2章-24話 指輪の真実
左腕全体が悲鳴を上げているような痛みだった。じっとしていられないが、身体は固定され動けない。
通路の先へと帰っていったマグルスの気配が完全になくなるのを待ち、シンヤは口を開き震える声でアウラへと問いかける。
「……アウラ、お前は邪神と関係があるのか?」
シンヤにとってアウラはこの世界を生き抜く力を授けてくれた相棒、それだけでよかった。本当ならば、マグルスに情報を与えたくない。
爪が剥がされた指の皮膚が、神経が、じくじくと痛みを訴えてくる。
先ほど見た拷問器具は爪を剥ぐ物だけではなかった。
眼玉をくり抜く器具、腕を切断するための鋸、刃物だけでも数十種類、その全てに赤黒く染みが付いており、この場所で起きた出来事の凄惨さを物語っていたのだ。
その光景は不安になり、恐怖となり、シンヤの心に突き刺さる。
腕を千切られたことも、皮膚が裂けたこともあった。誰かの為に痛みを我慢し命をかける覚悟を、シンヤはこの世界で持つことが出来た。
だが、ここでシンヤが痛みを受け入れ、命を落としたとしても、全くの無駄なのだ。そこに震えるほどの恐怖を、我慢しきれない不安を抱いてしまっている。
爪を剥がされただけでシンヤの心は折れかけてしまっているのだ。
出来る事ならば明日の痛みを、少しでも緩和したい。
だからアウラに問いかけてしまった。
『……逆に問おう。お主は邪神をどういう存在だと思っておるのじゃ?』
「……」
アウラは優しく、落ち着いた声で問い返してくる。
きっと、折れかけた気持ちがわかっているのだろう。シンヤは弱い心を見透かされたような気がして言葉に詰まった。
「……おれが知ってる事は、創造神にケンカを売った邪悪なる神。魔族を生み出し人類を滅ぼそうとしている狂った神、そう聞いてる」
『……そう、伝わっておるようじゃからの』
「違うのか?」
『概ね間違っておらん。アシュタルテに歯向かい。負けて封印された愚かな神じゃよ。……お主は邪神を憎んでおるか?』
この世界に来たシンヤに良くしてくれた村人を、生きる為の手段を教えてくれたロニキスを殺した魔族。
それを生み出した邪神という存在に対しての恨みはあるのだろうか。
自問してみるが、シンヤにとってみれば神々等、それこそ雲の上の存在。
魔族には怒りと恐怖を植え付けられたが、邪神が諸悪の根源だと言われたところで実感が無い。
「わからない……。おれは、村人を、師匠を殺した魔族が憎い。人を無為に殺すあいつらも、自分の利益の為に人を殺す聖都の奴らにも怒りを覚える。だけど、邪神ってのは会ったこともないし、そもそもこの世界の神話もあまり知らない。だから憎いかって聞かれてもよくわからないんだよ」
『……ふふっ。お主はそう言ってくれるよな。だからわしは……』
シンヤの答えに少し嬉しそうに笑うと、聞き取れないような声でアウラは呟いた。
「ん? なんだって?」
『いや、なんでもない……。さて、わしと邪神の関係じゃったの……』
「ああ……」
『……わしは邪神と呼ばれた神のなれの果てじゃ……』
「……っ!?」
緊張したように間を溜めたアウラは、意を決して言葉を吐き出す。それはシンヤが思いもよらない答え。関係などではなく、彼女自身が邪神だというのだ。
驚愕に言葉の出ないシンヤは、動けない身体を固まらせて、しばしの間息をするのも忘れてしまっていた。
「……お前が、邪神?」
『そうじゃ。だが、わしは欠片。邪神の魂その意識の一部じゃ。じゃから邪神の全てを知らぬし、記憶も欠けておる……』
止めていた呼吸を言葉と共に吐き出し、シンヤはなんとか言葉へと変える。
「……ってことはこの指輪に嵌ってる宝石は?」
『わしの、邪神の欠片じゃよ……』
「……っっ!?」
ここに至るまで驚異的な力を見せた魔族達に宿っていた欠片。自分の指に収まっている指輪に視線が移る。
『わしは邪悪なる神。お主を利用しておるだけやもしれんぞ……』
「……邪悪って感じじゃないんだよなぁ」
『怖くないのか?』
「今更だろ……短い付き合いだけど、お前よりも恐ろしい相手をみてきたからな」
人を虫のように殺す魔族や、平気で人を殺せる人間の方が怖い。少なくともアウラに、シンヤを害そうとする気が無いのはわかっている。
そんな彼女を今更疑ったところで何になるというのだろうか。
邪神だろうが悪魔だろうが、この世界でシンヤを助けてくれる存在を悪く思えるはずもないのだ。
「で、お前何したんだよ。何かしたからそんな指輪になってるんだろ?」
『……アシュタルテはわしの姉じゃよ。やり方が気に入らなんだから文句を言ったら、封印されたのじゃよ』
「ぶふっ! なんだよそれっ。ただの姉妹喧嘩かよっ」
神々の争いの発端が家族の喧嘩だと聞き、話の規模が一気に小さくなったとつい吹き出してしまう。
『あれは頭の固い女じゃ。わしの忠告を反乱と受け止めたのじゃよっ! ……それよりもシンヤ、明日は今の話をそのまま話してしまうのじゃぞ。場合によってはわしが話をつけるからの』
「ありがとうアウラ。創造神の話、もっと聞きたいけど、それはここを出てからに……」
「……おい」
先ほど迄アウラに対する罪悪感が心を支配していたのだが、彼女の話で幾分軽くなったように感じた。シンヤが言葉を続けようとすると、牢の外から声がかけられる。
人影は明かりを持っていない為、それが誰なのかわからない。
「兄ちゃん頭大丈夫か? 一人でこんなとこに居るから頭おかしくなっちまったのか……」
「クシュナっ!」
「……よかった。頭がおかしくなったわけじゃないみたいだ」
拘束された状態で一人話している姿に、心配するような声をかけるのは鳥人の少女だった。彼女は鉄格子の向こう側でシンヤの反応を見て、安堵するように声を漏らしていた。
「助けに来てくれたのかっ?」
「……ごめん。まだ出してあげれないんだよ。さすがに一人じゃ全員を助けられないから困ってたんだけど、協力者ができた。明日の夜には迎えに来れると思う。だからそれまで我慢しててほしい」
期待を込めて問いかけるが、クシュナは弱い声で否定すると、牢の中を見て、この場所でなにが起こっているのか感づいたのだろう。出来るだけ明るい声で希望を告げてくれた。
「……わかった。明日の夜」
外で一人動き、ここに来るのも簡単ではなかったであろうクシュナの苦労を思えば、一日くらい乗り越えて見せる。そう思い、シンヤは明日も来る拷問の恐怖を奥歯で噛み潰して答える。
「……っ!! ごめん、もう行かなきゃ。明日僕は陽動をする。だから助けに来るのは協力者だよ」
「わかった。ありがとう……」
通路の先に人の気配を感じたのだろう。クシュナはまくし立てるように早口で喋ると、足音を立てずにその場を去っていった。
「……明日か」
想定以上に早い助けに、少しばかり気持ちが楽になったシンヤは左手を見つめる。爪のなくなった指先はじくじくと今も痛みを与えてきていた。
痛みを無視してその指を握り締める。
マグルスが何を考えているかはわからないが、シンヤは今日聞いたアウラの真実を絶対に伝えないと、そう覚悟するのだった。




