十七話 苛立ち
「盗み聞き? 何のことですか?」
「とぼけなくてもいいよ。君と、ジュヴァルツァーの魔力をちゃんと感じたんだから」
「あの距離で?」
聞き返してから、あっと思った。やっちゃった。
リュメルはふっと笑う。
「君が言っていた、魔力感知以外の感覚を全部切る、っていうやつ。やってみたら、本当に効果があったよ。前より、何もしてない時でも格段に広範囲の魔力を感じ取れるようになったんだ」
「……それはよかったです」
めっちゃ適当に言っただけだったのに。わざわざ実行してるリュメルも純粋すぎやしないか。
「それで? どうして僕達の話をこそこそ聞いていたの?」
「ヴィクトリアが、あなたを巡る痴情のもつれに大変興味があるようで、食堂での出来事を見るや否や生き生きと私を連行していきました」
あくまでも私の意思じゃないよアピール。売ってごめん、ヴィクトリア。
「そうなんだね。じゃあ、どうしてモーガンスはここに戻ってきたの?」
「お手洗いに来ただけです。もしかしたらまだ話しているのかと思って覗いたら、先に戻っていたはずのキースリング様が休憩室の前で立ち尽くしていたので、驚きました」
にこ、と笑みを浮かべながら言う。何してたんですか? とは、あえて聞かない。
リュメルは穏やかに目を細めた。
「言い合いが酷くなるようなら、注意しないといけないかなと思って」
「自分で仕掛けておいてよく言う──あ」
やっべ。声に出てた。
ピキリと、リュメルの顔が固まった。
「その、別にわざとだと思っているわけではないですよ! ヴィクトリアが、キースリング様の仲裁後、八割は争いがさらに発展すると言っていたので、そうなってしまうような仲裁の仕方をしてしまっているんじゃないかと」
「モーガンス」
静かな声で、リュメルが遮った。
やった、これは完全にやらかした。口を思い切り滑らせてしまった。
右足を一歩後ろに引く。
「君さ──」
「そろそろ授業の時間ですので、失礼します。今日のことは誰にも言いませんので、ご安心ください」
これはもう逃げるが勝ち。
軽く頭を下げて、くるりと回れ右をする。早足でその場を去ろうとした──のに、手を掴まれる。
「逃げないでよ。そんなに僕が嫌?」
嫌だよ、逃してくれよ。しつこい男は嫌われるよ?
と言うわけにもいかず渋々振り返ると、リュメルは輝かんばかりの笑みを浮かべていた。
「君は、僕と関わりたくないんだよね。よく分かるよ。少し仲良くしただけで貴族令嬢に文句を付けられるのは、面倒だしね」
分かってたのか。いや、分かってるなら手を離してくれよと言いたい。離してくれたらすぐにでも逃げるから。
「でもね。あまり僕に歯向かわない方がいいよ?」
「別に、歯向かっていません」
「僕としては、クラスで、あからさまに君のことを特別扱いしてあげてもいいんだよ」
さっき純粋と言ったのを撤回しよう。何こいつ。悪魔か。
私の顔を見たリュメルは、くすくすと笑った。
「君、存外分かりやすいよね。でも、僕がこういう性格なの、もう分かってるんでしょ? さっき言いかけたのは、そういうことだよね。そうだよ、正解だ。僕が仲裁に入った後の方が言い争いが盛り上がるのは僕がそう仕向けているからさ。よく分かったね」
分かったと言うよりも、知っていただけなんだけど。普通、何も知らない人が彼の本性に気づけるわけがあるまい。
原作のエンジェラでさえ、知ったのはリュメルが彼女の前で口を滑らせたからなのに。
「でも僕だって、君が僕のことを警戒しているのは最初から分かっていたよ。そんなに、僕、警戒するようなところあった?」
「笑顔が胡散臭く、人を弄ぶのが好きそうな性格に見えました」
「弄ぶだなんて、人聞きが悪いなぁ。ほんの少しからかったり、自主的に僕の思う通りに動くように誘導したりするのが好きなだけだよ」
「今ご自分で仰ったことの方が酷いと思いますよ」
「そう?」
リュメルは肩を竦める。
「まあ、なんでもいいや。君で遊ぶのはたいそう楽しいだろうから、ワクワクするよ。クラスでも、よろしくね?」
ようやく手を離してくれたリュメルは、さっさと歩き出す。その背中が、憎たらしく思えて仕方がなかった。
*
「ってことがあってさぁ……ねぇウィスティ、私あの人ほんっと嫌い。性格悪すぎ」
「……リュメル・キースリング?」
「それ以外に誰がいるの」
夜。
寮室のソファに座って本を読んでいたウィスティの隣にどすりと座り込むと、ウィスティは本から顔を上げずに言った。
「楽しそうだね」
「待って、どこが?」
「ライラ、いつもはムカついても、そんなに言い返さない」
「……私、あの人相手に喧嘩っ早くなってる?」
ウィスティはこくりと頷いた。
わぁ、それは嫌だ。自分のペースを乱されているみたいで、非常に気に食わない。
「確かに、余計なこと言い過ぎてる感が否めない……原作で知ってる人だから、無意識のうちに親近感でも抱いてんのかな」
「大変だね」
「あの人がSかMかで言うと断然Sなのは知ってる。でもその興味が私に向くと思うと嫌すぎる」
「よかったね」
「ウィスティ話聞いてる?」
「半分くらい」
と言いながら、ウィスティの視線はしっかり本に向いている。絶対半分も聞いてないじゃん。
