5
驚愕に見開かれた目。手に伝わる、肉の感触。
熱い。身体中が熱い。背中がじくじく痛む。痛みを何とかしたくて体を動かせば、今度は肩に刺すような痛みが走った。
目の前の男が笑いながら言う。ひどく下卑た笑い方だ。
お前の父と母は殺してやったよ。お前も死ね。
(いやだ、死にたくない、お前なんかに殺されてやるもんか)
あつい。このあつさはなんだ、痛みか、それとも怒りか。
くやしい。許せない。死ぬならお前が死ね。いや、俺はやった、あいつの心臓を刺してやった。あいつを殺したんだ。
体全体が燃えるように熱い。痛い。背中も肩も、そして首も。体のあちこちから、色んな大切なものが溶け出ていくような気がする。
不意に、額になにかひんやりとしたものが乗せられた。
(……ははうえ……?)
小さい時に、熱を出した時。母が額に濡れたタオルを置いて、冷やしてくれた、あの時みたいだ。
(母上、俺、やったよ。父上と母上の仇、取ったよ)
父と母が、優しい目で笑いかけてくれる。シグムンドはひどく安心して、また深い闇へと沈んでいった。
***
目を覚ましたシグムンドの目に飛び込んできたのは、見慣れた天井だった。
身を起こそうと腕を動かした瞬間、背中と右肩に痛みが走る。眠っている間も絶えず感じていたずきずきとした痛みがはっきりとしたものに変わり、シグムンドは思わずうめき声をもらした。
「……ルピナス?」
静かな声で呼ばれて、声のした方を見れば、上から顔を覗き込んでくる少女がいた。
ライラックはシグムンドの額に乗せてあった、ぬるく湿った布を取り除き、ひんやりとした手でシグムンドの額に触れる。その顔をぼんやりと見つめながら、シグムンドは自分の記憶を辿った。
たしかヴォルフックスの屋敷で、シグムンドがライラックをあの男の寝室から追い払った後。シグムンドはヴォルフックスの胸を刺し、シグムンドは周りを取り囲んでいた衛兵たちに剣で切られた。意識がもうろうとしていたあの時、ぼんやりとライラックの顔を見た覚えがある。
そして、今。ここはアイーマの、シグムンドとライラックが二人寝起きしている部屋だった。
(ライラックに助けられたんだ、俺)
あの時はただ切られた痛みに必死で、何も考えられなかったけれど、自分は死んでもおかしくなかったと思う。確かにライラックはあの時、動こうとしないシグムンドにあきれて出ていったはずなのに。今ここにいるということは、戻ってきてくれたということ。
シグムンドは正直、やっぱりライラックが何を考えているのか、さっぱりわからなかった。今回のことで、シグムンドは足を引っ張る存在だとライラックも察したに違いない。なのに、どうしてシグムンドの所に戻ってきてくれたのだろうか。わざわざ自分が捕まる危険までおかして。
ライラックはシグムンドのベッドの傍にイスを置いて、シグムンドの様子を見守っていたようだった。何も言わずにぼんやりとライラックの顔をみつめるシグムンドの様子に、ライラックは立ち上がり、すたすたと部屋を出て行ってしまう。
首を動かすのも辛くて、あまり傷が痛まない左手で首を触ると、首に包帯がまかれていた。そういえば、首も切られたんだっけ。浅い傷だったのだろう、今はそれほど痛まない。
少しして、部屋にライラックが戻ってきた。かと思えば、スープを乗せたトレーを持ったダチュラが続いて入ってくる。
「よう、生きてるか、ルピナス」
小さく首を縦に振ったシグムンドの額に手を当てて、ダチュラは頷く。
「熱は下がったみてぇだな。後で傷は見てやるよ。残念ながらうちに治癒師はいねぇんだけども、まあお前なら自然治癒でも大丈夫だろ。とりあえず、今は食えよ。一刻も早く体力を取り戻せ。お前、四日も寝ていたからな」
「……よっか、も?」
声を出すと、やけに声がしゃがれている。ちょっと待てな、とダチュラはシグムンドの背中に枕を差し入れ、ゆっくりと上体を起こしてくれた。
起き上がったシグムンドの膝に、ダチュラはスープが乗ったトレーを置く。追加で、コップに入った水がトレーに置かれる。置いたのは、ライラックだった。
シグムンドは、動かしても肩が痛まない左手でゆっくりコップを口元まで運び、水を少しずつ口に流し込む。水を飲み込むたびに痛むのどは、一杯飲み終わるころには大分ましになっていた。
すっと、ライラックに無言で、空のコップを手から抜き取られる。シグムンドが一瞬それを目で追いかけていると、今度はライラックに突然すっとスプーンを差し出された。シグムンドがそれを受け取れば、ライラックはコップをベッドサイドテーブルに置き、先ほどまで座っていたイスに、膝を抱えて座りなおす。その様子を少し離れて眺めていたダチュラは、少し苦笑していた。
