十六話 盗み聞き
「あ」
「どうしたの?」
「ヴィヴェカいた」
「ほんと? どこ?」
三日後の昼食の時間。食堂でヴィクトリアの隣でお昼を食べていた私は、食堂の私がいるのと反対側の席に濃紫の髪の女の子がいるのを見つけた。
聞いてきたヴィクトリアに、あの紫のボブの子、と指さしてみせる。
ウィスティの隣にはいつかの空色の髪の男の子が座って、しきりにウィスティに話しかけているようだった。
「ああ、ヒューロンの隣のあの子ね! あたし最近、よくあの二人が一緒にいる所を見かけるわ」
「そうなんだ。いつもあんな、彼の方がぐいぐいって感じ?」
「そうよ。いつ見てもヒューロンの方から話しかけてるから、好かれてないんじゃないの、ってからかったら、口数の少ない子なんだって怒られちゃった。あの子がヴィヴェカちゃんだったのね。確かに可愛い」
「でしょ?」
うちのヴィヴェカは天使ですから。
「ところで……気のせいかもだけど、ヒューロンくん、ちょっと近くない? ヴィヴェカに対して」
「いや、気のせいじゃないと思うわ。ヒューロン、歩いてる時も食べてる時もずっとヴィヴェカちゃんの顔見ながら喋ってるもの。あたし、ヒューロンがヴィヴェカちゃんのこと好きなんじゃないかと睨んでるんだけど」
「やっぱり?」
そうしてヴィクトリアと意見が合致したところで、大きな声が響いてきた。
「わたくしを馬鹿にするのも大概になさいませ!」
声のした方を見やると、食堂の入口付近で四人の女子生徒が固まって立っている。
構図としては一対三で、声を荒らげたのは三人の方の、真ん中にいる子らしかった。周りの注目を集めているのには気づいていないようだ。
三人の方が見知った顔なのに気づいて、隣にいたヴィクトリアの方を見ると、ヴィクトリアも気づいていたようで、面白そうに眺めている。
「ヴィクトリア、あれ、どういう状況なの?」
「あれはね、キースリング様の過激派親衛隊なのよ。キースリング様に女の子が近づくたびに、ああやって三人で牽制しに行ってるの。よくあることなの、特段珍しいものでもないわ」
「かげきはしんえいたい」
三人は、紛れもなく私と同じクラスの女子たちだった。確かに、リュメルが話しかけてくるときに、一番冷たい目線を送ってくる人達だ。
一方で、一人の子の方も勝気な笑みを浮かべ、挑戦的な言葉を発している。
「馬鹿になんてしていませんわ。ただ私は、リュメル様が好きなので、お父様に婚約の申し込みをお願いしただけです。リュメル様が婚約なさっていないからと言って、彼に婚約を申し込んではいけない取り決めなどございませんわ。貴女は彼の婚約者でもないのに、それを責める権利がありまして?」
「あの子、第三学年の侯爵家のご令嬢じゃないかしら。キースリング様に婚約を申し込むだなんて、大胆なことをするのね」
ヴィクトリアがささやく。大胆? と私が首を傾げると、にんまりとヴィクトリアは笑った。
「面白いものが見られるわ」
面白いもの、というのはもしかしてアレだろうか。争いを収めると見せかけ、火種を投下しているリュメルの華麗なる手腕。
でも傍から見てもただの仲裁にしか見えないそれを、何故ヴィクトリアは「面白い」と称したのか。
首を傾げた丁度その時、食堂にリュメルが現れた。迷うことなく、注目を集める四人のところへ歩いてくる。
一人の方の子がリュメルの顔を見てパッと表情を明るくし、意気揚々と話しかけた。
「リュメル様、ごきげんよう」
「やあ、シューグン侯爵令嬢。この間はありがとう。父上が、シューグン卿と有意義な時間を過ごせたと喜んでいたよ。ぜひ、よろしく伝えておいて」
「はい」
そのやり取りを見ていた三人の中心の子が、真っ青になって口を開いた。
「リュメル様。シューグン家から婚約の申し込みがあったというのは本当なんですの? まさか、お受けしませんわよね?」
リュメルは曖昧な笑みを浮かべて、周りを見回してから、肩をすくめた。
「少し、話をしようか。ここじゃ目立ちすぎるから、どこか別の所で」
そうして、皆に見守られる中、女子四人とリュメルは食堂を出て行った。
「さぁ、リラ。食べ終わったわよね? 行きましょ」
