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「魔力操作、遅い。もっと早く。それじゃ、届かない」


(やってるんだってば!!)


 シグムンドが必死に魔力を操り、ライラックの体に触れようとするも、ライラックは信じられないような軽やかさでそれを避ける。


「魔力操作は、練習、慣れが一番。もっとイメージして、手を動かすように」

「練習が一番って言うなら、これ以上求められても現段階じゃ無理だろ!」

「話す余裕あるなら、まだできる」


(余裕とかそんなんじゃなくて、実力的に無理なもんは無理なんだってば!)


 魔術の訓練、鬼ごっこのようなもの。ライラックが逃げ、シグムンドは魔力でライラックを捕まえる。ただし実力差から、ライラックの体のどこか一部に触れさえすればいいという条件付き。

 やけくそのようになりながら、目の前のライラックに向かって魔力を操る。

 先程まで俊敏に動き回っていたライラックは、少し動きを止めた。チャンスだと思い、出せる最大限の速度で魔力をライラックへと伸ばす。ライラックはこちらを振り向いたかと思えば、一直線に伸びるシグムンドの魔力をひょいとしゃがんでかわした。


「んなっ!」


 慌てて真っ直ぐに進む魔力の方向を変えようとするも、ライラックは目にも止まらぬ早さでシグムンドの方へと走ってくる。気づけば、目と鼻先のところにライラックがいた。

 足に軽い衝撃が走り、体が浮く。足を払われたと気づいた瞬間には、もう尻をついて後ろに倒れ込んでいた。

 目の前に立ったライラックはシグムンドを見下ろし、無表情のまま温度のない声で言い放った。


「下手」


 *


 アイーマに入り、早三ヶ月が経とうとしていた。ダチュラの言った通り、シグムンドはライラックに連れられアイーマ本部の敷地内を周り、訓練を受けさせられた。そして、言うならばライラックはスパルタ教師以外の何物でもなかった。

 最初の一ヶ月は、魔術のまの字もなかった。二週間程度はただひたすらに体力作りをさせられた。走り込み、筋トレ。そして慣れてきたら体術を叩き込まれた。朝から晩まで、限界まで体を酷使する日々。体が悲鳴をあげて吐いてしまうのなんて最早日常茶飯事だった。

 ようやく魔力を扱うようになってからも、地獄の訓練の日々。自分の体内の魔力を感じ取るところから、動かす感覚。自分の放つ躑躅(つつじ)色の光を初めて見た時は感動に体が震えた。が、すぐにもう見たくないとさえ思った。自身は動かなくとも、魔力を動かすだけで運動するのと同じような体力がいるし、ただ普通に動くのとは違って集中力もいった。

 訓練に手を抜けばライラックはすぐに気づき、魔力で縛り上げて動けなくした挙句、体術で攻撃してくる。小さな体なのに、与えられる痛みは半端じゃなかった。

 魔力切れでぶっ倒れたことなんて、両手両足の指を持ってしても数え切れない。そして回復したら、またすぐに訓練が始まるのだ。

 有難いことに、ご飯は腹いっぱい食べられた。もちろん伯爵邸で毎日食べていた料理の味とは比べ物にもならないが。

 夜は、いつも気絶するように眠りについた。疲れすぎて、夢など見なかった。最初の頃に、父と母が男に襲われ、自分がただ逃げようとする夢を見てからは、もう夢なんて見たいと思わなくなった。限界まで自分を追い込めば、夢を見ずに寝られる。気づいてからは訓練に一層熱が入った。


 後から思い出しても、きっと人生で一番辛い時期になるに違いないと思った。この日々が夢なら、早く覚めて欲しいと何度も願った。願っても、来るのは苦しくしんどい訓練の日々。

 しかし、それはまだ序の口に過ぎないのだと、シグムンドはすぐに思い知らされる。



 ***



「ルピナス。初任務、私と一緒に」


 その日、ライラックに伝えられたのはこんな言葉だった。ライラックの伝達能力に不安を覚えてか、後ろから着いてきていたダチュラが苦笑して補足する。


「最初はライラックに着いて行って、何をどうするのか、どう動くのかとかを見てもらうだけだ。慣れたらお前にも一人で任務についてもらうからな。まあ、最初は全てライラックが何とかしてくれるから、自分勝手に動くことだけはしないように。あと、捕まるなよ」

「分かりました」


 任務。その言葉に体が強ばるのを感じながら、シグムンドは頷いた。それを見たダチュラは、小さく笑ってシグムンドの頭にぽんと手を置く。


「そう大変なものでもねえよ。ライラックとはぐれたりさえしなければ大丈夫だ。な? ライラック」


 ダチュラの同意を求める言葉にライラックは頷くでも返事をするでもなく、ただ静かに目を伏せた。その反応に、シグムンドは一抹の不安を抱いたのだった。


 *


 アイーマ本部を出発したのは夜だった。支給された服の色は闇夜に紛れる黒。全身を覆う動きやすい服を着て、底の柔らかく音のならない靴を履いた自分の姿は、我ながらいかにも怪しそうだと思った。


 慣れた様子で、公共の夜間運行の人運箱(じんうんそう)の停留所へと向かうライラックに、シグムンドは戸惑いながらついていった。多分今から行う任務とは、犯罪のはずだ。他に乗る人もいるだろうに、それほど堂々と人運箱に乗っていいものなのかと思う。ましてや夜遅くなのに、子供二人、同伴の大人無しで出歩いているのはさぞかし不審だろう。周りに怪しまれないかと恐れていたものの、いざ人運箱に乗り込んでみれば、運転手も他の乗客も、二人に興味を示すものはいなかった。