むっとして、ウィスティに顔をあげさせるべく話題を変えた。
「ウィスティ、そういえば今日もあの子、ヒューロンくんとお昼食べてたでしょ。食堂で見かけたよ、声はかけなかったけど」
「うん」
「ヴィクトリアと話してたんだけどさ、あの子、絶対ウィスティに気があるよね」
「え」
ウィスティがやっと私の方を見た。どこか、間の抜けた顔をしている。
「ウィスティ、話してる人の顔あんま見ないでしょ。でもあの子、歩いてる時でも食べてる時でも、ずうっとウィスティの方見ながらしゃべってるんだってさ。気づいてなかった?」
「……知らない」
きゅ、と眉をよせるウィスティ。心当たりがあるのか、それともそんなはずがないと思っているのか。
どちらにせよ、多少なりとも動揺しているようだ。
ウィスティが動揺を見せるなんて珍しいから、ついついからかいたくなってしまう。
「初日からヴィヴィって呼んだり、随分距離が近いなとは思ってたけど、ウィスティに一目惚れしちゃったとかなら頷けるな……かわいいから」
「それは、ない」
「そうかな? 十分有り得ると思うけど。ウィスティも、同年代の男の子と交流するの初めてじゃん、いい経験になると思うよ。せっかく学院に通う機会を貰えたんだから、ちょっとぐらい青春を楽しんでもいいと思うんだけどなー。ね、ウィスティ。どう?」
「ライラ、本気で言ってる?」
ウィスティの声のトーンが、がくんと下がった。これは本気で怒ったか。
「ないからやめて。ヒューロンにも、失礼」
ないとは言いきれないはずだけれど、これ以上つつくのはやめておこう。
「ごめんごめん。そんなに怒る?」
「分かってて言ってるでしょ」
「ルゥーのこと?」
少しムスッとした顔のウィスティが、ますます不機嫌そうな顔になった。けれどそれとは相反して、じわりと頬が赤く色づく。
その分かりやすい反応を見て、心臓がツキリと痛んだ。誤魔化すように笑みを浮かべる。
「そう言うくらいならさ、片想いも長いんだし、いい加減アプローチすれば? こうやって長く離れるのも、進展のきっかけになるかもしんないし。もたもたしてたら、そこらへんの女に取られちゃうよ。ルゥーだって、そろそろお見合いの話が出たっておかしくない年齢なんだから」
私のアドバイスに、ウィスティは視線をうろつかせた。
「……でも、わたしはルゥーにとって、『妹』でしかない」
「だーかーらー、その考えを一回捨てなって言ってんの。大丈夫、もし振られても私達の関係が悪化することだけは防いであげるから。もうちょっと前向きに考えよ? ね?」
「……」
ウィスティはふいっと顔を背け、ソファの上で三角座りになり、膝を抱えた腕に顔を埋めてしまった。
あーあ、自信喪失ウィスティ到来。
……せっかく励ましたのに、どうしてこうなるかな。もっと貪欲に行けばいいのに。そうすれば、ルゥーだって喜ぶのに。
そんなにうじうじするくらいなら──私に譲ってよ。なんて、一生口にできないことを思って、すぐに頭を振って追い出す。
私が自分の気持ちを自覚したときにはウィスティはもうルゥーが好きで、ルゥーも一番にウィスティを大切にしていた。二人が、私の命をかけてでも守りたい存在だからこそ、私のいらない感情なんて捨ててしまおうと思ったのに。
なのに、今でも二人の想いを目の当たりにする度に、心が軋む。痛いと思う。
ルゥーの心が欲しい。
だから、それを手に入れたウィスティが、心底羨ましいし、それに気づかずにもだもだしているのにも苛立つ。けれど同時に、そんなことを考える自分が心底嫌いだった。
いっそのこと、早く二人がくっつけばいいのにと思う。早く私がこの嫌な感情を忘れて、真に二人を大切にできるように。
でも、私は優しくないから。応援はするけど、手助けはしない。
ルゥーにウィスティの想いを伝えてあげるなんてことは絶対にしないし、ルゥーが私に害虫駆除をお願いしてきたことなどをウィスティに教えてあげたりなんてことも、絶対にしない。
リュメルのことも、ウィスティとルゥーのことも。思い通りにいかないことばかりで、心に煤が降り積もっていく。
「……ライラ」
不意に、ウィスティが呟いた。
「ん? なに」
そろそろ復活したかな。
汚い感情を笑顔で覆い隠してウィスティを見やれば、ウィスティはまだ少し拗ねた顔をしていた。
「ライラも、意地悪。リュメル・キースリングと似てる」
「はぁ? 似てる? そんな酷いことを言うのはこのお口ですかぁ〜?」
両手をのばしウィスティの頬をむにむにと摘む。ウィスティは逃れるように背中をそらし、私とウィスティは二人揃ってソファに倒れ込んだ。
「ほんとに、似てると思う」
私の下で寝転がったウィスティは、そう言ってくすくす笑いだす。
「……似てないよ、あの人とは絶対に反りが合わないもん。自信あるよ」
「同族嫌悪でしょ」
……んもう、この子は。
「そういうこと言うなら、こうしてあげる!」
ウィスティの脇に手をやって思い切りくすぐると、ウィスティはきゃっと声を上げて身をよじる。
その後しばらくして、ようやくウィスティとのじゃれ合いが終わった頃には、さっきまで感じていた苛立ちはすっかり消え去っていた。