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「おい、チビ。邪魔なんだよ、もっと隅っこで存在感消してろ。無理なら捨ててやる」


 ガンッ、と脇腹を蹴られ、部屋の隅に追いやられる。小さなヴィヴェカは蹴られたところを手で押さえ、部屋の隅で丸まって、与えられる痛みに必死に耐えていた。


「あんた、チビのくせに、そんなに食べるわけ? ろくに動くことも勉強もしないくせに。お姉様によこしなさいよ。そうじゃないなら、家を出ていきなさい」


 お皿に小さく盛られた食事はどう見ても兄姉たちのそれより明らかに少ないのに、それを更に奪われる。

 いつもの事だった。


 ダールベルク男爵家は、腹いっぱい食べることもままならないほどの貧乏没落貴族だった。元は裕福な商家で、先々代の当主が金で爵位を買ったらしいが、土地を持たぬ貴族故に民からの税収は無い。商売が傾いた瞬間から、ダールベルク家は没落の一途を辿るのみだった。

 そんな貧乏家であるのに、養わなければならない口だけは多い。ヴィヴェカは六人兄弟の末っ子だった。

 父、ダールベルク男爵はもうヴィヴェカが物心ついた時から、酒を飲んでは家族に当り散らすだけの生活を続けている。母、そしてほかの子供たちの溜まりに溜まった鬱憤は、一番弱くて何も出来ないヴィヴェカへと向かった。


 いくら存在感を消したくたって、そこに存在する以上ゼロにするのは不可能だろう。あまり動かないのは食事が少なく動く体力がないからだし、勉強だって他の兄姉と違ってヴィヴェカだけ家庭教師も教材も何も無いのに、どうしろと言うのだろう。ヴィヴェカにできることは、兄姉達を教えに来た家庭教師の話をこっそり盗み聞きするぐらいだ。

 けれど口ごたえをしたって余計暴力が酷くなるだけだから、ヴィヴェカはひたすらに謝る。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 ヴィヴェカが一生懸命謝ると、皆すっきりとした顔をする。とにかく謝罪の言葉を連ねるのが、家族の気を鎮める最善の方法だと知っていた。

 けれど、たまにそれで収まらない時はある。そんなとき、ヴィヴェカの兄姉は決まってヴィヴェカの髪に手を伸ばす。

 ヴィヴェカの、長く伸ばされた濃紫の美しい髪だ。母だけは、髪には手を出さない。なぜなら、長く伸ばさせている当本人だからだ。


「ヴィヴェカ、あなたの長い髪は、高値で売れるわ。お金をかけて学ばないと使えない魔術より、ずっと高く売れる。いい、ヴィヴェカ。長く、美しく伸ばしなさい。あなたの髪は、あなたの存在意義よ」


 あなたの、ソンザイイギ。難しい言葉を、小さなヴィヴェカは必死に噛み砕いた。

 イギ、って、多分「意味」っていう意味。存在する意味が、この髪……? 母の言葉を理解したヴィヴェカは、自分の髪を押さえた。長く、綺麗に伸ばさなきゃ。

 それは呪いの言葉だった。

 長く、綺麗に伸ばさないと、捨てられる。美しい髪を持たない自分は、生きている意味が無い。

 けれど、ヴィヴェカが何を思おうと、兄姉達は構わない。


「ごめんなさいって謝って済むなら、国治隊や騎士団はいらないのっ! 本当に悪いと思うなら痛いことにも耐えてみなさいっ!」


 理不尽としか言いようのない言葉を浴びせられ、髪をぎゅっと引っ張られる。いくら子供と言えど、手加減無しの力で引っ張られると、耐え難い痛みが頭皮に走った。

 痛い。痛い。痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたい。


『あなたの髪は、あなたの存在意義よ』


 耳の奥で響く、母の言葉。

 だめ。髪がボロボロになっちゃう、抜けちゃう、キレイじゃなくなっちゃう。

 捨てられちゃう。


 痛みとともに、恐怖で頭の中が真っ白になる。いやだ、こわい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい────