 なぜだろうと不思議に思って辺りを見回すシグムンドの手を引いて素早く席に着いたライラックは、無言でシグムンドの顔を見やったあと、つんつんと自分の頭を指さしてみせる。

 シグムンドははっとした。頭──つまり、『精神操作』? 禁忌の魔術と言われるそれ。いよいよ本当に任務に行くのだと思うと、ドキドキしてくる。同時に、経験数的に当たり前とはいえ、自分の実力との差をありありと見せつけられたような気がして、歯噛みする。精神操作の存在は知っていても、まだシグムンドには到底できないものなのに、それを隣にいるシグムンドすら気づかない内に人運箱上の人全てにかけるなんて。ライラックは今七歳と言っていた。三つも年下の女の子に負けているのが、酷く悔しく思えた。


 人運箱を降りたのは、王都の端にある大きな屋敷の近くだった。どこかの裕福な貴族の屋敷だろう。シグムンドになんの説明をすることもなく、ライラックは屋敷の入口へと向かう。

 華美に飾られた高い門の前には番兵が二人ほど立っていた。その方向へ躊躇いなく堂々とライラックが歩いていくから、シグムンドは眉をひそめる。番兵から見えない所で止まり動こうとしないシグムンドに、ライラックは来い、と顎で合図した。シグムンドは渋々少し離れたところからついて行く。緊張で、握りしめた手の内側がじっとりと汗ばんでいた。

 驚くことに、番兵の二人はライラックを見た途端、門を開けた。これも精神操作か、とシグムンドは気づく。ライラックは開かれた門の前で右手を前に伸ばした。暗闇に、ライラックの青紫の光がじわりと光る。その光が少しずつ大きくなると共に、ライラックの手の先に黄緑の光の壁がうっすらと光っているのを見て、シグムンドは息を飲んだ。見えない結界が姿を現している。そのまま、青紫の光がじゅわっと強くなったかと思うと、黄緑の壁がふっと一部だけ消え失せた。

 貴族の屋敷に張ってある結界。主に不審者等の侵入を防ぐものだが、大体が不可視の状態で張られている。もちろんフォルスター家にも張ってあり、そういう仕事をしている魔術師を定期的に呼んで張ってもらっていた。何度かそれを見る機会があるたびに、感動したものだ。我が屋敷は、こうして守られているのかと。

 その結界に今、ライラックは何のためらいも障害もなく、やすやすと穴をあけたのだ。


(俺がいるのは、()()()()なんだ)


 唐突に、シグムンドは理解した。今までも分かってきたつもりだった。ライラックが当たり前のように精神操作を使っている時点で、分かっていたはずだった。なのに。


「……はやく」


 歩みを進めていたライラックが、シグムンドがついて来ていないのに気づいて振り返る。シグムンドはぐっと拳を握りしめて、後を追った。

 心臓が痛くて、苦しくて、ひどくうるさかった。



「どうして、邪魔したの」


 いつもの通り、無感情な声色で淡々と言うライラックは、いつもよりずっと冷たい目をしている気がした。



 結論から言うと、任務は失敗に終わった。

 シグムンドが見守る中、ライラックは屋敷の二階ベランダまで一気に跳び、シグムンドを魔術で一緒に運んだ。そしてライラックは二階のある窓を魔術で柔らかくして破り、その中に忍び込んだ。その部屋は寝室のようで、大きなベッドに端正な顔をした男性が眠っていたのだ。ライラックはその男性の傍に忍び寄り、眠る男の耳に、小さな赤い膜のような何かを被せた。


「……それ、何を?」


 思わず尋ねてしまったシグムンドに、ライラックはシッと口に人差し指を当てて見せた。そうしてシグムンドに見せるように、その赤い膜のそばにあった手の上で小さく魔力を遊ばせる。ライラックの手から出た細い青紫の光の筋は、吸い込まれるように赤い膜へと引き寄せられ、消えていった。


 魔力を吸い取っているんだ。


 そう気づいた瞬間、体は動いていた。ライラックを突き飛ばし、眠る男の耳についている赤い膜を外そうと手を伸ばす。頭の中で響いていたのは、いつか父から教えてもらったことだ。


『人は、魔力を失いすぎたら、死ぬんだ。お前は魔力量も多いが、使うときは気を付けるんだぞ、シグ』


 アイーマとは、犯罪組織。分かっていた、でも分かっていなかった。こんな幼い女の子が、こんなに易々と人を殺すなんて。許されることではないと思った。

 しかし、シグムンドがつき飛ばそうとしたところで、ライラックはされるがままになってくれる相手ではなかった。つき飛ばそうとした腕は一瞬で払いのけられ、男の方に伸ばした腕は掴まれ捻りあげられた。

 ぐっ、と思わず漏らした声か、シグムンドが倒れこんだ物音か、はたまた大きく動いた空気か。何かが引き金になったのは確かだった。男が、目覚めたのだ。うめき声を漏らし、ゆるりと腕を動かして上体を起こそうとする男。

 はっと息をのんだライラックの動きは早かった。迷わず、男の耳元に手刀を叩き込む。そして耳に取り付けていた赤い膜を一瞬で外すと、シグムンドの腕を掴み、窓から部屋を飛び出した。瞬く間に破れた窓を魔術で修復し、そのままベランダから飛び降りる。そのまま屋敷の庭園に降り立った二人は、連れ立って門へと走った。連れ立ってと言っても、シグムンドはただライラックに腕を引かれるだけだったが。門を出て、消した結界を修復した後、ライラックはようやくシグムンドの腕を放した。

 その後無言で人運箱に乗り込み、二人はアイーマ本部に戻ってきた。その間ライラックは一言も発することなく、シグムンドの顔を見ようともしなかった。そしてアイーマ内の二人の部屋に戻ってきて、ようやく発したのが先ほどの言葉だった。


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