二十八話 懐古
こぢんまりとした部屋の、天井から下がる古い照明魔道具。その黄色っぽい光に照らされるのは、凝った装飾の施された木目の美しい木のテーブルたち。前世でもよく見た、洒落た雰囲気のバーのような小さな食堂にはよく見覚えがあり、ひどく懐かしい匂いがした。
部屋の奥側のカウンターの奥には誰もおらず、その近くのテーブルでは二人の男が座り、酒を飲みながら談笑している。その部屋に、男たちと私の他には誰もいなかった。
私は二人の方へ近づいた。片方の男が私に気づき、笑顔を向けてくる。
「やぁ、久しぶりじゃないか。元気にしていたか?」
私は軽く頷き、声をかけてきた男とは違う方の男の元に行った。
「ダチュラ」
声をかければ、ダチュラは私を抱き上げ、自分の膝の上に座らせる。
「なんかあったか? お前がここに来るなんて、珍しいじゃねぇか。しかも、いつもならもう寝てる時間だろ」
問いかけるダチュラに、私は小さく首を横に振った。
寒くて寝付けなかっただけだ。だから、ダチュラに会いに来た。そんな理由を口にする必要は感じなかった。
背中に伝わるダチュラの体温が心地よい。その温度、温かみのある照明の光や懐かしい匂いに安心して、強ばっていた体の力が抜けていく。
「なぁ、ライラック。お前は聞いたことがあるか? ダチュラがお前のことを連れて帰ってきた日のことをさ」
「……ない」
ダチュラでない方の男が、朗らかに言う。名前は覚えていなかった。けれど、ダチュラと仲良くて、ダチュラが好いている人物なのは知ってる。この男と話す時のダチュラは、いつもどこか気の緩んだ顔をしているからだ。
「……んな話、する必要別にねぇだろ」
「いいじゃないか。あの時は本当に笑ったんだから」
苦い顔をするダチュラをからかうように、からからと男が笑う。
「あの日、こいつは任務があったんだ。とある貴族の屋敷に魔力を盗みに行ったんだが、帰ってきたこいつは、何故か丸めた自分の外套をやけに大事そうに抱いていたのさ。何事かと思っていたら、なんとその中から小さな子供が出てきたんだ。それがお前だよ、ライラック」
男はちびりと酒を飲み、続けた。
「あのときは、周りにいた誰もが驚いていたよ。いくら魔力量が多いからって、任務に行った帰りに子供を拾ってくるなんて。しかも、誰にも心を開かないことで有名なあのダチュラが困った顔をして、目が覚めて大泣きするお前を懸命にあやしているんだからなぁ」
思い出しているのか、男はくっくっと堪えるように笑う。ダチュラは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「うるせぇ、ルドベキア。それのどこが変なんだよ」
ルドベキア。そういえば、そんな名前だった。
ルドベキアはにこにこしながら言葉を返す。
「物珍しかったのさ、当時はね。ダチュラは誰にも負けないくらい強かったが、孤独だった。本当にすごいことなんだよ、ダチュラが小さな子供をちゃんと育てているなんてさ。今となっては、ライラックをこうやって膝に乗せていることに、何の違和感も感じないけどね。ライラック、お前はダチュラを変えたんだよ」
私が、ダチュラを変えた? 正直、わからなかった。ダチュラは、いつも同じダチュラ。特に、私に対する時は。
むしろ、ルドベキアといる時のダチュラの方が、全然知らないダチュラだ。不機嫌そうに顔をしかめるのも、少しだけ拗ねたような口調になるのも。
「こんな奴の言うことになんか耳を貸すなよ、ライラック」
「はは、酷い言い様じゃないか」
ぽんと、ダチュラが頭に手を置く。
体が温まってきていた。先程まで全く感じていなかった眠気が、突然やって来る。
緩やかに動く、ダチュラの手。
いつもは、ダチュラ以外の人がいる所で寝ようなんて絶対思わなかったけれど、今はまあいいかと思えた。ルドベキアは、ダチュラが信頼している相手だし、今、とても心地いいから。
ダチュラのぬくもりに包まれてまどろむ。
この温かさが、いつまでも私の心に残り続けばいいと思った。
場面が切り替わる。
また、同じ食堂の小さな部屋。けれど今度は照明が暗く、不気味な雰囲気だった。壁から漂う冷気に、体を震わせる。
私はダチュラに呼ばれて、ここに来ていた。
あの時と同じテーブルの同じ席にダチュラは座っていた。あの時と同じ、寒い夜だ。ただし、前に座る男はいない。
ダチュラは、コップに入った酒をぐいっと煽り、ガンっ! と音を立ててコップを置いたかと思うと、だらりと力が抜けたように腕を垂らした。
「ダチュラ」
呼びかけると、ダチュラは振り向く。私を見るその朱殷の目はどんよりと濁っていて、いつになく虚ろだった。顔も、いつもよりやつれている。
