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五十六話 本音とプライド

「お前、捨てられてたんだよ」


 かつて、あの人は言った。

 その時は別になんとも思わなかった。だって、ダチュラの言うことが私にとって全てであったから。


 私が公爵令嬢であることの、何が問題なのか。真剣な顔で聞いてくるウィスティの顔を見て、唐突に理解した。


「……別に、私が公爵令嬢であろうがどうであろうが、どうだっていいんだけど」


 論点は、そこじゃないのだ。


「じゃ、何?」

「もし私がエーレンベルク公爵令嬢だとしたら、ダチュラは公爵邸から私を誘拐した張本人ってことでしょ。そう考えたら、色々複雑だなーって思ってさ」

「複雑って?」


 ウィスティは曖昧な言葉でごまかされてくれやしない。

 なんと言えばいいのか。どう言えば納得してくれるのだろう。

 ダチュラは、私が孤児だったと言った。

 孤児として育つ人生と、アイーマに来て犯罪者として育てられた人生、どちらの方がましだったかと聞かれたら、分からない。だってこの国の底辺にいる人は本当に貧しくて、汚いことに手を染める人は大勢いる。孤児院にいたとしたって、いずれ道を踏み外していたかもしれない。

 けれど、公爵令嬢だったとしたなら、話は変わってくる。


「分かりやすく言うとさ、公爵令嬢だったら輝かしい未来があったかもしれないじゃん。ダチュラが、私のあったかもしれない輝かしい人生をめちゃくちゃにしたってことになる。これ、どういう気持ちで受け止めたらいいと思う?」


 ウィスティは何も言わなかった。

 彼女は知っている。ダチュラは私にとって親のようなもので、人生における師匠で。なんて言えばいいか分からないけど、もう四年も会っていなくてもまだ、私の心の奥に住み着いている人だ。

 知っているから、きっと何も言わなかったのだろう。


 正確に言うなら、別に輝かしい未来なんてどうでもいい。でも、「犯罪に手を染めない」人生なら、あったかもしれない。

 今の人生が嫌だとか、そういうのではない。アイーマでの時間があったからこそ得られたものはもちろんあって、ウィスティやルゥーの存在はその最たるものだ。だから、人生をやり直して一から道を選べるとして、今世で歩んだ道を選ばないとは限らない。けれど──苦しい思いをしたことは、確かだ。

 もし、本当に私の正体がアイオラであったとして。

 ダチュラがそう言わず孤児院で拾ったと私に教えたのは、少なからず私に対して貴族としての人生を奪い、犯罪者という立場を与えた罪悪感を持っていたからだろう。ダチュラは犯罪者だったけれど、根っからの悪人ではなかったと思うから。

 なんというか、ショックだったのだ。

 だって、私の知る限りでは、ダチュラはいつも私のために何かをしてくれていた。多くの知識を与え、守り、色々と世話を焼いてくれていた。だから、私のためにならないことをしないだなんて、勝手に思い込んでいた。