ヴィクトリアは立ち上がってぱちんと手を叩き、にんまりと笑った。
「行くって、どこに? 授業まだだよね」
「決まってるでしょ。さっきの、見に行くのよ」
*
その場所の周辺に木は少なく、昼過ぎの日差しが直接当たり、ぽかぽかと暖かかった。のどかだ。
──この状況でさえなかったら。
「……こういう盗み聞きって、良くなくない?」
少し呆れながら言った私の言葉に、ヴィクトリアはしっと口に人差し指を当ててみせた。
食堂は建物の一階にある。そして、食堂の前の通路を奥に進んで曲がったところ、丁度建物の隅っこに当たる部分には、休憩室があった。
建物の外、休憩室の開いた窓の下で、私とヴィクトリアは座り込み、部屋の中からから聞こえてくる声に聞き耳を立てていた。中にはもちろん、リュメルも含めた先程の五人がいる。
どこからどう見ても盗み聞きしている人にしか見えない。一応建物の裏であるから、人通りが少ないことだけが救いだ。
「夏休暇中、キースリング家にお邪魔させていただいた際はお世話になりました。侯爵邸はご立派で美しかったですし、特に侯爵夫人自慢の庭には、私感動しましたの。素晴らしい美的感性だと父も感動しており、母も是非一度見たいと申しておりましたわ」
「そう、それはよかった。シューグン侯爵夫人に、いつでも大歓迎だと伝えておいてほしいな」
「はい、ぜひ!」
「それと、縁談のことだけれど……僕の父も、たいそう喜んでいたよ。シューグン侯爵令嬢のような可愛らしいご令嬢にこんな良い話をいただけるなんて、と」
「ふふ、お上手ですこと」
シューグン侯爵令嬢は、上品かつ嬉しそうな笑い声を響かせた。空気になっているクラスメート三人は、今どんな顔をしているのだろうか。
「……リュメル様」
おずおずという風に、クラスメートその一が言う。
「婚約、なされるのですか?」
「……正直、まだ分からないかな」
「んなっ、なぜですか? 縁談、喜んでいただけたと……」
シューグン侯爵令嬢が、信じられないような声を出した。婚約成立を疑っていなかったようだ。
少しだけ首を伸ばし、見つからないように慎重に窓から中を覗き込む。リュメルは窓の方に背を向けていて、代わりに四人の女の子たちの表情がよく見えた。
「もちろん、家格や派閥を考えたときに、シューグン侯爵令嬢ほど適当な縁談相手はいないよ。けれど、僕の父上は僕に心から愛する人を選んでほしいみたいで。政略結婚は押し付けないから、好きに選んでいいよと言われているんだ」
クラスメート女子達の顔が輝くと同時に、シューグン侯爵令嬢は顔を強張らせている。
「でも、心から愛する人を、と言われても、正直分からないところが大きいんだ。今までそのような恋情を抱いたこともないし、これから抱く保証もない。そういってずっと婚約しないままでは両親に心配をかけてしまうから、政略でもなんでも、早く婚約者を決めておくべきだと思いもするんだ。政略結婚から始まる愛もあるわけだしね」
今度はクラスメート女子達が真顔になった。シューグン侯爵令嬢は少し顔を明るくさせたものの、さりげなく強調された政略結婚にショックを受けているようだ。
「そういうことで、答えが出ず申し訳ないんだけれど、もう少し考えさせてもらえるかな」
「……ええ、承知致しましたわ。よいお返事を聞けることを願っています」
「君たちも。気になっていたことの答えは見つかったかい?」
「ええ。お気遣い、ありがとうございます」
「よかった。じゃあ、僕はもう行くけれど、授業に遅れないようにね」
リュメルはそう言い、一番に休憩室を出ていく。
「では、私も失礼しますわ」
シューグン侯爵令嬢が優雅に一礼して、部屋を出ていこうとした時だった。
「縁談、まとまるといいですわね」
「リュメル様、政略結婚も視野に入れているようでしたもの」
「リュメル様が、真実に愛する方と出会わないことをお祈りしておきますわね」
三人の率直な嫌味に、シューグン侯爵令嬢は焦ったそぶりも見せずに振り返り、うふふ、と笑った。
