五十話 答え合わせ
ヒューロンの口から出た言葉に、私は何を言うべきかも分からなかった。もちろん驚きはあるけれど、それ以上に疲労感と脱力感が勝る。ヒューロンはやけに元気だ。少しの間意識を失っていたとはいえ、それなりに出血もしているし、手の骨も足だって折れているはずなのに。
ようやくなんとか座り込んで、ヒューロンは続ける。
「アイーマの小さき獣、ライラック。百戦無敗と謳われたあのアイーマのダチュラが唯一気にかけ情をかけ、そして裏切られた人物。アイーマを滅ぼした張本人であり、世間では『アイオライトの魔術師』と呼ばれている……ライラックは裏社会でもかなりの有名人だったよ、四年以上前からね」
はーぁ、と大きくため息をつき、ヒューロンは天井を見上げた。
「そりゃ強いわけだ。ヴィヴィが、先輩は強いって断言したのも納得。俺だって、昔じっちゃんに言われたもんなぁ、アイーマのダチュラとライラックには絶対に手を出すなってさ。完敗だよ、ライラック時代に遭遇してなくてよかった」
「別に……遭遇したって、手を出されない限り、こっちからちょっかいを出しはしなかった」
言葉を返しながら、私はその場に座り込んだ。ずきりと体が痛んで、思わず顔をしかめた。
ヒューロンを確保したのだから、ウィスティとルゥーに連絡して、ヒューロンを他の国治隊員たちがいるところに連れて行かないといけない。動かなければいけないのは分かっているけれど、どうしても動きたくなかった。だから、ほんの少し休むついでにヒューロンと話すことにする。どこまで本気だったかは分からないけれど、私が勝ったらヒューロンに色々と答えてもらえるという話ではあったし。
「……それで、私が勝ったわけだけど。質問に答えてくれるって話」
「ああ、もちろん。ま、言える範囲でだけどね」
「言えない範囲だったとしても、どうせ取り調べで自白剤飲まされるだろうし同じじゃん」
「その時はその時さ。一応俺にも、『聞かれたけれど答えなかった』っつー体裁が必用なんだよ」
「誰に対する体裁、それ。もうムスタウアには戻れないのにさ」
ヒューロンは笑って答えなかった。逃げ出せるとでも思ってんのかな。
「んまぁどうでもいいや……単刀直入に聞くけど、ムスタウアはあんたの他にもこの学院に潜入してるでしょ。誰?」
「あは、本当に単刀直入」
ヒューロンは笑った。けど質問には答えないと言うことは、答える気がないと言うことだろう。
答えないなら今はいい。それを問い詰めるより、他に聞きたいことはいくらでもあった。
「私たちが国治隊ってのは、いつから知ってたの」
「初日からわかってたよ、んなもん」
ヒューロンは何事もないかのように言う。極秘任務である理由のうち一つは全く意味がなかったということだ。
「なんで気づいた?」
「学期初めからならまだしも、中途半端なところでの編入はあからさまに訳ありだったかんな。吸魂具対策かなって思ってアイセルに吸魂具を仕掛けさせたら、率先して突っ込んでいくんだもん、隠すつもりならもうちょっと慎重にすべきだったんじゃない?」
突っ込んでいくじゃなく、対処に動くと言って欲しい、一応仕事なんだから。
それはさておき、編入初日からの吸魂具は、偶然じゃなかったということか。思わずため息をつく。完全に手のひらで転がされているけれど、生徒の安全に替えられるものは無いからあれは仕方なかったと思う。
「じゃあムスタウアとは無関係のアイセルをわざわざ巻き込んだのはなんで? 口が固いわけでもないし、あれが吸魂具って気づかれる恐れもあったでしょ」
「別に、特に意味はなかったよ。どんな混乱が起きるかなぁってだけ」
