一話 潜入任務
事が起こったのは、露ノ月の始めだった。丁度、国中の学校や学院で新たな年度が始まった、なんてことない夏の暮れ。
オノラブル国立魔術学院──この国、オノラブル王国内で唯一の国立魔術学院にして、この国一番の大きさの学園で、警備も固く、安全であるはずの所で、吸魂具が発見されたのだ。内密に伝えられたそのニュースは、私たち国治隊を大いに動揺させた。
幸い、大事に至る前にそれは警備用魔道具によって発見された。だがしかし、それだけでは終わらなかったのだ。
それから十日ほどたった頃、私は、上司であり、戸籍上の父でもあるギード・モーガンスに呼び出され、彼の執務室に来ていた。
「リラ。任務だ。君に、オノラブル国立魔術学院に生徒として潜入してもらいたい」
「……また、発見されたんですか?」
「ああ、これで三件目だ。しかも、今回遂に、被害者が出てしまった」
「そうですか……」
吸魂具。その名の通り、人の魂を吸い取る魔道具だ。詳しいことはまだ分かっていないが、大体が手を伸ばせば触れるほどの距離まで近寄れば、掃除機のように人の肉体から魂だけを切り離し、吸引してしまう。
「被害者の方は?」
「男爵令嬢らしい。一命はとりとめたと聞いたよ」
「不幸中の幸いですね」
吸魂具による吸魂は、一瞬で成される事ではない。大体三十分はかかるので、完全に吸魂される前に吸魂具の側を離れれば、助かる可能性は高い。
しかし十分以上吸魂具の近くにいるともう自力では動けなくなり、二十分で致死率七割、完全に吸魂されてしまうともう手の施しようが無く、二、三日のうちに肉体も死に至ると言われている。
助かったとしても、魔力が扱えなくなったり、まともにものも言えなくなるなどの後遺症が残るケースが、ほとんどだ。
つまり、生きている人の魂を吸い取るということは、殺人と同義なのだ。
第一、吸魂具の存在自体、国の法律を侵すものでもある。
「でも、潜入ということは、『ムスタウア』の者が学院に潜んでいるのは確定、ということですよね?」
私の質問に、ギードは渋い顔をして頷いた。
ムスタウア──現在、この国で一番大きいと言われている犯罪組織団だ。密輸や暗殺、それに最近では我が国の財務大臣が実はムスタウアの者で、国庫資金を横領をしていた、などということが明らかになったりした。
四年前までは、ムスタウアより更に大きな組織として、アイーマという組織が存在した。
しかし、アイーマが四年前に内部告発により国治隊に壊滅させられて以来、ムスタウアは随分と勢力を増して、今では当時のアイーマ並の大きさになっていると思われる。
ただ、罪を犯せども、彼らがやったという証拠は滅多に残さないし、その存在を悟らせもしない。情報源はたまに逮捕される下っ端構成員からや、情報屋と呼ばれる者たちからの話のみだ。国庫資金横領事件だって、財務大臣がとにかく間抜けな下っ端構成員だったらしく、たまたまムスタウアと内通していたと突き止められただけで、結局大した情報も得られなかった。
だから、その規模の大きさも実際のところ、国治隊からしては推測の範囲に過ぎないのだが。
ただ、ここ数年で、ムスタウアが使用するようになったものがあった。
それが、吸魂具──ムスタウアが独自開発したと思われる魔道具だ。
先ほども言った通り、吸魂具は人の魂を吸い込む。
本体は銀色の小さな丸い器具で、既存の魔道具に取り付けることで、その魔道具の側面にブラックホールのような黒い穴が生まれ、吸魂具へと変化する。別名、『魔道具の寄生虫』とも言われる。
人が普通のよくある魔道具だと思って近づいたら吸魂具だった、なんてのはよくある話だ。
むしろ魔道具は町中に転がっているものだから、本当にタチが悪い。
ちなみに、吸魂具は近づく人間の魂を強引に吸い取ってしまう上に、魔力とは魂が作り出し、まとっているものであるため、魂とともに魔力を根こそぎ吸い取られてしまう。
