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十八話 一人猿芝居

 腹黒男に脅されたこと以外には特筆することのない平穏な日が続き、潜入捜査に何の進展もないまま、霜ノ月(じゅういちがつ)へと突入した。


 幸い、あれ以来リュメルが言ってきたのは小さな忠告だけだった。「あのことは絶対に誰にも言わないでね、シュヴァルツァーにもだよ。言ったらどうなるか分かってるよね」みたいな感じの。ウィスティにはもう既に言ってしまっていたから、時すでに遅しだったんだけど。正直言って拍子抜けではあったけれど、良かったと思う。

 とはいっても、やっぱりあの人が私より優位に立っているのはめちゃくちゃ腹立つ。だがそれもまあ、任務が終わるまでの辛抱だ。


 霜ノ月(十一月)と言えばもう完全に冬で、この国の夏は日本での秋ぐらい涼しく、冬はもうかなり寒い。魔力で体周りの空気を温めることはできるけど、一日中となると消耗が激しいので、年中長袖の制服の中に、冬は特に下着をたくさん着込んで暖かくするのが通常だ。それでも空調管理されている校舎外に出ると寒いから、上に規定のコートを羽織る。

 女子の場合は制服と同色の藍色のケープコートだ。これを着込んで校舎外を見回っていたある日、校舎の角を曲がろうとした先から、声は聞こえてきた。


「ほら、できるものならやり返してみなよ」

「僕にやり返したら、父上が黙ってないけどね!」


 あーあ、既視感(デジャヴ)

 いやな場面に遭遇したなぁ、と思わず顔をしかめた。

 リュメルも言っていたが、確かに日常茶飯事といえる。みんな飽きずによくそんなに他人に構えるな。何がそんなに楽しいのかわからない。


 場所は以前目撃した、エンジェラいじめの現場と同じ、人気のない校舎裏だ。

 ただし、今度は女性陣ではなく、男子生徒達。五人の男子生徒が円を描くようにして立っていて、中心にだれかが倒れている。


「魔術の成績が少し良いからって、調子に乗りすぎなんだよ」

「魔力なんて、クラスで底辺のくせに」

「しかも男爵家の分際で、俺たちに反抗的な目を向けてきやがって」

「僕たちの一人でも親に訴えたら、君の家なんて一捻りなんだ。口の利き方には気を付けた方がいいんじゃないか」


 代わりばんこにしゃべるしゃべる。蹴ったりして、暴力をふるっているようだ。打撲音と、小さな呻き声が続く。

 私の存在には、まだ気づいていないらしい。

 抵抗もせず、暴力を振るわれるがままのいじめられっ子に、ふと同情心が湧いた。


 魔力を空気中に広げて、空気を振動させれば、音が生まれる。魔術名はそのまんま、『音生み』、基本レベルは一。けれど、当たり前ながら微細な調整で狙った通りの音を出すのは練習がいる。集中しながら、私は近づいてくる物音と、人の話し声を作り出した。


「この辺りでいじめが多発しているというのは本当か」

「本当です、殿下。僕もこの間、魔術を使用してのいじめを目撃しました」

「魔術を使って? そいつらは本当に我が学院の生徒か?」


 声色は──生徒会役員の二人、サグアス王子とリュメルの声。

 私の作り出した声を聞き付けてか、男子生徒達はぴたりと黙り込んだ。

 私は気分を良くして、声を増やしながら続ける。声さえ知ってたら、私にとってはこんなの朝飯前だ。この間初対面を果たしたハインリッヒと、敬語キャラのイザークも入れていく。


「魔術でなくても、この学院で毎日いじめのようなものが発生しているのはいい事ではありません。私が卒業するまでにどうにかしてください、殿下」

「言うではないか、ハインリッヒ。あと一年だな? お主も協力してくれるよの?」

「もちろんです」

「そういえば、暴力沙汰も起こっているそうですよ。見つからないように、この先のような人気の少ない場所を選ぶんだそうです」

「イザーク、それは本当か。世も末だな」


 このあたりで、ごそごそと音が私のいる方と逆方向へと逃げ去っていくのが聞こえた。一人猿芝居、なかなかいいじゃないか。結構楽しい。内容のクオリティにはちょっと目をつむるべきだけど。世も末だなってなんだ。王子、絶対そんなこと言わない。それどころか、口調もなんか違う気がする。

 つくづく思うけど、私にはアドリブ力というのがないらしい。まあ、魔術さえあれば大抵のことは何とかできちゃうからいっか。


 すっかりいじめっ子男子生徒達がいなくなったのを確認してから、私は曲がり角の先を覗いてみた。

 栗色の髪をした男の子が一人、ぐったりとうつぶせになって横たわっている。制服は泥だらけで、まくれ上がった袖からのぞく腕には痣がいっぱいだった。体つきがまだ幼い気がするから、第ニ、三学年くらいだろうか。


「おーい。大丈夫ですか?」

「……ぅ、ぁい、じょうぶ……」


 顔を覗き込んで声をかけると、呻き声にも聞こえるような返事が返ってきた。


「……あ、りがと……ざい、ます……」

「無理してしゃべらなくていいですよ」


 これは全く大丈夫ではなさそうだな。一応手を出したんだし、医務室に連れて行ってあげるくらいはしようか。

 それにしても、どうやって運ぼうか。空気で支えて浮かせて運ぶくらいなら何ともないけれど、目立ちそうだからなあ、とも思う。

 前にしゃがみこんで悩んでいると、「そこの君」と、空から声が降ってきた。驚いて空を見上げると、校舎の三階の窓から顔を覗かせる人がいた。長めの黒髪に、吸い込まれそうな青い瞳。


