三十六話 和解
「昨日のことでキースリング様に謝罪したく、参りました。昨日は失礼な発言によってドランケンス様、並びにそのご友人であるキースリング様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
率直に謝って頭を下げれば、リュメルが小さくため息をつくのが聞こえた。
「もしかして……イザークに何か頼まれた?」
鋭い。けれど、それに頷くだけではいけないことは分かっていた。だって私は、リュメルと和解したくてここに今いるのだから。
頭を上げれば、リュメルは眉を寄せ、私を疑ってかかるような目で見ている。
「違うと言えば嘘にはなりますが、ここに来たのは私自身の意志です」
「なぜ? もう練習に付き合わなくていいって言ったでしょ。そのままにしておけば、もう僕と関わることもなくなるんだからさ。僕に付き纏われるの、君嫌だったんじゃないの」
「率直に申し上げれば、嫌でした」
「ほら。ならどうして、わざわざしなくてもいい謝罪をしに来るんだよ。第一謝るなら、僕じゃなくてイザークだろ」
心なしか、いつもより口調が荒々しく感じる。
それが怒り故にいつもの余裕を保てていないのか、私相手に取り繕う必要もないと感じているのかは分からない。ただ、それだけ私の不用意な発言は彼を傷つけ、私自身の株を落としてしまったということだ。
それを残念に思ってしまったから、なんとかしたいと思うのだ。
「ドランケンス様には今日の昼の時間に謝罪しました。正直に申し上げますと、昨日の件は誰かが言っていたことを思い出していたところ、うっかり口に出てしまっただけで、決して私が思ったことではありません。ひたむきに努力ができること、そしてこうして自分のために怒ってくれるご友人がいらっしゃることはその素晴らしい人格の現れですから、むしろ尊敬しています」
私が知るイザークは主に原作の中の彼だけど、その真面目で信頼できる人となりについてはよく知っているつもりだ。何よりリュメルや他の生徒会メンバー、そしてエンジェラもがイザークのために本気で怒るところが、その求心力をよく表している。
「しかし、私の発言によってキースリング様を不愉快にさせてしまったのも事実ですので、謝るべきだと思い、キースリング様が今日ここにいらっしゃるのをドランケンス様から伺い参った次第です。申し訳ありませんでした」
「へぇ」
自分の正直な思いを、素直に述べたつもりだった。けれど、帰ってきたのは平坦な声で相槌一つだけ。
……正直に言えば、そうだったんだ、もういいよとリュメルが許してくれると期待していた。本当のことを言えばあっさり許してくれるだろうと思った私が浅ましいのかもしれない。それとも、あまりにも言い訳が言い訳じみているから納得できなかったのだろうか。
予想外の反応に、私が焦りを感じたときだった。リュメルが苛立ったように口を開いた。
「それで……もう一回聞くけど。僕に付きまとわれるのが嫌だって言ったでしょ。なのになんで、僕のところに謝りに来たの? イザークに謝るのは人としての常識だよ。でも、僕の場合は違うじゃないか。別にわざわざ来る必要もなかったんじゃないの」
……これは。イザークへの失言については、もう怒っていないということだろうか。だって、今の質問はイザークが関係ない話だ。私と、リュメルの話。
リュメルは不貞腐れたようなしかめっ面をしている。私が知る中では一番感情がむき出しだ。
……もしかして。まさかとは思うけど。私がずっと、リュメルと関わることをあからさまに嫌がっていたことについて、拗ねているのだろうか。
ふと思いついたそれは、するりと口をついて出てしまった。
「……まさか、拗ねていらっしゃるんですか?」
「はぁ? 寝言は寝て言ってくれる?」
ものすごい勢いでぎろっと睨まれた。その迫力に、思わず顔が引きつる。
「申し訳ありません、冗談です」
「センス悪いね」
そして会話は途切れた。リュメルはじっと私の方を見てくる。私の答えを待っていた。
……嫌だな。自分では認めたけれど。それを本人に言うとなると、また話は変わってくる。けれど、こうなったら言うしかないじゃないか。それがどれだけ認めるのが癪なことでも。
「……正直に申し上げますと、確かに嫌だと思っていました。ですが……私、自分が思っている以上に、キースリング様との時間が気に入っていたみたいです」
