閑話 シスコンの定義
一章ラストにいれようと思っていた閑話。
少し眺めです。
二週間ほど世話になっている屋敷の重い扉を開き、シンヤは朝日の昇ったばかりの空に両手を伸ばす。日が登ったばかりの為か、外はまだ湿った朝露の匂いに包まれている。
屋敷のある高台から見下ろせる村では、すでに幾人もの村人が仕事を始めている姿が目に映った。
「よしっ! 今日も一日張り切っていきますかっ!」
狼人ロニキスから教えを受けることになり、毎日身体の痛みと戦っているシンヤだったが、日に日に動きが良くなってきていると褒められてからは、気合が入っているのだ。
早朝はロニキスが起きてこない為、村のはずれ迄走り、昼前迄森の中を駆けまわるだけの自主訓練をしていた。
走るだけの訓練と気を楽にしていたシンヤだったが、舗装などされていない山、それも全力で走り抜ける事が、どれだけきついか、身をもって知ることになったのだ。
「ほっ、よっ、はっ!」
軽快に森を駆けるシンヤは、その特異な身体を生かし、日中の訓練を最大限に利用していた。特殊能力が無ければ、数日程度の訓練で、ここまで悪路を走るようにはならなかっただろう。
体力の限界が無い身体になっているシンヤは、無限に走り続けることも出来るのだが、痛みは別。
筋肉の疲労を無視して走り続ければ、肉離れやさらにひどい怪我に繋がる。
一度無理矢理走り続けた為に、足の節々が断裂し、現代であれば選手生命が終わることを通達されるような事態になってしまったのだが、すぐにリネットに治療してもらえたので事なきを得た。
それ以来シンヤは、無理せずに休憩を挟むように心がけていた。
「ふぅ。にしてもロニキスさんもひどいよな。昼前迄寝てるとか、夜なにやってんだよ……ん?」
切り株に腰かけ、ロニキスに悪態をついていると、視界の端に見知った人が映る。
「……クロエじゃないか。こんなところで何やってるんだ? ……あれ?」
シンヤの位置からは辛うじて見える場所をクロエが歩いているのが見え、疑問に思う。今日は村の人達の頼みを聞いて井戸の修理をしていると聞いていたからだ。
視線をクロエが辿ってきた道に移すと、もう一人が隠れるようにして後を追っているのが見えた。
もう一人もシンヤの見知った男。彼女の兄、リュートだ。
「リュートさんも何やってんだ? ってまた妹のストーキングっ!?」
二人ともまだこの村に来てから二週間程度のシンヤにとって、数少ない知人だ。兄のリュートは妹を溺愛しており、仕事の無い時はだいたい彼女の後をついて周っていると聞いていた。
「あっ。シンヤっ!」
こちらに気づいたクロエは、手を振りながら走ってくる。その笑顔は眩しいばかりで、まだ慣れていないシンヤの心臓を鷲掴みにしてきた。
「どうしたんだクロエ。今日は森には入らないって言ってたのに……」
「うん。用事が早く片付いたから、結界の様子を見に来たの。この間みたいに急に縮小したら困っちゃうからね。シンヤは訓練?」
「ああ。ロニキスさんはこの時間まだ寝てるだろうから、今日も昼前までは自主訓練だよ。ほんとあのケモミミは夜更かししすぎなんだよ」
「ダメだよそんな言い方しちゃ、ロニキスに怒られるよ」
「あの人怒ると訓練が対人戦ばかりになるからなぁ……」
前に訓練場で寝ているロニキスの耳を、誘惑に負けて触った事があるシンヤだったが、目を覚ました彼に怒鳴られた挙句、その日の訓練はずっと対人戦と称したいじめになったのだ。
「ふふっ。そうだ、シンヤも休憩がてら一緒に行く?」
「そうだね。まだ昼まで時間もあるし」
「て言っても結界迄行って、周辺の様子を見るだけなんだけどね」