「私、以前からリュメル様のことをお慕いしておりましたの。今はそうでなくとも、きっとリュメル様の心を手に入れて見せますわ。それに、政略であろうとそうでなかろうと、結婚したもの勝ち、ですのよ」
「あら、でも今までにリュメル様に婚約を申し込んだご令嬢は他にもたくさんいらっしゃいますが、現に今リュメル様には婚約者はいらっしゃいませんもの。数ある縁談相手の中から貴女が選ばれると確信するのは早計ではなくて?」
「ですが、リュメル様も仰っていたではありませんか! 私ほど、政略結婚相手に適した方はいないと」
「あら、例えそうだとしても、たかが政略結婚相手ですのに、よくそうも自信を持てますのね」
「自信ではなく事実ですわ。悔しいのなら、貴女方も婚約を申し込んでみてはいかが?」
ものすごく睨み合っている。
さすがリュメル、バッチバチの空気感のまま残してきたねえ。逆にすごいよ。
感心しながら四人の会話を聞いていると、突然びゅっと強い風が吹いた。その冷たさに首を引っ込めた時、ヴィクトリアに制服の裾を引っ張られた。
もう行きましょ、と口パクで伝えられ、私は頷いた。
*
中庭を通り、学舎へ向かって歩きながら、ヴィクトリアは随分楽しそうに口を開いた。
「面白かったでしょ? ああいうの見たら、女って怖いわ~って思うのよね。他人の不幸は蜜の味……とは違うかもしれないけど、ああいうの好きなんだ」
「趣味わるっ」
リュメルと同類がここにもいたよ。思わず半目になると、ヴィクトリアはにやりと笑った。
「キースリング様関係のことなら、八割ぐらいああやってキースリング様が出て行っても長いこと口論してるの。キースリング様だってみんなに平穏にしてもらいたくてわざわざ話す機会を作ってるのに、台無しにされてるみたいでかわいそうじゃない?」
「そうだね」
全部計算だろうけどね。あえて人の目につかない個室にすることで、当人たちが周りの目を気にせず口論を繰り広げられるようにして。いい感じに双方に飴を与えて、同様に鞭もやって。最後に一人先に抜ければ、残された子たちが勝手にヒートアップしてくれる。完璧だ。
そしてリュメル本人は部屋の外で口論を盗み聞き、といったところだろうか。
かわいそうなのはあいつじゃない、女の子たちの方だ。なんて考えていると、隣でヴィクトリアがあっと声を上げた。
「いっけない、あたし先生に呼ばれてたんだった。あたし、教員室によらなきゃ。リラ、先に教室に帰っておいて」
「ん、わかった。じゃあね」
慌てて走っていくヴィクトリアを見送ってから、少しだけ興味が出てきて、私は立ち止まった。
今引き返せば、リュメルが立ち聞きしている所を見られるだろうか。自ら餌を撒いて女の争いを見てるんだから、さぞかし楽しんでいることだろう。果たして水を得た魚のような顔をしているのか、いつものニコニコ顔のままなのか。原作では出てこなかったシーンだから、ちょっと気になる。
お手洗いに行く、という風に戻ればさりげなく見れるかな。
後から思えば、完全なる読者魂だった。あとは野次馬根性。
引き返してさっきまでいた建物に入り、廊下を進む。休憩室は食堂入り口の前を通り過ぎ、通路を奥に進み曲がったところにあるけれど、お手洗いは確かその曲がり角の手前にあったはず。
お手洗いの前まで来て、曲がり角から先をそっと覗く。
うわあ、本当にいた、リュメル。休憩室の扉の隣の壁にもたれて腕を組み、考え込むように目を伏せている。遠くから見た様はどこか儚げで、絵のように美しい。しかし、どこからどう見ても完全に盗み聞きをしている。
正解は真顔だったか、と思ったところで、ふっとリュメルが顔を上げ、こちらに目を向けた。目がばちりと会う。
しまった、バレたか──いや、大丈夫なはずだ。さっきの盗み聞き以外、別に悪いことはしてないんだから。
私は軽く会釈だけして、何気ない風を装ってそのままお手洗いに入った。
出てくると、お手洗いの入口付近にリュメルが立っていた。
「やあ、モーガンス」
口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
「さっき外で、盗み聞きしてたでしょ」
ねえ、ヴィクトリア。
やっぱり盗み聞きは、良くないんだ。