四十二話 想起
そして、翌日の放課後。
いつも通り借りた競技場の一室でリュメルと向かい合って、私は彼に指示を出していた。
「今日の目標はただ一つです。絶対に、自分の魔力のコントロールを失わないようにしてください」
「それだけ?」
不思議そうに小首を傾げて見せたリュメルに、私は笑みを向けた。
「はい。それだけです。耐えられるのなら、ですけどね」
「?」
失いかけた魔力のコントロールを取り直す練習だ。完全にコントロールを手放した魔力を再び制御するのは不可能に近い。ただ、他人の手によって強引に奪われたコントロールなら、取り戻せるものだ。
「空気中に、適当に魔力を広げてください」
その指示を合図に、リュメルの出す蜂蜜色の光が、彼を中心としてぶわりと広がった。
「こんな感じでい──っ!?」
私に確認を取ろうとしたリュメルはその瞬間、言葉を途切らせた。蜂蜜色の目が大きく見開かれる。
ぴったりと蜂蜜色の光に這うようにまとわりつく、青紫色。
空気中にゆらめく二色の境目は、みるみるとぼやけていく。
アイセルが魔力暴走を起こしたときに、対処に使った魔力干渉の応用技。他人の魔力に自分の魔力を繋げて同化させることで、相手の魔力をも乗っ取る。
私が乗っ取られたことはこれまでで一度だけあったけど、自分のものなのに自分のものでないような、手足が何かに侵食されていくような。そんな感じがした。
リュメルは強ばった顔をして、汗を大量に浮かべている。今頃、あの感じを味わっているのだろう。
「コントロールを奪われないでください」
リュメルの魔力が、動かせる。指先に木の棒を括りつけたような、感覚は鮮明ではないけど動かせる感じ。
リュメルの魔力は今完全に、私に乗っ取られている。
私の言葉にリュメルは返事しなかった。ただ目を閉じ、魔力の感覚に全力で集中しているようだ。
指先の木の棒が、僅かに自我を持って動き出した感じがする。
「制御を少しでも握れたら、それで抵抗してください。同化する魔力を追い払うように」
そう、それだ。ようやく、内側からの抵抗力が出てきた。でもまだだ。もっと。もっと、抵抗しろ。侵食しようとする私の魔力がたじろいで、怯んでしまうほど、激しく。
「もっとです。もっと激しく。動かせば動かすほど、コントロールが握りやすくなるから──おっと」
その瞬間、リュメルの放つ魔力量がぐんと増えた。ぶわりと、広がる強い魔力。
エネルギーが巻き込まれて、室内と思えない突風が吹く。
大きなものの方が握りしめやすい。魔力の制御もそうだ。私に繋がれていない魔力を追加して、直に制御を握れる部分を増やそうしたのだろう。
けれど。
「無駄ですね」
リュメルが増やすのなら、私もそれに応えるだけ。
増えた魔力の分、全て余すことなく私の魔力を繋げに行く。
「くっ」
リュメルが呻き声をこぼす。
先程よりは少し、繋げる際に抵抗を感じた。それでも、まだまだ小さい。アイセルの魔力暴走の時の方がずっと、苦労させられた。
繋がれてさえいなけれは握るのに便利であっても、一度私に奪われてしまえば抵抗しなければいない量が増えるだけだ。
結果としては、逆効果と言えるだろう。
リュメルの魔力も私の魔力も、今この瞬間、全て私が動かすことができた。
行く筋もの魔力の光を、編むように動かしていく。そうしてできた魔力の網で私達二人の周りを取り囲んだ。
別に攻撃するためでも、特別な意図を持っている訳でもない。ただ、リュメルに知らしめるためだけに、彼の魔力をも使った魔力の籠を作る。
鳥籠に捕えられた小鳥のように幻想的な光の籠に閉じ込められても、未だ目を瞑って集中する彼は、気づかない。魔力の感覚も、把握しきれていない。
「目を開けてみてください」
私の声に従ったリュメルは目を開け──「え」と、小さく声をもらした。その瞬間、ぷつりと感じていた魔力の抵抗がやむ。
「まって、げんかい」
その言葉と同時に、リュメルは膝から崩れ落ちた。……魔力不足というほど、魔力を使ってはいないはずだけど。
そのまま仰向けで大の字になって倒れたリュメルのそばに立ち、私は上から顔をのぞき込む。リュメルはぼーっとした表情で私を見た。意識を失ったりはしていないようで良かった。
「大丈夫ですか?」
「……君が、目を開けろと言うから。開けたら、一瞬どこにいるか分からなくて、混乱したら気が抜けて、集中力も一気に吹き飛んだ。何なの、これは」
リュメルが上を見上げたまま、言う。
「パフォーマンスの一種です。いかがですか? 自分の魔力が乗っ取られ、自分の知らない形に勝手に変わってしまった様は」
「最悪だよ。別次元に飛ばされたのか、死んだかと思った」
「死後の世界に見えなくもないですね、確かに」
