四十話 悪役令嬢側の話
「で。今日は何するの?」
「今日から練習したいのは、魔力の再利用です」
「再利用?」
「はい。例えば、一度作った結界を生身の魔力の状態に戻し、再び別の用途に使えば、同じ魔力量でも今の倍のことが出来るでしょう? 極めれば、実体化したものも自由に変形させたり、動かしたりできるようになります」
「あぁ……なるほどね」
リュメルは、納得した色を浮かべた。おそらく、いつかの魔術決闘で私が実体化の短剣を操ったことを思い出したのだろう。
「やることは単純です。実体化は魔力消費量が多いので、結界でしますね。結界を作って、それを消したあと、その魔力を動かすだけです」
言いながら、私は目の前に小さなドーム型の結界を張った。青紫の光の壁が輝きを放ちながら現れる。
薄く、ぎゅっと固まった魔力を緩めると、魔力の輝きはぼうっと滲むように広がった。空気中に拡散するように広がった青紫の光を再び一筋に集め、緩やかに私達の周りを駆け巡らせる。
踊るように動く私の魔力を目で追っていたリュメルに、私は指示を出した。
「一度、やってみて下さい」
「分かった」
リュメルは頷き、すぐさま結界を張った。
蜂蜜色の結界が現れ──そして、そのまま溶けてなくなるように消え去った。
「結界を消す時は、固めた魔力をほぐすような感じで緩めてください。今のは、ただコントロールを手放しただけです」
もう一度、リュメルが結界を作り出す。だが、消そうとするとやはり先程と同じようになった。あまり改善の余地は見えない。
固めたものを緩めるのは、した事がなければかなり難しいだろう。イメージするだけではできない、コツがいるものだし。
これは、思ったよりもかなり時間がかかりそうだ。
*
「はぁ……これだけ全然できないと、逆に悔しくなってくる」
その日の練習終わり。
結局大した進歩を見せず、練習の時間は終わってしまった。
珍しくくたびれた様子を見せたリュメルに、適当に慰めの言葉をかける。
「数をこなせばできるようになると思いますよ」
「本当?」
「おそらく」
口ではそう言いながらも、難しいかもしれないと思い始める私もいる。
何より、少しでも緩めた後の魔力を制御した後の感覚が掴めないと、士気だって下がってくる。
明日はあれをするか。少し違うかもしれないけど、自分の魔力のコントロールを握り続ける訓練にはもってこいだ。
「でも……やはり明日は、少し別の内容にしたいと思います」
「あ、そうなの?」
「はい。楽しみにしておいて下さい」
なんだかんだ、多分今までの練習の中でも一番しんどい内容になると思う。
にこにことしながらそう言った私から何かを感じたのか、リュメルは顔をひきつらせた。
「なんだかとっても嫌な予感がするんだけど」
「まぁまぁ」
リュメルは良い勘をお持ちのようだ。
競技場を出た所で、学舎の方に用があるらしいリュメルと別れた。
寮に帰る途中で、競技場の裏の方からエンジェラの魔力の気配を感じたので、声をかけようかとそちらの方へ向かう。そして、後悔した。
「だからと言って、やはり納得するなんてできませんわ」
聞こえてきたのは、よく知る声。
いたのはエンジェラだけではなかった。
エンジェラ、サグアス王子、ハインリッヒ、そして何故かレイヴンさんの四名。エンジェラの魔力に隠れて、他の人の魔力を察知できなかったらしい。最近エンジェラの魔力が段々強まってきている気がする。
「何も、殿下が直々に相手をする必要は無いのではありませんこと? 生徒会長として一生徒に干渉するにしても、やりすぎですわ!」
キンと耳に響く高い声が響き渡った。
レイヴンさんが、声を荒らげている。高飛車な彼女だが、感情的になっているところを見たことは実は今まで一度もなかった。
「……承知している。傍から見て婚約者でない者に肩入れしているようにしか見えぬと。しかしこれは、大切な仲間であるイザークの頼みなのだ。それを聞いてやりたいと願うのは、間違っているのか?」