「──ステリア、ウィステリア!」


 ぱっと目を開ける。目の前で心配そうにしているのは見慣れた兄姉達の顔ではなく、躑躅色つつじいろの瞳に藍色の髪の少年だった。


「うなされてたぞ。大丈夫、大丈夫だからな」


 少年──ルピナスは、安心させるように低い声で語りかけるように話す。触れては来ない。それだけのことに、ヴィヴェカは大きな安心感を感じた。


 体を起こすと、まだ慣れない大きな部屋が目に入る。部屋の反対側にあるベッドは布団が膨らんでいる。ヴィヴェカがベッドに入った時には任務でいなかったライラックも、今はぐっすりと眠りについているようだ。

 ヴィヴェカは、不思議な気持ちで、自分のベッドのそばで膝をつき自分を気遣うルピナスの顔を見た。


 あれだけ捨てられるのが怖かったのに、いざそうなると自分でも驚くほど呆気なかった。

 母が自分を売り飛ばした相手は、大柄で目付きも口も悪く、がさつで乱暴な男だった。

 男はヴィヴェカには何の説明もしなかったが、このままいけば自分が奴隷として売られることは幼いヴィヴェカも分かっていた。だから──通りかかった銀髪の男に、お願いします助けてください、としがみついたのだ。傍から見てその男は見目麗しく、貴族然とした風貌だった。助けてもらえるかもしれない。藁にもすがる思いで男の足にしがみついた──のだけれど。

 その銀髪の男ことダチュラはなんと、かの有名な犯罪組織アイーマの幹部の人間であり、連れてこられた先では過酷な試練がヴィヴェカを待っていた。

 まずは体力作り、筋トレ、そして魔術の練習。栄養が足りず年相応よりもかなり小柄だったヴィヴェカは当たり前だが体力がなく、辛くて辛くて仕方なかった。

 そのうえ魔術なんて、今まで触れたことすらない。家族はみな魔力が少なく、ろくに魔術なんて使っていなかった。ダチュラ曰くヴィヴェカはかなり魔力量が多いらしいが、いきなり体内の魔力を動かして見せろなんて言われたって、まず体内の魔力を感じることからどうすればいいのか分からない。ダチュラに助けを求めた日の二日後にはもう、自分の選択を後悔し始めていた。


 でも、悪いことばかりと言ってはいけないんだろうな、とヴィヴェカは思う。だって、食事に困ることはない。今後に必要になるからと字を習って、兄姉達が勉強していたようなことも少し教えてもらっている。勉強は嫌いじゃなかった。それに。

 自分の顔をじっと見つめてくるヴィヴェカに対して、ルピナスは小さくほほ笑みを浮かべながら、ん? と首を傾げた。


「お前は悪くない。だから、謝らなくていいんだよ、ウィステリア」


 ルピナスは優しい声で言う。そんなことを言う人は初めてだった。だから、余計に分からない。何の目的でヴィヴェカにそんなことを言うのか。優しいふりをしているのは今だけで、直ぐに兄姉達のようにヴィヴェカに辛くあたるのか。


「怖いものはなんもねぇから。お前を害そうとする奴から、俺が守ってやる。な、大丈夫だから、そんなに怯えるな」


 そう言ってにかっと笑ったルピナスは、ヴィヴェカの頭に手を伸ばす。ヴィヴェカは体を強ばらせ、後ろずさった。手が途中で止まる。

 伸ばしかけた手をルピナスは握って、仕方なさそうに笑った。


「怯えるなって言って、俺が怖がらせちゃダメだよな。ごめんな、叩かないから安心して。ただ、覚えといて。なんかあったら、俺のこと頼って」


 すっとルピナスが体を引く。ヴィヴェカは何を言ったらいいのか分からなかった。

 本当にこの人は打算なく優しくしてれている気がした。でも、それを本当に信じて頼って、裏切られたら? 甘いことを言って、いざその通りにすると、言いがかりをつけてより酷い暴力を振るうつもりかもしれない。

 ヴィヴェカが何を言わずとも、ルピナスはそのまま自身のベッドに戻っていく。それを無言で目で追いかけてから、ヴィヴェカは自分のベッドに再び潜り込んでぎゅっと目を瞑った。


この話を書いていたら、「ご」と打つと予測変換で「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と出てくるようになりました。

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