「……なにそれ」
「努力をする人は好きですし、キースリング様は教えがいがあります。それに……私自身、放課後の一時間を楽しんでいたことに、昨日気が付きました」
「……それは、とても意外なんだけど」
目を丸くしたリュメル。私はやっぱり居心地が悪くて、彼から目を逸らした。
「そういうことですので……キースリング様さえよければ、これからも放課後の練習に協力させていただけないかな、と……」
ちらりと、リュメルの顔を見やる。リュメルは、真顔だった。
「正直に言うと、僕は今、ものすごく驚いている」
「……はぁ」
「でも……君が言うことを信じたとして、あの発言が本気じゃなくて? 君がどーぉしても僕の練習に協力したいっていうのなら?」
リュメルはにんまりと笑った。そんなどうしてもとは言ってない。けれど、リュメルの笑みに、何を言う気もなくなってしまう。
「それを、断る理由はないよねぇ」
「……それは、よかったです」
「君から言ったんだからね? もう取り消しできないけど、いいの?」
「取り消してほしいんですか?」
「そんなわけないでしょ。君、実は僕のことを怒らせようとしている?」
「いえ、まさか。申し訳ありません、会話のテンポがいいので口を滑らしてしまいました」
「……君、口滑らすこと多くない? 昨日のこともだけどさ」
呆れたように言うリュメルに向かって、私は肩をすくめて見せた。
「キースリング様の前で迂闊な所ばかり見せてしまっていることを、心から後悔しております」
「反省じゃないんだ」
「……ところで、今日も練習はしますか?」
反省したところで次に活かせる自信は皆無だ。意味の無いものはするだけ時間の無駄。後悔だって意味は無いけど、ついしてしまうものだし。
私の露骨な話そらしに、リュメルはくすりと笑った。それが仕方がないなぁという感じの顔で、なのにひどく嬉しそうに見えて。見慣れない幼げな笑みに、ちょっとドキッとしてしまう。
「当たり前でしょ? 準備するから少し待ってて」
「はい」
そういえばリュメルは競技場に入ってきた時のままの姿だった。コートを脱ぎ、部屋の端の方に置いた後、魔力をぐるぐると動かして準備運動をする。
自分の出す魔力を眺めながら、リュメルはそういえば、と話しかけてきた。
「君って、僕のことよく分かってるね」
「……どういう意味でしょうか」
「イザーク絡みで僕を怒らせる人は大抵、まず僕に許してもらおうとするんだよ。僕が何を怒っているのかも理解しようとせずにね。その点、君は先にきちんとイザークに謝りに行ったじゃないか。僕が何を気にするのかよく分かってる」
「……常識的に行動しただけのつもりでしたが」
「まあ、そうだよね。でもそれだけじゃなくて、君には僕の気持ちが全部見抜かれてしまっているんじゃないかと思うことがたまにあるんだ。非常に悔しいことにね」
眉を上げて、不満そうに言ったリュメルのその言葉が、私にも当てはまりすぎて、思わず笑ってしまった。
「お互い様ですよ。私もいつも、キースリング様には悔しい思いをさせられています」
「そうなの? 君、取り繕う笑顔が上手だから、何考えてるのか分からないときも多いんだけど」
「その言葉そっくりお返ししますね。キースリング様が悔しがっていらっしゃると知って、私は嬉しいです」
「僕は微塵も嬉しくないんだけど。君は嫌悪は隠さないけど、怒りとかは面に出さないから」
「では、今度から腹が立った時は遠慮なく睨めばよろしいでしょうか?」
「あははっ、それは面白いかも」
「睨まれることが? ……キースリング様は、変態ですか?」
「違う、逆。僕が睨まれることじゃなくて、君が取り繕わずに睨んでくることがだよ。そんな本気で衝撃を受けたみたいな顔して言わないでくれる?」
お互い、前よりも遠慮のなくなったくだらないやり取りを交わす。リュメルとの距離が縮まった気がして、それを少し嬉しいと思う自分がいた。
*
「──今日は、これで終わりにしましょう」
私の言葉を合図に、空間に満ちていた魔力の気配がふっと消える。
「明日からは、新しい内容にしようと思います」
「わかったよ」
軽く返事をしたリュメルは、そのままぐっと伸びをした。
「お疲れ様です。疲れましたか?」
「頭がね」
「前までより、情報量が多いですからね」
今日したことは、今までやってきたのと同じこと。いく筋にも分かれて自由に複雑に飛び回る私の魔力を、リュメルの魔力に追いかけさせた。
