山羊
高校一年の春のことである。
彼が初めて世良銀を見たのは入学式のときだった。
というか、ほとんどの生徒がそうだろう。緊張で辺りを見回そうとして、しかしそんな自分が恥ずかしくてやっぱり視線を真っ直ぐにして、でもやっぱりチロリとでも周囲に視線を流せば、その目が覚めるような赤毛は嫌でも目に入ってくる。「おいおい入学早々になんつう髪の色にしてんだよ、さすがに怒られんじゃねえの」と考えたのも三日間だけで、そのやたらと目立つ同級生が入試で一桁の順位を取っていたらしいと知って酷く驚いたと同時にこの学校の教師がなにも言わない理由に納得した記憶がある。外見だけなら、とてもそうには見えなかったのだ。
世良銀島。
名字を二つ連ねたような名前。とにもかくにも特徴の多いこと多いこと――クラスメイト全員、なにか機会があると話しかけずにはいられなかった。なんせネタが多いし、銀島は人当たりがよく話しやすい人間だったからだ。「ピアス自分で開けたの?」「その髪って染めてんの?」「数学教えて」「帰り一緒に寄り道しない?」「何部入った?」そんな数々の質問の中、彼が銀島に最初に訊いたのは、
「なあ、お前なんでも出来るんだな」
だった。
訊いた――というには少し違うだろう。確認みたいなものだ。実際銀島という人間は一ヶ月観察すれば所謂『何でもできる』人間だとわかる。勉強も運動も人間関係もバイトもイジメもどうしようもなく感じる不自由さも、およそ高校生が抱えるような悩みたちとは無縁に見えた。だから、彼は銀島がそういう人間だとわかったとき、本当はこう問いたかった。「どうやったらそんななんでも出来るようになんの?」。
銀島は彼の言葉に、咥えていたジュースのストローをそのままに、
「誰でも出来るよ」
とだけ、くぐもった声で返した。
理解の、出来ない言葉だった。
ずっと感じていた。入学式の日、あの、体育館に入る僅かな春風でゆるりと揺れた赤毛を見たときから、「こいつは特別な人間だ」と。最初からなにもかもを持っていて、恵まれていて、そのくせ怠惰な生き方はせずに自分がやりたいことのために全力で走れる人間。誰もが強烈に憧れてしまうような男。
銀島に自分のこの気持ちを解って、そして認めてほしかった。悔しさや、妬ましさ。向けられる側から向ける側に回って欲しかった。だから中間テストで、銀島よりも高い点数を取った。特別なことはなにもしていない。必死に泥臭く、義務的なストレス解消を除いて遊びに行くこともせずに勉強しただけ。『特別なものが好きだ』と笑う銀島は、特別ではない自分に負けてなにを感じるのか。
お前何点だった、と訊くと、銀島は知っていた通り自分より低い点数を口にした。それでにやりと笑って、自慢気に自分の得点を言ってみせた。学年で三位の点数だった。
銀島は、悔やむのだろうか。妬み嫉むのだろうか。『特別』でもないどこにでもいる自分に負けて、ちょっとはその綺麗な眉間にシワが寄るのか――。期待しながら様子を観察すると、銀島はこう言った。
「お、すげえじゃん。な、やれば誰にでも出来るだろ?」
――嫌味ではなかった。
それだけは、確実に伝わった。銀島は本心からそう言って、それきり、特に興味もなさそうに携帯端末を弄ると、「ん。また『スコール』の事件だ」と独り言を溢した。
その後、秋に『スコール』の生徒が教室を半壊させる事件がある小学校で起こり、銀島は益々『スコール』に夢中になっていった。
いつだって銀島のあの灰色がかった目を惹かせるのは『特別』だ。それがどんなに危険なものでも、銀島はいつもそっちへ走っていく。のびやかでしなやかな足で駆けていく、どこまでも、どこまでも。
銀島。世良銀島。一年経った今でも自分には理解できない理論でモノを話し、誰とでも仲が良いくせに誰とも友達じゃない。理解出来ないことが悔しい。自分は全くもって特別じゃないと突き付けられているようで。
この捨て置かれた苦海から這い上がり、銀島の疾走を止めるには。
銀島の大好きな『特別』を絶つ他ないだろう。
彼――八木は、そう思った。