三十八話 スランプの行方
「リュメルのスランプが無くなったことで、イザークのスランプが浮き彫りになった……とかは?」
「えっ?」
エンジェラが、眉をひそめて聞き返した。だから、と私は説明する。
「自分より悩んでたり苦しんでたりする人が傍にいると、自分の悩みとか苦しみがなんでもないような気がしてたりするじゃん。原作のイザークももしかしたらリュメル同様スランプに陥ってて、でもリュメルの落ち込み方が大きすぎて、励ますのに力を注ぎすぎて自分の悩みなんてどうでも良くなってた……みたいなこと、ありそうじゃない? 他ならぬイザーク・ドランケンスのことだから」
エンジェラは、はっとした顔で、確かに……と呟いた。
「まぁ、ただの推測に過ぎないけど。でも、今のリュメルが原作の彼より魔術が上手なのは確かで、おそらくスランプにも陥っていない。そうすると、イザークには自分の悩みより優先すべきことなんてなくて、自分の悩みに直面してるっていうのは、変な話じゃないと思う」
「……そうだよね。うぅん、でもなぁ……。あの、努力家のイザーク様がだよ? 努力を放棄するなんて、おかしくない?」
なんだか泣き出しそうな顔をして、エンジェラが言う。けど、それを言われたって私にわかるはずもないのだ。イザークのことは、私よりもエンジェラの方が、よっぽどよく知っているだろうし。
「さぁね。言っても、ただの憶測なんだから。心配なら、直接聞いてみたら? 主人公の得意分野でしょ」
「そう簡単に言わないで! 私が踏み込んで、余計悪い方に向かっちゃうかもしれないじゃん!」
珍しく、エンジェラが声を荒らげた。驚いて見やると、エンジェラはしゅんとしたように肩を落として、自信なさげに続ける。
「……そりゃ、私だってそうするのが一番だと思ってるけどさ。ちゃんと励ませるのか、力になれるかわかんないんだもん。私はエンジェラだけど、エンジェラじゃないから」
こんなに弱気な彼女を見るのは初めてだった。
けれど、水色の瞳が不安げに揺れているから、私は励ますように笑みを浮かべて見せる。
「大丈夫だって。あんたと主人公は、本質的によく似ているから。きっと悪いようにはならないよ」
主に、友人のことを心の底から思いやっているところとか。
不安げに揺れていた水色の瞳が、決意したようにゆっくりと定まっていくのを眺めながら、綺麗だなぁと私は思った。
***
「ライラ。アイセル・コワードの、身辺調査してみた、けど」
ウィスティが、釈然としないような顔をして私に話してくれたのは、エンジェラたちと練習するようになってちょうど一週間が経った日だった。
「ああ、ありがと。なんかめぼしい人はいた?」
新学期が始まってから、ウィスティにアイセルに吸魂具を渡したらしき人物がいるかの身辺調査をしてもらっていた。いくら精神操作で当人の記憶が消されていると言っても、周囲の目撃情報から何か分かるかもしれない。アイセルとたまに世間話を交わす程度の人でもなんでも、多くなりすぎてもいいから調べて欲しいと思ったのだけれど。
ウィスティは、僅かに眉を寄せて、首を横に振った。
「いなかった」
「え? それって……」
「彼と関係のある人が、そもそも少ない。クラスでは、アイセルを虐めていた人達。ルームメイトの人。後は、魔道具開発研究会の人。中でもヒューロンが、一番仲良かった。それだけ」
指折り数えながら、ウィスティは人を挙げていく。
「確かに、思ってたよりずっと少ないね。ヒューロンはなんか言ってた?」
私が質問すると、ウィスティは、ふるふると首を振った。
「アイセルが誰かと話すところをまず、あまり見なかった、って。アイセルのこと、心配はしてたみたいだけど」
「なるほどねぇ」
全てが、推測の域に過ぎない。でも、考慮はしなければならないから。
ウィスティを見ると、目が合って、同じことを考えているのがわかった。
