十二話 呼び出し
「リラは、部活とか入らないの?」
「部活?」
学院生活、三日目。
お昼を一緒に過ごしてくれる友人を得た私は、早速学舎の食堂でヴィクトリアと並んで座って、お喋りしながら昼食をとっていた。
食堂は広く長テーブルがずらりと並んでいるけど、まだ時間が早いのか人はまばらだ。
「うん。ほとんどの人は部活に入ってるから、放課後は部活動があるのよ。魔術関連とか運動系とか、あとは芸術関連とか色々あるんだけど」
ボリューム満点の鳥の丸揚げに豪胆にかぶりつきながら、ヴィクトリアは説明する。美味しそうに食べるなぁ、と思いながら私は白パンをちぎり口に運んだ。うん、ふわふわ。
「へぇ、そうなんだ。ヴィクトリアは何かに入ってるの?」
「あたしは、魔道具開発研究会に入ってるの。魔道具全般ではなくてね、魔力が全く無い平民でも使えるようなものを開発する目的なんだけどね」
「魔石を使う系の?」
「うん、そうよ」
魔道具は、大きく二種類に分けられる。ひとつは魔信具のような、自分の魔力で動かす──つまりは魔力がない人には一切使えない魔道具。そしてもうひとつは、魔石という名の魔力の電池を使用する、魔力がない人でも使える魔道具。大掛かりな魔道具は大抵後者だけど、未だに魔力無しの人でも使える魔信具のようなものは開発されていない。
「面白そう。すごいね」
「魔道具開発研究会は平民が多いの。リラも興味無い?」
ヴィクトリアが蜜柑色の瞳をキラキラと輝かせ、私に期待の目を向けてくる。なんだか申し訳ないなぁ、と思いながら困った笑みを浮かべてみせる。
「誘ってくれて嬉しいけど……ちょっと、部活に入る気はないかな。ここに入ったからには勉強を頑張らなきゃいけないし、あまり時間を取れないと思うから」
「そうなのね」
残念、とヴィクトリアは眉を下げた。
「でも、もし余裕が出来そうで、興味があったら言ってね。いつでも大歓迎だから」
「ありがと、考えとく」
部活に割く時間があるなら、その分少しでもムスタウアの手がかりを調べるのが私の仕事だ。残念ながら、のんびり部活動に費やす時間はない。
ほういえば、と不意にヴィクトリアは口にものを入れたまま、話を変える。
「昨日のキーふリング様の用って、何だったの?」
「ちょっと、食べ終わってから喋らない? 行儀悪いでしょ」
「ごめんって。リラって、お母さんみたいね。でどうだったの? あ、もちろん、言えないことなら言わなくてもいいわ」
「どうしても聞きたいんだ……」
ヴィクトリアがどんな反応をするかなんて簡単に予想が着くから、なんとも言えない顔になってしまう。そんな私を見て、ヴィクトリアは首を傾げた。ふわりと、深緑の髪が揺れる。
「何があったの?」
「いや、これといったことは特に。ただ決闘を申し込まれただけ」
「決闘!?」
ヴィクトリアはドンッ! とテーブルに手を付き、勢いよく立ち上がった。ぐっと顔を近づけられ、好奇心に爛々と光る蜜柑色の瞳を見つめながら、つい口が引きつってしまう。
「キースリング様に? それって凄いじゃないの! 初日からリラって凄い子だなって思ってたけど、キースリング様に気にしてもらえるなんて、流石だわ」
「とりあえず座ろう? そんなことよりも、クラス中の他の女子からの視線の方が大問題だからさ。ストレスで穴でもあきそう」
「……リラって、変わってるわね?」
座り直しながら、ヴィクトリアは不思議そうな顔をした。なんでだよ。
イケメン侯爵令息様と手合わせできたのやったーとでも言うべきだったのか。
「ヴィクトリアなら、キースリング様に興味を持たれるのとクラスの人に睨まれるの、どっちの方がいい?」
聞き返すと、ヴィクトリアは何言ってるの、とでも言いたげに瞳を煌めかせた。
「あたしならキースリング様を取るわ、当たり前じゃない。玉の輿に乗るチャンスは小さくたってしがみつきたいもの」
