十三話 悪役令嬢の不在
「リラ! 大丈夫だった?」
寮に帰ると、ヴィクトリアが寮入り口付近の談話室にあるソファに座っていた。私に気づくや否や、立ち上がって近づいてくる。どうやら私を待ってくれていたようだった。
「ヴィクトリア。待っててくれたの?」
「心配だったの。それに、今日は用事がなくて暇だから、リラが戻ってきたらおしゃべりできないかなって思って。ねえ、よかったら今からあたしの部屋に来ない?」
「いいけど……先に私、部屋に荷物置いてくるよ」
「ついていってもいい?」
「もちろん」
他愛のない話をしながらまず私の部屋に寄ると、ウィスティはまだ戻っていなかった。授業の荷物を下ろしてから、一応ウィスティに、友達の部屋に行く旨を伝える書き置きを残す。
その後、こっちよ、と案内されてヴィクトリアの部屋に向かった。
「ヴィクトリア、もしかして一人部屋?」
「そうよ。大体、同じ学年の同じクラスの子と同じ部屋になるんだけど、ご存じの通り、当てはまる人が海寮にはいないからね。リラは?」
「一個下の、一緒に編入してきた子と同部屋。今までもずっと一緒だった子だから、あまり変わった感じしないんだよね」
「へえ、じゃあ仲いいのね! 今度、その子のこと紹介してくれない? あたしも仲良くなりたいわ」
「人見知りだから、いいって言ってくれたらね」
「ほんと? やった! あ、ここよ、あたしの部屋」
ヴィクトリアが鍵を開け、私が入れるように扉を開いてくれた。
「ありがとう。お邪魔します」
私の言葉に、後から入ってきたヴィクトリアは目を細めてくすくす笑う。
「かしこまる必要ないのに。ただの部屋だし」
「そう? ヴィクトリアの城だなって思って」
「城って、リラ、言い方」
ヴィクトリアはおかしそうに言った。
ヴィクトリアの部屋の広さは、私達が二人で使う部屋の丁度半分くらいだった。家具や壁紙は好きに変えていいらしく、年頃の女の子らしいかわいい部屋だ。
「だって、家具とか装飾とか全部、部屋がヴィクトリアっぽい物で溢れてるから。城だなぁって」
「あはは、それは言えてるかも。ほらほら、座って。お茶は入れられないから、ラムブルタムジュースでいい?」
「もちろん。ありがと」
勧められるままに、ソファに腰を下ろす。ヴィクトリアは、丸盆に白いジュースを入れたガラスコップ二つと、高級そうなクッキーを乗せて現れた。
ヴィクトリアはお盆をローテーブルの上に置くと、私の隣に腰掛ける。
ジュースを一口飲んでから、ヴィクトリアは私に尋ねた。
「そういえば、リラはどうやって編入してきたの?」
「んー……経緯としては、私の魔術が優れてるってことで、第一学年のときから注目されてて、ずっとうちの学校の校長先生が、魔道教育長会に編入を掛け合ってくれてたみたい。それが念願叶って、ついに編入できたって感じかな」
私もジュースをいただく。ラムブルタムはこの世界で初めて見た果物で、実は白くライチのような味だ。
「へぇ〜。一緒に編入してきた子も?」
「彼女の方は、たまたま学校中で私の次に魔術で好成績だったから、私が来るついでに送り込まれたって感じかな」
ヴィクトリアは目を丸くした。
「でも、前からその子と同部屋だったんでしょ? 二人で学校のトップだなんて、偶然じゃないんじゃないの?」
一瞬どきりとする。ボロが出るにしても早過ぎないか。
すると、そっか、と思いついたようにヴィクトリアは言った。
「きっと、たまたまなんかじゃなくて、その子、リラと同じ部屋だからすごくなったのよ」
