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三十五話 謝罪

23-2-28

イザークの口調を修正しました。

「よかったね」


 そう言ったのはウィスティだった。

 これ以上ないほどに馬鹿なやらかしを仕出かしたその日の、夜。浮かない顔をした私から事情を一通り聞いて、放った言葉だ。


「…………」


 そうだ。よかったはずだ。もともとリュメルとは距離を取りたかったんだから。

 それがいざ叶ったらこんなにモヤモヤするのは、きっとその過程が想定外だったからだけのはずで。

 時間が経てば、一晩寝れば、このモヤモヤもきっと無くなるはずだ。そうでなければ困る。


「ライラ」


 ゴロゴロとソファに寝転がる私を、呆れた声でウィスティが呼ぶ。


「なに」

「……自分で、分かってくるくせに」

「なにを」

「リュメル・キースリング」

「それがなに」


 分かってる。でも分からない。

 言葉足らずなウィスティが言わんとすることはなんとなく察したけど、分からないふりをする。


「謝らないの?」

「……あの人に? イザーク・ドランケンスならまだしも、なんであの人に」

「落ち込んでるから。ライラが」

「落ち込んでない」

「『よかった』って思ってる顔、してないよ」

「……はぁ」


 本当に、面倒だったのだ。どうせ決闘大会に私は出ないんだから、私が決闘大会の練習に関わることによるメリットは皆無だ。百パーセント、リュメルのために割いていたとも言える時間。なくなったとしてもなんの問題もない。

 それに、もともと関わりたくなかったんだから、リュメルに嫌われることは逆に喜ばしいことなのだ。

 ……喜ばしいことであるはずだったのに。


「……ねぇ、ウィスティ。言い訳すべきだと思う? それともただ友達に失礼なことを言ったのを謝罪だけすべきかなぁ」

「しらない」

「ウィスティ冷たい」

「処世術、ライラのが長けてるでしょ」

「……それはどうも」


 こうして、どうにもできないモヤモヤが胸の中に居座ってるのも、今の状況をなんとかすべきと考えてしまうのも、理由は分かっていた。

 自分が思う以上に、リュメルに情がわいてしまったから。私自身も、彼との魔術特訓の時間を少しばかり楽しんでいたから。……認めるのは悔しいけれど。

 でもリュメルに何かを言うよりも前に、イザーク本人に謝る方が先だな。うん、リュメルはそのあとまた考えよう。ある意味逃避のようにも思える結論を出して、私はソファの上で目を閉じた。


 *


「昨日は誠に申し訳ありませんでした。ドランケンス様に対して大変失礼なことを申し上げたこと、お詫び申し上げます」


 きっちり九十度。頭を下げて謝れば、イザークが驚いている空気が伝わってきた。


 翌朝。朝から、私はエンジェラに魔信具で連絡を取った。イザークに、少し話がしたいと約束を取り付けるためだ。すると驚いたことに、エンジェラ曰くイザークの方も私と話がしたいと言っていたらしい。その日の昼休みに、時間を取ってもらうということで、話は落ち着いた。


『急にあんなこと言うからびっくりしたんだよ……しかも、リラの真後ろでリュメルが真顔で立ってるから。……ねぇリラ、あそこで言ってたこと、本気で言ってたわけじゃないよね? もしそうなら、リラでも、私怒るからね……?』


 エンジェラは少し抑えた声で、ためらいがちに聞いてきた。同じ転生者仲間、そして朱眼姫(シュガヒメ)を推す仲として信じてくれているのだろうなと思うと、申し訳なく感じると同時に少し嬉しくも思う。


「ごめん、あれ、前世のイザーク推しの友達がいつも言ってた、イザークの良い所……思い出してたらつい口から出ちゃってた」

『良い所!? ……色々言いたいことはあるけど、リラってば随分うっかりさんだね?』

「うん、まあ、そういうことだから……イザークはなんか言ってた?」

『……大丈夫だと思うよ。まあ、本人から聞いてよ』

「?」


 含みのある言い方を少し不思議に思いながらも終えた通話。

 そして現在、昼休憩中、私は誠心誠意、イザークに謝罪の言葉を述べていた。


「失礼ながらも言い訳をさせていただきますと、誰かが言っていた言葉を思い出していたのを誤って口に出してしまったので、私があのように思っているわけではありません。しかしドランケンス様の耳に届くところであのような失礼なことを言ってしまったことで、ドランケンス様を不快にさせてしまったことを心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした」