かつて一度もなかったそんな危険な物の存在が、三年前に初めて発覚した。それも発覚するまでに、人が魂のない状態で発見されるという事件が二十件以上起きていた。
しかし、三年たった今でもなお、吸魂具の仕組みはよくわかっていない。
高位魔術師でも魂を吸い取られる危険性は高く、研究よりも破壊が優先されてきたためだ。破壊された吸魂具は壊れたただの魔道具となり、吸魂具の形跡は一切残らない。
そのため、吸魂具は現在一番といってもいいほど、国治隊を悩ませているのであった。
「教員が犯人を探そうとしてはいるが、教員も自分の仕事でいっぱいで、あまり時間が取れないのだと。──まったく。これまでの二件が早々に発見されていて、大きな被害がなかったから揉み消そうとしていたらしい。被害者が出てしまったために、ついに国王陛下が国治隊に協力要請をお出しになったという話だな。それにしても、理事長は何をしていたのか。陛下を通さずとも、もっと早くからこちらに協力を頼んでくれればよかったものを」
ギードは、呆れたような口調で言う。
「まあそういうことだから、生徒として君とヴィヴェカを編入させることにした。急なことではあるが、三日後には学院に入ってもらう。現状、吸魂具の存在は生徒たちには全面的に秘密にされている。それから、リラたちが国治隊員であることを知っているのは、理事長と校長先生、教頭先生のみ。教員の大多数にも秘密だ。理由は言わなくとも分かるね? 君たちの仕事は発見次第吸魂具を破壊すること、それからムスタウアの者を特定すること。第一優先事項は、生徒たちの安全──は、言うまでもないな。あとは、君たちの采配に任せるよ。以上だ。質問があれば聞いてくれ」
「学院に行くのはヴィヴェカと私、二人だけですか?」
大人しい妹分の顔を思い浮かべながら、私は尋ねる。ギードは、あぁ、と頷いた。
「シグムンドは年齢的に無理だから、サポートに回ってもらう。君達の学年は違うが、寮の部屋は同室にしてある。ヴィヴェカにはまた別で、このあと伝えるつもりだ。いいな?」
「はい」
一人残された兄貴分はちょっと拗ねるかもしれないけど。
それと、とギードは今しがた思い出したように付け加えた。
「具体的な話についてはあまり詳しくは聞いていないから、君たちには学院に入った後に、理事長に詳しく話を聞いてもらうことになる。だが、聞いたところによると、ムスタウアの者は一人だけでは無いかもしれん、ということだ。いけるか?」
「だとしても、することは変わりませんし。私達が行かなきゃ、誰が行くんですか」
国治隊、正式名称は国内警衛治安維持隊。この国の警察的存在。
国治隊として働く私たちの仕事は、国を、国民を犯罪や危険から守ること。
特に、潜入捜査などは、特殊犯罪現場出動部隊に所属する私達の仕事以外の何物でもない。
私の答えに、ギードは顔をほころばせた。
「頼もしいね。それでこそ、うちの現場出動隊だ。──頼りにしているよ、リラ」
学院。その単語に引きずられ、遥か昔の記憶達が、ふっと脳裏によみがえる。
──休み時間に、友達とたわいも無いお喋りに花を咲かせたり、帰り道に寄り道して夜遅くまで一緒に遊んだり。あるいは、学校行事をきっかけに、クラス内でカップルが出来たのを皆ではやし立てたり。
懐かしさに呑まれそうになって──頭を振って、その記憶を追い出した。
オノラブル国立魔術学院。
まさか、私が行くことになるなんて、考えたこともなかったけれど。
友達を作りにだとか、青春を楽しみに行く訳では無い。仕事だ。
今世、一度も学校に通うことなく、普通とは違った人生を歩んできた私。だからこそ、同年代の子と共に授業を受け、交流するあの空気感をもう一度味わえると思うと、どうしても気分が浮き立ってしまう。
浮かれて失敗を犯すことだけはしない、と気を引き締めて、私は真っ直ぐギードの目を見つめ、「精一杯努めます」と返事をしたのだった。