四話 リュメル・キースリング
そうして迎えた、学院生活、初日。
「紹介しよう。今日から学院に編入することになった、リラ・モーガンス君だ」
「はじめまして、リラ・モーガンスと言います」
教室の壇上に立つ教師の紹介に続いて、隣に立った私は軽く笑顔で挨拶をした。
明らかに貴族らしくない私の振る舞いに、警戒半分、嫌悪半分の無遠慮な視線がざくざくと突き刺さる。
この国は、平民に対する差別が根強く残っている。正確に言うと、差別対象にあるのは魔力を持たない人たちだ。魔力持ちは貴族の方が多く、普通の平民は魔力を持たないか、非常に少ないかのどちらかが多数を占める。
ただ、私が編入したクラスは、第四学年の紫クラス。
各学年、魔力量により紫、青、赤、黄、白の五段階に分けられているクラスのうちの、紫だ。
過半数が上級階級の貴族で、その血に誇りを持っている人達、つまりは魔力の有無は関係なしに平民を見下す人たち。
正直、なんで紫クラスなんかに入れたんだよ、と思うんだけど。だって、平民が上位貴族クラスに入った時点で、歓迎されないのは決まりきっている。
確かに、私の魔力量は紫クラスレベルだ。でもだからって、力を小さく見せて誤魔化すのは簡単なんだから、もっと下の方のクラスに入れてくれたってよかったのに。
クラスメートと馴れ合うつもりは無いけど、だからって敵意を持たれたいわけじゃないし。
学院理事長の決断と聞いたけど、いい迷惑だ。あとで一言ぐらい文句を言わせてもらいたい。
閑話休題。
教室内を一瞥して、私は溜息をつきたくなった。
甘いんだよなぁ。わかりやすくていいっちゃいいんだけど。敵意剥き出しなのは、正直笑える。
気に入らないからって、そんなバチバチしなくたっていいじゃん。そんなだから、こっちも静かにしておきたくなくなるんだよ。いいのかな? それならいくよ、こっちも強気でいっちゃうよ?
穏便に過ごせないのは自明だ。それなら、下に見られていびられるのだけは避けたいし。
「以前は地方の魔術学院に通っていましたが、魔術はそれなりに練習しているので、自信があります。どうぞ仲良くして下さい」
魔術でお前らに負けるかよ。平民だからって馬鹿にすんなよ。
そんな意味を含めて、私はにっこりと笑いながら言い切ってみた。
ちなみに、地方の魔術学院というのはそういう設定だ。もちろん、行ったことなど一度もない。
……警戒と嫌悪が一対一から一対三ぐらいになった気がする。やりすぎたかな。まあ、お貴族様たちの中でやっていくための処世術なわけだし、いっか。
貴族は言外の意味をきちんと汲み取ってくれるので、ケンカを売っていて楽しい、と思ったのはここだけの話。ルゥーに知られたら叱られそう。
あら。ふと、敵意に満ちた視線の中で、そうでない視線を二つほど感じ取る。辿ってみると、一人は深緑の髪をした女の子だった。見た感じ、同じ平民の子な気がする。珍しいな。
もう一つの視線を辿ると、想像通りの顔を見つけて、思わず眉をしかめそうになる。
記憶にあるのと、同じ顔。ルゥーとウィスティ以外で、漫画の登場人物に実際に会うのは初めてだ。
そうだよねぇ、やっぱり同じクラスだよねぇ……。分かってた、分かってたけど。嫌だなぁとついつい思ってしまう。
サラサラの黒髪に、蜂蜜色の瞳でこちらを興味深そうに見てくる一人の男子生徒。
リュメル・キースリング──朱眼姫登場人物の中で一番の、腹黒キャラである。
*
「僕は、リュメル・キースリング。よろしくね? モーガンスさん」
ニコリと微笑む彼の顔からは、キラキラと光が漏れ出ている。眩しい。
「……よろしくお願いします、キースリング様」
「君、遠目から見ても綺麗だと思ってたけど、近くで見ると一際美しく見えるね。思わず見とれてしまったな」
一ミリの曇りもない笑顔を向けられる。
私は必死で顔がひきつらないように気をつけながら、笑みを返した。
「お上手ですね」
「お世辞じゃないよ? こんな素敵な人が同じクラスに来るなんて、とても嬉しいな」
こんなことってある? 本当に絶対理事長に文句言ってやる。
何の因果か、私の席はリュメルの後ろの席だった。おかげで、話したくもないのにさっきから話しかけられている。それほど大きな声ではないとはいえ、教室のど真ん中でクサすぎる台詞を吐くな。
歯の浮くような台詞のくせに、顔が綺麗すぎるせいで違和感がないのも癇に障る。