不調を見せるなんてことを絶対にしないこの人のその様子が、たまらなく不思議に思えた。
「……あぁ、来たか」
のろのろと音でも聞こえてきそうな緩慢な動作で、ダチュラはテーブルの上に手を伸ばし、置いてあった紙をとって私に手渡した。
「任務だ、ライラック」
私はその紙に目を通す。少しだけ、手が震えた。
「その情報を掴んだと、奴が気づく前に」
『本名:××××××・××××
所属:国治隊総司令部特殊犯罪現場出動部隊
八年前に組織アイーマに入り、現在も潜入捜査中。』
「殺せ」
冷たい声が響く。私は唾を飲み込んで、紙の最後の字を指でなぞった。
『コードネーム:ルドベキア』
***
「──ら。ライラ?」
名を呼ばれる声に、意識が浮上する。
目を開ければ、ウィスティが下から私の顔を覗き込んでいた。
「もうすぐ、着くよ。……よく寝てたけど、寝不足?」
「……あぁ、まあ、ちょっと夢見が悪くってね」
ぼーっとした頭で答えて、ぱちぱちと目をしばたたかせる。ふわ、と欠伸をして、長時間同じ姿勢でいたせいで凝り固まった体を、できる範囲で動かした。
昨日、休暇前の最後の授業が終わり、今日から冬季長期休暇だった。貴族の子息令嬢は家からの迎えの人運箱に乗り込み、平民の生徒は公共の人運箱に乗って家へと帰る。
私もウィスティと人運箱に乗り、帰っている最中だった。ただし帰るのは家というか、国治隊の寮だけど。
公共の人運箱であるからにはもちろんほかの乗客がいる。いつもならそんなところで呑気に寝たりはしないのだけれど、昨日の夜は夢見が悪かったせいで、よく眠れなかったのだ。
今見たのも、懐かしい夢だった。この季節になると、よく見る夢だ。人運箱の窓から外を眺めながら、あの人は今、元気にしているんだろうか、とぼんやりと思った。
*
学生の大好きな長期休み。けれど、私たちにとっては、学院から帰ったところで待ち受けるのは仕事だ。
私とウィスティは国治隊の寮の部屋に荷物を置くと、早速職場へと繰り出した。
国治隊は第一隊、第二隊、第三隊、第四隊、総司令部の五つに分けられる。総司令部は国治隊全体のトップであり、その中に私の所属する特殊犯罪現場出動部隊、略して特犯部隊は設けられている。
特犯部隊は私、ウィスティ、ルゥーを含めて五人しかいないため、仕事部屋は他の部署に比べてもかなり手狭だった。
丁度昼休憩の時間だったようで、私達が入った時には部屋には誰もいなかった。
いつもは、大きな仕事が入ると机の上に事務書類が溜まりに溜まるのだけれど、流石の長期任務にほとんどルゥーと他の同僚が片付けてくれていたようだった。人数が通常の半数近いのに、流石仕事が出来る人達は違う。
ありがたく、私たちは一番面倒な任務の報告書の作成に勤しむことにした。
「ああ、リラ、ヴィヴェカ、戻っていたんだね。お疲れ様」
私とウィスティが机に向かい始めてすぐ、ルゥーを含めた同僚三人が部屋に戻ってきた。真っ先に労いの言葉を掛けてくれたのは、最年長のガスパル・フォイルゲン。四十過ぎだが未だに前線でバリバリ活躍するイケオジだ。
この特犯部隊は総司令部に特設されているため、部隊自体に明確な長はおらず、直属の上司は副司令官のギードという少々特殊な形ではあるのだけど、やはりガスパルは最年長なだけあってみんなをまとめてくれるし、とても頼りになる。
「お疲れ様です、ガスパルさん。先程戻りました。机の上がすごく綺麗で感動しました。ありがとうございます」
「おいリラ、ガスパルさんだけじゃないぜ? 俺だって手伝ったからね。それにシグムンドだって。ずっとお前らのこと心配して、そんなに速くなかったけどね」
茶化すような笑みを浮かべるのは、リュディガー・イステル。彼は一昨年魔術学院を卒業してここに入った、私たちの年上の後輩だ。とは言っても特に上下関係などはなく、リュディガーは器用に私たち三人と仲の良い友達みたいな関係性を築き上げている。
「うるせぇ、そういうのいらねぇから」
肩を組んでくるリュディガーを押しのけて、ルゥーは顔をしかめる。相変わらず仲が良さそうで何よりだ。
「ふふ、リラ達がいなくても、二人はずっとこんな感じだったよ。……でも、君達がいるといないとでは、空気の明るさが大違いだ。君達二人も元気そうでよかった。まだ終わった訳では無いけれど、ひとまずお帰り」
温かい笑みをガスパルが浮かべる。お帰り! とリュディガーが後ろから私達二人の肩に腕を回した。それを見たルゥーが、あからさまに顔をしかめてみせる。
私とウィスティは互いに目配せをして、笑って答えた。
「「ただいま」」
二章開始しました。
引き続き応援してくださると嬉しいです。