ただ、違うのはひとつ。今まで光としての魔力を、リュメルに目を閉じさせてやらせていたけれど、今日は不可視状態の魔力を目を開けた状態で追いかけさせた。見えない魔力を追うことは同じだけど、目を開ける分、格段に処理しなければならない情報量が増える。だから魔力の気配を探るのに、更なる集中力が必要となるのだ。
「でもこれで、魔力で周りを見ることに、かなり慣れたと思います。相手がどこにいるのか、どのような体勢でどこから攻めれば効果的か。また、どんな攻撃を仕掛けてこようとしているのか、そして自分の攻撃に対してどのような防御をしようとするのか。全て理解したとて全部の攻撃は通りませんし、全てを防ぐことは不可能に近いですが、決闘においては格段に有利な立場に立てます。ぜひ普段の生活でも意識するようにしてください。何かと役に立つと思いますよ」
「分かったよ。ありがとう」
「いえ。それから、今日少しだけやっていただいた魔力不可視状態での行使ですが……初めてにしては、上出来です」
魔力不可視状態は、基本的に学院で学ぶ内容ではないのだけど、大体の魔術師は普通に使っている。注目を集めずに何かを行うのに最適で、それが犯罪に使われてしまうことはもちろんあるけれど、同様にそれに対処するのにも重宝されるのだ。
「不意打ちになってしまうので公式的な決闘で使うことはあまりいい目では見られませんが、この先覚えといて損はないと思いますよ。これなら授業中にこっそり練習もできますし。もちろん先生にばれたら怒られると思いますが」
「さすがに授業中に練習するほど馬鹿じゃないよ」
私の言葉にリュメルはあきれたような顔をした。
「ところでさ、明日からはなにするの? ざっくりでいいから教えてよ」
「そうですね……」
私は部屋の窓を開け、外に落ちているこぶし大ほどの大きさの小石を二個、魔術で運び入れた。一つを自分の方に、一つをリュメルの方に飛ばせば、リュメルは手を伸ばしてそれを受け取る。
「こういう石に魔力を込めて、爆発させたことはありますか?」
「……それ、かなり危険な奴じゃないの?」
「しようと思えば、この学院をまるごと吹き飛ばすことが可能です」
「えぇ……」
手の中で小石を弄ぶ私に、リュメルは顔を引きつらせた。
「が。もちろんそれは、全魔力を注ぎ込めばの話です。やるのは、もっと小さなこと。より少量の魔力で、大きなエネルギーを扱う練習をします」
小石の一つの内側に、ほんの少し魔力を注ぎ込む。この時点では、魔力はエネルギーを持っていない。それに、一気にエネルギーを込める。
ポンッ、っと軽い音を立てて、空中に人の頭の大きさ分くらいの爆発が起こった。破片が飛び散らないように、一応周りを結界で覆っておく。
「こんな感じで。まぁ、これは明日からするので今日は……」
終わりましょう、と続けようとした言葉は、口から出る前に消えた。
自分が受け取った小石を空中に浮かべ、それを熱心に見つめるリュメル。
小石は蜂蜜色の光を纏っていて──それだけじゃなく、まるで内から発光しているかのように、ぼんやりと灰色の石の中から黄色っぽい光が漏れ出していた。
今日はしないって言ってるのに、まだ何も説明もしていないのに──こんの魔術狂いめ。
魔力の、注ぎすぎだ。
「──キースリング様!!」
叫んだ時には遅かった。その瞬間リュメルは魔力にエネルギーを込めたらしかった。
ドゴォォォン!
派手な爆発音を立てて、小石は盛大に破裂した。目が眩むほどの黄色い光が溢れ出し、ただただまばゆい光以外は何も見えなくなる。爆発の一瞬前に私とリュメルにだけ、なんとか結界は張れたため、熱は感じなかった。けれど、小石の周りを覆うまでは間に合わなかった。
光が段々収まっていく。ようやく目が慣れて、見えた光景に、頭を抱えたくなった。
私の結界により一応無事だったらしいリュメルは、呆然として立っている。
魔術競技場。現在、決闘大会に向けて、壁が増設されている。それはそんなにしっかりした造りではないと思うけれど、一応防音・防魔力の強力な結界は張られているはずだ。その壁に、大きな穴が開いていた。
穴の向こうには、見知った顔が三つ。リュメル同様、ぽかんとしてこちらを見つめている、サグアス王子、ハインリッヒ、そしてなぜかエンジェラ。
どうしてこうなった。