対するサグアス王子の声も、どこかイライラしている。二週間練習を共にした時には聞いたことの無い声色だ。
それがイザークへの思いから来るものなのか、はたまたエンジェラに何かしら思うことがあるからなのかは分からない。エンジェラの恋の進み具合を、実の所私は少しも把握していない。
「そういうことを言っているのではありません!」
「ならば何だ。二人きりでは誤解を招くことも、承知している。ゆえに、ハインリッヒも含めた三人でしているのだ。何より、余計な噂が広がらぬよう、表向きは私とハインリッヒの二人で練習しているように装っている。これでも、何か不満があるというのか、そなたは」
……案外、進んでいるのかもしれない。レイヴンさんへのこの当たりの強さは、イザークへの情から来るものだけではないように感じられる。
これ、ハインリッヒとエンジェラはどんな顔して聞いているんだろうな。なんて考えるべきではないだろう。
これ以上聞き耳を立てるのも悪い気がして、立ち去ろうとした時だった。
「っ、だって……! ああもうっ、結構ですわ! 好きになさって!!」
レイヴンさんが、一際悲痛な声を上げた。続く、勢いの良い足音。
あ、こっち来る。盗み聞きしてたのバレる? 逃げるべきか。そう思った時にはもう遅かった。
立ち去ろうと背を向けていた私の後ろから、がっしりと手首を掴まれる。
恐る恐る振り向けば、息を切らして必死の形相で私の手首を掴むレイヴンさんがいた。膝に手をついて、はぁ、はぁ、と肩で息をしているのに、私の手首は離さない。そんな距離もなかったろうに、一体どれだけ本気で走ったんだ。しかもびっくりするほど握力が強い、痛い。そんなレイヴンさんはその体勢のまま私を睨み上げて、言った。
「聞いてらしたわね?」
「……何のことでしょうか」
「とぼけたって無駄よ。ついて来なさい」
大きく深呼吸して呼吸を落ち着けたレイヴンさんは、掴んだ私の手首をそのままに歩き出す。
その声が僅かに震えていて、私を睨む目のふちがほんのり赤らんでいたから、私は手を振り払うことも出来ず、何故私なんだろうと疑問に思いながらも大人しくついて行くことにした。
*
そして、今。何故か、ほんっとうにどうしてか、私はお貴族さま達ばかりがいる天寮の、レイヴンさんの自室にいる。
「どうぞ、お飲みになって」
お茶を出されるのは二度目。ただし、今度入れたのはレイヴンさん付きの侍女だ。
流石高位貴族は、一人一部屋(それもとても広々としたものだ)に使用人用の部屋までつくのが当たり前のようだ。
そして私は未だに、なぜここに連れてこられたのかさっぱり分かっていない。
「不思議そうな顔をしているわね、貴女」
「……はぁ」
そりゃ不思議だ。そして居心地も悪いので早く帰りたいと言うのが本音。
なんとも言えない顔をしていた私を見て、レイヴンさんはふふっと笑った。無邪気なその笑顔に、思わず見とれてしまう。
「だって、丁度いい所にいたんだもの。私の愚痴に付き合いなさい。そして慰めなさい、婚約者にずっと見てもらえない憐れな侯爵令嬢を」
上から目線の言葉。それを紡ぐ口は、きゅっと悔しそうに引き締まった。
これは、なんと返すのが正解なのか。私は迷いながら、言葉を返す。
「……憐れだなんて」
「貴女はいいわよね! リュメル様ったら、もう貴女しか見えていないじゃないの。侯爵令息、それも未来の魔術騎士団長よ? 平民にとっては恐れ多すぎる玉の輿よ。そんなすました顔してないで、もっと嬉しそうになさいよ。余裕ぶってて癇に障るわ」
「……何の話でしょうか」
「あら、今度は鈍感のふりかしら? ええ、結構よ。いつまでもそうやって面倒なことを繰り返してなさいな。あの男の恋なんて私どうでもいいもの」