「いや、あの……顔を上げてください。今日君と話したいと思ったのは、そのことではないんです」


 なぜか言いづらそうにイザークが言う。顔を上げれば、イザークは困った顔をしていた。


「謝罪は受け取ります。……が、謝ってもらっておいてなんですが、君が悪意を持ってあのような言葉を口したのではないことは、分かっていました。そういう意図は、言われた側にも伝わるものですから。だから、本当に気にしていません。君も気にしないでください」


 なんていい人なのだろう。失礼な話かもしれないが、確かにイザークの立場上蔑みを受ける機会は多かったのだろうし、そういう悪意の有無などは分かるようになるのかもしれないけれど──面と向かって悪口を言った本人に向かって気にしなくていいと言える人なんて、そうそういない。

 そしてこういう人なのは知っていた。だからエンジェラに、イザークも私と話がしたいと言っていたと聞いて、その理由が分からなかった。私が失礼なことを言ったとして、文句を言ってくるような人ではないから。

 だから、考えるにイザークの話はきっと彼自身のことではなくて。


「私が君と話したかったのは、お願いがあるからです。──リュメルとの魔術の練習を、継続してくれませんか」

「……それを何故、ドランケンス様が?」


 予想通りというか、なんというか。それ以外には考えられなかったともいう。ただひたすら、イザーク・ドランケンスという人間の善良性を目の当たりにするだけだ。

 イザークは、眼鏡を手で上げながら言った。


「彼、冬季休暇のときからわくわくした様子で話していたんです。なんとかして、決闘大会に向けての練習に、モーガンスさんに付き合いを頼めないかと。ここ数日間も、君と練習出来て本当に楽しそうでした。自分でも驚くほどに実力が着く気がする、なんてあのリュメルが言うんですから、モーガンスさんの魔術の実力が並大抵でないことは言わずともわかります」


 リュメルのことを口にするイザークは、わずかに目じりが下がり、口調も少しだけ砕けて柔らかな雰囲気になる。


「彼が私を大切に思ってくれているのはよく知っています。ですが……私のせいでリュメルが何よりも楽しみにしていたものを失くしてしまうと思うと、いたたまれなくて……。リュメルは、毎朝寮を出たらすぐに競技場の予約を取りに行くんです。今朝はいつもより随分と心あらずな様子でしたが、それでも迷うそぶりも見せず予約を取りに行きました。その後我に返った様子で、私に聞いてきたんです。今日の魔術の練習に付き合ってくれないかと」


 ……それはつまり、無意識に私と行くつもりで予約を取っていたということだろうか。

 私は何の言葉を返したらいいか分からず、目線をさまよわせた。


「……ですが、私との練習は結構だとおっしゃったのはキースリング様ですから、私が練習に行くと答えたところで、意味はないのではないのでしょうか」

「君に悪気がなかったことが分かれば、彼は気にしないんじゃないかと思います。ああ見えて、単純な男ですから」


 きりっとした目つきで、まっすぐにこちらを見つめてくる深碧の瞳は、真面目で誠実な、きれいな色だ。


「ですから……これを君に頼むのはおかしいと分かっているんですが、リュメルと和解してくれませんか。今日の放課後、競技場のいつもと同じ時間、いつもの部屋をリュメルは予約していました。そこで待っていてくれませんか」

「……分かりました」


 断る理由は無かった。私の方こそ、リュメルとの現状をどうにかしたかったから、まさに渡りに船だった。

 私の返事に、イザークはほっとしたように小さく微笑む。


「ありがとうございます」

「いえ、こちらこそありがとうございます。……ドランケンス様は、本当に良い人ですね」

「良い人……ですか」


 イザークは、小さく苦笑した。


「自分にとって大切なもの以外のために、動きはしませんが」


 自分にとって大切なもののためだけに動く。それはきっと、私も同じだ。ただ、イザークの方がその『大切』の基準が浅く、範囲が広いのだろう。


「正直者が馬鹿を見て、善人が損をするのが世の常ですから。自分をおろそかにして、擦り減らすことがないようにお気を付けください」


 そんな私のお節介に、イザークは真面目な顔で「ありがとうございます」と頷いたのだった。


 *


 そして、放課後。


 イザークに言われた通り、いつもと同じ時間、魔術競技場の同じ部屋。人がいなかったので少し早めに入っていれば、すぐに彼はやってきた。

 私の姿を見るなり、わずかに眉間にしわを寄せる。


「……もういいと言ったはずだけど。どうしてここにいるんだい? モーガンス」


 冷たい口調、下がる周囲の空気。もはや形だけの笑みすら浮かべていないとは、珍しいこともあったもんだ。


「すみません。キースリング様と少しお話がしたくて」


 さあ、二度目の謝罪と行こうじゃないか。


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