回答
二日後――五月十六日。天気は快晴。
東京都内に存在する街、夕立町。午後十二時過ぎ、名前とは反対に彼方の空まで続く透き通った青色の下で、背の低いビルがいくつも連なり、その隙間を都心にしてはそこまで騒がしくない人々の営みの音が通り抜けていた。
繁華街で野良の『スコール』による愚連隊が暴れている――。平均十一連勤を更新中の朗ら観測機動隊に舞い込んできたこの事件に、隊員は白目を剥きながら現場に赴き青年らを拘束していた。
「はなっせよこの早漏公務員!!」
「オラー!」
「もうさー……『足輪』つけなくてもいいから願いだから問題起こさないで……」
「はーい、壁の方向いてねー。能力封じの目隠しするからねー。あれ? 誰か間違えて俺に目隠ししました? 視界がなんか端の方から暗くなってきてるんですけど」
「ふふ、ちょうちょが飛んでる」
「な、なんだよオッサンたち。目ぇやべえぞ」
「大丈夫か……?」
「心配するならバイクブンブンしないで……」
いよいよ思考能力が低下し擬音多めの言葉しか話せなくなった隊員を不良たちが逆に心配する事態が発生しているのを背景に、隊長である朗はここまで乗ってきたいつもの乗用車の横で由貴と共に能力のチェックをしていた。
「最後に、あの長髪の彼が発火能力です。データベースに登録がありました」
「道路脇の植木が燃えていたのはそれか……。彼らももう少し落ち着いてくると助かるんだが……」
「全くです。氷色君を見習ってほしいですね」
由貴がタブレットに『スコール』の情報を記入していく。朗の能力を使えばすぐ済むことだが、現在彼は勤務続きで疲労が為っているため、万一能力が暴走して個人情報がネットの海に流出することを防ぐためだった。
一通りの名前と社会的立場等を入力後、由貴が「そういえば」と切り出す。
「氷色君の共感能力……心理的な『痛み』を獲得する能力が正常だったというのは、本当ですか?」
「……ああ。櫛城高校で実施した心理検査で、他者の苦しみや怒りを理解する傾向が出ていた」
由貴は、そうですか、とも良かったですね、とも言わず、眉を寄せて口を噤んだ。それを代弁するように、朗が「そんなものなのだろう、我々『スコール』とそうでないものの差は」と続けた。
「見た目はなにも変わらないし、検査も本人の証言と能力の発動くらいしか確かめる方法はない。氷色君は、特に『痛みを感じない』などという内部的な能力だったしな」
「……ではなぜ、『スコール』の風当たりは強いままなのでしょう」
「一見変わらないということが恐ろしいときもある。それに、風当たりなら、昔ほどではない。徐々に理解は広がっている」
世界有数の能力を持つが故プライベートに関わらず常に監視を受け、思春期を一番偏見が強い時代で過ごし、またその知名度からその行動一つで『スコール』のイメージが左右される男は、極めて下の名前の通りの顔でそう言った。対して由貴は、幼さの抜けた淑女の顔をどこか大人の言うことに納得できない子供のようにしている。
朗はそれを一瞥して、目元を緩ませた。その脳裏に過るのは十五年前のテロ事件。そして、その事件で応えられなかった少女の言葉。
「……氷色君が、『スコール』ではない子と仲良くしている話を聞く度、あの問いを思い出すよ」
「問い?」
「ああ。私には、十五年前のあの日、『私たちはどうすればいいのか』と問われているように感じた」
――「わたしたちは『少ない方』だから。多数決で負けた方がジユウに生きるには、『多い方』を減らして、わたしたちがフツウなるしかない」。
「……」由貴が目を伏せ、静かに聞く体勢になった。
「ああ――今こそ、答えられる。……私が未だにあのときの答えを探しているのは、『多数決で負けた方は多い方を淘汰するしかない』と言われたからだ。あのとき、『スコール』を迫害する人間が憎くて全員殺さなければ気が済まない――そう言われてしまっていたら、どうしようもなかった。しかし、私に問われたのは、多数決で負けた方の反逆について。だから考えなければと感じた」
繁華街の間を太陽の温かさを含んだ風が流れる。それは朗の火傷痕を撫で、由貴のリボンタイプの髪飾りを揺らした。それが止む頃、「思うに」と朗が由貴と再び視線を合わした。