なるほど、ヴィクトリアは図太く世渡り上手なタイプだったか。まあ、たった一人で三年間紫クラスの中でやって来たならそんなものなのかもしれない。残念ながら私の考えとは合わないけど。
「私、そういうの全然興味ないからなぁ」
「えぇ、そうなの? ……って、あれ」
「どうかした?」
目を丸くしたヴィクトリアは私の方を見ている。目線を追って反対側を向くと、すぐ側にひらりと小さな白い紙切れが浮かんでいた。
「リラ宛じゃない?」
ヴィクトリアの言葉に、私は手を出す。すると紙は緩やかに私の手に降り立った。
「誰かから手紙?」
覗き込んできたヴィクトリアにも見えるよう、紙を傾ける。
そこには、こう書いてあった。
『リラ・モーガンスさん。
話があります。放課後、空けておくように。
クロエ・レイヴン』
「クロエ様? 昨日も今日も、授業に出ていらっしゃらなかったのに、いきなりね……」
眉をひそめたヴィクトリアは、私の方を見て心配そうな顔をした。
「リラ、クロエ様って分かる? 初日、リラに攻撃してあっけなく反撃されていた方よ。大丈夫? クロエ様って侯爵令嬢だし、きっとろくな用事じゃないわ。あたしもついて行ってあげようか?」
「え……私に味方したら睨まれるんじゃないの? ヴィクトリアは怖くないの?」
「……まあ、仮にも三年間クラスメートやってるしね。そこまで被害は大きくならないわ、きっと」
「ありがたいけど、やっぱりヴィクトリアに迷惑かけちゃ申し訳ないし。ありがとね」
溜息をつきながら、紙切れをポケットにしまう。
クロエ・レイヴン侯爵令嬢。初日から私がやらかした相手。
呼び出しの用件はただの牽制か、はたまた権力でもつかって罰則を与えようとでもいうのか。
……何にしろまた厄介なのが来たなぁ。いや、確かに初日のレイヴンさんの件に関しては私にも非はあるけどさ。その話だけじゃない気がするんだよ。
ほんとにもう、私が歩けばじろじろ見られ、話せばにらまれ、何もしていなければ笑われる。おまけに、二日連続で私の放課後を独占しちゃってさ。紫の方々は揃いも揃って私のこと大好きか。
*
放課後。
レイヴンさんに呼ばれ、ついて来いと言われて向かっている先は、学舎のカフェテラス。学校にテラスなんて、おしゃれすぎないか。
複数人で責められたりするのかと思えば、今は私とレイヴンさんの二人きりだ。ゆるやかにウェーブを描く、レイヴンさんの腰まで届く程の長く綺麗な青い髪が、歩く度に風にゆらりとなびいていた。
「お掛けになって」
テラスは教室一個分ほどの広さで、いくつかの丸テーブルでは二、三人ほどで令嬢たちがお茶をしていた。
あいた椅子についたレイヴンさんの向かいに、私も座る。テーブルの真ん中にはティーカップと、お湯を入れる魔道具が置いてあった。それを魔力で操りながら、慣れた手つきでレイヴンさんは紅茶を二人分用意し、私の前に置いてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
……なんか、普通に友達をお茶に誘ったみたいな感じになってるんだけど、何が起こっているんだろうか。
レイヴンさんはすました顔のまま、上品な仕草でティーカップに口をつける。きつそうな雰囲気ではあるけれど、整った美しい顔立ちに、紅葉色のきれいな瞳。
初めて真正面からゆっくり見るレイヴンさんからの視線を感じ、私も混乱しながらもカップに口をつける。甘く芳ばしい香りが鼻腔を満たした。
うん。普通に美味しい。
「先日は、申し訳ございませんでした」
コトリとカップを置いて、唐突に、レイヴンさんは言った。固い声だ。
「モーガンスさんは、滅多にいない編入生なだけあって、随分ご自分の魔術にご自信があるようでしたので、是非とも拝見したいと思ってのことでしたの。高潔な貴族ではなくても、魔術学習に積極的な貴女にとっても、良い経験になると思ったのですけれど」
編入生だからって、私たちより魔術が優れているなんて思い上がりよ。生意気な平民にはきちんと思い知らせないといけなかったから、私悪くないわ。……といったところだろうか。