「ずっと走ってるだけだし、気分転換に付き合わせてもらうよ……でも」
「……どこに行くんだ?」
「やっぱり出てきた」
たまには息抜きもいいだろうと、クロエについていくことにしたのだが、不意にかけられた声の方を向くとシンヤの予想通りリュートが、恥ずかしげもなく立っていたのだった。
「リュートさん、ほんとは暇なんでしょう?」
「いや、たまたま森に用事があったから来たのだが、お前らの姿が目に入ってな」
「あっ、兄さんも一緒に行く?」
「もちろん同行させてもらう。大切な妹に悪い虫がつかないようにしないとな」
クロエに視線を合わせないように答えたリュートは、その眉間に皺を寄せたままの顔でシンヤを睨みつける。
現代の街と比べて規模の小さい村の中では、クロエに会う機会はそれなりに多いのだが、決まってリュートが出てくるのだ。
その為、美少女との楽しい会話も、毎回横やりが入って台無しになってしまう。
「リュートさんは村の責任者なんですよね? もう少し村の中を見回ったりとかした方がいいんじゃないですか?」
「俺の部下は皆優秀だからな。書類仕事さえ終わらせていれば、オルステインが万事上手くやってくれる」
兄の溺愛を良い意味で勘違いしているクロエに、事実を知らせたくないシンヤは、やんわりとリュートに忠告するのだが、彼も引く気は無いらしく提案を突っぱねてきた。
「いやそれでもクロエばかりに構っていたらあまりよくないですよ」
「何を言っているのかわからんなっ。俺はたまたまここにいるだけで他の仕事もきっちりこなしている。それも最速でな……」
リュートの事務処理能力は高い。村一つ分しかない内容などほんの数分で終わらせてきてしまうのだ。
「それよりも妹の善意に甘えて、仕事の一つもしていない男の方が問題だろう」
「ぐっ……」
「はいはい、そこまでです。仲良くしないならわたし一人で行くよ」
舌戦は一瞬でリュートに軍配が上がる。
訓練を続けているシンヤは現在居候の身、村の仕事の手伝いはほとんどしていないのだ。さらに追い打ちをかけようとする兄をクロエが止めてくれる。
「それにしてもなぜクロエはこんな奴を気にかける? 弱い上に何も知らない。なんの役にも立たないだろうに……」
「……役に立つとか弱いとか、そんなの人として気にかけるのになにか関係あるの?」
「……いや、そうだな。お前にとってはそんなもの関係ないか」
「そういう話は、本人の目の前で話す事ではないのじゃないですかね。……クロエも否定はしてくれないしっ」
目の前で弱いだの役に立たないだの、言いたい放題のリュートにも腹が立つが、それを否定してくれないクロエに、なぜか目頭が熱くなるシンヤだった。
◆ ◆ ◆
結界が収縮して村の方へと狭まった境に三人は到着する。
範囲で言えば数百メートル程度縮まってしまったようで、その分非戦闘員の活動範囲は狭くなっていた。もちろんシンヤも、その境界をまたぐような事はせず、魔物に襲われない場所で訓練をしていたのだ。
「それでクロエはここで何をするつもりなの?」
「結界の外から、結界の強度を確認して周辺の魔物の様子を見るだけよ」
「えっ!? 結界の外に出る感じですかっ?」
数日前に生死の境を彷徨ったばかりのシンヤにとって、魔物の存在はすでにトラウマに近く、結界の外に行くというクロエの言葉に、心臓が飛び跳ねるような思いだった。
「怖いんだったら、そこで待っていてもいいんだぞ」
「……うん、この間あんな事があったばかりだし、すぐに戻ってくるから無理せず待ってて」
「……おれも行くっ。いつまでも籠っていられるわけじゃないし、それに、外に出る事を想定して訓練してるんだから」