「世界のどこでも、誰かは自分とは違う誰かを非難している。そんな場所でたかが『スコール』とそうではない者を分けたとしても、彼らは止まれない。『スコール』のみになった後でも、また肌の色や言葉の違いの数だけ差別は生じる。それを無くすために自分と一致した者のみを残していき、そんな隣人を殺すことを繰り返した先にあるのは、自分と全く同じ人間だけがいる世界だ。それはそれで、……いいのかも、しれない。しかし、意見を求めたときに全く同じ回答しか返って来ないというのは……それは、」
由貴はじっと朗を見ていた。中身の通っていない右腕の袖が呼吸に合わせて揺らぐ。
「酷く、孤独なことではないだろうか。……うん、そうだな。これが、答えだ。私はあの日、そんな未来を恐れた」
憑き物が落ちたように表情を柔くして、朗は由貴の右側の袖を持ち上げる。
十五年前、爆破した建物が崩れ落ち、炎と共に巨大な瓦礫が降り注いだ。そのとき、朗は由貴に覆い被さることで庇った。由貴の髪を留めているリボンは、庇いきれなかった右腕を朗が止血するときに使ったラッピング用のものを加工したそれだ。
右腕の無い朗の副官。肩から先全てを無くしたそれが利き手だったと聞く限り、最初は日常生活もままならなかっただろう。それでも彼女が朗を追ってきたのは、偏に――
――――朗のその答えを、聞くためだ。
「――どうだろうか。あの日の君は、この解答に納得できるか?」
由貴――否。
『西尾ショッピングモール爆破事件』で建物を爆発させた『スコール』は。
小さく笑い、朗はそれを肯定と受け取った。当時十三歳の少年と八歳の少女の瞳が交わったそのとき、
「副隊長ー! 護送車まだですかー!?」
と、隊員から半ば苦情を孕んだ声が飛んできて、二人ははっと顔を引き締めた。
「あ――あと五分程で来る! すまないが、拘束は解かずにもう少し――」
待っていてくれ、と由貴が続けようとしたとき、片耳に付けたインカムからザッと小さな雑音が入った。入電が入る直前によく聞くものに、胸中に嫌な予感が巻き起こる。
《第五方面本部から観機隊》
「観測機動隊ですどうぞ」朗がやや硬い声でイヤホンを指で抑えながら応答する。
《夕立町夕立駅前のバスターミナル付近で『スコール』二名による器物破損事件発生。負傷者五名前後、内一人は頭部の衝撃により出血多量ではあるが意識ははっきりしている模様。至急現場へ向かえ。十二時十二分、以上本部より》
部下の一人が口から泡を吹いて受け身も取らず真後ろに倒れた。拘束されていた青年が「サツ公ー!!?」と心配と驚愕の叫びを上げる。
「……了解。観測機動隊、現場に向かいます」
通信が切れる。由貴はふーっと大きく息を吐き出すと、ぱっと顔を上げ意識を切り換えた。
「隊長」
「ああ。私が行ってくる。篝は双波隊員の小隊と残り、ここが片付き次第追って来てくれ。――第二小隊! 後を第一小隊に任せ駅前に向かえ!」
了解、と部下たちの空元気混じりの声が返ってくる。
「了解しました。車は使いますか?」
「いや――」
朗は、首を横に振りながら、足の爪先をトトンと地に打ち付けた。
「走った方が早い」
言うや否や、彼は特殊金属が編み込まれた義足の人工筋肉と骨格に意識を集中させ、「頼んだぞ」と言って地面を蹴り出した。鈍器が鈍器を殴るような重々しい音を立てながら人間とは思えない速さで遠ざかっていく朗の背中に、由貴は先日ついに彼の本気の移動速度が時速60kmに迫ったという話を思い出した。60kmと言えばだいたい競走馬の速さである。
と、それに入れ代わるように護送車の姿が見えた。小さな渋滞に嵌っていたと聞いていたが、無事に到着したようだ。
いい加減疲れて不明瞭になってきた頭をすっきりさせるため、由貴は一度空を仰ぐ。宇宙に繋がる蒼穹がこちらを見下ろして、暴力的とすら取れる蒼が視界に眩しい。
――今日も私は、空を見ることが出来ている。
――能力で何人もの人間を傷付けた私が。
今彼女が獲得している自由は、贖罪のために与えられた自由である。人はもしかしたらそれを不自由に見えると言うかもしれないが、しかし、両足と顔を失ってまで自分を生かし、答えまで出してくれた恩人に報いたいという願いを叶えられる環境は、彼女にとっては正しく自由に近かった。
――……あの答えに出会えてよかった。
――十五年、今日を待っていて、よかった。
――私はそれだけで、生きることが出来る。
由貴は空から目を逸らすと、いつも通り、部下に指示を飛ばしていった。




