって、寂しかったから」

『バカなの?』


 間髪入れずに帰ってきた暴言に、思わず笑いがこぼれてしまう。


「本気だったよ。だから、私を一人にしないようにって、ルゥーにも言っておいてよ」


 色々と感情が揺さぶられすぎて気が大きくなっているのかもしれない。それとも、ヤケになっているのかもしれないし、ウィスティの反応を試そうとしているのかもしれない。

 自分でもこんなことを言ったわけが分からなかったけど、一つ確実に言えるのは、こうして本音を告げるのは酷く居心地が悪くて、やっぱり言わなければよかったと後悔した。


『ライラ、』

「ごめん、キースリング様待たせてるし、そろそろ切るね。夜また話そ」


 返事は聞きたくなかった。ウィスティの言葉を遮って、未だに魔信具を持ってくれていたリュメルの手からそれを奪い取るようにして通話を切った。


「……すみません、色々」


 肩を竦めて、申し訳なさそうにリュメルに笑ってみせる。リュメルは真顔で私を見下ろしていた。


「笑わなくていいよ」


 ごく自然に頬に触れられて、びくりとする。


「泣くなら胸を貸そうか?」


 悪戯っぽく笑いかけられて、私はふっと笑ってしまった。


「生憎、そうロマンチックな質じゃないんで」


 編入当初はあれだけ近づきたくないなんて思ってたはずなのに、今や彼の冗談に安心している自分が、なんだかおかしかった。


ウィスティの怒りの論点とリラの謝罪の理由は普通にズレてるし、余りにリラが素直に謝って本気でしょげてるので、ウィスティは何かおかしいと怪しんでいますが残念ながら通話越しじゃそこまで追求できませんでした。

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