蔑むような視線を送ってくるリュートに優しく気を使ってくれるクロエ。
二人の言葉に、背中を押されるような思いで先日の恐怖を押し殺し、震える顔を両手で叩き声を絞り出す。
「ほう。……ならこれを持っていろ」
「あっ……」
「魔物が出たらそれを使え。……俺はこの辺りの魔物に武器等いらんからな」
意外そうに声を出したリュートは、腰に差していた剣を鞘ごとシンヤに放り投げる。危うく落としそうになるそれを、なんとか受け取った。
ロニキスからもらった剣は訓練場に置いてきてしまっていたのだ。
鞘から刃を抜いてみると、しっかりと手入れしてあるそれは鈍い光を放つ。
「ちょうどいい。どれだけ動けるようになったか見てやろう。クロエも手を出すなよ」
「ちょっと兄さん。いきなり実戦とか、シンヤにはまだ早いよ」
「……大丈夫だよ。……大丈夫」
「なら行くぞ」
「無理そうなら言ってね」
剣の柄を握り締めているとリュートが、唐突に実戦の提案をしてきた。シンヤを試しているのだろう。
激しい緊張が襲い掛かるが、想定していたはずなのだ。いずれ魔物と戦うことになると。
それでも、思い出してしまう。
あの時、口を大きく開けシンヤを捕食しようとする化物の姿が……。
震える手で剣を鞘に納め腰に帯びると、シンヤは大きく深呼吸をして、先を歩き始めた二人を追いかけた。
すぐにその時は訪れる。
人の匂いを嗅ぎつけた魔物は、結界の確認をしていたクロエ達を見つけ、標的と定めたのだ。
「来たようだ……俺達は手を出さん。一人でやってみろ」
「えっ……!?」
殺気を感じ取ったのかリュートは、魔物の方を見ずに声をかけてくる。シンヤが振り向くとそこには先日襲われた時と同じ、リザードと呼ばれるトカゲのような魔物が視界に入った。
「ひぅっ……!」
空気を吸い込む音が、喉の奥から自然と漏れる。まだ見られているだけだというのに身体の芯が冷たくなり、震えが止まらない。
奥歯が意思とは関係なく音を鳴らし、シンヤが動かそうとしても、身体は言うことを聞いてくれなかった。
「無理ならいいのよ。わたしが倒すから……」
「やはり口だけの腰抜けか……」
二人の話声も頭の奥に響くばかりで、シンヤには理解する事が出来ず。腰に差した剣の柄を握ったまま硬直している。
魔物は頭から生える何本もの触手を頭上でなびかせながら、ゆっくりと動き始め、一気に加速すると固まったままのシンヤではなく、少し離れたところにいるクロエに向かって飛び掛かった。
「……ダメだぁっ!!」
きっとクロエならば簡単に魔物を倒してしまうのだろう。飛び掛かる魔物を躱し、いとも簡単に魔法で焼き尽くすのだ。
だが、心配そうに見てくる彼女はシンヤの眼には無防備に映り、食い殺される情景が脳裏を過る。
それだけはダメだ。
どんなに強い女の子でも、危険があるのを見過ごしてはいけない。
自分の心が弱いために誰かが危険に晒されるのを、シンヤはもう許容できないのだ。
クロエに向け飛び掛かる魔物の進行方向に向け、剣を鞘から引き抜き、そのまま振るう。
剣は魔物の頭を掠め、その触手を何本か切り落とす。
考えて降ったわけではない素人の剣。急所に入れる事など出来るはずもなく、クロエに迫る魔物を押しとどめただけに過ぎない。
それでもシンヤは剣を振るったのだ。
「ふん。そういうことか……」
「……ありがと。シンヤ」
二人の声が耳に届くが、シンヤの緊張はまだ解けない。当たり前だろう、目の前の魔物は触手を切り裂かれ、興奮して目の色を変えているのだ。
すぐに標的をシンヤに変え飛び掛かってくる。
「くそっ!」
戦う覚悟が出来たわけでは無い。