「あ……こんにちは、エーレンベルク様」


 先程声をお借りした、ハインリッヒだ。そういえば、あそこって生徒会室出てすぐのところだったんだっけ。

 ハインリッヒは、私の顔を見て驚いた顔になった。驚いた顔をしても美しい、流石は公爵家嫡男。原作にいた彼の妹のアイオラも、性格は難ありだったけど、常にその美貌だけは揺るぎなかった。


「えーと、リュメルのクラスの。モーガンスさん、だったかな。そこで何をしているんだい? その子は?」

「こちらの方が、数人の生徒に暴力を振るわれていたようで、倒れているのを発見したところです。医務室に連れていくべきだとは思うんですが、私では力が足りず、どうすべきか悩んでいました」

「そうか。では、すぐに行くから少し待っていてくれ」


 ……え、ハインリッヒ本人が来るの?


 *


 窓からではなく普通に階段の方から現れたハインリッヒは、完全に意識を失ってしまった栗毛くんを軽々と抱え上げ、「さあ、いこうか」と私に笑いかけた。


 ハインリッヒと二人並び、医務室へと歩く。この人の隣を歩いて私は大丈夫なのかと少し不安だったけれど、さほど注目はされなかった。多分、担がれていた栗毛くんの存在のおかげだ。よかった。

 この距離感だと、ハインリッヒの魔力は感じるけれど、この間の不思議な感じはしない。あれ、本当に何だったんだろう。ちらちら横目でハインリッヒを伺っているうちに、医務室についた。


「……クーア先生はいないようだな」


 医務室の扉を私が開け、栗毛くんを抱えたハインリッヒが中に入る。医務室のベッドに栗毛くんを下ろしてから、つぶやいた。


「治癒師の先生ですか?」

「ああ。出張か何かだろうな」


 医務室には通常、治癒師こと治癒魔術師──限られた特別な者にしか使えない『治癒魔術』を使える魔術師だ──がいるが、いかんせん治癒魔術師は絶対数がものすごく少ないため、出張で留守にすることが多いらしい。


「仕方ないな。一時間くらいで戻るとは思うが……私は、そろそろ行かなくてはいけない。すまない」


 申し訳なさそうな顔でハインリッヒが言う。私は、慌てて頭を下げた。


「いえ、十分助かりました。ありがとうございました」

「いや、私の方こそ君にお礼を言いたい。困っている生徒に手を差し伸べてくれたことは、素晴らしいことだ」

「え?」


 言われた意味が分からず首を傾げると、ハインリッヒは穏やかな笑みを浮かべた。


「生徒会室にいたときに、声が聞こえてきたんだよ。私も含め、部屋の中にいるはずの生徒会役員たちの声が、何故か外からね」

「あっ……」


 うそ、聞かれてたのか。しまったと思うと同時に、ハインリッヒはくすくすと笑う。


「なんだろうと気になって見に行けば、女の子一人とぼろぼろの男の子しかいないから驚いたけれど、リュメルを負かした君の仕業なら十分納得できた。大丈夫、私たちの声を使ったからと責めるつもりはないから安心して。その技術を君が悪用するようにはとても思えないからね」

「えぇと……生徒会のほかの方々にも、聞こえていましたか?」

「だろうね」


 にっこりと答えないでほしい。

 あの猿芝居を、聞かれていただなんて。頭を抱えたくなる。うかつすぎる、私。


「では、あれが私だったとは絶対に伝えないでほしいです。特にキースリング様には」

「はは、そうか。わかった、伝えないでおくから安心してくれ」

「ありがとうございました」


 軽く頭を下げてから、思案げに私の顔を見つめるハインリッヒに気づく。


「どうかされましたか?」


 ハインリッヒはぱっと笑みを浮かべ、首を振った。


「ああ、いや、なにも。じゃあ、私はこのあたりで。後は任せてもいいかな」

「はい。それでは」


 ハインリッヒが医務室の扉を開けて外へ出て行ったその瞬間。


「エーレンベルクさまぁー!!!」


 大声が響き渡った。医務室内にいる私でさえも驚いて肩が跳ねた。

 というか、聞き覚えのある声。


「ああ、クラインさん、こんにちは」


 扉が閉まる直前に聞こえたハインリッヒの言葉によると、やはりエンジェラ・クラインらしい。

 何してんだあの子。あんな大声出すキャラだっけ?


 医務室の扉が完全に閉まると、分厚い扉越しにはうっすらと声が聞こえるだけになった。すぐに、その声も聞こえなくなる。

 いなくなったか、と少しほっとしたとき、勢いよく医務室の扉が開いた。


「ねぇ! あなた!」


 ずかずかと医務室に入ってきて、私の前で立ち止まる、伽羅(きゃら)色の髪に水色の瞳の、可愛らしい顔立ちの女の子。


「ちょっと、ここ医務室──」

「転生者なんでしょ!?」


 私をはっきり睨みつけて、彼女はそう言った。


保健室や医務室では静かにしましょう。

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