「……考えたこと無かったけど、そうだったら嬉しいかも」
「きっとそうよ! ねぇ、そういう絆ってすごく素敵!」
ヴィクトリアは、はしゃいだようにパチパチと手を叩く。その無邪気な笑顔に、罪悪感が湧いてきた。もちろん顔には出さないけど。
「転入したのって、第三学年の青クラスだよね。知り合いがいるの」
知り合いと言われ、ピンとくる。つい先日見た空色の髪の少年の顔が思い浮かんだ。
「もしかして、ヒューロン・ファインツくん?」
「あれ? 知ってるの?」
「一昨日、挨拶された」
クッキーを口に運びながら答えると、ヴィクトリアは楽しそうに笑った。さっくりとした食感、口の中で広がる上品な甘み。うん、おいしい。
「人懐っこいでしょ。ヒューロンも、魔道具開発研究会に入ってるのよ」
「へぇ、なるほどね」
「すっごいかわいい子来たーって。彼女、名前はなんていうの?」
「ヴィヴェカ・シュルツ」
「ヴィヴェカちゃんね。今度会わせて、ますます気になっちゃったわ」
「聞いとくよ」
しばらく他愛のない話に花を咲かせたあと、それで、とヴィクトリアは話を変えた。
「クロエ様。結局、何の話だったの?」
「大したことはなかったよ。言うこと聞けっていうのと、キースリング様に近づくなっていうの。初日のことは、向こうから謝ってくれたし」
「そう、よかったわ」
ヴィクトリアはほっとした顔になった。耳にかかっていた深緑の髪がこぼれ落ちる。髪を耳の後ろにかけ直しながら、ヴィクトリアは渋い顔をして言った。
「クロエ様って、キースリング様の幼馴染なのよね。それで、身内意識だと思うけど、身分が低い人をキースリング様に近づけたくないのね。ほら、キースリング様は気さくな方だから、余計に。クロエ様は第四学年の女子生徒の中では身分が一番高いから、逆らったら全員から目の敵にされるわ、気をつけてね」
「……え?」
「どうしたの?」
クロエ・レイヴンが第四学年の女子の中で頂点? まさか、そんなはずがない。
だって、原作では。
──待てよ。彼女は確か、リュメル・キースリンクと同じクラスのはず、つまり第四学年の紫のはずで。いたか? クラスに、黒髪縦ロールの、あの彼女は。
「ねえヴィクトリア、第二王子殿下の婚約者って……」
「サグアス殿下の婚約者? あぁ、知ってたの? クロエ様よ」
おかしい。彼女──悪役令嬢が、いない?
「『アイオラ・エーレンベルク』じゃなくて?」
アイオラ・エーレンベルク。
朱眼姫における主人公エンジェラ・クラインの恋での一番のライバルキャラ、いわゆる悪役令嬢。メインヒーローのサグアス王子の婚約者であり、アウエンミュラー公爵家とともに二大名家と言われるもうひとつの公爵家、エーレンベルク家の令嬢だ。
「エーレンベルク……って、エーレンベルク公爵家の方? エーレンベルク公爵家にご令嬢はいらっしゃらないんじゃなかったかしら。第六学年のハインリッヒ様お一人だったはずよ」
きょとんとして、不思議そうにヴィクトリアは言う。
「……そう、だよね」
今のところ私の知る原作との差異──原作でてきだったルゥーやウィスティたちが今国治隊員なのは、全て私が原因だ。でも、アイオラ・エーレンベルクと私は何の関係も無い。私の全く預かり知らぬ所で現れていた違いに、私は戸惑わずには居られなかった。
長く美しい黒髪をきつく巻いて、自信溢れる様子でエンジェラの前に立ちはだかっていた彼女は、悪役令嬢は──一体、どこに行った?
