五十九話 順応と抵抗
あれは、ルゥーがアイーマにやって来るよりも前、多分私が六、七歳くらいのときのこと。
私は任務で、ある人物を処分しろ、と命じられた。理由は、その人物がアイーマの規律に違反したから。規律と言っても正しく、思想のようなもの。
アイーマの幹部の中でも、最も偉い人──すなわちアイーマを作り上げたトップ。その人は、強い選民思想を抱いていた。
魔力を持つ者こそが選ばれた人間。魔力を持たぬ者は全て、ただ少し賢く生まれただけの獣であると。
その人には願望があった。それは、魔力無しの人間なんて全て殺して、魔術師のみの楽園を作ること。アイーマは、そのために作られた組織。全ての魔力無しを淘汰するためには、より強大な力を。そのために、アイーマは国宝である《アベライトの瞳》と同等のもの──つまりは、永遠に魔力を生み出す、不滅の魂とも言える石を作ろうとしたのだ。
《アベライトの瞳》を作るのに必要な、膨大な量の魔力。それを集めるのが、私達の主な任務だった。
そこに、ある提案をした男がいた。
魔力持ちから魔力を集めるだけだなんて、効率が悪い。魔力を持たないものでも、その魂を守る核殻は作ることが出来るのだから、その核殻を利用すれば良い。魔力を持たない平民なんて星の数ほどいるし、貴族の魔力を奪うより簡単なのだから、と。
それに対し、アイーマの幹部は激怒した。我らが作り上げる神聖なる《アベライトの瞳》に、下賎なる、獣と等しい者どもの魔力ともいえない核殻を混ぜるのか、と。
そんな危険な思想を持つ人間は即刻消すべきだと、その男を処分せよとの命が私に下されたのだった。その経緯を理解するのは当時の私には難しかったけれど、そのこと自体は今でもよく覚えている。
男のコードネームは、そう──アコニツム。苦い記憶を呼び起こす名前だ。
*
その夜、アコニツムに下された任務先を聞き出し、私は先回りしてそこに向かった。
「処分しろ」と、ダチュラは言った。殺せとは言われなかった。
だから、追い出すだけのつもりだった。組員の「処分」の任務は、今までに何度もあった。特段難しいことは無い。アイーマに関する記憶を全て忘却させ、アイーマと二度と関わりを持とうと思わないほどの強烈な恐怖の架空の記憶を植え付けるだけ。ちょっとした『精神操作』の練習とさえ考えていた。
殺すつもりはないし、わざわざ戦う必要もない。それは、完全なる慢心だった。自分の処分令が下ったことを、アコニツムはどこからか聞きつけていたらしい。それによって、私の計画という程でもない心づもりは全て崩れてしまった。
任務地は、何の変哲もない貴族の屋敷だった。
アコニツムはおそらく、夜更け頃に侵入してくるはず。そう踏んで、屋敷主が就寝する少し前に、使用人の子供になりすまして私は屋敷に潜り込んだ。屋敷中の人に精神操作をかけて、私が元から屋敷にいても怪しまれないようにして。
屋敷主の貴族が就寝してしばらくして、住み込みの使用人も皆床についてから。護衛に精神操作をかけ、私はそっと屋敷主の寝室に忍び込んだ。
少し待てばアコニツムは来るだろうと、思ったその瞬間だった。閉めた扉の裏に隠れていた人影。
それは、私を認めるや否や飛びかかってきた。
アコニツムは、薄い茶髪に焦げ茶の瞳、中肉中背の普通の男だった。存在感だってそこまである訳でもなかったし、魔術や体術が飛び抜けて強いわけでもなかった。そんな男に、油断した私はいとも簡単に一発、食らってしまった。短剣で腹を一突き。小ぶりの短剣であったこと、とっさに魔力で腕力と握力を増強し、深々と突き刺そうとするアコニツムの腕を掴んで止めることが出来たから、そう深い傷にはならなかった。
すぐさま精神操作をかけたことで、アコニツムは途端に虚ろな瞳になり、私の腹を刺す短剣を握る手からも、力を抜いた。
痛みに耐えながら、私はアコニツムに「アイーマから離れ、見つからないように隠れて生きていく」ように精神操作で洗脳をして、その場を去ったのだった。
ダチュラに任務完了の旨を伝えると、いつも「ん」と頷くだけの彼は珍しく、「そうか」と言って、私を見た。
「ライラック、覚えておけよ。どんな組織においても、異物は排除される。郷に入っては郷に従えって言葉の意味、分かるか?」
