1章ー55話 呪い
森の中を全力で駆ける間も、頬を伝う涙が止めどなく溢れ出てきた。
ロニキスの最後の言葉を思い出し、奥歯を噛みしめて落ち着かせようとするが、込み上げる悲しみを抑えることが出来ない。それでも足を止めるわけにはいかず、霞む視界の中走り続ける。
視界が悪いのは涙のせいだけかと思われたが、ぽつりと雫がシンヤの額に落ちたことで、ようやく月明りが無くなってきていることに気づく。雨が降ってきたのだ。
『……まずいのぅ』
徐々に広がる雨雲は月を完全に隠してしまい。辺りは漆黒に包まれてしまう。当然明かりなど持っていないシンヤは、足を止めるしかなく。身動きが取れなくなってしまった。
「くそっ! どうすりゃいいんだよ」
雨はすぐに激しさを増し、シンヤ達に降り注ぐ。幸いなのはこの雨によって、離れている屍人は集まってこないということだが、不幸なのは暗闇で動けないシンヤと違い、屍人には見えていたことだろう。
『少し待て、今何とかする』
「なんとかって、どうすんだよ」
アウラの言葉の数秒後、右手に嵌めた指輪が強く光出す。
『これで多少はマシじゃろうて』
「……がぁっ?!」
辺りを照らす光に安堵したのも束の間、すでに背後に近づいていた屍人がシンヤの肩に食らいつく。
「このぉぉっっ!」
背後から噛みつかれた状態で、身体を揺さぶり引きはがそうとするが、両肩を掴んでいる屍人は離れない。骨の辺りを噛みつかれたためか、屍人の歯が肉を食いちぎるのにも多少時間がある。
「アウラぁぁっ! 二秒だぁっっ!」
叫びを聞き、すぐさまアウラはシンヤの身体の魔力を動かす。クロエを片手に抱きかえると空いた右手で屍人の首を掴む。全力で握ると腐りかけていたのか屍人の首は嫌な音をたてて千切れた。
「はぁ、はぁ、ちくしょうっ。いづっっ」
手に着いた肉片を振り払い肩の傷口に触れる。肉を噛み千切られたわけではないので、出血はそう多くないのだが、左肩に激痛が走った。
これくらいならまだ我慢できると、落ち着く為に息を吐く、が。
「……あぁあぁぁっつっ!!」
次の瞬間には全身の筋肉が悲鳴を上げ、皮膚が突っ張り、引き裂かれるような痛みがシンヤを襲う。先ほどよりも激しい強化の副作用だった。地面に膝を着き、離してしまいそうになった左手に集中してクロエが落ちないよう力を籠める。
「いがぁっっ。……なんでだよっ? まだ2回っ。足してもほんの数秒だろっ?!」
『……数十秒使用するよりも、オンオフを繰り返した方が負担が大きいということじゃの』
「聞いてねえ、よ……ぐっ」
『お主のような状態は儂も初めての事じゃ、わかるわけがなかろう。……しかし、その様子じゃとあと一回も使えば、前のように動けなくなりそうじゃな』
帝都で使用した時にはクロエが魔法で応急処置をしてくれたため、まったく動けないなどということにはならなかったが、現状でそれは難しい。つまり、強化はあと一回、しかも数秒が限度な上に使えば動けなくなる。
雨のお陰もあり、遠くの屍人は集まってこないかもしれないが、逆に屍人の声や足音が聞こえなくなり、シンヤが屍人の接近に気づかなくなる。指輪の明かりもそう遠く迄見えるようになるわけではない。
『屍人に見つからないうちに、どこか隠れるようなところがあればよいのじゃが……』
シンヤの肉体にかかっている副作用は大きい。走るだけで痛みが走り、無理をすれば強化しなくても筋肉が裂けてしまうだろう。
周囲を見回し大きな木を見つめていると、その根元の穴に目が留まる、シンヤは森の秘密基地を思い出す。魔物に襲われた思い出したくもない記憶だったが、子供達は木の洞を基地にしていた。
「あそこに隠れよう」
『そうじゃな。今なら屍人もおらん。あやつらもこの雨では、お主の姿も多少の音もわからぬじゃろう』
近づいてみると大きな根に空いた穴は、大人が二人ようやく入れる程度の穴だったが、雨をしのぎ身を隠すにはうってつけだった。
穴の中に入りクロエを座らせ、自身も腰を下ろす。ここに至るまで緊張の連続で、摩耗している心と身体を少しでも休ませて、じくじくと痛む肩の傷も手当てしておかなければ、この先を進むのに弊害が起きてしまうだろう。
シンヤはクロエが腰に差していた短剣を借り受け、自分の衣服を切り裂く、包帯代わりにして肩に巻き付けるのだ。
傷口に手を当てると、訓練中に怪我をした時に言われたロニキスの言葉を思い出し苦笑いする。
『手当くらい自分でやれっ。怪我した時に必ず誰かが治してくれるわけじゃねえんだよっ。……本当に何にも出来ねえんだなぁ』
自身の怪我を手当したことのなかったシンヤは、呆れたように頭をかくロニキスに叱られながら応急術を教えてもらったのだ。
痛みを堪えて手を動かし、左肩を無言で手当てしていく。
ウォルマー、コルトス、レジーナ、ロニキス、他にも多くの人がシンヤの目の前で死んでしまった。ほんの数時間で村は壊滅し、自分とクロエ以外の生死もわからない。
だが、ロニキスは言った。
まだ生き残っている人間が必ずいると、諦めるなと……。
溢れ出そうな涙を奥歯を噛んで我慢し作業を続けた。
『シンヤ、……平気かの?』
「ふう、……大丈夫だよ。ここで諦めてたら師匠に怒鳴られちゃうからさ」
手当を終え、ようやく少し落ち着くシンヤに、心配そうなアウラの声が聞こえる。諦めるわけにはいかない、絶対にこの状況から逃げ延びるのだ。そう自分に言い聞かせた。
「クロエ?」
一息つき、目の前に座らせたクロエを見てシンヤは声をかける。ロニキスが死ぬときも、シンヤに抱きかかえられ、ここに辿り着くまでの間も、ずっとクロエは言葉を発していなかった。
顔を俯かせたままの瞳に生気はなく、どこを見ているのかもわからない。
『聞こえてはいるのじゃろう。じゃが、届いておらんようじゃな』
「聞こえてるんなら答えてくれっ」
肩を揺さぶり声をかけるが、クロエに反応は無い。心を完全に閉ざしてしまったのだろうか。
『無駄じゃよ。これは呪いじゃ』
「呪い?!」
『あの魔族の仕業じゃろう。魔族の中には心を操る呪法がある。この呪法は発動させるのが特殊での。心を弱らせる必要があるのじゃが……。解呪されるまでは術者が死んでも解けることは無い』
メイフィスが話していたモーリスを操った方法と同じなのだろう。村を潰しただけでなく、死んで迄クロエを苦しめる魔族に怒りが込み上げてくる。
「リュートが死んだって言って、心を弱らせた、って事か?」
『そういうことじゃの。胸糞が悪くなる呪法じゃよ』
「くそっ! ……どうにか、ならないのかよ」
指輪の少女は、侮蔑するように言葉を吐き捨てる。人の弱さにつけこみ、人の意思さえも弄ぶ魔族達、シンヤはやりようのない怒りをぶつけるように壁を殴りつけるのだった。