*
『エーレンベルク家に令嬢? いねーよ、お前そんなことも知らないのか』
「知んないよ、だってエーレンベルク公爵家の誰とも接点ないもん」
その夜。私は魔信具でルゥーと通話していた。理由はもちろん、悪役令嬢アイオラ・エーレンベルクの不在が気になったからだ。ちなみに、今までルゥーたちにアイオラの話はしてこなかった。というのは、私たちにとって大して重要な要素ではなかったからだ。
ルゥーなら何か知ってるかもしれないし、国治隊にいるから色々と調べることも出来る。
『で、そのアイオラさんとやらは重要なキャラなのか』
「一番の役目はエンジェラの恋敵だね。サグアス王子たちに近づくエンジェラを徹底的に虐め抜くんだけど、最後は戦いに巻き込まれて、サグアス王子を庇った挙句に死ぬ」
『めちゃくちゃ悲惨じゃねーか』
「まあね」
部屋のソファに座りながら通話している私に、ウィスティが無言で水の入ったコップをくれた。ありがと、と受け取りながらルゥーに相槌を打つ。
「いなかったら困る、って訳でもないんだけどさ。ただ、ここまで原作と違う所って今までになかったから、気になって」
『んー……』
魔信具越しに、ルゥーの考え込む声が聞こえる。
さっきからチラチラとこちらを気にして見てくるウィスティに、おいでと手で示した。大人しく隣に座ったウィスティにも聞こえるように、魔信具に流す魔力を強めてスピーカー状態にする。
『ライラの話は信じてる、だからこそ俺も変だとは思う。けどそれとは別に、なんかひっかかるんだよなぁ……』
「ひっかかるって、どういう意味?」
『なんか、思い出しそうなんだ。ちょっと待てな、なんだっけなぁ……。公爵令嬢、行方不明……いなくなった……誘拐……? ……あ、そうだ!』
突然増した声量に、私とウィスティはびくりとした。
『思い出した! 俺が屋敷に閉じ込められて大暴れしたとき!!』
「……は?」
思わず眉をひそめた。ルゥーは、アイーマに入る前は伯爵家の嫡男だったから、屋敷に閉じ込められた、というのはその頃の話だろうけど。今のでどう話が繋がるのか、検討もつかなかった。
『俺がまだ小さかったとき……もう、いつだったかも覚えてねぇけどさ。あったんだよ、どっかの家の令嬢が誘拐された事件。それが公爵家かどうかは覚えてねぇけど、すげぇ警備の厳しい家に住んでたのに誘拐されたって話だったから、犯人は恐ろしく強いやつだろうって皆噂しててよ。うちも警備が厳しくなって、俺も危ないからって親が一週間くらい屋敷から出させてくれなかったんだよ。ストレスが溜まりすぎてめちゃくちゃ暴れたの、今でも覚えてる』
「その、誘拐された子がアイオラってこと?」
『可能性はあるんじゃねえの。公爵家の警備をかいくぐる程強い犯人なら、うちみたいな地方領主が怯えたのも分かる。令嬢が誘拐されたなんて普通に考えて醜聞だから、その存在が公表されてなくても納得できるだろ』
確かにありそうな話だ。公爵令嬢が屋敷から盗み出されるなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがあると思ってしまいそうだけど。どちらかというと、アイオラの存在自体が消えてしまっている方がおかしいと思うし。
「詳しく教えてよ、その話」
『わりぃけど、今話したのが俺の覚えてる全部だよ。昔の事件の資料庫に行けば分かることもあるだろうけど、今からじゃもう遅いし。また行ってみて、そんで連絡するな』
「わかった。時間があるときでいいよ。ありがとう」
『おう。じゃあ、そろそろ切るな。おやすみ、ライラ、ウィスティ』
「おやすみ、ルゥー」
「おやすみ」
流していた魔力を切って、通話を終える。
手の中の魔信具をみつめ、ため息をついた。ルゥーから次に連絡があるまで、私にできる事はない。
なのに、どうしてこんなに急いた気持ちになるのか。
アイオラがいなくても、既に狂ってしまった原作に今更影響があるとは思えないし、そこまで気にする必要も無いはずだ。
だというのに、今日、アイオラがいないことを知った時。無性に、恐ろしいと思ってしまった。
「ライラ、大丈夫?」
ぼんやりしていたら、ウィスティに下から顔を覗きこまれた。
「ん、なにが?」
「……アイオラ・エーレンベルクのこと」
「ん? まあ、いないのは想定外だったけど、別にそんなに気にはしてないよ。誘拐ってのは気になるけどねぇ」
「そうじゃない。……なんか、不安そう、だった」
優しい藤色の瞳は、心配そうな色をしている。可愛い妹分に、私は笑いかけた。
「心配してくれてありがと。アイオラがいないことで、この先なんか変な展開になっちゃわないかなって、ちょっと心配してただけ。大丈夫だよ」
ウィスティの頭に手を乗せて、濃紫の髪を梳くように優しく撫でる。ウィスティは、なんとも言えないような顔になった。
鋭い子。そして、優しい子。
別に、私は不安なんかじゃない。
ただ──きっと考えすぎだろうけど、もし唯一のイレギュラーである私の存在が影響して、原作キャラの存在そのものから消されていたとかだったら、なんていうのが頭をよぎっただけ。
あるべき形を変えてしまったことが、少しだけ怖いと思っただけだ。
何か嫌な予感がするのは、きっと気のせいだ。