 変な話だ。そもそもダチュラは犯罪組織の幹部であるというのに。「私のため」だなんて、傲慢にもほどがある。

 分かっているけれど。


「今更ダチュラに対して別に憎しみも怒りもないけど。ただ、なーんかこう、素直に受け止めることも出来ないの。自分の中でどう処理したらいいかわかんない」


 裏切られた、なんて思ってしまう。そんなことを思うなんて間違ってるはずなのに。

 というかそもそも、私の方が先にダチュラを裏切ったんだし。


「だから、逃げてんだ。受け止め切れる自信が無いから。真相を突きつけられるのが怖い」


 ウィスティは、黙ったままだった。

 変な気分だった。怖い、なんていう弱音をウィスティの前で吐くのは初めてかもしれない。

 そう思うと、妙に居心地が悪くなってきた。どうしてここまで言ってしまったんだろう。早急にこの話を終わりにしてしまいたくなる。


「……それだけのこと。心構えができたら、さっさと魔力鑑定受けてくるつもり。だから、」


 そう心配しなくていいよ。そう続けようとした言葉を、ウィスティに遮られた。


「焦らなくても、いい」


 思わぬ返答に、私は戸惑った。ウィスティが、私の手を握ってくる。ウィスティの方からこんなことをしてくるのは、きっと初めてだ。


「もし、ライラに裏切られたら、って想像したら……わたしも、こわい。怖くて、当然」


 これは、何なのだろう。だってウィスティは普段、慰めや励ましはしない人だ。

 不思議な気持ちで、ぼーっと妹分の顔を見つめる。


「ライラが怖がりなのも、情に厚いのも、知ってる……。だから、いいよ。ゆっくり、向き合って」


 ウィスティは、一言一言を区切るような話し方をする。その話し方は言葉一つ一つを浸透させるような、不思議な力があった。


「ライラが、今どう思ってるのか、分かったから……もう、あまり心配しないようにする。けど、いつでも、わたしたちはライラの味方、だから。忘れないで」


 真剣な顔で話すウィスティ。その手は、未だ私の手を握っている。

 変なの。ウィスティから私の手を握ってきて、普段しない励ましをしてくれていること。その衝撃が冷めたら、なんだかそれをあまり嬉しいと思っていない自分がいることに気がついてしまった。

 私は、笑みを浮かべる。


「大丈夫、それは忘れたことない。ありがと、ウィスティ。なんか、気が楽になった気がする」


 感極まったような感じを出して言ったはずなのに、なぜかウィスティは一転して不機嫌そうな顔になった。


「……ライラ、悪い癖、出てる」

「え、何のこと。悪い癖って」

「この前、リュメル・キースリングと話した時、本当にライラに似てるって、思った」

「え、待ってよ。いきなり何の話?」


 さすがに話題転換についていけずに聞き返す。

 すると、ウィスティはにゅっと私の顔に両手を伸ばしてきた。むにゅっと両頬を摘まれ、上にキュッと引き上げられる。


「ぜんぶ、笑顔で覆い隠しちゃう、ところ」


 下から睨むようにウィスティは言って、ぱっと手を離すと同時にふいっとそっぽを向く。少しだけ口を尖らせて、気に食わないとアピールしている。


「……ごめん」


 苦笑しながら、いつもだったらわざとらしく抱きつくところを自重した。それをすると、ウィスティはもっと怒りそうだから。

 リュメルが言っていたこと、私がプライドの塊である、ということ。的を得ているとしか言いようがない。自分の弱いところ、かっこ悪い所を意地でも晒したくない。

 もう、自分の意志で変えられるものじゃないのだ。こうやって生きてきたから、今更このプライドが崩されたら、きっと後には何も残らない。

 ルゥーとウィスティがもっと踏み込んできたがっていることがわかっているから、謝る。こればっかりは変えられないから、諦めてほしい。


「……もういい」


 ウィスティが疲れたようにため息をついて、座っていたソファから立ち上がった。

 寝る前に入浴をするのだろう。浴室の方に歩いて去っていく背中を、何とも言えないような気持ちで眺める。

 不意に、先ほどのウィスティの言葉を思い出した。


「もし、私に裏切られたら、かぁ……」


 ぽつりと独りごちる。

 私の気持ちを理解しようとしてウィスティが想像したこと。到底ありえないことだと思って言ったんだろうけれど、それが本当にありえないのか、私は分からない。

 だって、ルゥーのことで、私は既にウィスティを裏切っているようなものだ。

 二人が両片思いであるのを知っているのに、あえてそれを隠していること。些細なことで、ウィスティに嫉妬してしまっていること。

 色事がどれほどウィスティの中の割合を占めているかは知らないし、二人が仲たがいするようなことをしているわけでもないけど。

 少なくともウィスティは、ルゥーへの感情を色々打ち明けてくれるほどには、私のことを信頼してくれているのに。


「やめちゃいたいなぁ……」


 ぼふ、とソファーに横向きに体を倒す。

 やめられるものならとっくの昔にやめてるけれど。叶いっこない恋から抜け出せずにうだうだしてる、馬鹿な私。失恋して打ちひしがれたまま死んだ前世から、何も成長してないや。

 考えるのも嫌になって、目を閉じる。

 切り替えよう。考えるなら、せめて別のことを。

 瞼の裏になぜか、人畜無害そうな笑みを始終浮かべる腹黒男の顔が浮かんできて、何か別の選択肢は無かったのかと、少し笑ってしまった。


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