2章-19話 剣戟
「リネットっ!」
リュートに呼ばれ、祭壇へと登るクロエは教主の隣に立ったままのリネットに駆け寄る。声をかけ肩を揺さぶるが、その瞳には誰の姿も映っていないように見えた。
「リネットっ。返事して……」
「私は皆さまの為に祈りを捧げ、教主様の御心のままに、ここにいる全ての人々に希望を与えます」
リネットは光を映さない瞳のまま、クロエの声に、決められた言葉を並べるかのように声を出している。
「リネット……」
「貴方もこの聖都において、教主様に従っていれば、死と苦痛から解放され、祝福の中を生きる事ができるのです」
「ダメっ! あの男の言葉なんて聞かなくていいのっ。貴方は貴方の意思で行動するのよっ」
「私は教主様の御心のままに力を使います」
「……っ!」
必死な問いかけにも、リネットの言葉は変わることが無い。クロエにはかつて彼女を救出した時よりも、さらにひどくなっているように思えた。
「マグルスっ! リネットに何をしたのっ!」
「記憶操作等していませんよ。そんなことをすれば、せっかく身に着けた神の御業も上手く使えなくなるかもしれません。……私の言葉だけを聞くように説得しただけです。ただ、中々言うことを聞いてくれませんでしたので、少々時間がかかりましたがね」
首に剣を突きつけられた状態なのにも関わらず、マグルスは平静さを保ったまま、さも当たり前の事をしたとばかりに返答する。
説得をしただけなのだと言う彼の言葉など信用することは出来ない。目の前のリネットは明らかに心を固く閉ざし、クロエの事すらも認識していないのだから。
「相変わらず最低な男ね……」
「これも偏に神の思し召しというやつですよ……」
反応の薄いリネットを背後に匿うようにし、クロエは嫌悪感を隠さずに睨みつけるが、マグルスは涼しい顔をして含み笑いを堪えているようにも見えた。
彼に信仰心など欠片もなく、自分の自由になる人間を作るための手段でしかないのだろう。
「あの時、牢に放り込むのではなく、殺しておけばよかったと後悔している」
「私は感謝しておりますよリュート様。あのまま外の世界に居たら五年前に死んでいたかもしれません。牢獄の中は居心地こそ最悪でしたが、こうして生き延びられましたからね。……まさに神が私の生を望んでくれた証です」
「……この剣を今すぐその喉に差し込んでやろうかっ!」
「ふふっ。わかっているでしょう? ここで私を殺せば、この場の誰も生きて帰ることなどできませんよ」
怒気を露わに剣に力を籠めるリュートだが、マグルスの言う通り、今この場で殺せば、周囲にいる数百人の信者達が一斉に襲い掛かってくる。そうなれば、村人全員を逃がす事は難しくなるだろう。
だから、マグルスを脅すことは出来ても、実際に殺すことは出来ないのだ。
「……ちっ!」
理解しているからこそ、舌打ちをするが行動に移すことが出来ない。リュートと共にクロエがマグルスを睨みつけていると、村人達を助ける為に動いているシンヤ達の方からテクタの声が聞こえる。
どうやらここにいる村人達も記憶操作をされているようで、クロエはさらに脱出が困難になったことを悟った。
「村人には手を出さないって、リネットと約束したのではなかったのっ?!」
「ああ、それでしたら聖女様に許可を頂きましたよ。もう村人は自由にしてもらって良いとね……」
「……っ!!」
地上に住む住人と同じように、記憶操作をして結界の生贄にするつもりで、洗脳が終わったリネットに答えさせただけなのだろう。息を呑むクロエは怒りで震えている。
「マグルスっ!」
「私は約束を破ったりはしていませんよ」
怒鳴りつけるが、薄く笑ったままのマグルスに手を出すことは出来ない。
クロエはきつく唇を噛み思考する。
このまま洗脳されたままの村人を連れ出す事は出来ない。かといって、置いていけば儀式が行われ、村人達の命は削られてしまうのだ。
周囲を観察するクロエの視界に、シンヤが村人に何かをしている姿が映る。ほどなくして暴れていたテクタが大人しくなり、他の子供にも同じように何かをしているようだった。
アウラが記憶を戻していると、シンヤの事を思い出したクロエは理解し、時間さえあれば全員を戻せるのではないかと希望が胸に宿る。
だが、シンヤが村人の治療をしているうちに村人達が目覚め始め、突然の乱入者により事態はさらに混迷を極めるのだった。
◆ ◆ ◆