ただ無我夢中で剣を振るったに過ぎないシンヤに、化物が口を開け襲い掛かってくる。
立ち止まっているわけにはいかない。悪態をついたところで時間が止まるわけではないのだ。
「急所を狙え」
「……わかってるっ!」
鋭い牙を見せ飛び掛かってくる魔物を躱し、その身体に剣を走らせるが、態勢が悪いのか薄皮を傷つけた程度で、肉を切り裂けない。
リュートの助言も理解している。ロニキスから何度となく魔物へ刃を通すやり方を聞いているのだ。
「ふぅ、ふぅ。落ち着け、剣は水平に刃は真っすぐに……」
息を整え、魔物を睨みつける。ただ単純に振り回すだけでは剣は刺さらない。シンヤは教えられた通りの型を構え、狙いをつける。
一番確実なのは突きだ。相手の勢いと自分の刺突で威力をまして眉間を狙う。
恐怖はもう感じない。
生き物を殺す忌避感も捨てる。
そして、突進してくる魔物に自身の剣を合わせた。
眉間を狙った剣は狙いを逸れて、口の中に吸い込まれるように突き刺さる。
肉を突き刺す感触がシンヤの手に伝わってくるが、剣は放さない。肉を抉りそのまま脳に迄達し、何度か痙攣すると魔物の生命活動は停止するのだった。
「大丈夫っ!?」
魔物の口内から剣を抜き取り、腰を抜かすように座り込むシンヤに、クロエが駆け寄ってくる。
「はぁ、はぁ。……あ、ああ。大丈夫、平気だよ」
全身は魔物の体液に塗れ、気持ちのいい状態では無いが、擦り傷程度の怪我以外は負っていないようだ。
「……ただの腰抜けではなかったようだな」
「ねえ、兄さん。さっきのそういうことって、どういうことなの?」
「お前がこいつを気に掛ける理由が少しだけわかった気がしただけだ。とは言え、認めたわけでは無いがな……」
「もう、素直じゃないんだから」
夢中で戦っていたシンヤには何のことか理解できなかったが、リュートの態度が少し柔らかくなっている気がした。
「はは、ありがとう。リュートさん」
「リュートでいい、敬語もいらん」
「それって……」
「調子に乗るなよ。別にお前が弱いのは変わっていない。それとクロエから離れろ。怪我したわけでもないのに近づきすぎだ」
クロエに手を借りて立ち上がると、リュートは近づいてくると二人の手を離させ、シンヤの顔を睨みつける。
「兄さんっ! シンヤは頑張ったんだから、そんなこと言わないで……」
「こいつにはこれくらいの扱いが丁度いいんだっ」
「リュートはもう少し妹離れした方がいいんじゃないか」
「お前のような悪い虫がつかないように見張ってるだけだっ」
「そういうのがシスコンって言うんだよっ!」
妹思いも度が過ぎればシスコンのストーカー。クロエを遮るように話すリュートについ言葉が漏れ、悪い虫扱いされたシンヤは声を荒げた。
「シスコンってなに?」
「シスコンってのはね。リュートみたいに妹離れ出来ない人の事を言うんだよ」
「妹を心配して何が悪いっ!」
聞きなれない単語に首を傾げたクロエに丁寧に説明していると、リュートも声を荒げる。
「行き過ぎてるとストーカーになるんだよっ」
「またわからん単語をっ……」
「ストーカーってのは本人の許可無しで後を付け回す事ですっ」
「俺はクロエを付け回してなど……いないっ。……まぁ、たまに姿を見かけたら見守る程度はするがな」
「嘘つけっ! 四六時中だろっ」
火のついた二人の言い合いは激しさを増して、日が傾き別の魔物が襲ってくるまで続いた。
そんな二人のやり取りを傍で見て、クロエは声をかける。
「二人とも、仲良くなったねっ!」
「「なってないっ!」」
そんな二人やり取りを傍で見て、クロエは笑顔を浮かべて声をかける。こんな日が長く続けばいいと願いながら……。