やけに甲斐甲斐しいライラックに戸惑いながらも、シグムンドはスープを口に運んだ。温かいスープが喉を滑り落ちていく。それがなんともほっとして、同時にシグムンドは猛烈に空腹を感じ始めた。
「まあ、少しはゆっくり休め。食べ終わったらトレイはサイドテーブルにでも置いておけ。また、傷の具合を見に来るから。ライラックも、ここ数日寝不足だろ? 今日はゆっくりしていていいぞ」
「……はい」
ひらひらと手を振り、ダチュラは部屋を出ていく。扉がバタンと音を立ててしまったのを見てから、シグムンドは食事に戻った。右手はトレイに添えているだけだが、少し力を入れるだけでも肩が痛い。左利きでよかった、と生まれて初めてシグムンドは思った。
しばらく、シグムンドがスープを飲み、それをライラックが見守る無言の時間が続く。シグムンドが食べ終われば、ライラックはトレイをテーブルに置き、「……水、いる?」と聞いた。
いい、とシグムンドは答える。ライラックはまた、イスに戻った。そのイスは完全にシグムンドの方を向いているから、必然的にライラックはシグムンドを見続けていることになる。そんなとこで膝抱えて何してんだ、と思いつつ、シグムンドの口から出てきたのは別の言葉だった。
「……お前、寝不足って、もしかして、俺の看病?」
何言ってんだ俺、と言ってから思う。ライラックに限って、そんなはずはないじゃないか。
シグムンドに、生きるためにはそれ以外のことを捨てろ、と説いてきたライラック。そんな彼女がシグムンドの面倒を見て、何の利益がある。彼女の足ばかり引っ張って、何の役にも立たないシグムンドを。
しかし一方で、シグムンドが目覚めてからの、ライラックのこの甲斐甲斐しさに対する違和感がもしかして、とシグムンドに告げていた。
「……まあ」
ぼそっと呟かれた言葉に、シグムンドは目を見開いた。まさか、本当に肯定が返ってくるとは。
「なんで? 俺、お前に迷惑かけてばっかりなのに。任務の邪魔して、訓練だって俺に付き合ってばっかりで、実は面倒とかじゃないの。……それに、あのとき。なんで助けに戻ってきてくれた? 俺、もう帰れって言って、俺の事置いて行けって言って、お前、出て行ったじゃないか。あれ、もう俺のことは諦めて帰ったんだと思っていたのに」
「帰って、ない。時間がかかると思って……屋敷内の、映像記録型監視魔道具を、壊しに行ってた」
思いがけない言葉に、余計シグムンドは唖然とする。
「なんで? なんで、そこまで。俺のことを助けたって、お前に利、ないだろ?」
「……」
矢継ぎ早に質問するシグムンドの顔をちらりと見た後、ライラックは膝を抱えた腕の中にぽすりと顎を乗せた。
「……私は、赤ん坊のときに、ダチュラが拾ってきたそうで、昔からここにいる、けど」
ぽつりぽつりと、ライラックが話し始める。その声色は、いつにもまして静かに聞こえた。
思わぬ話始めに、シグムンドは意外に思いながら話を聞く。拾われた──つまりは、孤児ということ。これまで全く知らなかったライラックの生い立ちをライラック自ら語ってくれることに驚いていた。
「昔は、ここ、三人いた。私以外に、二人。ベッドが三つあるのは、そのときの。でも、一人ずつ、帰ってこなくなった……」
ライラックは、顔を上げて、まっすぐにシグムンドの顔を見据えた。
「助けたのは……ルピナスが、帰ってこないって、思ったから」
そして、ふいと顔をそらして、小さい声でつぶやく。
「この部屋は、広い」
思いもよらない言葉にシグムンドは目を丸くした。
「それって……つまり、お前、寂しいってこと?」
「……ルピナスは努力ができる。センスも、悪くない。使えるようになったら、便利」
ライラックは、ぼそぼそと言葉を連ねる。それが言い訳のようにしか思えなくて、シグムンドは思わずにやけた。
自分への評価も意外で、けれど同時に嬉しくも思う。
ライラックはいつも無表情で、声色も変わりはしないけれど、実際は自分と同じ普通の子供なのかもしれない、とシグムンドは気づいた。
ライラックが組織内で言葉を交わす相手は、シグムンドが知っている中で、シグムンドを除けば九割方がダチュラだ。ダチュラはおそらくアイーマの中でも高い位にいて、結構忙しそうにしている。
ライラックは魔術も体術も何もかもがすごくて、全くかなわないし、何を考えてるのかさっぱり分からない奴だと思っていたけど──なんだ。ただのさみしがりやの女の子だったんだ。
