1章ー53話 刃の悪魔
盛り上がった背中の筋肉と丸太のような腕、右肩に大剣を担いでいるロニキスの身体には、ここに至るまでの激戦を予想させるような傷がいくつもついていて、本人自慢の体毛も、綺麗な灰色の毛があちこち赤く染まっていた。
だが、そんなものは無いと思わせるように、仁王立ちする狼人の背中は、シンヤの不安を払拭させるには十分だった。
「もう殺してもいいのかしら? 私、獣人は特に嫌いなのよっ」
「やれるものならやってくれてもいいんだぜ。だが、簡単じゃねえことはすぐにわかると思うが、なぁっ!」
シンヤの安堵の表情とは逆に、冷えた声音のメイフィスは、美しい顔を歪ませてロニキスを睨みつけている。手に生えた刃をそのままにロニキスへと腕を振るう。
その直後、風が吹き荒れる。
風を切るなどと生易しいものではく、まるでその一振りで空間すら断ち切ってしまうかのようなロニキスの一撃は、背後にいるシンヤのところにまで巻き起こした暴風が襲い掛かったのだ。
あまりの風に身を縮めて飛ばされないようにしているシンヤとは違い、その凄まじいばかりの剣閃をメイフィスは焦ることも無く背後に大きく飛んで躱す。
大剣が通り過ぎた直後にロニキスへと間合いを詰め、手に生えた刃で切りかかる。その刃を、振り切った大剣の柄で無理矢理打ち返すと、メイフィスの腹に蹴りを放つ。
ロニキスの足は的確にメイフィスの腹を抉り、吹き飛ぶ女魔族を追撃するために地を蹴った。
「ぜあぁぁぁぁっ!」
裂帛の気合で叫ぶロニキスは、くの字に飛んでいくメイフィスに追いつき、握った大剣を振り下ろす。シンヤの眼にはそのまま両断されるように見える状況だったが、掻き消えるように姿を消し大剣は空を切った。
遠目で見ていたシンヤでさえその動きを追うことが出来ず、メイフィスの姿を見失ったのだが、ロニキスが上空を睨みつけるのを見て、一瞬で空へと移動したのがわかった。
「ふう。貴方強いのね。少し油断してしまったわ。この村で強い人間はあの皇子様だけかと思っていたのだけれど……」
「はっ。油断したまま切られてくれりゃあ楽だったのによ。あと、言っておくがリュート様に剣を教えたのは俺だ。単純な力比べなら俺の方が強いぜ」
口元から流れ出た血を拭いながらメイフィスは空中からロニキスを見下ろす。シンヤの身長程の大剣を再度肩に担ぎ、上空を見る狼人は口元に笑みを作り、挑発するかのように声を張り上げる。
「そう。なら貴方を殺せばもう煩わしい虫は出てこないってことでいいのよね」
「殺せれば、の話だろ?」
「いいわ。殺してあげる」
「シンヤっ。いつまでそうしてやがるっ。さっさとクロエ様を連れて逃げろっ」
翼を動かし上空から狙うメイフィスを注視しながらロニキスはシンヤに向け叫ぶ。
恐怖からか硬直していた身体は、ロニキスが来てくれたおかけで動くことが出来るようになったのだが、シンヤは二人の凄まじい攻防に目を奪われていた。
耳に響く大声で我に返ったシンヤはクロエに向かって走り出す。
「あら? 駄目よ。皇女様は私がもらっていくんだから」
空中でシンヤの動きを察したメイフィスは、その進行方向を変えクロエに向かって降下していく。
「させねえっ!」
メイフィスの動きを見たロニキスは、握る大剣を進路に叩きつける。
寸でで減速し身を翻したメイフィスは憎々し気な顔でロニキスを睨みつけた。
「お前の相手は俺だって言ってんだろ?」
「……しつこい男は嫌われるわよ」
「はっ。お前みたいな女は願い下げだ。それに、惚れた女以外にどう思われようと関係ないしな」
吐き捨てるように声を出すメイフィスだったが、ロニキスにとっては口の悪いメイド以外がどう自身を罵ろうとどうでもよかったのだ。
「ほんと、気持ち悪い。その女もどうせ死んでいるでしょう? あの村で生きている人間なんてほとんどいないわよ」
「それこそ笑えるな。お前がどう思おうと、あいつはあの程度で死ぬような玉じゃねえ。それに、リュート様もしぶといぜ。本当に死体を確認したのか?」
脳裏によぎる紫のメイドが死ぬなどと微塵も考えていないロニキスは、背後で放心するクロエと、その胸に抱えている見慣れた剣を見て状況を察し、メイフィスに問いかけた。
「あれで生きていたとしても、もう死んでるわ。今は死の刻限、死ぬ間際の人間が生きていける程優しくないのよ」
「じゃあ、生きてるだろうな。あいつを殺したかったら、ちゃんと止めを刺さないといけねえ」
「そう思いたければ思えばいいわ。ただご忠告通り貴方達は、皇女様以外きっちり止めを刺してあげる」
動き出したメイフィスに合わせるようにロニキスは大剣を振るう。
腕の刃で大剣を受け止め、足からも刃を出しロニキスを襲うが、腰に差してあった分厚い短剣を左手で抜いてそれをはじく。
「本当に戦いなれていて嫌になるわ。もっと楽に踊ってほしいものね。あの鹿人の男のように……」
「ああ? そりゃあモーリスの事かよ」
「そんな名前だったわね。本当に強情な男だったわ」
「あいつに何しやがったっ!」
旧友の事を過去形で話するメイフィスに、憤るロニキスは大剣を片手で振りながら怒鳴りつける。
「あの男の奥さん、結界の外に探し物でもあったのかしらね。外をうろうろしていたから捕まえて呪いをかけて帰してあげたの」
切り結びながらメイフィスの言葉を聞き、大剣の柄を血が滲むほどに握りしめる。モーリスは愛妻家だ。村に居る少ない獣人仲間ということもあり、ロニキスとは仲も良く、彼の妻共々よく食事をするほどだった。
「それでのこのこやってきたから、結界を解いたら貴方達だけは助けてあげるっ、て言ってあげたんだけど、強情で中々言うことを聞いてくれなくて……でも、心は迷ってくれたみたいだから操らせてもらったわ」
ロニキスのよく知るモーリスという男であればたとえ家族を盾にされても断っただろう。だが、心は弱くなる。そこを突かれて操られたというのだ。村の医療を担当していた彼であれば屋敷の中を自由に動ける。結界を解除することも可能だったのだろう。
「その後は用が済んだから二人とも仲良く首を刎ねてあげたわ」
「てめぇぇぇぇっ!」
「あはははははははっ。いいわ。とってもいいっ! ようやくいい顔をしてくれるようになったわね。怒りと絶望の合わさってる素敵な顔っ」
「くそがぁぁあぁっ!」
怒りに震えるロニキスはその喉が裂けんばかりに叫び大剣を振るう。犬歯を剥き出しにし、メイフィスを射抜かんばかりの眼で睨みつける。
「でも、もう終わり。早くしないと逃げられちゃうから」
左の手の中に短い刃を生み出したメイフィスは、クロエを抱えようとしているシンヤに投げつける。
それに気づき、飛翔する刃を叩き落したロニキスの右腕に、メイフィスの刃が一閃。
地面にロニキスの肘から先と握りしめたままの大剣が落ちる音がシンヤの耳に鈍く響いた。