セラが取り押さえたソフィーの父親に、指輪を握らせるていたシンヤはグライストを見据える。その姿は、見る者を惹きつける程の魅力と、敵対する者への威圧を放っていた。
「グライスト様だ」
「これでもう安心だ」
「侵入者を殺してくださいっ」
信者達と村人達から歓声が上がる。だが、リュートがマグルスを抑えている限り、手を出す事は出来ない。
「教主様を離せぇっ!」
「……なっ!!」
警戒するリュートに村人の一人が飛び掛かった。グライストの姿に気を取られたリュートは避けきれず、剣先をマグルスの首から離してしまう。
その一瞬。
シンヤはグライストの姿を視界に入れていたはずだったのだが、文字通り掻き消えてしまった。
すぐに金属音が耳をつく。
リュートの持っていた剣が地面を叩く音だ。その音で祭壇に上がったばかりのグライストが、瞬きの間にリュートに近づき、剣をはじいたことを理解する。
「申し訳ありませんが、リュート様達をここで捉えさせて頂きます」
「くっ……」
痺れる手を抑え距離を取ったリュートは、腰に差してあるもう一本の剣を引き抜く。
「ふう。ありがとう、グライスト。おかげで助かりました」
「いえ、遅くなり申し訳ありません教主様」
「仕方がありません。外の見回りをしていたのに、よく気づいてくれましたね」
首から流れる血をふき取り、何事もなかったかのように声をかけるマグルスに、グライストは軽く頭を下げると、剣を構えるリュートに目を向けた。
「教主様に剣を向けたやつらを許すなっ」
「全員でおさえつけろっ」
「落ち着けいてくれっ! ここは私が対処するから、皆は手を出さないでくれ。無用な怪我人は出したくないっ」
教主という人質を失ったシンヤ達に、信者が動き出そうと声を上げるが、グライストは声をかけ信者達の動きを止める。
「さあ。君達にはもうここで掴まるという選択肢以外は無い。大人しくしてもらえると助かるが……」
「ふざけるなっ。たとえお前が相手だとしても、俺は引かんっ!」
両の手で剣を握りなおしたリュートは、一息で距離を詰め、無防備のように見えるグライストの右半身に、上段から切りかかった。
シンヤの眼には捉えられない程の速度だったのだが、グライストは右手に握る剣を、持ち上げるだけで剣を受け止める。地面に降り立ったリュートはすぐに身体を捻り、左半身へと剣を滑らせた。
だが、その剣も最小限の動きで受け止めてしまう。
「つあああああぁぁぁぁっ!!!!」
気合の困った連撃は、全てが吸い込まれるようにグライストの剣に阻まれ、見ているシンヤには、まるでリュートがわざわざ剣に向かって攻撃しているようにすら見えた。
リュートの剣は攻撃するたびに軋みを上げる。
彼が握っているかつての愛剣ではなく、どこにでもある長剣、名剣と呼ぶにはあまりにも貧弱な剣なのだ。
「……成長しましたね。ですが、まだ私の元に辿り着くには遠い。それに……そのような粗雑な剣では、実力が発揮できないでしょう」
「くっ……」
グライストの持つ剣は明らかに名の通った剣なのだろう。そんな剣と打ち合っていれば、武器の方が先に折れてしまう。リュートはどうしてもそれが気になって全力で剣を振るえないでいるのだ。
剣の軋みが限界に達する前に、リュートは地面に落ちたもう一本の剣を拾うと一旦距離を取る。
「はぁ、はぁ。この剣でお前に勝つことは不可能なようだ……なら、これでっ!」
片方の手に一本づつ剣を握るリュートは軽く目を閉じ、魔力を集中させ、剣身に精霊の力を集める。淡い緑色に輝く二本の剣を構えると、一気に地を蹴った。
「精霊剣か……剣の耐久力も鋭さも増すでしょう。……が、どこまで速度が上がるか……」
「ほざいていろっ!」
剣閃すらシンヤには視認する事が出来ない速度で、二本の剣を自在に操るリュートは、グライストに肉薄する。
剣を二本扱うという事はただ持てば出来るというわけでは無い。二本の剣を自由に振るうだけの実力があるからこそ、扱えると言えるのだ。
それでも、グライストは冷静に繰り出される剣戟に対処し、打ちいなしていく。
「確かに……ただ鋭くなっただけではないようですね」
「……まだまだっ。これからだっ!」
二本の剣に精霊の力を纏わせている。
それだけで化物の堅固な体を切り裂くことが出来るのだが、グライストの剣は普通ではないのだ。
その美麗な剣身の見た目通りに、名の通った名工が鍛えた剣なのだろう。精霊の力を使って、ようやく本気で剣を打ち合うことが出来る。
剣の戦いはさらに激しさを増していく。