分かると、それまで全然理解できなかったライラックに対して、急に親近感がわくのをシグムンドは感じていた。
*
一週間もすると包帯も外れ、少しずつではあるがシグムンドも訓練を再開することとなった。
訓練再開の日の朝。ゆっくりとした動作で身支度を整えるシグムンドを、先に準備のできたライラックが傍で見守っていた。
じっと見られるのは少しばかり居心地が悪いが、それが監視ではなく気遣いであることを知れば、嫌悪感は抱かない。むしろ、心配させてしまって申し訳ないとさえ思うようになった。ライラックに対するこの心情の変化は、自分でも大したものだと思う。些細なことでも、人に対する見方はがらりと変わるものだ。
「……ルピナスは。あの男を、殺したかったの」
シグムンドがベッドに座り靴を履いていると、ずっと黙っていたライラックが、ふいに、小さな声で尋ねた。
シグムンドは思わず手を止め、ライラックの顔を見上げる。
男とはヴォルフックスのことだと、すぐさま分かった。
「あの男……治癒師の力で、死ななかったって。目撃者の記憶は全部消したから、私たちの痕跡は残ってない、けど……」
「……死なな、かった?」
その知らせは初耳だった。信じられない気持ちでシグムンドが繰り返すと、ライラックはこくりと頷く。
「ダチュラが言ってたから、たしか」
「……」
そうか。死ななかったのか。あれだけ深く、胸を突き刺したのに。いや、深く突き刺したと思ったのはシグムンドだけで、本当はそうでもなかったのかもしれない。
シグムンドの体にこれからも残り続けるであろう、背中と肩、首の傷。あれは、無駄だったんだろうか。
落胆と、途方もなく大きな虚無感が心を満たす。
ぼんやりとしていたシグムンドの顔を、ライラックが下から覗き込んでくる。
「死んででも、あの男を殺したい?」
まっすぐに、青紫の瞳はシグムンドを見据えていた。それが僅かに揺れているようにも感じて、シグムンドは言葉を失う。
ライラックが、不安を感じている? いや、気のせいかもしれないけれど。
「私は……命より大切な何かは、ないけど……ルピナスがしたいことなら、邪魔……しない」
淡々と述べられる言葉が段々と尻すぼみになっていくことに、シグムンドは驚きを隠せないでいた。この間から、ライラックの知らない面ばかり見ている気がする。今のライラックは、どこか迷子の子供のような顔をしているように思えた。
「……なんか、あいつは、もういいかな」
シグムンドの言葉に、ライラックははっとしたように顔を上げた。
必ず両親と同じ目に合わせると誓った、あの憎き男を殺せていなかったことは悔しいと思う。しかし同時に、自分の中で何かが終わったような気もしていた。それに、何より。
「俺……ルピナスに、なるよ」
少しだけ知ってしまったこの年下の女の子を、傷つけたくないと思ったから。
シグムンド・フォルスター。この名を、今度こそ捨てようと思う。きちんと、自分の意志で、今までの自分に別れを告げる。
シグムンドの言葉の意味を正確に理解したのだろう。ライラックは珍しく目を丸くしてシグムンドの顔を無言で見つめていた。それから、すっと動いたかと思うと、自分のベッドの方へ手を向け、魔術で何かを引き寄せた。
ライラックのベッドの奥側からふわふわと飛んできたのをライラックは両手で受け止め、すっとシグムンドの方へ突き出す。
「……?」
「ルピナスの、花。この前、ダチュラに聞いた」
それは、乾燥させた色鮮やかな花束だった。ルピナスの花──蝶のような丸い小花が上に向かって咲き連なっているような花だった。名前は知っているものの、初めて見た花に、シグムンドはじっと見入る。ピンクや白、紫の色とりどりの花がすっくと上に向かって伸びている様は、凛としていて美しく思える。
「ライラックが、取ってきてくれたのか?」
ライラックは、こくりと頷いた。
花は茎の所をひもで不器用に結ばれていて、ライラックが一生懸命自分でしたのだと思うと、なんだか無性にくすぐったい。
「……ありがとうな、ライラック」
片腕で花束を抱えて、もう片方の手で、ライラックの頭へと手を伸ばす。よくダチュラが頭をなでるのを真似してやってみると、心なしかライラックの表情が和らいだ気がした。
こうしてこの日、シグムンド・フォルスターは、ルピナスとなった。
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