「魔道具開発研究会の会員、全員調べようか」
ヴィクトリアと、ヒューロンが所属している魔道具開発研究会。そういえばヴィクトリアが、会員は平民が多いと言っていたっけ。もちろんそこには、ヒューロンとヴィクトリアが含まれる。仲良くしてもらっている相手を疑うような真似は心苦しいけれど、仕事なので仕方がない。
「……うん」
返ってきた返事は何故か覇気がなかった。返ってくるまでの間も気になって、ウィスティの顔を見ると、少し不満そうな顔をしている。
「なに? なんか不満?」
「……別に」
「なーに、気になるじゃん」
「……また、わたしが調べるの?」
ウィスティが何に不満を持っているのか分かって、思わず破顔してしまった。
誰でも同じだ。地味な仕事は嫌いで、派手な仕事の方が楽しい。もちろん危険は伴うけど、私たちに関しては危険を犯す系の仕事の方が慣れているのだ。
だというのに、年末のアイセルの件はウィスティの知らない間に私が全部終わらせてしまったし、地味な調査は逆にウィスティに丸投げしまった。アイセルの知り合いや、周辺の人に片っ端から聞き込み調査をしてもらったのだけど、人見知りで無口な彼女にとってはさぞ大変なことだっただろう。
文句を言いはしないのに、気づいて欲しくて不満を顔に露骨に出してみせるウィスティがいじらしくて可愛かった。
「ううん。生い立ちとか、そういう内容知りたいだけだから、普通に理事長先生にお願いする。アイセルについて全部任せちゃったのはごめんね、でも同じ学年のウィスティが動く方が目立たないでしょ」
一応そう弁明しておくと、ウィスティがむっと唇を尖らせた。
「ライラが、クラスでちゃんと言わないから。大会、出ないって」
「んー……いや、まあそれもあるんだけどね」
思わぬ突っ込みに、私は苦笑する。
私がリュメルとの練習で忙しい、というのもウィスティに任せた理由の一つだった。
ウィスティはちゃんと、大会に出ないことをクラスの人に説明しているから、練習に誘われることはないらしい。
私はといえば……未だに、それをリュメルに言っていない。なぜなら、面倒だから。ヴィクトリアやエンジェラにさえも言っていないのは、リュメルに伝わって欲しくないからだ。
「言えば、リュメル・キースリングも、ライラを練習に誘わなかった。ライラも、そんな忙しくならなかったでしょ」
「いや、だってさぁ? あの人ぜぇったい質問責めにしてくるの、分かるんだもん!」
私が大会に出なければ、ライバルが一人減ると喜ぶような人じゃない。むしろ、私と対戦する機会を逃したくなくて、力づくでも私を出場させようとするような人だ。
そんな人に、私の欠場を納得させる適当な理由を、私が思いつくわけが無い。あったとしても、どこからかボロが出てしまうに決まっている。これまでの経験からして。
「ウィスティなんか思いつく? あの頭の回る人を黙らせる理由をさ。ないなら、結局ろくな言い訳も出来ないまま、強制連行されちゃう。それだけは絶対ダメだから」
だって、私は強い。この学校の生徒相手なら、負けるわけが無い。
だから、私が相手をする生徒の勝敗は、私の意思で決まるのだ。相手の子が負けるとしても、それは負けることが決まっている相手と戦わなければいけなかったということ。逆に勝ったとしても、それは私に勝たせてもらったということ。どう転んでも、私が出場するだけで、大会自体が不公平なものになってしまうのだ。
ウィスティは少し黙ったあと、でも、と呟いた。
「どうせ、出ないのはバレるのに」
「それは違う。大事なのはタイミングってこと。今言えば、リュメルの質問責めにあって最悪強制連行されるけど、当日になれば、向こうも私に構ってる場合じゃないし、有耶無耶にできる。そのまま終わってしまえばこっちのもんよ」
「…………」
ウィスティは呆れたような目でこちらを見ていたけれど、すぐに諦めたようにため息をついた。