「……順応、しろ?」
「そうだ。どんな場所や組織にも、独自の規律が存在する。それがどれほど間違っていようと、他と違っていようが、そこではそのルールが正しい。守らなければ排除される。とれほど不服でも、順応しなければそこでは生き延びることはできねぇ。アコニツムのようにな」
ふうんと思って、私は小さく頷いた。アイーマに順応することができなかった、愚かな男。アコニツムの印象は、それだけだった。
*
いくら正しかろうが間違っていようが、その場所の規律に沿ったものでなければ排除される。
それが、ダチュラの教えだった。
当たり前のことだ。いくら利益が大きい行動であろうと、そこの規範に逆らえば淘汰されるのは当然の成り行き。強く根付いた思想は、簡単に変わるものではないのだから。
……なんて正直に私が思うことを言ったところで、ヴィクトリアが満足する答えにはならなかっただろう。その話はそのまま流れ、別の話題へと変わっていった。
その夜。
私はベッドに寝転がり、作った核石を空にかざして眺めていた。思い出し始めると、芋づる式に色んなことを思い出してしまう。
幼い頃のアコニツムの一件を覚えていたのは、もっと別の理由だった。
アコニツムの攻撃による傷は、そう深いものではなかった。刃に毒も塗っていなかった。小さな武器だったし、私を殺す気があったにしては杜撰な抵抗だった。けれど、私を殺したところで、アイーマに逆らったと決定づけられて、死ぬまで追っ手がかかったに違いない。抵抗しなかったところで私に殺されて終わり、きっと彼はそう思ったから私を迎え撃ったのだろうけど、その先まで考えていたかも怪しい。
アコニツムがどういうつもりであったにしろ、私にはそれは大した問題じゃなかった。
油断して、穏便に効率よく任務を達成することが出来なかったこと。その挙句、深手ではなかったとはいえ、容易く一発食らってしまったこと。屈辱だった。それはもう、大層。
悔しくて悔しくて、怪我をしてしまったなんて事が誰にもバレないように気をつけながら行動していたその二日後に、ダチュラに気づかれてしまった。
「ライラックお前、怪我したろ。いつんだ」
「……」
「んん? だんまりかぁ?」
後ずさり黙ってダチュラを見上げる私の前にダチュラはしゃがみこみ、魔力を纏わせた指先で、刺された腹部をつついてきた。怪我をしたところに直接魔力が触れると、感電した時みたいなビリビリとした痛みが走る。お腹を押さえてうずくまった私に、ダチュラは「吐け」と催促した。
「……アコニツム」
渋々白状すると、ダチュラは「ふうん」と気に食わなさそうに鼻を鳴らした。
「お前、油断したろ」
「……」
「こんな怪我をした原因を言え」
「……アコニツムが、知ってた」
「ああ、報告で言ってたヤツな。処分令が出たのを当人が知ってたのは、どっかの不用意なやつが情報を漏らしたんだろうな。それから?」
責任逃れのような返答に、ダチュラが納得してくれるはずもなかった。穏やかな口調なのに、詰問されていると錯覚しそうなダチュラのそれが、嫌いで仕方なかった。
「……予測、できてなかった」
「そうだな。いつもあらゆる可能性に備えろって言ってるもんな。それから?」
「警戒……してなかった」
「ああ。いくら不意打ちといえ、警戒してればアレ程度にお前が気づかないなんてなかったな。それから?」
「……」
これ以上答えが見つからなかった私の頭に手をぽんと置き、ダチュラは言う。
「ライラック。お前にはな、覚悟が足りねぇ」
「……かくご?」
「そうだ。命のやり取りをする覚悟だよ」
しゃがんでいたダチュラは腰を下ろし、胡座をかく。
「お前の初めての任務があったとき、俺は言ったろ。無闇矢鱈と人を殺すなと。必要最低限にとどめろとな。なんでか分かるか?」
「……後始末が、たいへん」
「そうだ。証拠だって残りやすくなる。だがな、一番はそこじゃねぇ」
ダチュラは手を伸ばし、私の手を握った。
「お前、生きたいだろ? 死にたくねぇだろ? 他の人間だって、同じだ。誰だって、生きてぇんだよ」
アコニツムと打つ度に予測変換が「顎につむ」と出してくる。