答えるヒューロンは、にこにこと笑っている。そんな気はしていたけれど、こいつ本当に愉快犯だ。
「実際彼は吸魂具には気づかなかったし、万が一気づいても、俺のことを信頼してたから、俺に何も言わず先生に言いつけはしないだろうなと思ってた。弱気で流されやすくて、いい駒だと思ったんだ。でも、吸魂具を警備用魔道具につけようってんのはなかなか興味深かったなぁ。その割には自分で被害に遭ってんだから、流石に笑っちゃったけどさ。そんで、自分が死にそうになったこともわかってなくて、意識を失っただけだと思ってんの」
「……吸魂具を仕掛け出した狙いは? 敢えて今年になってから始めたのも」
「んーとね、それは正直、俺もそんな詳しく知らないんだよ。俺、上から命令されて動いてるだけだからさ。言われたのは、『そろそろ準備を始める』ってことだけ。吸魂具は、おびき寄せるためだって言ってたな」
「おびき寄せる?」
「俺だって意味わかんなかったよ。吸魂具仕掛けたところで来るのはあんたら国治隊だけだったし、やりづらくなるだけじゃんね」
顔をしかめて見せたヒューロンは、しかし、小さく息を吐いて続けた。
「けど、俺もようやく分かったよ。ムスタウアの狙いは──先輩さ」
予想外の言葉すぎて、一瞬思考が停止した。
「……は? 私? どういうこと、なんで」
ヒューロンは私を見てくすりと笑う。
「さぁ、それくらいは自分で考えなよ。俺の考えだって所詮ただの推測に過ぎないからね。でもこれだけは言える。今のところ全部、ムスタウアの思う通りに進んでるよ」
「……随分と、ムスタウアが見知らぬ組織かのように話すじゃん」
正直あまり物をちゃんと考えられなくて。かろうじて感じた違和感を口に出すと、ヒューロンは楽しそうに目を細めた。
「そうだね。俺、所詮は下っ端だもん。ムスタウアに所属してんのだって身の安全のためだし、忠誠心なんて欠片もないかんね。ムスタウア側だってそれが分かってるから、俺は詳しいことはなんも知らされないわけ」
「身の安全、ね……」
「先輩、俺の経歴調べたでしょ? 身寄りのない子供が裏社会で生きようと思ったらどうなるかって話さ。俺、じっちゃんに育てられたんだよね。じっちゃんは裏社会の人間で、捨てられてた俺を拾って育ててくれた。じっちゃんはどこにも所属してなかったけど、死ぬ時に俺に言ったんだ。お前がこれからも裏で生きるつもりなら、どこか大きな組織に所属しろって。一人で生きようにも、潰されるだけだからってさ。そんで、丁度アイーマが無くなったばっかだったもんで、俺はムスタウアの戸を叩いたんだよ」
だから、俺はムスタウアの中でもはぐれ者ってワケ。そう独り言のように吐き出された台詞に、私はウィスティの言葉を思い出した。
「……じゃ、本当に囮ってわけ」
「囮? 俺が?」
きょとんとするヒューロン。けれど、すぐになるほど、という顔になる。
「そーだね、ある意味では囮だな。ムスタウアから来てる本命を見つけにくくするためのね。まあ、俺的にはただのギブアンドテイクなんだけどさ」
「ギブアンドテイク? それはどういう」
なんていうか、とヒューロンは肩をすくめる。
「俺の経歴、怪しかったっしょ。当たり前だけどムスタウアは俺の事守るつもりも必要もないから、俺の経歴はありのままの事実なんだよ。だから、アイセルから繋がって、そう遠くないうちに俺の正体がバレるのは分かってた。まあその分、多少ムスタウアに被害が出ようとも、俺は好き勝手させてもらうことにしたんだけどね」
「好き勝手っていうのは?」
「今日のこと、全部さ。吸魂具も魔力増幅剤も、全部俺の独断で動いてた。多分今頃ムスタウアは、勝手なことするなって怒ってる」