リュメル・キースリングは、表向きは愛想が良く、誰に対しても気さくなキャラクターだ。メインヒーローが所属する生徒会に入っており、後々主人公に惚れて当て馬になるキャラクターでもある。主要登場人物なだけあって、整った美しい顔をしている。
ちなみに、オノラブル王国魔術騎士団団長であるキースリング侯爵の一人息子だ。
そんな彼を三語で表すなら、女たらし、腹黒、魔術狂いの三つが最適だろう。
というのは、姉が二人、妹が一人と女兄弟に囲まれて育ったせいなのか、麗しのお顔のおかげで幼少期から女子に言い寄られまくった弊害なのか、めちゃくちゃ女性を口説く。息をするように口説く。
実際に手を出しているわけではないけど、その整った顔を存分に利用し、多数の女子に思わせぶりな態度とあからさまな口説き文句でぐいぐい迫って落としていく。
婚約者がいないからまだマシと言うべきなのか、いっそうタチが悪いと言うべきなのか。
こんなことをしていれば、彼に惚れた者たちによる、リュメル取り合い合戦が勃発することは火を見るより明らか。
そこで、リュメルは一見仲裁に入ったように見せ──実際には火種を投下して更にいっそう掻き回す。それも、わざとだ。
何が目的かと言うと、女子の苛烈な争いを見ることだ。
しかも、彼自身には、侯爵家嫡男という身分のおかげで誰も手出しは出来ないから、なんの被害も無いというおまけつき。
女子同士の醜い争いを見て楽しむなんて、端的に言って性格が悪いと思う。だけども分厚い猫を被っているから、誰も彼の本性に気づきもしない。
女なんて自分の顔と身分しか見ていない、と内心思いっきり見下している。
まあ、だからというのか分からないが、自分の顔に惹かれるのなら貴族平民関わらず見下すし、そういう意味では平民を差別しない人物ではある。
ちなみに作内では、自分の顔に惑わされないエンジェラに惹かれていく、というよくあるストーリーを辿る。
クズ男が純粋ヒロインに惹かれていくのは定番中の定番だし、私も大好きなシチュエーションではあるけど、それは物語の中だから許されることであって、現実にいても近づきたくない一択である。
そんなリュメルが唯一真面目なのが、魔術に関することだ。
流石魔術騎士団団長の息子なだけあり、魔力量はクラスで一位、二位を争う。操作技術もクラスでトップ。騎士団団長は世襲制ではないものの、次期団長となるのではと大いに期待されている。
その一方で、キースリング家の唯一の息子ということで、父のキースリング侯爵はリュメルにはめちゃくちゃ厳しいのだ。父の期待に応えたいと思う反面、あまりの重圧に心折れそうになり、反発心を抱いたりもする。
とはいってもそんな人間らしいかわいい一面を見せるのは、エンジェラに対してだけだけど。
とにかく、複雑な感情を抱えながらも、結局は魔術が大好きなリュメルは、魔術に関してだけは努力を惜しまないし一切妥協もしない、ストイックな一面を持っているのだ。
「席が前後なのも何かの縁だと思うし、なにか困ったことがあったらいつでも言って。君のために僕ができることがあれば、なんでもしてあげたいから」
にこり、と音でも聞こえてきそうな完璧な笑顔。けれど、本性を知っている私からすると、ただただうさんくさい笑顔にしか見えないんだよなぁ……。
台詞が一々キザったらしいのも気になる。
周りの女子からの視線が冷たいものになってるからっていうのもあるけど。だってこの人、分かっていてやってるはずだ。
迷惑なことこの上ない。
リュメルにしてもらいたいことなんて、近づかないこと以外にないんだけど、流石にそんなことが言えるはずもなく。
「ありがとうございます」
「モーガンスさん、授業は始まっていますよ。私語は慎みなさい」
「……申し訳ありません」
小声で返したのに、即座に教師からの叱責がとんできて、周りの人達がくすくすと笑うのが耳に入った。
話しかけてきたのはリュメルの方なのに、理不尽すぎない? どうやら平民嫌いは生徒だけの話じゃないらしい。
ムカついて、前を向いたリュメルの後頭部を睨みつけると、視線に勘づいたのか少し振り返り、またにこりと笑ってきた。
その笑顔にまたイラッとしながら、睨んでいたことがばれないように私も笑い返す。
……今日一日だけ、リュメルに話しかけられても無視してもいいかな。