「ですが、別のことに集中している方に魔力を向けるのは、人としていけないことだったと反省していますわ」
あら、謝った。マークス先生の話を聞く限り、全然反省してないのかと思ったけど。
いえ、と答えようとした時だった。
「ですが」
強めの声色で、レイヴンさんは続ける。紅葉色の瞳は、じっと睨むような、鋭い光を宿している。
「私は、侯爵令嬢ですの。貴女よりも上の立場に立ち、その立場に立つ者としての役目を果たし、誇りをもって生きる貴族なのです。本来ならば、敬意をもって貴女の方から私に謝罪しに来るべきではありませんこと?」
……先ほどまでの固さは気のせいだったのかと思うほど、突然饒舌になったな。
レイヴンさんの言い分は、一般的にみれば正論といえる。非が両方にあるなら普通、身分の低い方から先に何らかの形で謝意を示すべき。その自信満々な言葉に、調子がいいな、と思ってしまうのはただの私の感想に過ぎない。
だからと言って私から謝りに行く気はみじんもなかったけれど。だって、先に仕掛けてきたのは彼女の方だし、私はそもそも国治隊員だから、この学院内での上下関係とかどうでもいいし、問題もないから。
謝罪があれば私も謝ればいいかな、ぐらいの気持ちでいたのが本当のところ。
「私がレイヴン様に使った魔術は、正当防衛のつもりでした。確かに過剰防衛であった点は認めます。申し訳ありませんでした。ですが、レイヴン様が先に手を出さなければ起こりえなかったことですので、私から謝罪する必要を感じませんでした。以後、気を付けます」
ま、次があったとして、百パーセント私のせいでない限り、私からは行かないけどな。
こんな言い方したら怒るかな、とちらりとレイヴンさんの表情を伺うと、やはりレイヴンさんの眉は不機嫌そうにつり上がっている。けれど、来るかなと思った文句は来なかった。
「貴女の言い分は分かりましたわ。ですが、この先、学院を出ていざ活躍するとなった時、全てにおいて重要視されるのが身分というもの。いくら魔術に優れていようと、どうにも出来ない事があるのです。それを踏まえた上で、貴女がこの国でどのような役割を持ち、誰にどう接するべきなのか、よく見極めて行動することをお勧め致しますわ」
「……はい」
つまり何が言いたいかというと、偉いのは私なのだから言うことを聞け、ということですよね。
「貴女のその態度からは敬意は感じられませんが、まだ不慣れなこともあるかもしれませんし、今だけは特別に不問にして差し上げますわ」
「寛大なお言葉をありがとうございます」
傲岸不遜そうに頷いたレイヴンさんは、それと、と続けた。
まだあるのか。
「モーガンスさん、貴女、昨日リュメル様にお声がけいただいたそうね?」
「え……はぁ、まぁ」
さいですか、そっちの牽制もですか。
「昨日は放課後を二人で過ごし、今日も親しげな空気を出していたとか。リュメル様は侯爵家嫡男で、勉学や魔術にも優れ、お美しい方ですわ。貴女のような方にも優しくなされば、勘違いするのも無理ありませんが……リュメル様は、全ての方に優しい方ですの。決して、貴女が特別などと思いあがることのないように」
「……はい、肝に銘じます」
放課後、無理矢理決闘に付き合わされて、優しくされた覚えなんかないけどね。今日だって、目が合えば勝手にニコニコしてくるだけだし。どこが親しげなのかと問いたい。
そんな本音は顔に出さず、神妙に頷いて見せる。
レイヴンさんは満足そうに頷いた。
「その言葉、覚えておくことをお勧めしますわ。話は以上です」
始終優雅な仕草のまま、席を立ちテラスを去ったレイヴンさんの背中を見送ってから、ため息をついて私も席を立った。テーブルに残されたカップはどうするのかと思えば、メイドロボットならぬ給仕魔道具がやってきてテーブル上を片付けていく。
これが当然だと思っている人たちは、そりゃあ贅沢ができない平民を下に見るよな、と思いながらテラスを出た。