急な話展開に若干引きながら、周りからはそんな風に見えるのか、とげんなりする。リュメルの私に対する戯れは、ただの魔術強い奴に対する好奇心とか、そういうものだ。好きだとか恋だとか、そういうのとは程遠い。
第一、私とリュメルがそういう仲になる想像がまずできない。いつだったか、ウィスティが私とリュメルは似ていると言っていた。あの時は認めたくなかったけど、案外当たっていると思う。互いに、相手よりも優位に立ちたい性格。似た者同士、同族嫌悪の対象。うまくかみ合う未来が見えない。
うん、やっぱりないなーと自分で頷いてから、あれ、と気づいた。
「あの、レイヴン様……失礼かもしれませんが、以前、レイヴン様はキースリング様のことで私に牽制なさいませんでしたか?」
「牽制って……貴女、随分と遠慮のない物言いをなさるのね。そういうところかしら? リュメル様が気に入ったところは。あのねぇ、私、本当はあの男のことなんてどうでもいいのよ。あんな顔だけ男。サグアス殿下と比べたら月とホコリよ。けれど、そんな男でも人気者だから、その幼馴染という立場を利用して令嬢たちの中で権力を握っているだけ。ただの便利な道具よ。それに比べて、サグアス殿下はなんてすばらしいのかしら。あの乱れなき美しさ! 一分一秒見逃さずにいたってあの美しさが崩れることなんて絶対にないの。もはや神秘よ。銀糸のような御髪も、血のように赤く輝く瞳も、涼やかで冷たくも感じるお声も。サグアス殿下を構成する全てが、この世界のすべてよ」
リュメルの話かと思えば、いつの間にかサグアス王子の話へと突入していた。紅葉色の瞳をらんらんと輝かせ、顔を上気させてレイヴンさんは弾丸トークを繰り広げる。それは前世のオタク友達によく似ており、その愛を語る様は今世の転生仲間にもよく似ている気がした。
「でも、サグアス殿下は顔だけじゃないわ。もちろん容姿はこの世の全てをかけ合わせたって及ばないほどのすばらしさだけれど、殿下は本当に優しい方でいらっしゃるのよ。特別に、私が初めて殿下にお会いした時のこと、教えて差し上げるわ。私はあの日、王宮で開催されたお茶会に参加したのよ。お茶会という名の、殿下の婚約者候補選別会にね。私、柄にもなく緊張していたわ……そして、ありえない失態を犯したのよ。殿下に向かってカーテシーをしたとき、ドレスのすそを踏んずけて、転んでしまったの。周りは、息をつめて私を見ていたわ。おそらく、皆次の瞬間には私のことをあざ笑おうと準備していたのでしょうね。あの場は、ただの蹴落とし合いの場だったもの」
そこでレイヴンさんは言葉を切り、一口紅茶をすすった。そして、ふわりと柔らかな笑みを浮かべる。
「けれど、そこでよ? 殿下が、すっと私の前にかがんで、手を差し伸べてくださったの。『私と、少し散歩にでかけませんか?』じっと私の瞳をみつめて、そうお尋ねになって。私、息が止まったかと思ったわ。固まって動けない私に、殿下は微笑みかけてきてくださった。あの、いつだって無表情な殿下が、よ? 今なら分かるわ、あの微笑みだって本気で笑ったわけじゃないって。ただ、大失敗に落ち込んで動けないでいる私を励ますためだけに、微笑んでくださったの。私、今でもあの笑顔を鮮明に思い出せるわ。そうして殿下のお誘いで私達は少し話しながら、王宮の庭を散歩した……それだけで、私は殿下の婚約者に内定し、ついでに殿下に惚れ込んだのよ──けど」
そこまで話してから、レイヴンさんは、ふっと浮かべていた笑みを消した。
それを見つめながら、私の中から段々苦い気持ちがこみあげてくる。
「私は、こんなにも、殿下が好きなのに」
小さな、震えた、今にも消えそうなか細い声だ。紅葉色の瞳の上に、ガラスのように透き通った水の球が浮かぶ。それはキラキラとしていて、ひどくきれいだった。
「どうして、殿下はわたくしのこと、みてくれないのかしら」
ああ、私。多分、この話を聞くべきではなかったな。