くすくすと、ヒューロンは内緒話に喜ぶ子供のような無邪気な笑みを見せる。
「俺、先輩と戦ってみたかったんだ。ムスタウアを捕まえるために国治隊から寄越された選りすぐりの戦闘員なわけでしょ? ヴィヴィも強いけど、あの子じゃぁ俺には勝てない。でも彼女言ってたんだもん。先輩は強いから、って。そりゃ、手合わせ願いたくなったよね……だから考えたんだ。どんな大騒ぎを起こせば、先輩と一対一で邪魔無く戦えるかなって。吸魂具騒ぎで教室封鎖して、俺がここで魔力増幅剤配ってるって噂流して、あとは食堂の魔道具もいくつかいじって爆発させて警備の人たちがこっちに来ないようにしたりしてさ。先輩が本当に来てくれるかは、賭けだったんだけども」
警備の人がいないのは、食堂の方に行っていたからだったのか。焦りで周りが見えていなくて、見逃していたのかな。
「魔力増幅剤を配った目的は?」
「あれはムスタウアが新開発したやつ。効能を試すには色んな人に使ってもらうのが一番でしょ? ちょうどいい被験者が周りにうじゃうじゃいるんだから、使ってもらえって命じられてさ。ま、あんなに副作用が出ると改良せずには使えないけどね」
「ただの人体実験ってわけ」
「はは、酷い言われよう。否定できないけど」
はぁー、とヒューロンは大きく息を吐き出して、ゴロンと後ろ向きに倒れた。
「それぐらい? もう質問はいい?」
「一応、私はね。これから国治隊本部に行って、詳しく取り調べを受けてもらうから、また色々と聞かれると思うよ」
「わぁ、面倒。俺に聞いたってどうせろくな情報出てこやしないのに……」
私は、ゆっくりと立ち上がった。いい加減そろそろウィスティ達に連絡取らないと。治療も受けないとだし。ルゥーも、そろそろここに到着しているだろう。
競技場の出口に向かってゆっくりと歩いていた時、「そーだ」と後ろから声がかかった。
「俺、ライラックに会えたら聞きたいことがあったんだ」
「?」
振り向けば、ヒューロンは寝転がった体勢のまま、私の顔を見上げて問いかける。
「なんで、自分が行方不明の公爵令嬢だって名乗り出ないの?」
「──え?」
多分、聞き間違えたんだと思う。じゃなかったらタチの悪い冗談だ。
動揺する私の顔を真っ直ぐに見据え、ヒューロンは小首をかしげる。
「あのダチュラが、王族越えの魔力を持つ公爵令嬢を誘拐したって、当時は裏社会でも大ニュースだったってじっちゃんが言ってた。それを知ったからダチュラへの復讐のためにアイーマを裏切ったんだって、もっぱらの噂だったんだけど──その感じ、違ったんだ?」
どういうこと。
私が公爵令嬢?
違う。意味がわからない。
違う、絶対に違う、だって。
この国に公爵家は、二つしかなくて。その中で、公爵令嬢なんて──
『エーレンベルク公爵令嬢、アイオラ・エーレンベルクはお前の言う通り、お前と同い年だ。稀にしかみないほどの多量魔力の持ち主で、王家を超えるほどだったんだとよ』
いつかのルゥーの言葉が、耳に蘇った。
『それで生まれた時にかなり噂にもなったそうで、魔力を目当てに誘拐されたってのが当時の国治隊と魔術騎士団の見解らしいな。彼女が誘拐されたのは丁度二歳になった日の真夜中だそうで、昼間に盛大に開かれたアイオラの誕生日パーティ中に、公爵邸に不審な男が一人忍び込んでいたようだ』
「違う」
私は、彼女じゃない。
私が、アイオラ・エーレンベルクだなんて、そんなことがあるはずがない。
ヒューロンが、不思議そうな表情で私を見つめている。
喉が、からからに乾いていくのを感じた。




