2章-34話 撤退
一本道の通路を時折振り返りながら走る。
先ほど迄感じていた抑えきれない怒りも、シンヤが違和感を覚える程に収まり、冷静になることが出来ている。
背中にかかる重みを感じながら、シンヤは先程見たマグルスの異常さを考えていた。
あれではまるで屍人ではないか。
この世界の強者の異常さは身をもって感じていたはずなのだ。
帝都で戦った魔族クラプスも群を抜いて異常だった。
凄まじいばかりの再生速度で、首を切り落とされてさえ生きていたクラプスでも、あくまで生者、痛みを感じ、疲弊し、再生速度を上回るノエルの一撃でなんとか倒す事が出来た。
だが、マグルスはさらに異質。
人間でありながら、傷が再生するわけでもなく、痛みを感じていないように見え、疲れもせず、魔力も尽きることは無かった。
まるで屍人が意思をもっているようで、生きている人間とは隔絶した存在にシンヤは恐怖を感じるのだ。
足を動かしているシンヤは頭を振って意識を切り替える。マグルスの事も、リュートの安否も、今は逃げる事だけに意識を向けなければならない。
ここはまだ聖都の中枢。グライストが戻ってくれば、数日前と同じようになすすべもなく捕縛されてしまう。
「シンヤ、平気?」
考え込んでいると隣を走るクロエが声をかけてきた。
「あ、ああ、おれは大丈夫……でもシーナが……」
「傷は治せたし、呼吸もしっかりしてるから、そのうち目を覚ますとは思うけど……彼女はどうして手伝ってくれたの?」
「ありがとうクロエ。……シーナは、おれを聖都に馴染ませるために、記憶を改竄されたんだ。その前にも、何度も色んな人間の記憶を植え付けられてて……多分、命令が受けれなくなるくらい頭の中がぐしゃぐしゃになってるんだと思う……」
シンヤの推測は当たっていた。
シーナに繰り返された記憶の入れ替え、その際に残ってしまった情報が積もり、教主達の命令を受ける暗示も正常に働かなくなっている。
だからこそ自身の意思でシンヤ達に協力をすることが出来ていたのだ。
「そっか……彼女は、儀式を、受けてるの?」
「うん……だからここから連れ出せば、結界に魂を吸われる事も無いと思うんだ」
「そうね。術の範囲から外れてしまえば、戻ってこない限り効果は無くなるはず……」
シーナは結界に魂を捧げる儀式を受けてしまっている。今こうしている間も、彼女の魂は結界に吸い上げられているのだ。
せめて彼女だけでも助けてあげたい。
他に選択肢の無いシンヤは、背中に背負うシーナを出来るだけ早く外に連れ出して、この街の呪縛を解き、平穏な日常に戻したかった。
「急ごう。……クシュナっ、ノエル達はどこに向かったんだ?」
「ん? ノエルは先に聖都の外に向かったよ。だから僕達もここに来たとこから外に出るんだよ」
「わかった……」
見えてきた階段を上り、最後の階層を抜けて地上に出たあと、抜け道のある倉庫に向かう。
それまで捕まらなければいい。
だが、地下一階、最初にシンヤが連れてこられた階層。
角を曲がり出口のある階段まで最後の直線だというところで、複数の信者を見つけ足を止め壁の影に隠れる。
「どうしようかシンヤ……」
クロエが魔法を使えば全員を戦闘不能にして駆け抜ける事も出来るが、その音で他の信者が集まってくるだろう。
そうなれば、時間を稼いでいるリュートにも、さらに負担をかけてしまうことになる。
「お兄さん。僕に任せて……」
「クリス?」
悩んでいるシンヤにクリスが声をかける。
何をしようというのだろうか。
クリスはグライストの息子とはいえほんの十歳程度の子供だ。通路の先にいる複数人の大人を相手に出来るとは思えない。
「僕は元々お兄さん達と一緒にここを逃げるつもりはないんだ……だから、僕が上手くあの人達を他の場所に連れて行くよ」
「ダメだっ! 危険すぎる。戻るつもりだったなら、なおさらおれ達の味方をしていることがバレないようにしないと……」
クリスにとってあの信者達は顔見知りなのだろう。
彼が話をすれば上手く誘導する事が出来るかもしれない。それでも子供に危険な囮のような真似をさせる事に、シンヤは抵抗を感じて躊躇する。
「危ないよ。それならわたしが倒してくるから……」
「大丈夫。父様にはすごく怒られると思うけど、ひどい事はされないよ……うまく逃げてね」
「クリスっ!」
呼び止める声を無視してクリスは走り出す。