籠のように二人の周りを包み込んでいるから当然だけど、左右前後、上さえも、光で編んだ壁しか見えない。
そこに閉じ込められたこの空間は確かに別世界のようで、永遠の時が流れていそうな気がして、それでいてなんとなく儚くも感じられた。
「君はさ。どうしてそんなに強いの」
ぽつりと聞かれたその問いに、少しだけ頭を悩ませる。
「そう、ならざるを得なかった……からですかね」
「ふぅん……」
そんな会話に、どこか既視感を覚えた。なんだっけ──そうだ、あれは。
『……ダチュラ、すごく、強いの……なんで?』
『強くならざるを得なかったからだ。……お前も直に強くなるさ、ライラック』
いつか交した会話と共に、当時の情景が脳裏に蘇る。
暗く、大きい部屋の端っこに置かれたベッドの傍に椅子があり、そこにあの人が座っていた。私は熱に浮かされていたはずなのに、その姿はどうしてか今でも鮮明に思い出せる。
まだ、前世の記憶が戻るより、ルゥー達に出会うよりももっと前の、幼かった頃の記憶だ。
五、六歳だっただろうか。あの時私は大怪我をして、熱を出して寝込んでいた。任務からの帰り、アイーマの他の組織員に狙われて殺されかけたのだ。
組織の人間は仲間などではなかった。蹴落とし、蹴落とされる対象。幼い子供のくせに幹部であるダチュラに特別目をかけられていたのも、他の組織員に狙われる理由だった。当時の私はまだ力も弱く未熟で、相手の殺気に気づけず毒の塗ってある小さなナイフをまともに腹に受けたのだ。私を拘束して何度もナイフで刺して殺そうとする組織員からなんとか必死で逃げだし、ダチュラの元まで決死の思いで帰った記憶がぼんやりとある。
毒耐性は多少なりはあったと言えど、深い刺傷とのダブルパンチで普通に死にかけ、その後も高熱を出して寝込んだ私を、ダチュラが看病し、守ってくれた。
寝ている間中ずっと、痛くて熱くて苦しくて、悔しかった。痛いのは自分が弱いからで、熱いのも苦しいのも、自分が弱いから。強くなりたかった。強くなって、生き延びたかった。
だから、ダチュラに聞いたのだ。強いダチュラが羨ましくて、到底彼に届かないのが悔しくて。
『お前は、俺と同じだからな。お前は強くなるさ。それまでは、俺が守ってやる。だから、ライラック。何としても生き延びろよ』
そう言って、頭を撫でられた。ダチュラは、よく頭を撫でた。ルゥーがよく頭を撫でてくるのも、元はダチュラの真似であると知っている。
幼い頃の私は、ダチュラが全てだった。ルゥーとウィスティに出会ってからも、前世の記憶を思い出す前は何事もダチュラが一番だった。
だから、ダチュラと最後に会ったあの日、私は逃げた。自分が裏切ったと知ったあの人と向き合うのが怖くて、けど面と向かって戦う勇気もなくて。
あの時どうするのが正解だったのか、今も分からない。
ただ、一度でいい、もう一度あの人と戦ってみたいとは思う。
アイーマにいた頃、ダチュラに勝てたことは一度もなかった。今なら多分、もう負けない。魔力量は私の方が多いし、実力だってかなりついた。
でも、勝てるかどうかも分からない。あの人は、ただひたすらに強かったから。そして、実際どうなのかを知る機会は、おそらく一生訪れないだろう。
「──ねぇ、モーガンス」
突然声をかけられて、私ははっと我に返った。リュメルが上体を起こして、こちらを見ている。
「僕、君のことをもっと知りたいよ」
「……いきなり、どうしたんですか」
「思ったんだ。僕、君のことを何も知らないなって」
蜂蜜色の瞳が、真剣な光を帯びてまっすぐ私に焦点を当てていた。
突然のことに、私は戸惑う。
それは、リュメルから初めて明確に示された、私自身への興味だった。
「……そうですか」
なんて返せばいいか分からなかったから、誤魔化すように笑みを浮かべ、顔を逸らした。別に私はあなたの事を知りたくない。そう返すには、あまりにも私は彼のことを知りすぎていた。
「それはそうと、まだ、三十分しか経っていませんけど、どうしますか?」
尋ねながら、作り上げたまま放置していた、私達を覆う光の籠を消し去る。こんなものの中にいるから、変に思い出に浸ってしまうし、変な空気感になるのだ。
明らかに話を逸らした私に対し、リュメルは呆れたような落胆したような、形容しがたい笑みを小さく浮かべ、ため息をついた。
「もう復活したよ。ここの予約時間をこれ以上無駄にするなんて選択肢はないね」
立ち上がり、リュメルはパンっと一つ手を叩く。
「もう一度頼むよ、モーガンス。次はもっと上手くやる」
「頑張ってください」
真剣な目で私を見ていたリュメルはもういない。
元に戻った空気感に、私はこっそり胸をなでおろした。