すぐに信者達は彼の存在に気づいてしまい、シンヤ達には隠れている以外他に選択肢が無かった。
何かあればすぐに飛び出せるように様子を窺う。
距離が離れている為、何を話しているのかはわからないが、ほどなく全員を連れて地上に向かって行ってしまう。
どうやら上手く誘導する事が出来たようだった。
「……行こう」
その場で数分待ち、警戒しながら通路を進み階段のある扉を開く。
すでにクリス達は地上に出てしまったのか人の気配はせず、ゆっくりと階段を上り、最後の扉を開くと久しぶりに見る外の景色がシンヤの眼に飛び込んできた。
地下とは違う冷たく新鮮な空気がシンヤの肺を満たす。
すでに夜の帳に包まれており、天井の岸壁からは淡い光が降り注いでいる。街に人通りは無く、慎重に外に出ると抜け道のある倉庫に足を向けた。
◆ ◆ ◆
リュートの握る剣は、クシュナが用意してくれた物だ。
その質はお世辞にも名剣と呼べる物では無く、グライストとの戦いで使用した剣とさして変わりが無い。
その為、リュートは技だけでマグルスの魔法を打ちはじている。全力で精霊剣を使用すればものの数分で剣身が折れてしまうからだ。
いかなリュートといえど、人間である彼が魔法の直撃を受ければ、一撃で致命傷になりうる。神経を張り詰め、襲い来る炎を、岩を、氷を、風を打ち払いながらマグルスへと追いすがる。
何度となくリュートの刃は腹を割き、肩を切り裂いているのだが、その傷はマグルスを行動不能にさせる事が出来ていない。
それどころか筋肉を断ち切っていても支障なく行動し、大量の血液を失ってなおその動きが鈍ることが無いのだ。
「……化物めっ!」
「ふふふふっ。まだまだ、まだまだまだまだまだ。まだです。四肢をおとしてみますか? 首を落としますか? 呪文が言えないように口を裂きますか? どうぞご随意に。ただしそれを素直に受け入れはしませんがね」
悪態をつくリュートに、何がおかしいのかマグルスは口元に笑いを作り口数を増やす。
再生するわけでは無いのだ。
行動出来なくなる箇所を、例えば首や手足を切ってしまえば、殺せはしなくとも動けなくすることは出来るだろう。
だが、リュートの剣は肉を切るばかりで、断ち切ることが出来ない。
魔法で加速状態のマグルスの動きよりもリュートの方が幾分早いが、剣が急所を断ち切る寸前で魔法が発動し、後一押しが届かないのだ。
「それでも少し切られすぎましたね……リネット様っ」
「……『メディシーナ』」
「……っ?!」
場内に声が響くと、豪奢な椅子の影からリネットが姿を現し呪文を紡いだ。彼女の両の掌から放たれた魔法の光は、移動しているマグルスに降り注ぎ、その傷を見る間に塞いでいく。
遠隔治癒。
おそらくリネットにしか使うことの出来ない高等治癒魔法。
ボロボロの衣服が元に戻ることはないが、マグルスの身体に刻まれた傷は、その全てが塞がってしまっていた。
「リネットっ!?」
「無駄ですよ。声をかけようと、彼女の耳には私の声しか届いていませんから……」
「くっ……」
目の前に助けなければならない仲間がいるのに、今のリュートには彼女を助け出す術が無い。
マグルスには致命になる一撃を入れる事も出来ず、かといってリネットを攫うには飛び来る魔法が障害になる上、本人が抵抗すれば逆にリュートの身が危うくなる。
歯噛みするリュートは教主を殺す事も、リネットを連れ出す事も諦めるしかなかった。
それでも、十分に時間は稼げただろう。
あとはグライストが来る前にリュートも撤退しなくてはならない。あの男に勝つことができないのだから。
逃げるマグルスまで一気に距離を詰め剣を振るう。
それは脇腹を切り裂くが、傷口は瞬く間にリネットの魔法によって癒される。
リュートは強く地を踏み込むと、その足でマグルスではなく、その先にある出口へと一直線に駆けだした。
「おや? おやおや? 逃げるのですか?」
「死なない奴の相手などしていられるか」
「残念です……ふふふっ。先に行った彼等も、上手く抜け出せるといいですね」
まるで他人事のように話すマグルスに違和感を感じながらも、リュートはさらに加速する。
背後から追いかけてくる気配がない。
追い付けないと悟ったからだろうか。
順当に進めていれば今頃シンヤ達は抜け道に辿り着いている頃なのだが、なぜか胸騒ぎが収まらない。
もっと、さらに速くと地を蹴る足に力を籠めるのだった。




